雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十四回 チビ三太一人旅

2014-05-05 | フィクション
 姉、峻は、診療院で寝かされて、居ても立っても居られない焦りで苛立っていた。
   「こうしていては、仇、讃岐高之助が逃げてしまう」
 この今も、逃げ出す準備をしているかも知れぬと思うと、診療院を抜け出して、一人でも仇討ちに出かけたい気持ちであった。
   「明朝、章太郎が来たら、案内させて二人で出かけよう」
 峻は、ぐっと天井を睨みつけた。自分と弟の命は、今夜限りかも知れぬ。それでも、たった一太刀で良い、憎き讃岐に酬いて、父の元に旅たちたい。
 その夜、峻は眠ることが出来なかった。
   「お峻さん、どうなさいました、どこか傷むのですか?」
 夜勤の付添婦が、心配そうに声をかけた。
   「大丈夫です、どこも傷みません、ただ神経が昂ぶっております」
   「では、先生に伺って、気が休まる薬を処方して戴きましょう」
 翌朝、章太郎が一人でやってきた。姉、峻は、もう仇討ちの白装束に着替えて白鞘の剣を抱いて待っていた。
   「姉上、その前に少し話をしましょう」
 章太郎の思いを、姉に話してみようと考えたのだ。
   「父上は、讃岐のおじさんに殺されたのではなく、事故だったと思うのです」
   「父上は、讃岐の剣で切り殺されたのです、それを、あなたは事故だなんて、讃岐に丸め込まれたのですか」
   「違いますよ、私はどうしても讃岐のおじさんを憎めないのです」
   「私達の大切な父上は死んだのですよ、どれ程悔しい思いをして死んでいったか、あなたはそれが分からないのですか」
   「姉上は、間違っています、父上は讃岐高之助を憎んではいませ」
   「殺した相手を憎まないなんて、父上はそんな腑抜けではありません」
 父日揮総章と、讃岐高之助は、たしかに馬鹿な喧嘩をして剣を抜き合った。だが、どちらにも相手を殺す意思はなく、態と相手から剣を外していた。それが誤って讃岐の剣が父の脇腹に食い込んでしまったのだ。父は苦しみながら、親友讃岐に、止(とど)めを刺すように頼んだ。讃岐は親友の苦しむ姿を見て、楽にしてやりたい一心で、剣を突き立ててしまった。
   「姉上、讃岐のおじさんを斬っても、父上は喜びません」
 姉は、怒りに狂っていた。
   「それなら、あなたは今直ぐ明石に帰りなさい、私一人で仇討ちを遂げます」

 峻は、その場に崩れて泣いた。医師が飛んできて熱が出たのかと額に手を当てたが正常であった。章太郎が医師に訳を話すと、とにかく今は落ち着いて、鷹之助さんの来院を待って相談してみようと、この場を収めた。

 夕方、鷹之助が仕事を終えてやって来た。章太郎は姉の様子を伝え、自分の考えも話してみた。
   「仇討ちについて、ちょっと変な話ですが、仇を交えて話し合ってみましょう」
 こんな馬鹿げたことはないが、鷹之助の話し声は妙に姉弟の心を鎮めた。

 讃岐高之助の住まう長屋に三人はやって来た。讃岐は仏壇に手を合わせ、瞑想している最中であった。讃岐は三人に向き直って頭を下げると、再び仏壇に向って、今度は仏壇に話しかけた。
   「日揮、お前の子供たちがやって来たぞ」
 讃岐は「あの世で逢おうな」と言って、仏壇の扉を閉めた。
   「仇討ち、お受け申す、今、近所の子供に役人を呼んできて貰うので、暫く待たれい」
 仇討ち免状の確認と、検分の役だ。役人には前もって話しているようで、説明しなくとも免状を見せると、黙って頷いた。

