雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「自分で付けた戒名(法名)」

2016-03-31 | エッセイ
 この記事は、2011年にふざけて投稿した記事を掘り起こしたものである。書いた本人でさえも忘れ去った記事が、どなたかの検索に引っ掛かって読んで(多分)くれた方がたったお一人だであるが居らしたので、気を良くしてして更新する気になった。
            
 戒名(法名)は、もともと僧侶に付けられたものだそうである。それが、いつのころからか、亡くなった一般人にも付けられるようになった。云わば、あの世での名前である。

 その戒名を生きている間に自分で付けたらどうだろう。お寺さんに聞かれたら「自分で付けるなんて、とんでもない。戒名は僧侶から授かるものだ」と叱られるかも知れない。しかし、戒名を一般人に付けるなどと云う慣習は、インドにも中国にも無い。まして、たった二文字で20万円以上、院号を加えて4文字になると、100万円をこえるそうな。

 ばちあたりかも知れないが、私にはかっての僧侶が思いついた「商魂」と思える。

 ためしに、自分で付けてみた。院号は、昔は大名クラス、今はお金持ちに付けられるそうであるから、貧乏人の猫爺は省略して、頭に来る「道号」は宗旨で決まる。私の実家は「浄土真宗」だから、「釋」。次の二文字は名号である。一文字目は、俗名「前山隆二(仮名)」から「隆」の字を使って、もう一文字は好きな文字、「情」を付けよう。後は。宗旨が「浄土真宗」なら、「信士」が付く。私の戒名(法名)は、

              法名 釋隆情信士 

 位牌は通販で、5千円程度から求めることが出来る。文字の書き込みも5千円程度である。


 実は猫爺、通販で既に作った経験者だ。一万円ちょっとで、立派な(か、どうか知らないが‥)「お位牌」が届けられた。

 2016.03.31 再投稿


 お位牌は、こっちへ置いといて‥(/・ω・)/

 
 ペヨングの「カップ焼きそば」が届いた。今までの「ペヤング焼きそば」と味は変わらない。液体ソースは、今までのとまったく同じで、ソース袋への表記も、「ペヤング」のままである。変わったのは、量が少なくなったのと、「かやく」の中に乾燥肉が無くなったこと。肉と言っても、「粉鰹節」を固めたものみたいな味がしていたので、むしろ無くなったことを歓迎する。

猫爺の日記「手作りカラオケ動画」

2016-03-30 | 日記
 「わーい、完成したぞ!」って、若い人なら18分もあれば作ってしまう「カラオケ動画」、猫爺は2日かけて完成した。昼間っから、同じ曲を何度も鳴らしているので、近所の人に聞こえて噂をしているかも知れない。

   「あそこの爺さん、カラオケを鳴らしたまんまクタばったようですね」
   「救急車呼びましょうか?」
   「それより、警察でしょう」
   「いやいや、坊さんを呼びましょう」
   「その前に、葬儀屋を呼んだ方が良いのと違いますか、坊さんは葬儀屋が手配してくれるでしょう」

 
 猫爺は葬儀は要らない。お坊さんも呼ばなくてもいい。墓も位牌もいらない。通夜が済んだらサッサと火葬場へ。骨(灰)は、業者に頼んで海へ散骨か、有料で山へ埋葬させてくれて、若木を一本植えれば済むところもある‥‥‥って、何を言わせるのや。爺、まだ死んではおらんぞ。


 遺書めいたものはこっちへ置いといて‥(/・ω・)/


 今日の昼餌は、イオンで買っておいた一枚300円前後のピザ。さして旨くもないが、嫌いではない。


 注文して貰った「ペヨング」のカップ焼きそばが、まだ到着しない。関西は、3月28日に発売されるようだが、発売されたものが通販店に入ってから順次発送されるのだろうから、四月に入ってからだろう。

 この「ペヤング」の偽物のような名前のカップ焼きそば、一個110円程度のものだが、発売前から人気が出て、プレミアムが付いて3個1000円でネット販売されているそうな。「何を考えているのだろう」今時の若いヤツ。少し待てば、スーパーの棚に、嫌という程並ぶものを‥‥‥。

