雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

2012-07-31 | 日記
 アブラゼミが、「謝、謝、謝、謝」と鳴いている。 公園など散歩していて、蝉の鳴く木の下へ立つと、つい見上げてしまう。 数えきれない程齢(よわい)を重ねていても、少年の頃に着いた習性がまだ抜けきれていないらしい。 
 短パンに麦藁帽子そして虫篭と長細い竹の先に、直径10センチほどの布製の網を取り付けた手製の蝉取り竿を担いで子供ばかり4~5人で遠くまで出かけたものだ。 蝉を捕まえる方法として、トリモチという手もあった。 ただし、くっついた蝉をトリモチから離すのが面倒で汚らしいのと、駄菓子屋さんでトリモチを買う必要があるのであまり好みのやりかたではなかった。
 あの頃、一番よく採れた小さな「ニイニイ蝉」の声を、近年はとんと聞かなくなった。 まさかとは思うが、絶滅危惧種になっているのではないかと案じられる。  もともとあまり聞けなかったクマゼミの声も、声が途絶えて幾久しい。 我が家、神戸の六甲山系の程近くで聞かれる蝉の声と言えば、アブラゼミとつくつく法師、それとほんの稀に夕方に鳴くヒグラシの声。
 
   若蝉の 部屋に飛び入る 暑さかな 

   干天に カラス日陰に 宿るかも

   公園に 人影はなく 照り返る

   夕立の くる兆し無く 蝉しぐれ   (俳句のつもり・・猫爺)

クロネコ

2012-07-29 | 日記
 今年の夏の土用は8月の6日までだそうである。 私たちの子供の頃は、土用が過ぎたら海で泳いではいけないと大人たちから教えられていた。 海で亡くなり、成仏できない霊に「足を引っ張られる」と、戒められていたのだ。 それでなくとも、夏の土用が終わった頃の海は、なんでもかんでも海に流すので、ゴミが波間を漂っていて汚くて泳げない。 山から流れてきた木片や、笹の葉くらいなら良いのだが、スイカの皮や見たことも無い風船のようなものがプカリ、プカリ浮かんでいたものだ。
 暑い夏の日の子供たちの逃げ場は海であった。 男の子は海水パンツはかなり大きくなってからで、小さな子はみんな「クロネコ」と呼ばれる褌であった。 夢中で泳いでいると紐が緩んでクロネコが流れていってしまう。 水ら上がって気が付き、恥かしくはないがまた親に小言を言われて買ってもらうのが辛かった。 運がよいと、「これ、お前のやろ!」と、波間に浮かんでいたクロネコをお兄ちゃんが見つけてきてくれたりして、大喜びすることも。 クロネコ1着は、数十円だったと記憶する。

 今日も蒸し暑い日であった。 部屋の気温を見ると31度。 眩暈に悩ませられながらスポーツドリンクで水分補給をする。 

 

  

うなぎ擬きと衣笠丼

2012-07-27 | 日記
 暑すぎ。 その暑い昼間、ツタヤへ行ってきた。 韓流時代劇の「イ・サン」の放映がオリンピック中継のために先送りになるとか。 「我慢できないよー」という訳で、丁度100円クーポンがメールで届いていたのでレンタルしてきた。 しかも、只今キャンペン中で、60才以上の爺さん婆さんは、1日1本無料とか、返しに行くのが「面倒くさいなー」と思いながらも4本300円也で借りてきてしまった。 

 今日は土用の丑の日、スーパーでは普段の鮮魚売場が全部「鰻」に変っていた。 何も「土用の丑」だからといつて、「鰻」を食べなきゃならんことはないので、高価な「鰻」はスルーして、1/10の値段の「さんま」の蒲焼を買って来た。 そりゃあ「♪味が違う、匂いが違う、値段がちがう… ごめんね、国産うなぎと、また比べてる あ、あ、あ、イミテーションゴールド♪」 みたいな感じで夕食で食べた。 

 ついでに、「県民ショー」で紹介していた「衣笠丼」も作ってみた。 京都の人はみんな「衣笠丼」が大好きで、どこの食堂に行っても殆どの人が「衣笠丼」を注文して「うまい、うまい」と、がっついているそうだが、あれは番組上のことで、そう度々「衣笠丼」を食べていたら、なんか「ミジメー」になりそう。 「衣笠丼」は、油揚げと卵と九条ネギの丼で、小遣いが少なくなったとき、よく学食で食べていた安価な「きつね丼」とかわらない。 たまになら、あっさりしていていいけど…。 (+o+)