 空き地に来ると、峻が剣を抜き、讃岐に向けたが、章太郎は丸腰であった。
   「章太郎どの、剣は如何いたした?」
 役人が免状の名を見て、章太郎に問うた。
   「わたしには、讃岐高之助さんを仇とは思えません」
 そんな話がもどかしいのか、峻は讃岐に斬ってかかった。その時、一人の男の子が飛び込んできた。
   「高之助おじさんを斬らないで」
 子供は、両手を広げて高之助の前に塞がった。
   「おじちゃんの剣は竹光です、わいのお父っちゃんが病気になったとき、刀を売って薬を買ってくれたのだ」
 高之助が、きまり悪そうに子供を嗜めた。
   「わしに恥をかかさないでくれ」
 子供は、高之助の足にしがみ付き大泣きをした。
   「おじちゃんは、善い人です、仇なんて何かのまちがいです」
   「健太、わしはこの人たちのお父さんを斬ったのだ、悪い人なのだよ」
   「嘘や、絶対嘘や、おじちゃんは悪くない」
 子供は、近所の人に引っ提げられて連れ出されたが、足をばたつかせて泣き喚いていた。
   「あの子は、わしを死んだお父っちゃんのように思っているのだ、許してやってくれ」
 高之助は、剣を抜いて構えた。やはり子供の言った通り竹光であった。見物人たちはどよめいた。
   「竹光だと油断はするな、気を入れてかかってきなさい」
 だが、章太郎が冷め切っていた。
   「姉上、やめてください、今の子をみたでしょう」
   「いいえ、止めません、仇を討って、章太郎、お前が日揮の跡目を継ぐのです」
   「仇は討たずとも、私がお殿様に事実を話します、それでだめなら、私は町人になります」
「何を言うのですか、それでは父の無念は晴らせないではありませんか」
   「父上は無念ではありません、父上自身がとどめを刺してくれと頼んだのです」
   「それを誰が見ていたのですか、お前は讃岐に騙されているのです」
 その時、讃岐が竹光で峻に切りかかってきた。峻はたじろいで竹光を叩き落とそうとして、剣を振り下ろしたとき、讃岐は竹光を下げて身で受けようとした。
 どうしたことだろう、峻の剣は、讃岐の肩すれすれのところで、峰を返していた。ボコッと鈍い音がして讃岐は倒れたが、峻もまた崩れ落ちてしまった。
 讃岐は肩を摩りながら、峻を気遣った。
   「どうした、大丈夫か? 何故峰を返した」
 讃岐は怪訝そうに峻に声を掛けた。
   「わかりません、気が付けば峰討ちになっていました」
 鷹之助は、新三郎の仕業であることは知っていた。この峰討ちで、逸(はや)っていた峻の気持ちが、幾らか和らいだように思えた。
 章太郎が讃岐の前に走りでた。
   「おじさん、私は直ちに明石に戻ります、戻って仇討ちを中止した訳を話し、殿の裁定に従います」
 走り去ろうとした章太郎を、鷹之助が止めた。
   「悪い様にはしません、ここからは私の指示に従って行動してください」

   「讃岐高之助どの、あなたも勝手に自害はせずに、私に従ってください」
   「わかり申した、この命、鷹之助どのに委ねましょう」
   「お峻さんも従って貰います」

 もう日も落ちた。讃岐と別れ、峻を診療院に送ると、勝手に抜け出したことを医者に咎められた。
   「明朝、退院の手続きをします、診療費の請求は、明日お渡ししますが、概算で一分二朱程度になりますのでご用意ください」
 診療院の応対係りの女が、鷹之助に言った。

 
 鷹之助は、姉弟に付いて明石に行き、新三郎に丸く治めて貰おうと思うが、天満塾を休み過ぎたので、これ以上休めなくなっていた。
   「新さん、どうしましょうか?」
   「良い手があります、鷹之助さんの代理に行ってもらうのです」
   「居ませんよ、そんな人」
   「居るじゃないですか、死んだ定吉さんの弟、相模屋の三太さんが」
   「あの子は、まだ五歳ですよ、明石までの往きはいいですが、戻りは一人です」
   「あっしが居ます」
   「相模屋さんが承知してくれるかどうだか」
   「あっしが一人で戻れば良いのですが、一人でふらふら飛んでいちゃあ、浄土に連れ戻されそうで…」
   「分かった、明日相模屋さんに頼みに行ってみましょう」

 相模屋長兵衛の店先で、丁稚の三太が水巻をしていた。
   「あっ、先生」
 鷹之助を見つけると、ぴょこんとお辞儀をした。
   「旦那様にご用ですか?」
   「はい、長兵衛さんと三太さんにお願いに来ました」
   「わいにもですか?」
 三太は不思議そうな顔をした。
   「旦那さんに言ってきます」
 三太が店の奥に引っ込むと、直ぐに長兵衛の声がした。
   「はよう、入って貰いなさらんかいな」
   「へーい」