 と、言いつつ、自分も予約注文したりして。
 

猫爺のエッセイ「宇宙人は居るか?」

2016-03-29 | エッセイ
 新しく始まったクイズ番組を視ていたら、小学生にアンケートをとり、回答割合をどちらが多いか当てる問題で、宇宙人は「居る」「居ない」と訊いたところ、「居る」と答えた小学生が多かった。同じ質問を大人にしたところ、割合は変わらなかったそうな。

 猫爺なら、「知的地球外生命体」を宇宙人というならば、100%存在すると答えるだろう。ただし、人間が「想像」あるいは「見た」という地球生物にどこかしら似た「宇宙人」は、嘘か幻覚か想像だと思う。

 では何故「100%存在する」と言えるのか。当然のことながら宇宙は無限大である。我々が存在する「太陽系」と言えども、銀河系宇宙の端っこにあって、湘南海岸の全砂の中の一粒くらいの存在なのだ。その銀河系宇宙規模の宇宙は、人間が確認しただけでも何百もあると言う。確認できない(地球まで光が到達しない)~系宇宙は、無量大数に存在するのであろう。

 その無量大数ある宇宙の中に、生命体を育み進歩させた星は、これまた無量大数存在して当然ではないか。その中に、「知的生命体(宇宙人)は居ない」という方が無理である。

 だが、地球上で発生し、変異と淘汰を繰り返して進化してきた知的生命体を(人)というのであれば、地球外の知的生命体は(人)とは言えないかも知れない。

 テレビなどで「宇宙人」だと言って見せてくれるものは、地球生物を変形したものであるが、実際に存在する知的地球外生命体は、人間には想像できない類の形態であろう。地球とは違う環境もとでは、地球とは全く違った形態を持つ知的生物になる筈だ。

 
 猫爺のSF的空想はこっちへ置いといて‥

 今日の昼餌は、だった。

猫爺の日記「今日の昼餌」と「動画編集ソフト」

2016-03-29 | 日記
 28日の昼餌は、相も変わらぬ「カップ焼きそば」を食べた。この製品は、スープが付いているので「焼ぞは弁当」と言うらしい。粉末に麺の戻し湯を入れると出来上がり。具なしだが旨かった。

 「カップ焼きそば」は、こっちへ置いといて‥


 猫爺、ただ今「動画編集ソフト」を買って貰って夢中になっている。若い人なら、10分程度でマスターするのだろうが、年寄りのこと、娘に尋ねたり、PDFの取説をダウンして、その用語をWikipediaに教わりながら、一つ一つマスターしているところ。難しいが、面白い。まるで仔猫に与えられた鼠の玩具さながら。

 漸く、画面と音を合わせて、テキストを付けるところまで成功したが、「保存」と書いてくれたらすぐわかったものを、「レンダリング」なんて書いてあるので保存方法が分からずに苦労した。爺を困らせて喜ぶ性格の悪いソフトである。 ん? 悪いのはお前の頭だと? そうかも知れん。

猫爺の日記「猫爺の昼餌」 股旅演歌2

2016-03-26 | 日記
 「木曽ぶし三度笠」の巻

 1961年封切の大映の作品「木曽ぶし三度笠(小林勝彦・主演)」の主題歌で、橋幸夫が歌ったものだ。。

 最近、股旅演歌の人気があがり、この歌も、動画サイトの人気演歌である。いろんな方々がカバーしておられ、中でも歌の上手さ抜群のアマチュアの milkye326さん がカバーしておいでになるのが猫爺の好みである。

 ところで、動画サイトのカラオケや、画面に歌詞が挿入されているものに、誤字が多いので猫爺なりに推理してみた。これは、台湾で造られたカラオケがその原因ではないかと思う。