  

蝉しぐれ、猛暑を演出

2012-07-27 | 日記
 昨日の朝、今年初めての蝉の声を聞いた。 アブラ蝉が「ジーシャンシャンシャン」とワンコーラス忙しく鳴いたかと思うと、ピタッと止んであとは「シーン」 「ははあん、先に羽化したメスが待ち受けていたのだな」今頃は子づくりに励んでいるのだろうとゲスの勘ぐり。 

 今朝は早くから蝉の大合唱、只でさえ暑いところを更に暑い効果音、たいがい参ってしまう。 そんな時に出会ったのがコレ。 コレは私の元気の源、私の命を支えていてくれるといっても過言じゃないと思う。(個人の感想です。 効能ではありません) 
 「コレって、どんなサプリ? にんにく? 黒酢? スッポン? ゴマ? 鮫の軟骨?」
 「あ、いえいえ、スポーツドリンクです」
 
 実のところ、私はそんなに元気でもないし、若々しくもないのだが、電車やバスの中で席を譲られたことは一度もない。 昔から「今時の若い者は、年寄りに席を譲らない」と言われ続けている。 しかし、若者の所為だけではない。 譲ってもらう老人側にも原因があると思う。

 お婆さんが電車に乗り込んで来たので、実直そうな少年が言葉こそかけなかったが「すっく」と立ち上がった。 お婆さんは「わたしゃまだ若い」とでも主張しているのか無視している。 少年はまた座ることもできず、きまりわるそうにその場を去った。 そうかと思えば「すぐ降りますから…」と断っておいて、次の駅でも、その次の駅でも降りようとしない。 例え短い区間であっても、「ありがとうね」と素直に好意を受け容れてやれないのか。 少年たちの優しさや、敬老の目を踏み潰していることに気付かないのだろうか。

 昨夜のTV「秘密の県民ショー」は、京都を取り上げていた。 その中で、京都府民は「京都は老舗が多い」「明治の操業では老舗とは言えない」と胸を張っていたが、これは京都の人々の努力だけでそうなったのではない。 戦争が為したことだ。 米軍が京都の古跡を護る意思を持って、空襲を避けたためであろうと思う。 大阪や神戸は、まともに空襲被害を受けている。 大阪人も神戸人も、戦争から再興した短いながらも根性の老舗を誇るべきだと思う。

 

 

ニートのすすめ

2012-07-25 | 日記
 午前中あんなに涼しかったのに、午後になって薄雲が広がっている割には日差しが強く、暑さがジリジリと身を責めてくる。 この前、バラエティー番組で「濃縮カルピスをコーラで割って飲むと美味い」と誰かが言っていたのを思い出して飲んでみた。 美味しいというか、メチャクチャ甘い。 普通水で割るところを、それだけでも大概甘いコーラで割ったのだから甘すぎて当たり前だろう。 水と氷を入れて何とか飲めた。 テレビのあいつら… いや、テレビに出演していらっしゃるあの方々は、日頃から余程甘い飲み物に慣れていらっしゃるご様子、かなりご年配もいらっしたが、あの方は、血糖値なぞは考える必要のないほど健康なお方なのだろう。 羨ましい。 

 今日、午前中は部屋を片付けたり、洗濯をしたり、節電対策の簾に水をかけたりゴソゴソと蠢いていたが、もう、何をする気も起きない。 パソコンの前に座って汗を拭き拭き、コチコチ、シコシコと時を過ごしているばかりだ。 徒然草の心境かも。

  ▽つれづれなるまゝに、日ぐらしパソコンに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく打ち付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ

 物狂ほしくはないけれども。 そこはかとなくニートの心境は判るようだ。 福沢諭吉のパクリで「ニートのすすめ」でも執筆してみようかと思う今日この時。 

名前の不思議

2012-07-25 | 日記
 昨日の天気予報では、今日は「日本列島を高気圧がスッポリ覆って、雲一つない晴天で猛暑日になる」と言っていたようだが、当地は雲に覆われて涼しい風が吹いている。 これから暑くなってくるのかな?