 鷹之助は深くお辞儀をして、切り出した。
   「しばらく、三太ちゃんを貸して貰えませんでしょうか」
   「はいはい、三太に出来ることが有るのでしたら、どうぞやらせてやっておくれ」
   「それが、旅に出て貰いたいのですが」
   「よろしおます、どうぞ連れて行っておくれやす」
   「それが、私が連れて行くのではないのです」
   「では、何方と?」
   「播磨の国の明石から仇討ちに上方へ来た姉弟と供に、明石まで行って欲しいのです」
   「えらい遠くまでだすなあ、五歳の子やから、足手まといになるのと違いますか?」
   「一人は病み上がりの娘さんですから、早く歩く必要はありません」
   「そうですか、そうですか、それなら安心です、それで帰りは何方が送ってくれはりますのや」
   「帰りは一人です」
 長兵衛は驚いて。鷹之助が冗談を言っているのだと思った。
   「鷹之助さん、てんご(おふざけ)を言って貰っては困ります、この子はまだ五歳でっせ」
   「百も承知です」
   「三太は定吉から預かっている大事な弟だす、そんな遠くに一人で行かせられません」
 鷹之助は、三太に声をかけてみた。
   「どうです、一人で旅はできませんか?」
   「わい、まだ子供です、そんなに遠いところから一人で戻れません」
   「長兵衛さん、私が無茶を言っているように聞こえるでしょうが、三太ちゃんには私の守護霊に憑いて貰います」
   「守護霊やなんて、わては信じまへんで」
   「今、三太ちゃんに守護霊が憑きました、長兵衛さん、三太ちゃんを抱き上げてください」
   「こんな子供、軽いものですわ」
 だが、抱き上げようとしたが、全く力が入らなかった。
   「では、三太ちゃん、旦那さんの足を抱えて、持ち上げてみてください」
 鷹之助に言われて、半信半疑で抱えてみた。すっと持ち上がって、長兵衛は宙に浮いたようになった。
   「では、今度は長兵衛さん、三太ちゃんを叩いてみせてください」
 長兵衛は、こぶしを固めて三太に拳固を下ろそうとすると、目が回って倒れそうになった。
   「道は知らなくても、三太ちゃんは旅籠に泊まり、正確に戻ってきます」
 それでも、長兵衛は信じられないようであった。
   「こんな子に、お金を持たせたり、一人で歩かせたりしたら、泥棒に襲われますゃろ」
   「守護霊が、しっかり護ります」
 鷹之助は、旦那さんが承諾してくれたら、旅をしてみるかと三太に尋ねた。
   「うん、行きます」
 三太の目が、キラリと光った。名前だけではない。どこか三太郎兄上の幼い頃を思わせる三太が、鷹之助の目に頼もしく映った。
   「どうでしょう、五・六日ですが、三太ちゃんを貸していただけませんか?」
   「わかりました、鷹之助さんが無茶を言う訳がないと信じましょう」
 
  第二十四回 チビ三太一人旅(終) -次回に続く-  (原稿用紙15枚)

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猫爺のミリ・フィクション「浦 島子伝」

2013-02-05 | フィクション
 浦島太郎の記事を、このブログに2度上UPした。一度目は、長野県の「寝覚の床」に伝わるもの。二度目は、猫爺のパロディー。乙姫がくれた玉手箱を、乙姫が「決して開けてはなりません」と言う前に、太郎がその場で開けてしまい、乙姫も鯛やヒラメまでもが腰のまがったお婆さんになってしまったと言うふざけた話。

 今回は、「浦島太郎」の基になった「浦 嶋子伝」を想像してみよう。 想像と書いたのは、原作の「浦嶋子伝」を読んでいないからだ。 浦嶋子(浦島太郎)は、浜辺でウミガメを見つける。 実はこのウミガメは亀姫(乙姫)の化身で、若くてイケメンの男をハントに来ていたのである。 亀姫は、浦嶋子を見るなり一目ぼれしてしまった。