 この「木曽ぶし三度笠」も、気になるところがある。

   ◇やくざ渡世の 白無垢鉄火‥ で始まり

   ◇いつか水棹を長脇差に‥ 

 今は修正されているが、以前はこの「水棹」が「三棹」になっているものがあった。水棹とは、船頭が舟や筏の舵をとるために使った竹竿などで、川底を突いて舵取りや推進のために使ったものだ。

   ◇木曽のナー仲乗りさん‥ 

 この歌に挿入されている「木曽節」であるが、「仲」の字は、「仲が良い」「夫婦仲」「仲間」というときに使う複数のものの間柄を示すために使う文字である。「なか乗りさん」とは、職業であるため「中乗り」とするのが正しいと思うが、動画サイトでは「仲乗り」が蔓延しているようだ。

 二番の歌詞では、 
 
   ◇木曽の架橋 太田の渡津(わたし) ≪津とは、船着き場のこと≫
    越えて鵜沼(うぬま)が 発ち憎い

 以前、この「憎い」だけを引っ張り出して、「何が憎いのですか?」なんて的外れの質問をしている人が居た。

 これも、台湾で造られたカラオケの影響のようで、「にくい」に漢字を当てはめるなら「難い」とするところを、音のまま「憎い」としてしまったものだろう。この「憎い」が、動画サイトでは蔓延してしまい、日本の方が作られたと思われるカラオケの歌詞も、猫爺が知る限りでは殆ど「憎い」になっている。歌詞には何かを憎んでいる部分は無い。

 例え「憎い」であっても、もう少し歌詞をズームアウトしてみれば、「にくたらしい」のではなくて、「発ち難い」のだということが分かる。「旅に出なければならないが、後ろ髪を引かれる思いだ」という意味。「それは何故?」、次の詞を読めばわかることだ。


   ◇娘ごころが しん底不憫
    などと手めえも、惚れたくせ

 この主人公は「中乗り新三」と呼ばれているヤクザ者であるが、故郷の伊那には新三に惚れた娘が泣いて新三が旅に出るのを止めたのであった。
 自分に惚れた娘の心が不憫だと思う新三であったが、新三は自分に話しかけている。
   
   「そんなに恰好をつけているが、お前もあの娘に惚れているではないか」
 
 立ちにくいのは、その所為なのである。

 milkye326さんが作られた動画の歌詞は、ちゃんと「中乗りさん」と、「立ちにくい」と、元の詞どうりのカタカナ表示にしておられる。

 

日記「猫爺の昼餌」'16.03.23

2016-03-23 | 日記
   ◇義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界‥

 1966年封切の東映映画「昭和残侠伝」シリーズ「唐獅子牡丹」の主題歌である。


 任侠映画は、こっちに置いといて‥


   ◇義理とわが身を秤にかけりゃ わが身が重たいメタボの爺‥

 内科医に、食べ過ぎじゃないかと指摘された。

   「朝は食パン1枚と青汁一杯」「昼は麺類」「夜は茶碗に一杯のご飯とおかず」

 そう答えたが、見透かされた。

   「それだけか?」

   「午前十時におやつ」「三時におやつ」「夕食後にデザート」それと「夜食を少々」

   「そうやろ、やっぱ食べ過ぎや」

 医者は言う。

   「まず、夜食を止めなさい」「それから夕食後のデザートも‥」「それから、十時と三時のおやつも‥」
   「えー、生きてる楽しみ無い」
   「長生きしたかったら、そうしなさい」

 だけど考えてみれば、既にお釣りが出るくらい長生きしている。謂わば今生きているのは人生のカスにムシャぶりついているようなもの。豆腐作りで言えば「おから」みたいなものだ。ただ、自分で味付けをして「うめぇ」と、ムシャムシヤ食っている。