 前回の記事まで、ジョン万次郎、南方熊楠、杉原千畝のことを書いてきた。 「かっこいい」彼らの成し遂げた偉業に感服したことと、彼らの名前に興味を持ったからだ。 

 万次郎が帰国した当時の「英語通訳」といえば「ルー大柴」的な単語羅列英語だったが、万次郎は違っていた。 アメリカ人と対等に話せたのだ。 その万次郎、欧米人の名前が日本のそれと逆であることは知っていた筈である。 それがどうして「ジョン万次郎」なのかと興味をもった。 それは万次郎の没後何十年か経って、小説の登場人物の名として付けられたものと知って納得した。

 熊楠という名前を知った時、そのギョロッとした大きな目と「帝国軍人か組員」のような風貌から、タトゥー的効果を狙って彼自身が付けた元服名のようなものかと思っていたが違った。 両親は病弱な我が子が元気に育つようにと付けた本名だった。 大英博物館で、二度までも暴力沙汰をお起こし、永久追放になった程短気な熊楠だが、その心根は繊細で自然を愛する優しさを持っていた。 熊野の神木を伐採から護り、神社を破壊から護り、熊野の森を救った彼が、小さな粘菌を研究する生物学者であったことも興味深い。 

 千畝の家系は、もともと士族であったのに、彼の父は我が息子に段々畑を意味する「千畝」と付けたのは、その美しい景観に惚れたからであろう。 そして、千畝の人道主義的温情は、素晴らしい日本の田園風景の中から生まれたものに違いない。 そんな風に、私は勝手に思い込んでいるのであった。(・・;)

温故知新「杉原千畝」

2012-07-24 | 日記

 「かっこいい」歴史上の人物と言っても近代ではあるが、杉原千畝を挙げよう。 千畝は明治33年(1900年)岐阜県の生まれ。 早稲田大学高等師範部英語科を中退し、外務省ロシア語留学生としてハルビンに渡る。 外務省書記生に採用され満州で勤務に就くが、中途で千畝は日本に帰国してしまう。 中国で「日本人は中国人を人間扱いしていない」ことに抵抗を感じたからだ。 その後、リトアニアのカウナス領事館の領事代理に任命される。 その数年たったある日、領事館の周りを取り囲む人垣が出来る。 彼らは「私たちはユダヤ人です。 間もなく私たちはドイツ兵に捕まって殺されてしまいます。 どうか私達に日本入国のピザを発行してください」」と口々に叫ぶ声を聞いた千畝は、彼らに深く同情する。 彼らは、ポーランドなどからシベリア鉄道を経由してウラジオストクへ、そして船で日本に渡りアメリカなどへ逃げようと考えたのだ。 千畝は直ちに外務省に伺いをたてるが、返答はNOであった。 もう既にこの領事館は閉鎖となり、彼はチェコのプラハ総領事館への着任が決まっていたのだ。 このままここから彼らを見捨てて逃げ出したら、家族がドイツ兵からの迫害を受けずに済むかも知れない。 もし、彼らにビザを発行してやれば何人かの命が救われるが、家族が迫害を受けるかも知れない。 千畝は悩んだ。 そんなとき、彼のまだ幼い息子の言葉を聞き決心がつく。 「あの人たちの命を、パパが救うのだね」

 千畝は、その時から懸命にビザを書き続ける。 何本も万年筆のペン先を折って、指に血が滲むほど書き続けた。 彼の妻の提言だったか、共通部分のゴム印を作ることで、随分スピードが上がったようであるが…。

 短期間に2千ものビザを発行し、退去のために乗り込んだ列車の中でまで書き続けた。 彼は動き出した列車の中で、最後の一枚を書き終えるとユダヤの人々に「許してください。 私はもうかけません」と詫びる。 ビザを手に入れた者も、不幸にして貰えなかった者も、「私たちは決してあなたのことを忘れません」と手を振って見送った。 こうして、6千余もの尊い命が救われたことは言うまでもない。 

 ウラジオストクに到着したユダヤの人々はどうなったか。 日本の外務省は、ここでも受け入れを渋るが、千畝の二期後輩のウラジオストク総領事代理、根井三郎の外務省への提言で、すべての人々の受け入れが決定し、日本へ、そこから各国へ渡ることができた。 

 この出来事は昭和15年(1940)太平洋戦争の最中である。 終戦後、千畝は一通の手紙を受け取る。 千畝が発行したビザを手にして生き延びたユダヤ人の一人からであった。 彼は千畝に逢うために日本へやってきたのであった。 仲間を代表して「私たちは決してあなたのことは忘れません」 この出来事は、ドラマか映画になったようだが、私は見ていない。 もし観ていたら、涙もろい私のこと、感涙に咽たことだろう。