 浦が海辺を歩いていると、雌の海亀が寄ってきた。
   「ちょいとお兄さん、竜宮城で遊んで行かない? 美しいお姫様がもてなしてくれるわよ」
   「お前さんは、客引きかい?」
   「違うわよ。 だって竜宮城はバーでもキャバレーでもないのだから」
   「じゃあ、竜宮城という風俗店?」
   「まっ、しつれいね、客引きじゃないってば」
 平安時代に、こんな会話があろう筈もないのだが、浦 嶋子は亀に蓬莱島(中国)へ連れて行かれる。 竜
宮城に着くと亀は姿を消し、代わって美しい亀姫(乙姫)に出迎えられ、嶋子は亀姫に心を奪われる。

   「ようこそいらっしゃいました。さあ、お寝間はこちらでございます」
   「姫様、いきなりお寝間とは…」
   「そうですか、ではご一緒にお風呂に入りましょう」
   「---」

  -中略-(実は、この浦 嶋子伝はポルノ本のため、ここには書けないことが起る)

   「嶋子がここにきて、早くも三年が経ちました、一度父母の元へもどりとうございます」
   「そうですか、でも嶋子さま、一度お帰りになりますと、もうここへは来てはくださらないのでしょ」
   「いえいえ、滅相もございません、父母の元気な顔を見たら、嶋子は必ずここへ参ります」
   「わかりました、ではこの玉手箱をお預けしましょう」
   「中身は何でございましょうか?」
   「狼煙(のろし)です、また竜宮城へ来たくなったら、この玉手箱の蓋を開けてください、亀がお迎えに参ります」

 浦 嶋子は、三年ぶりに亀の背中に乗り、来た道を戻っていった。亀に出会った浜辺に着くと、そこは三年前とはすっかり様子が変わり、浜辺はゴミだらけ、父母の棲家の有ったあたりは、工場になっていた。嶋子は行くところもなく途方にくれたが、玉手箱を思い出して蓋をあけてみた。ポワーンと紫の煙が立ち込めただけで何事もない。 

 しばらくすると、波打ち際の方から声が聞こえてきた。
   「浦 嶋子さま、姫はもうあなたさまに未練はないそうです、新しく若いイケメンの殿方が見つかりました」

 浜辺でバチャと音がして、沖に向かって戻って行く黒い影が見えた。


      (再投稿)  (原稿用紙4枚)

猫爺のミリ・フィクション「修行僧と女の亡霊」

2013-01-26 | フィクション
  「もしもし、お坊様」
 民家が途絶えて久しい野路を旅ゆく若い僧侶を、女の声が呼び止めた。振り返った僧の目に、歳の頃なら十七、八であろうか冬も近い夕暮れの木立に佇む美しい女の姿が映った。

  「このような刻に、若い女しょうが如何なされたかな」
  「いえ、私事ではありませぬ。この先は山道で、熊や猪が出て旅人を襲います」
  「そうであったか、だが此処から引き返そうにも、村まで遠すぎるでのう」
  「賤が家ですが、近くに私の棲家があります。粥なりと献じますほどに、どうぞお立ち寄り下さい」
  「それは忝い」
旅の僧は素直に女に従った。

 貧しいながらも手厚い持て成しを受けた。 しかしこの家には、他に家族がいないことを僧には訝しく思えた。 若い女がこんな山家に独りとはどうしたことだろう。 失礼かとも思ったが、思い切って訊いてみた。

  「この家には、そなた独りで暮らしているのか?」
  女「はい、左様でございます」
  「それは物騒な、心細いことも有りましょうに」

 僧は、言って「はっ」と気付いた。 旅の修行僧とて若い男、独り暮らしの女の家に草鞋を脱いだのはいかにもまずい。 

  僧「馳走になり申した。私はこれにて…」
  「いえ、どうぞご遠慮なさらずに、今夜はここでお休みください」
 
 口では辞去を示しながらも、どっと旅の疲れが出て、結局は言葉に甘えることになってしまった。

  「お坊様、これは般若湯でございます、身体が温かくなりますゆえ、お休み前にお飲みください」 

 寝間に入り睡魔に襲われかけたとき、女の暖かい体温を感じたが、そのまま睡魔に負けて眠りに落ちてしまった。
 真夜中に背中を貫く快感を覚え、暫くして僧は目が覚めた。全裸の女が自分に添い寝をして小さな寝息をたてているように思えた。
 修行の身でありながら、自分はなんということをしてしまったのだと、自らの軽率を悔いた。僧はそっと寝間から抜け出すと、身支度をととのえて逃げるように女の棲家を飛び出した。辺りはまだ暗いながら、黎明の刻(とき)が近いことを示唆するが如く、山々の稜線がほんのりと浮かび上がっていた。