   ◇昔なじみの内科医さまにゃ、爺の食生活お見通し‥‥
   ◇腹で吠えてる、空腹牡丹

高倉健 唐獅子牡丹

猫爺のエッセイ「股旅演歌」

2016-03-19 | エッセイ
 ここのところ、猫爺はブログへの投稿をサボっている。こんなにサボるのは、入院していた時以外では初めてだろう。
 だが、サボるというのは正しいのだろうか。サボるとは、勉強とか仕事とか、やらなくてはならないことを怠けることの筈だ。ブログに記事を載せるのは、やらなければならないことではない。趣味を楽しんでいるのである。猫爺には、「ボケ防止」という目的もあるには有るが‥。

 若い方々のブログを拝見していて、更新が途絶えることが、まるで罪であるような意識を持っておられる方もいらっしゃるのだなぁと生真面目さを感心する一方、そのひたむきさを「余計なお世話」ながら心配する猫爺である。

 猫爺は若いときからそうであるが、趣味、興味は周期的にシフトする。文芸に熱を入れているかと思えば、アマチュア無線に懲り、電波を飛ばす為に態々山登りをしたり、バイクでツーリングをしてみたり、作曲に凝ったり、写真に凝ったり等々、移り気で一つのことに落ち着けない人間である。

 今はと言えば、ヨボヨボで行動範囲が狭くなり、音楽を聴くことが主になっている。それも、若いときには興味が無かった演歌を、年寄らしく好んで聴いている。演歌の中でも、「股旅演歌」がいい。
 股旅とは、江戸時代やそれ以前に足で歩いて旅をすること言ったものであるが、特にヤクザな男や女が賭博で旅籠賃を稼いだり、侠客一家で一宿一飯の恩義を受けながら旅をすることである。旅の目的は、たいてい罪を犯して無宿者になった者達が追手を逃れるための旅である。
 これに対して、武士や堅気の衆の歩き旅は、旅人の脚を馬の足に例えて「膝栗毛」といったようだ。


 猫爺の書く「連続小説」にも、この股旅のスタイルを使っている。その一番目が、肥桶を担ぐ天秤棒を持たせると天下無敵の「池田の亥之吉」である。この亥之吉、形(なり)はヤクザではあるが、無宿者ではなく実は大坂のお店(たな)の番頭である。しかもこのお店のお嬢さんとは許嫁で、末は暖簾分けをして貰える堅気で、ある目的を持って旅に出たのである。その目的とは、身を持ち崩したお店の長男が店を飛び出しヤクザに身を窶していると知り、同じく身を窶し、探し旅にでたのである。

 二番目に登場するのは、旅雀と揶揄(からか)われる「チビ三太」五歳である。たった五歳の少年が大坂から江戸まで旅をするのは到底無理であるが、彼には「中乗り新三」という守護霊が憑いているのだ。旅の途中、親に捨てられた同年の少年と、穴にはまり母狐に見捨てられた狐の仔が道連れになる。江戸には「池田の亥之吉」が待っている。その頃は、江戸の町に店を開いていた亥之吉のところに丁稚奉公し、棒術を教わるためだ。

 三番目に登場する旅鴉は「江戸の辰吉旅鴉」である。彼は、亥之吉の長男で、町で喧嘩に巻き込まれ、人を殺した結果の逃亡旅である。


 この投稿は、猫爺の「取り敢えず投稿」だなと気付かれた方、鋭いっ!

猫爺の日記「猫爺の昼餌」'16.03.14

2016-03-14 | 日記
 夏日に近いような暑い日があったかと思えば、また冬に戻る。日中半袖で過ごしたのに、陽が落ちるとストーブが恋しい。当方の住むところは住宅地で、大きな交通事故が起きるところではないと思われるのに、救急車の音を聞かない日は無い。一人またひとり、お年寄りが倒れているのだなとサイレンの音を聞くにつけてヨボ爺の自分としては、せわしないかぎりである。
 地球が何億年かけて築いてきた「自然バランス」を、人間という棲息動物が見事に壊し続けている。その自然からのしっぺ返しによって、まず「ヨボヨボ爺婆」が篩にかけられて落とされているのであろう。

 「しっぺ返し」こっちへ置いといて‥

 ちょっと前に、娘が買ってくれた「ペヤング・カップ焼きそば」18個を完食した。「昼餌」として続けて食べたが飽きがこないのは不思議なくらいであった。
 3月28日には、「ペング・カップ焼きそば」がリリースされる。ペヨングなんて、「どこかの偽物を平気で作る国が出した偽物でないの?」と思ったが、そうではないらしくペヤングと同じ「ま□か食品」の製品らしい。
 かやくから肉を無くし、量を120gから106gと少な目にして女性または、受験生の夜食をターゲットにしたらしい。リピートしようかな?