 関係のないことだが、千畝の「畝(うね)」とは、畑の細長く土を盛り上げた部分。 また「畝(せ)」は、畑の広さの単位(1畝=約99平方メートル) 千畝とは、段々畑のこと。 「こらこら、そんな解説は要らん」 「そうでした」

  温故知新「子供がテーマの俳句」2012/04/29
  温故知新「徒然なるままに」2012/04/19
  温故知新「祇園精舎の鐘のこえ」2012/04/15
  温故知新「土佐日記」2012-04-12
  温故知新「太田道灌」2012/03/28
  温故知新「国木田独歩の運命論者」2012/05/06
  温故知新「南方熊楠」2012/07/24
  温故知新「ジョン万次郎」2012/07/22
  温故知新「杉原千畝」2012/07/24
  温故知新「自殺のすすめ・渡辺淳一著」2012/10/15
  温故知新「播州皿屋敷」2012/09/13
  温故知新「平将門の怨霊」2012/09/12
  温故知新「死者の奢り」2012-12-06
  温故知新「琴、花、酒のあるものを」2013/02/20
  温故知新「二宮金次郎」2013/04/17

温故知新「南方熊楠」

2012-07-24 | 日記

 前回の記事で、私が「かっこいい」と思う歴史上の人物「ジョン万次郎」を挙げた。 今回の「かっこいい」は、日本で初めてエコロジーという言葉と、その概念を説いた「南方熊楠(みなかたくまぐす)」を挙げよう。 
 彼は、慶応3年(1867年)現在の和歌山に生まれる。 南方家は、海南市にある藤白神社を信心し、この神社には熊野神が籠もる子守楠神社があり、藤白神社の「藤」、熊野神の「熊」、子守楠神社の「楠」の字を子供の名につけると健康を授かるという言い伝えがあった。 熊楠は幼少の頃病弱であったことから、両親はその二文字をとって名付けた。 熊楠の兄弟は皆この三文字の一つが入っている。 長兄(藤吉) 弟「常楠」 末の弟「楠次郎」 妹「藤枝」のごとく。
 
 明治39年(1906)政府により「神社合祀令」が出された。 村にある小さな神社を壊して一町村に神社は一つにするというもの。 これにより、樹齢何百年のご神木を切り倒し材木や燃料にした。 博物学者、生物学者、民俗学者であった熊楠が猛反対してこれに立ち向かう。 熊楠は政府のこの所業を次のように批判している。

 ▽歴史も由緒も勝景も問わず、況(いわん)や植物のことなどを問うはずもなく、各々得たり賢しと「神狩り」を始む。

 熊楠は、「何千年の熊野の森の歴史も、ご神木の由緒も、景観を損ねることも構いなしに、ただ金儲けの為に樹木の切り倒しをはじめた」と怒りを露わにしている。 県庁は、勝手に5千円を基本金と定めて、これが出せない神社を片っ端から壊していったのだ。 その一方、熊楠は自分の非力を嘆いている。
 
  ▽後援なき一個人のこととて、功力(くりき)薄きには困り入り候。
  ▽濫伐(らんばつ)にて滝の水も減じ、勝景も大いに損ずること現前にあり。
  ▽県知事以下が官憲の強さを示さんとして、特に小生に侮辱を加えるものに有之。

 熊楠が和歌山県知事に送った抗議書簡に、次のように記している。

 ▽千百年来斧を入れざりし森は、相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギー(エコロジー)と申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候

 和歌山県知事は、これを全く無視し、乱伐を止めることはなかった。

 熊楠は、文通していた民俗学者であり法制局参事官であった柳田國男に助力を頼むために和歌を送っている。
 
 ▽音にきく 熊野樟日(くまのくすび)の 大神も 柳(柳田國夫のこと)の蔭を 頼むばかりぞ

 これに答えて柳田國男は、

 ▽願わくは、これからの生涯を捧げて、先生(熊楠)の好感化力の一伝送機たらん

 こののち、「神社合祀令」は廃止になった。

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温故知新「ジョン万次郎」

2012-07-22 | 日記

 近世、近代の歴史上の人物で、「かっこいいなぁ」と感じている人は誰しも何人かはいるだろう。 私なら「ジョン万次郎」、「南方熊楠」、「杉原千畝」を上げる。今回はその中から「ジョン万次郎」を駆け足で…。 
 