 僧の足が徐々に重くなってきた。急坂の所為ばかりではない。僧自身の心が足の動きを鈍らせているのだ。峠に差し掛かったとき、遂に僧の足が止まった。
  「女の元へもどろう」
 そう決心するまでに、長い時間は必要なかった。もどって、謝ろう。そして、仏罰を受けよう。具体的にどうするかは思いつかなかったが、足だけが何者かに引き戻されるように軽くなった。
 民家の近くに来たときは、既に朝が訪れて、あたりの山々や木々の影がくっきりとしていた。だが、民家も女も掻き消えていた。
  「私は夢を見ていたに違いない、例え罰当たりな夢でも、何と愛しい夢か」
 心はすでに修行僧ではなく、独りの男になって、未練心さえも息づいていたのだ。
  「ここで夜を待とう」
 夢であろうとも、亡霊であろうとも、もう一度女に会いたいと願い、この場で夜を待つ僧であった。

  「お坊様、もう行ってしまわれたと思っていました」
  「あゝ、夢ではなかったのか、そなたは亡霊なのか? それとも魔性の物か?」
  「私は旅のならず者たちに捕えられ、ここで弄ばれて殺された村の娘でございます」
  「やはり亡霊であったか、何故に成仏せずに迷っておるのか?」
  「私には身寄りがなく、手厚く葬られることもなく、村の人々さえも旅人を呪い殺す魔性の物と恐れられ、日が落ちるとこの地に近づく者は居りませぬ」
  「夕べそなたを抱いたおり、暖かい温もりを覚えたが不思議なこともあるものだ」
  「いいえ、その温もりはお坊様のお心でございます」
  「私はそなたに懸想してしまったようだ」
  「嬉しゅうございます」

 今夜は戸惑う事なく肌を重ね、温もりを分け合った。翌朝、辺りを捜しまわり、白骨化した女のものと思われる亡骸を見付けた。

 見晴らしの良い山の斜面に墓穴を掘って葬り、小さな石を墓標とした。僧は女が成仏できるまで経を読み続けようと決意した。

 この命が尽きて、地獄に落ちようとも、それが罪を犯した自分の為すべきことだと思った。経を読む若き僧の声は、なだらかな斜面に十日間聞こえて途絶えた。墓標の上を僧の亡骸が覆い、やがて冬が訪れ僧の亡骸を雪が隠した。 

  (原稿用紙6枚)

愛の鞭と言う名の暴力に疑問

2013-01-23 | フィクション
 大阪市立桜宮高校体育科の生徒が体罰を苦に自殺した事件で、橋下市長が主張した入試中止の問題は、賛否両論が飛び交ったようだ。 今年の入試のために頑張ってきた受験生の父兄の殆どが橋下市長を批判しているように報道それたが、私はマスコミの報道操作が無きにしも非ずと考えている。 また、「桜宮高校の生徒がTwitterで橋下市長に暴言」とのネット記事が有ったが、本当に桜宮高校の生徒なのだろうか。 そうであれば、この学校は同和問題をどう考えているのだろうか。 人の命の尊さを、どう教えているのだろうか。
 
 もし、私の子供がこの高校の体育科受験生、もしくは生徒であれば、行かせる勇気はない。 暴力は愛の鞭とは詭弁である。 教師、または顧問が暴力を振るっているこの瞬間は、この生徒に対して憎しみに満ちている筈だ。 自分の思い通りにならない生徒に、大人の虐めともとれる暴力を振るっているのだ。 それを黙認した校長以下教師たちは、学校の名声を意識した覚えはないと言えるのだろうか。 

 この生徒たちの親は、「もしも、自殺したのが我が子だったら」とは、思わないのだろうか。 自分たちの子供は、体罰という暴力を受けても、絶対に心身症にも、鬱病にもならないという確信があるのだろうか。 

 我が子に先立たれた親たちの気持ちを思い遣れば、そう簡単に答えを出すべき問題ではないように思う。 亡くなられた生徒のご冥福を祈るとともに、届くことはないだろうが、ご両親に哀悼の意を表したい。