雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十三回 遠い昔

2015-01-09 | 長編小説
 緒方三太郎は佐貫の屋敷へ行って、亥之吉と卯之吉を義弟の鷹之助に会わせたいが、まだ上田藩校明倫堂(めいりんどう)から戻ってはいないだろう。その前に八百屋の文助に会って卯之吉を引き受けくれないかと都合を訊きに行こうと三太郎は考えた。

 亥之吉も卯之吉のことが気がかりなので、自分も付いて行くと言い出した。それではと二人の弟子に母娘を頼んで三人で昼下がりの町へ出た。
   「文助さんのお父さんは、義父慶次郎の馬の世話役をしていたが、亡くなって今は奥さんと子供が二人居ます」
   「お子達は、まだお小さいのだすか?」
 亥之吉が尋ねた。
   「上が女で下が男、どちらも二十歳前だよ」
   「卯之の嫁に丁度よろしい歳だすな」
   「歳はそうでも、既に許婚が居るかも知れないだろう」
 
 店には文助の息子文太郎が店番をしていた。
   「あ、先生いらっしゃいませ」
 文太郎は、三太郎の顔を見て満面の笑みを見せた。
   「おやじさんは居るかね」
   「それが、午前中に掛取りに出かけて、まだ帰らないのです」
   「方々まわっているのだね」
   「いいえ、一軒だけです」
   「おやじさんは、途中で油を売ったりはしない人なのに」
 文太郎は、三太郎の言葉を聞いて、ちょっと心配になってきた。
   「そう言えば、売掛金を何ヶ月も溜めていて、一向に返してくれないのだとぼやいていました」
   「行った先は、文太郎さんも知っているのだね」
   「はい、たちの悪いゴロツキで、金が入ると博打場に入り浸りだそうです」
   「職業は?」
   「善次といって一応は左官ですが、働かないで弱い者に難癖を付けて強請り紛いのことをしています」
   「そうか、おやじさんが危ないかも知れない、すぐ行ってみよう」
 文太郎から善次の住処を聞くと、亥之吉と卯之吉に目で合図を送り、すぐに駆け出して行った。
 
 善次が住む長屋に来てみると留守であった。
   「博打場だ、おやじさんは脅されて貸元から金を借りさせられているかも知れない」
 近所の人に善次がよく行くという博打場の在り処を訊くと、「すぐ近くです」と教えてくれた。
   
 文助は掛取りに出かけたのだから、受取証に押す印鑑を持って出た筈だ。案の定、胡散(うさん)らしい賭場に連れ込まれ、今まさに借用書に印鑑を押させられようとしたところに三太郎たちが入ってきた。
   「文助兄さん、押すのは待って!」
 三太郎が叫んだ。文助は印鑑を持つ手を思わず引っ込めた。
   「誰でえ!」
 貸元らしい男が怒鳴った。
   「わたしは文助の弟だ、おまえら兄さんに無理矢理印鑑を押させようとしていたな」
   「何が無理矢理だ、この男が博打をしたいというから、金を貸そうとしたまでだ」
   「嘘をつきやがれ、兄さんは博打なんかしねえ、それに借金もだ」
 貸元が子分たちに「こいつ等をつまみだせ」と、目で指図した。その時、子分の一人が卯之吉を見て声を上げた。
   「卯之吉兄いじゃないですか、大江戸一家の代貸し、鵜沼の卯之吉兄いでしょう」
   「卯之吉だが、おめえさん一体誰でえ」
   「ほら、役人に追われていたあっしを、大江戸の貸元が匿ってくれたではありませんか、旅鴉三吾郎、ほら、信州佐久の三吾郎でござんす」
   「おお、思い出した、あの三吾さんかい、お達者でなによりです」
 大江戸一家の代貸しと聞いて、一堂は驚いた。大江戸一家といえば、五海道に知り渡る大任侠一家である。
   「そうですかい、これはどうも恐れ入りやした」
 最初に折れたのは貸元であった。
   「それで、こちらのお兄さん方も同じ大江戸一家の?」
 卯之吉が紹介した。
   「こちらの方は、上田藩士で医者でもある緒方三太郎さんです」
 亥之吉は卯之吉に紹介される前に自分で紹介した。
   「わいは、元浪花の商人、いまは江戸で商いをしとります福島屋亥之吉だす」
 和やかに紹介をしていると、善次がコソコソと逃げようとしたのを、卯之吉が捕まえた。
   「三太郎さん、悪いのはあの善次です、わたしが溜まっている掛け金を取りに行ったら、いきなり殴られて、ここへ連れてこられました」
 文助が、憤懣やるかたない思いを三太郎に訴えた。
   「よく分かっています、善次は藩の奉行所に突き出してやりましょう、他にも色々罪を犯しているようです」