猫爺のエッセイ「猫爺はアボリジニ系?」

2016-03-11 | エッセイ
 酒に強い、弱い、または飲めないなどのタイプは、遺伝子によるものであることは、現在では多くの人々に知られるところである。
 酒(エチルアルコール)を摂取することにより、アセトアルデヒドという有害な物質を生じる。酒に強いタイプの人はこれを分解して無害な酢酸に代える酵素を肝臓内に持っている。酒に弱い、もしくは全く飲めないタイプは、この酵素の働きが弱いか、全く無いのだそうである。
 猫爺は、この全くないタイプで、注射を打つとき腕を消毒用アルコールを染み込ませた脱脂綿で拭いただけで赤く腫れたようになる。これは、アボリジニかモンゴロイド系の人間に多いらしい。
 これに対して、酒に強いタイプは、コーカソイド(白人)系か、ネグロイド(黒人)系だそうである。

 猫爺の若い頃は、この知識を持たない人が多く、「男の癖に酒が飲めないなんて‥」「意気地がない」「だらしない」と、言葉での虐めに遭ったものだ。おまけに、「訓練して下戸を克服しろ」とまで言われたこともあった。これを現代の知識では「訓練などによって克服することは絶対に不可能である」と言われている。猫爺も、訓練すれば克服出来るものと信じ、目を回したことが幾度となくあった。
 医師たちの宴会に於いても、全く飲めない若い医師に「一気飲み」を強要して、その若い医師を死に至らしめた痛ましい事件もあった。
 現代では、このようなことは先ずはないと思うが、偏見を持った人間はいつの世にも必ず居るものだ。

 偏見と言えば、性同一性障害の人に対する無理解も非常に多い。これをその人の趣味だとか、「こんな風に育てた覚えはない」と、我が子を非難する親さえも居る。これは、環境ホルモンの悪影響で障害を持って生まれて来た子供に、親が「こんな子供に産んだ覚えはない」と、我が子を非難しているようなもので、的外れというものだ。

猫爺の日記「おからの煮付け」

2016-03-10 | 日記
 食料品の買い込みに行ってきた。買い込みなどと大袈裟なものではないが、豆腐売り場で袋入りの「卯の花」を見付けた。これは「おから」と呼ばれるもので、大豆から豆乳を搾ったカスだ。猫爺の少年時代は近所の豆腐屋へ行くと、無料で貰えたものだ。

 兎の餌という名目で貰ってきたが、本当は母親が煮てくれて人間様が食べていた。あの頃を思い出して、自分で煮てみようと思い立った訳である。

 母親は、これまたタダ同然の鮪のアラで煮ていた。鮮魚売り場へ回ってみると、好都合にも鮪のアラも手に入った。これはタダ同然とはいかず、ほんの少しで200円の値段が付いていた。

 「おから」と言えば、猫爺はお惣菜売り場で煮たものを買って来るのが主であるが、母親の味を思いおこして、自分で煮るのもいいものだ。第一、一袋50円のおからでラーメン鉢に山盛りになるくらいどっさり作れる。小分けにして冷凍しておけば、当分餓死しなくても済みそうだ。


 余所様のブログを拝見していると、若い男の方でも本格的な料理をされている。昆布から出汁をとり、美味しそうな「うどん」を作っておられる方がいらっしたが、具に「揚げ玉=てんかす」が入っていた。猫爺の少年時代、「てんかす」と言えば、本当に天婦羅のカスで、市場の天婦羅屋さんで貰っていた。
 形と言えば、丸いのあり、人魂の形をしたものあり、焦げたのありと本当に≪カス≫という見栄えのものであったが、今は工場で造られて製品化したものらしい。
 「てんかす」は「ホルモン」と同じく、関西特有のものだと思っていたが、全国どこでも手に入る市民権を得た食材なのだと知った。