 ジョン万次郎は、文政10年(1827)の土佐の中濱村に生まれ。 半農半漁で生計を立てる家の次男。 彼が8才の時に父を亡くし、病弱の母と兄を手助けして学校(寺子屋)にも行かず働き続ける。

 14才の時、手伝いで乗船した船が時化に遭い5日かん漂流の末、奇跡的に無人島(鳥島)に漂着する。井伏鱒二の小説では、「正月明けの初漁」とあるが、2月の海水は人間を5日も生かしてくれるだろうか。 早くて5分、長くても30分生きていられるかどうかというところだろう。この漂流、漂着は、井伏鱒二の小説「ジョン万次郎漂流記」のものでフィクションである。

 無人島の生活が5ヶ月ほど続くが、鳥島はアホウドリの生息地だ。 アホウドリは人間に易々と捕まる警戒心の無い鳥なので、食糧には困らなかっただろう。 しかし、この部分もフィクションなので、事実はどうであったか。

 やがてアメリカの捕鯨船に仲間と共に救助される。 日本は鎖国中であったため日本へは帰れず、大人たち4人はハワイに住むことになるが、万次郎は頭の良い少年だったので、救助したジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドの気に入られ養子となり、船の名と万次郎のマンを取りジョンマンと呼ばれる。

 日本では文盲の彼だったが、オックスフォードやバーレット・アカデミーで様々なことを学び、首席で卒業するまでになった。卒業後は捕鯨船の乗組員となって働くが、23才になった彼は日本へ帰ることを決意する。 
 帰国の費用を稼ぐために、ゴールドラッシュで湧くサンフランシスコへ出かけ、幾ばくかの金を手にした万次郎は、ハワイの4人の仲間に逢い、「一緒に日本へ帰ろう」と告げる。 

 買った小船で4人の仲間と共に沖で停泊していた上海行きの商船に乗り込み琉球(沖縄)に行き、そして本土薩摩へ、ここで長期の取り調べを経て、2年後に土佐へ戻ることができる。 

 日本でただ一人の(米人に通じる)英語を話せる万次郎は、幕府に召され江戸に赴く。 直参旗本の身分を与えられた彼は、生れた村の中濱をとり「中濱万次郎」と名乗った。 折しもペリーの来航により通訳として活躍した万次郎であったが、幕府の重臣の妬みを買いスパイ容疑をかけられ土佐に帰され、洋書の翻訳や英語辞書の作成など広く活躍することになる。

 万次郎の英語といえば、誰でも知っているのが「ほったいもいじるな(掘った芋弄るな)」現在学校で習っている「ほわっと たいむ いず いっと なう」 と比較してどちらがネイティブなアメリカ人に通じるかと言えば、万次郎英語の方だそうである。 現在、小中学校で習っている英語の発音がローマ字発音ぽいのに対して、万次郎英語は、彼が耳で聞いた発音を出来るだけ忠実に表記しているからである。 

 ところで、彼は何時「ジョン万次郎」と名乗ったのだろうか。 72才で没するまで、一度も名乗ってはいない。ジョン万次郎という名は、井伏鱒二の小説に登場して有名になった名前である。このファーストネームどうしをくっつけた名前を、中濱万次郎は満足しているだろうか。

(2014.6.30 添削)

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先週のハイライト

2012-07-19 | 日記
 めったに来ないメールがgooの受信箱に一通届いた。 「××さんの先週のハイライト」とタイトルを銘打って、

   先週のページビュー数 ××PV 
   訪問者数 ××人 

 と記されていた。 「これはご丁寧に」と感謝し、その下方に 「アクセス数の詳細を見る」とあったので、クリックしてみた。 一週間の表が出てきた。 「これは重ね重ねご丁寧に…」 と思いつつ下方を読むと

  「トータルアクセス数を任意の値に変更できます」

 何これ! ユーザーが自由に数値を変えることが出来るなんて、こんなもの何のためにあるのだろう。 ユーザーが自分で設定した数値を見て、「ニタニタ笑いながら自己満足して下さい」ということなのか。 自分で書いた数値で、自己満足できないよ。 今まで、編集のペードにあったアクセス数までもが、全く信じられないものになってしまった。 gooさん、何を考えてプログを運営しているのか教えてほしい。 

