雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第三十一回 もうひとつの別れ

2015-02-07 | 長編小説
 信州上田藩校、明倫堂(めいりんどう)で教鞭をとっていた佐貫鷹之助が、突然腹を抑えて教壇に蹲った。急遽、上田城へ知らせが入り、迎え駕籠が差し向けられた。藩医とその弟子たちが集められて、鷹之助の到着を待った。
 同時に、鷹之助の屋敷にも知らされて、緒方三太郎の養生所には、佐貫家の下働き、田路助が走った。
   「鷹之助が倒れたのか?」
   「はい、お腹を抑えて蹲ったそうです」
   「そうか、心配だなァ」
 とは言え、三太郎が駆け付けたとて、藩士以上の身分は士籍医師の役割であり、軽輩医師の三太郎には診させては貰えない。だが、兄として見舞いぐらいはさせてくれるだろう。念のため、元藩侯のご隠居の許可をとっておこうと、緒方三太郎は弟子の三四郎に馬を用意させた。

 城門には二人の門番が立っていた。
   「緒方三太郎です、弟佐貫鷹之助の見舞いに参りました」
   「これは佐貫三太郎様、申し訳ありません、鷹之助様はただ今、藩医様がお診たて中で、お会わせすることが出来ません」
   「わたしとて、以前は藩侯のお脈も取っていた士籍医師の一人でした」
 今は、藩士の身分を鷹之助に譲り、身分を軽輩医師に落としたのであった。
   「そうですか、では侍医さまにお伺いして参りますので、ここで暫くお待ち願います」

 随分待たせたうえに、軽輩医師の出番ではないと、素っ気ない返事であった。かくなる上は、ご隠居の名を出さねばなるまいと思っているところへ、三太郎の藩士時代の同輩が肩を叩いた。
   「佐貫三太郎殿、待っておりましたぞ」
   「これは進藤壱之新様、お久しゅうございます」
   「なんだその言葉使いは、以前のままで良いぞ」
   「しかし、以前とは身分が違います」
   「違うものか、殿がお待ちかねだ」
   「松平兼良様が?」
   「そうだ、鷹之助が病で倒れたのだ、必ず三太郎が駆けつけて来るとおっしゃってな」

 進藤壱之新が先に立って、控えの部屋に案内した。三太郎とて、勝手知った藩侯目通りの控え部屋だ。
   「三太郎、待っておったぞ」
   「お言葉、勿体のうございます」
   「鷹之助に会わせて貰えないのであろう、心配するな、予が会わせてやるぞ」
   「有難き幸せに存じます」
   「それで進藤、藩医の診たてはどうなのじゃ」
   「それが、思わしくないようで、腸の腑が化膿し、ややもすれば穴が開き死に至る難病だと申しております」
   「三太郎、そちも診たててやってくれ」
   「はい、では鷹之助様に会わせていただきます」
   「鷹之助はそちの弟であろう、畏まらずとも良い、早く行ってやれ、進藤頼むぞ」
   「ははあ」

 藩医が詰める医局の隣に治療部屋があり、今で言う集中治療室(ICU)であろう。そこの箱型寝台に鷹之助は寝かされていた。
   「兄上、いらしてくれたのですか」
 鷹之助は、苦痛に歪む表情を義兄に見せた。
  「何だ、その情けない声は」
   「藩医たちの話しているのを聞けば、わたしは十日と持たないそうなのですよ」
   「どれ、わたしが診よう」
   「いいのですか? 士籍医師が騒ぎ立てるのではありませんか」
   「大丈夫だ、藩侯のお許しが出ておる、ご隠居様も心配なさっていたぞ」
   「お会いできたのは、兄上のお陰です」
   「いや、父上のお陰というべきだろう」

 三太郎は、鷹之助の寝間着を捲ると、腹の方々を力任せに押した。
   「痛い、そこが痛うございます」
   「うむ、腸の腑だな、太い方の腸の腑に小指ほどの垂れ下がった何の役割をしているのか未だ不明の突起が有って、これが化膿しているのだ」
 これは虫垂と言って、草の繊維を分解するバクテリアを飼っている虫篭のようなところで、人間にとってはあまり重要ではないが、草食動物では生命維持に欠かせない臓器である。
   「鷹之助安心しろ、この兄が助けてやるぞ」

 水戸の長兄、緒方梅庵が作り上げた局部の痺れ薬と、同じく梅庵が焼酎を蒸留して純度を高めたアルコールという消毒薬がある。それに漢方薬の化膿止めの飲み薬を用いれば、この病は十日ほどで治してみせる自身が三太郎にはある。十日もかかるのは、虫垂を切り取った後を糸で縫い合わせるのだが、その抜糸の為に一度縫った腹膜と皮膚を、数日後にもう一度開いて腸の抜糸後、再度縫い合わせる必要があるからだ。梅庵が長崎から持ち帰った糸や針、メス、注射器などの消毒も念入りにしなければならない。