 この「天かす」 猫爺は刻んだ生キャベツに振り込んで醤油をかけたものを、ご飯に混ぜて食べるのが好きだ。品の無い食べ方ではあるが‥。
 

猫爺の日記「杖をパクられた」

2016-03-06 | 日記
 まさか杖なんて盗られないだろうと高を括っていたが、ヤラれてしまった。処方箋薬局の入り口に置かれた傘立てに杖を突き刺して店内に入ったのだが、出てきたときは消えていた。
 薬局の人にその旨を伝えて、誰かが「間違えていた」と、返しにきたら連絡して貰えるように頼んでおいたが、その後音沙汰はない。
 薬局の人も、痴呆症老人の「戯言」程度としか思っていないらしく、「どこか他の場所に置き忘れたのでは?」と、上の空で聞いていた。
 薬局に来た誰かが間違えて帰ったのだろうと、さしたる心配もしていなかったのだが、ここにきて、やはり盗まれたとしか思えない。
 仕方なく諦めて、コーナンで新しいのを(3800円)買ってきた。猫爺は目が悪くて杖を持っているのであって、ひとつには「ステータス」の積りなのだが、最近は杖を持った老人が多くて、雑踏のなかでは突きとばされたり、杖を蹴られたりその役割はあまり果たせてはいないが‥。

 杖といえばその昔、強度の弱視の青年が、白杖をつかずに歩いていたら、「何だ、見えるのですかぁ」と、知らぬ人に問いかけられたと言っておられた。そのニュアンスは、「目が見えるのに白杖を持っている」と、非難しているのだ。その白杖の持ち主は「少しは見えるのですよ」と、お答えになったそうであるが、障碍者用の杖など好んで持つ人がいるものか。体の障害をdefectしているのだ。猫爺はこの記事を読んでからというもの、心に引っかかったままである。
 「同情してあげろ」とは言わないが、無神経な言葉の投げ掛けは遠慮してあげて欲しいものだ。

 猫爺もこの度、杖を盗られた経験から、「まさかこんな物を」と考えるのを止めた。白杖だって、松葉杖だって、車椅子だって油断すれば盗まれるのだということを学んだのだ。
 

猫爺のいちびり俳句「早春句」

2016-03-02 | コラム
   ◇春弥生 掌に冷たきは マウスかな

   ◇鉢植えの すみれに雪の 薄化粧

   ◇みるく色の 陽も凍らすや 北の風


 猫爺、自動販売機の粒入りコーンポタージュを好んで飲む。だが、中に入っているコーンを全部食べたことがない。半分以上が振っても叩いても出てこないのだ。
 テレビを視ていると、そのコーンを殆ど出す方法というのを紹介していた。飲み口の下あたりの胴の部分を凹ましておくと、コーンが出やすくなり、全部または1、2粒を残すくらいで綺麗に出てくるそうな。
 猫爺、「これは上手いことを教わった」と、昨日買い物のついでに自動販売機でコーンポタージュ缶を買った。「よし、凹ませて飲んでみよう」と、わくわくしながら指で缶を凹ませようとしたが、凹まない。「うーん」と、爺なりの渾身の力を指先に込めて押してみたが、血圧が上がるだけで缶はダメだった。
 「なんやねん、凹まへんやないか」缶をしげしげ見てみると「スチール缶」と、記していた。 あっちこっちの自動販売機を覗いてみたが、コーンは皆「スチール缶」ばかりだ。

 テレビ番組よ、スチール缶の場合は、子供やヨボヨボ爺には無理だとか、屈強な若者に限るとか、一言注意を入れてくれ。「爺を殺す気か!」

 本日の「ぼやき」終わり。