輪廻・転生

2012-07-19 | 日記
 晴天続きの今日このごろ、今朝の室温は28度と年寄りには快適な過し易さである。 しかし、陽射しが強く、ベランダの草花の葉が日焼けしてきた。 外に出していた観葉植物が直射日光に弱いらしく、部分枯れが目立っている。 倉庫からすだれを出してきて覆うやら、観葉植物を部屋に移すやら、一汗かいてようやく一息ついたところ。 忘れずに水分の補給をしておこう。

 今朝のテレビ・ニュースでチラッと耳にしたのだが、13才の少年が家の窓から転落死している。 事故か自殺かはまだ不明だとか、靴は履いていなかったそうだ。 部屋の窓から落ちているのだから当たり前だろう。 家族の方たちは、「自殺に思い当たるふしはない」そうだ。 事故なのだろうか。 折りが折りだけに、疑問に思えて仕方がない。 亡くなられた少年のためにも、真相を正しく解明してあげて欲しい。

 今世に生きている大勢の人たちは、「死」をどのように考えているのだろう。 現在放映しているテレビドラマに、「ゴーストママ」というのがある。 漫画が原作で仲間由紀恵さん主役のドラマだが、まさかとは思うが、死んだら幽霊になると思っている人も居るのだろうか。 現世に思いを残すと幽霊になって現世を彷徨い、思いが晴れると天国へ召される。 そんな漫画めいたことは信じていないとしても、「死んだら楽になれる」ぐらいな錯覚はしているかも知れない。 それは違う、楽になんかなれない。 苦しみは消えるが、楽しみもまた消えてしまうのだ。 神も仏も霊魂も、生きている人の心に存在するものである。 死ねばその人の心に存在したものは総て消えてしまう。 そして、生きた肉体も心も無に帰する。 

 もし、霊魂が存在するなら、地球に生物が誕生して何億年かのいとなみのなか、累々と生まれ死んでいった生物の魂で、やがて地球は埋め尽くされてしまいそうだが、霊魂の存在を信ずる「宗教家」などは「輪廻・転生」という詭弁思想を編み出した。 ある限られた数の魂が「生まれ変わり・死に変わり」し、人が死に次の世にはミジンコに、その次の世には、ゲジゲジにと転生し、やがては再び人間に生まれ変わるとか。 よく考えて見れば、随分都合よく、随分気味の悪い思想ではないか。 

 神や仏の教えを説く人達も、本当はことはよく解っているに違いない。 ただ職業的に、利益追求のために、或いは立場擁護のために取り繕っているに相違ない。 「嘘も方便」という慣用語があるが、私の造語「嘘も銭なり」を仲間に入れてほしい。

かつあげ? そして、これが遊び?

2012-07-17 | 日記
 京都の虐め疑惑で、自殺をした少年が自分の預金を全部使い果たしていたと報じられていた。 さらに、祖父母のうちからも、お金を持ち出していたとか。 少年が可哀想でならない。 被害者の両親や祖父母も含めて、周りの大人たちは勘付いてやれなかったのだろうか。 少年は、どんなに苦しんでいたことか。 言葉には出さなかったとしても、助けを求めていたに違いないのに。 

 私の小学生時代も、家が貧しかった為に生徒どころか先生にまで虐められたものだった。 親も息子が虐めに逢っていることなどに構っていられない程生活に窮していた。 その所為か、ここに書けないような屈辱を受けたが、「金をもって来い」と言われたことはない。 何もかも面倒くさくなって、不登校に走ったが教師もまた無関心で、一度も理由を質されることはなかった。 そんな時代だったのだ。 

 こんな事を書いている最中に、ご近所の方から電話が入った。 近所のご主人の訃報である。 まだ40代で、高校生を頭に3人の男のお子さんがいらっしゃるご家庭である。 今年の春に入院して、肺癌と告知されこの早さである。 思い返せば、かなりのヘビースモーカーだった。 やはり「煙草は肺癌にる確率が高くなるのだなぁ」と、「のむ人も、のまない人も…」のコマーシャルに不快感を覚えた。 