 三太郎は、藩侯に鷹之助を自分の養生所に連れて行きたい旨をお願いした。藩医たちの反対があったものの、藩侯のお許しが出た為に、ことは順調に運んだ。
   「ふん、どうせ助からないのに」
   「腹を切り裂くなど、非常識にも程がある」
 藩医たちは、尽く緒方三太郎医を批判した。だが、目の上のたんこぶである三太郎が失敗すれば、漢方医の診たてにいちいち口を出す蘭方医を追放できると、含み笑いをする者も居た。

 緒方三太郎養生所、上田藩の下級武士、各使用人の治療は一切無料である。それは、三太郎が上田藩から扶持を頂く藩医だからである。
三太郎は、佐貫家の養子で跡継ぎであった。実子鷹之助が長兄緒方梅庵同様に武士を嫌い学士の道を選んだ為に、三太郎が父慶次郎の跡継ぎとなっていたものである。しかし、三太郎の意志で、鷹之助を藩校の師範として佐貫家の跡継ぎとし、藩侯の希望で三太郎もまた軽輩医師として藩の扶持を頂戴している。

   「鷹之助、約十日間の辛抱だぞ、私とお鶴さんがずっと付き添う」
 三太郎は、鷹之助と女房のお鶴に説明をした。手術は、化膿した腸の腑に垂れ下がる「虫垂」という突起物を切り取り、傷口を消毒して切り取った跡を縫う。開腹した傷口も、一時仮に縫い合わせるが、様子をみて数日後に再び開き、腸の腑を縫った糸を抜き取り、再び開腹部分を本縫いする。その間は、食事抜きで、最初の手術から二日経てば、湯冷ましで口の中を湿らせる程度ことは出来る。腸の腑の抜糸後は、腸の腑が動き始めて屁が出るのを待って、湯冷まし、重湯から始めて、開腹部の抜糸が終わると五分粥、十日後に漸く普通食になるだろう。
 
   「鷹之助、痛いときは痛いと言うのだぞ、極力痛みは取り除くからな」
 現在であれば、腰椎から注射針を刺して局部麻酔をするのだが、三太郎や梅庵にそのような技術はない。メスを入れるところを薬で痺れさせるだけである。痛みがないわけではなく、むしろ、可成り強い痛みに耐えなければならない。三太郎はふと考えた。こんな時に守護霊新三郎が居たら、患者の気を失わせてくれるものをと。

 鷹之助はよく耐えた。こんな華奢な体のどこにこのような忍耐力があるのだろう。若い所為であろうか、治癒するのも早かった。七日目には、もう普通食を平らげ、付き添いのお鶴の肩を借りて散歩が出来るようになった。
 
   「まだ、あまり無理をしてはいけないぞ、傷口が開いてしまうからな」
   「はい、兄上」
 お鶴も礼を言った。
   「先生、ありがとうございました」
   「お鶴さんもよく頑張ったねぇ、お疲れさま」
 明日は、佐貫のお屋敷に戻れると、夫婦は喜び合っていた。
 
 
 緒方三太郎は、登城してまず藩主松平兼良候に礼を述べ、松平兼重候の隠居庵に報告に言った。
   「そうか、鷹之助は回復したのか、それは良かった、なにしろ、わしは鷹之助の名付けの親であるから親も同然である、嬉しく思うぞ」
   「ありがとう御座います」
   「ところで三太、ひよこのサスケは元気か?」
   「えっ」
 三太郎は唖然とした。 
   「あははは、冗談だ、サスケはとっくに死んでおろう」
   「ああ、驚きました」
   「わしがボケたとでも思ったのか?」
   「いえ滅相な、一瞬、四歳の私に戻ったのかと思いました」
   「そうか、四歳であったか、懐かしいのう」
   「懐かしゅう御座います、あの頃は私の父慶次郎も若こう御座いました」
   「慶次郎は、わしのことをよく護ってくれたものだ」
   「ご隠居さま、私も小さいながら、懸命にお護りしましたぞ」
   「そうであった、よく覚えておるぞ」

 ひととき、昔話に花が咲き、ご隠居と笑いながらお別れしたが、三太郎が元気な松平兼重候の姿を見るのは、これが最後であった。ご隠居は、その七日後に庭で小鳥に餌を与えていて、ガクッと倒れた。使用人が倒れているご隠居を見つけたときは、すでに亡くなっていたのだった。

  第三十一回 もうひとつの別れ(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

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