原発反対集会

2012-07-17 | 日記
 東京の「原発反対集会」の参加人員数は、主催者側の発表で17万人、警察側の発表で7万人だそうで、どちらがウソをついているのだろうか。 昔からメーデーの参加者の発表でも、数は食い違っていた。 私の提案だが、「野鳥の会」の人たちに空から気球化かヘリに乗って数えてもらったらどうだろうか。 (数えきれないか) 
 自分たちの若い頃にも「原発反対」でデモや集会を行ったものだが、自分が今一つ拳に力が入らなかったのは、「本当に危険だろうか」という僅かな疑問と、電力の将来がよく見えなかったからだ。 やがて、「日本の原発は安全」という迷信が蔓延り、大きな反対運動は影を顰めた。 

 この度は違う。 チェルノブイリしかり、現に被害がでているのだ。 日本では今のところ放射能による死者はゼロでも、末にどんな被害がでて来るか判らない。 これはもう日本だけの問題ではないと思う。 これからの原子力は、地球規模で検討していかなければならない時代に入っているのだろう。

ゆでたまご談義

2012-07-15 | 日記
 元野球選手のタレントが、ゆで卵が大好きだとかで番組の中でも食べてみせていたが、あれは人気維持の為に無理しているのだと思う。72才にもなって、一日に何個も卵を食べるのは、いくらサプリで健康を維持しているとしても体によくない。 と、偉そうなことを言う私も、一日に1個くらいは食べている。 

 若い頃から、私はゆで卵を作るのが下手だった。 あんなものは別に難しくも何ともないのだが、茹で上がったものを見ると割れて中身が出ていたり、皮を剥こうとしたら白身が皮にくっついて、デコボコ…ならまだ良いが、殆ど黄身だけになったり、茹ですぎてカチコチだったり、長年「苦手」の一つとして過ごしてきた。 卵の皮の剥き方も、テレビでやっている事を色々真似をしてみたがダメなことの方が多かった。

 この年になって、ようやくコツがわかってきた。 下手な原因は、水から卵をいれて茹でていたことだった。 
 ▽鍋に水を入れ、蓋をして強火にかける。 もし、割れたときに白身が出ないように酢を少々入れることもある。
 ▽生卵はよく洗って、卵の太い方(尻?)に穴を開ける。 安全穴開器は、100円ショップで売っている。
 ▽鍋の湯が沸騰したら、杓子を使って卵を入れ、強火のままきっちり7分茹でる。
 ▽7分経ったら、火を止めて1分間そのままにし、冷水に取る取って冷ますと、黄身が固まった半熟になる。
  黄身が少しとろーんとしている状態が良い時は、7分経って火を止めたらすぐに冷水に。

 卵の皮を剥くときは、卵の尻を平らなところで割って、縦に剥いてゆく。 過去、あれだけ失敗ばかりしていたのに、コツを憶えてしまえば簡単なことだった。  

海鬼灯(うみほおずき)

2012-07-15 | 日記
 薄曇りと言うべきか、薄ら晴と言うべきか、陽はさしているのだが日向と影の差が薄い。 わりと涼しい風が吹いて、向かいの公園で野球をしている小学生の甲高いかけ声が、意外にも猛々しい。 このように甲高い声を、古いアメリカの歌では、Pipes Colling と表現している。 日本語の金切声に似た表現だが、金切声は女性の悲鳴の表現に使われる。 

 アメリカの古い歌とは、「ああ、あれだな」と直に気付かれた方は、そろそろ電車の中で席を譲られる御年だろうか。 そう、「ダニーボーイ」である。

 山を下って、兵士として戦争に赴く少年に、母が「もどっておいで!」と悲痛な叫びを上げているシーンである。 やがて少年は戦死して、母は少年の遺骨をさがして戦地を彷徨う。 少年の名を呼びながら…。

 「はっ!」 なんでこんな話になってしまったのだろう。 野球少年の掛け声と関係ない話だ。 

 話は変わって、何日か前に買って来た鬼灯の袋が赤くなったので、ハサミで切り取り開いてみた。 男の乳首くらいのまだ青い実がチョコンと付いていた。 盆に仏壇に供えるために買って来たのだが、それまでに真っ赤で大きな実になっているのだろうか。

 昔はこの鬼灯の袋を、苛性ソーダ等で煮て葉脈だけにし、風鈴に付けたりしたものだが、劇物を取り扱うので今はそんなことをする人は居ないのかも知れない。 鬼灯の実の皮を口に含み、「ギュッ、ギュッ」と鳴らしたりすることも無くなっただろう。 もっとも、私は「海の子」(山の子でもある)だったので、もっと簡単に「ギュッ、ギュッ」と鳴らすことができる「海鬼灯」派だ。