 卯之吉が、この賭場の貸元に対して、捨て台詞を残した。
   「親分さん、一ヶ月で三割の利子を取ってるいと聞きましたが、お前さんもあくどい金貸しをしていなさるようですね、いつまでもこんなことをしていると、藩のお牢に繋がれることになりますぜ」
 この卯之吉の捨て台詞に危機を感じたのか、やはり一癖も二癖もある貸元、このまま四人を帰せば藩奉行所に訴えられてまずいことになると思ったのか、子分たちを集めて何やら指図している。
 
 まだ日が高いというのに、子分達が後を追いかけてきた。三太郎たち四人と縄で繋いだ善次を壁際で取り囲むと、いきなり懐からドスを出し斬りつけて来た。三太郎は卯之吉に文助を護るように頼むと、亥之吉と二人は子分たちに向かった。善次はその場に転がされた。
   「亥之さん、乱闘は久し振りでしょ?」
   「江戸は物騒なところだすから、ちょくちょくやっとります」
   「そうかね、わしは久し振りだ、思い切り楽しませて貰います」
 一人、長ドスを腰に差した男が、三太郎に向かってきた。卯之吉が「止めろ!」と、制した。
   「佐久の三吾郎さん、お前さんはおいらの兄弟分みたいなものじゃないか、ドスを引いておくんなせえ」
 卯之吉が説得しようとしたが、三吾郎はなおも三太郎に斬りかかった。
   「卯之吉の兄いとも思えねえ、これが渡世の義理ってやつですぜ、あっしのは一宿一飯恩義のドス、兄さん方には何の意趣遺恨もありやせんが、真剣にかかって参りやす、どうぞ手心を加えずに思いきりやってくだせえ」
   「わかった、行くぞ、と言いたいところだが、生憎(あいにく)わしらは堅気(かたぎ)でな、堅気相手に一宿一飯の義理もなかろうと思うがどうだ」
 三吾郎がドスを構えて三太郎に突進してきたのを、三太郎の脇差でドスの切っ先をチョン横へずらせると、ドスを三太郎の小脇に抱える形となった。
   「三吾さん、わし等は堅気の医者と商人、卯之吉さんも足を洗って新しい出発をするところだ、渡世の義理も恩義もないでしょう」
 尚も向かってくる三吾郎を跳ね返しながら、三太郎は説得にかかった。ここの奴等は侠客じゃなく、堅気の衆を脅して無理矢理に金を貸付け、その金を博打で巻き上げたうえに高利を取るゴロツキ共の集まりである、江戸の大江戸一家で大親分の杯を受けるか、足を洗うか、少なくともゴロツキ渡世よりも善い道がある筈だ。

 そんな三太郎の話を聞いて、三吾郎の切っ先が下に垂れた。
   「親分は、倒れた子分たちを放っておいて、姿を消したようだ、ケチな野郎だね」
 そう嘲笑する三太郎の言葉に、戦意を無くした三吾郎を尻目に、亥之吉が唐突に言った。
   「先生、そう言えば久し振りで会ったのに、まだ手合わせをしとりませんでしたなァ」
 会えば、必ず刀と天秤棒の手合わせをする三太郎と亥之吉である。 
   「そうか、序(ついで)に、今、やっとくか」
   「そんな、序なんて…」
 三太郎は笑いながら、刀の峰で向かってくる子分たちをバタバタと倒していく。亥之吉も、天秤棒をブンブン振り回して、善次の周りに子分たちが蹲(うずくま)った。
 
 乱闘騒ぎを聞きつけて、藩の捕り方役人が数人駆け付けてきた。
   「先生じゃありませんか、何やっているのですか」
   「医者とても、降りかかる火の粉は払わねばならんのでなァ」

 役人に経緯をすっかり話し、三吾郎の肩を押し文助の店に戻ってきた。三吾郎が江戸から信州の佐久を通り越して上田まで来た訳を聞くと、親の顔が見たさに戻ってみると、両親は亡くなり、田畑は見知らぬ他人が耕していた。風の吹くまま気の向くまま旅を続け、銭も無くなって一宿一飯の恩義を受けたのがゴロツキ一家だったのだそうである。
   「三吾さん、わしと一緒に江戸へ戻りまへんやろか」
 亥之吉が言うと、卯之吉も賛成した。
   「堅気になって地道に働き、ええ娘をみつけて所帯を持つのもええもんだす」
 帰る処も無くなった三吾郎、少しはその気になったようであった。

   「文助兄さん、困ったことがあったら、いつでもわしに言ってくださいよ」
 緒方三太郎の偽らざる心である。 
   「いやあ、売掛金のとりたてのことまで、先生に相談できませんよ」
   「裏の畑で、大根の育て方を教えて貰った私の師匠じゃないですか、遠慮はいりませんよ」
   「師匠だなんて」
   「少なくとも、歳の離れた兄貴だと思っています」

 文助の店では、文助の妻、楓が店番をしていた。
   「楓姉さん、こんにちは」
   「あら、三太ちゃんじゃないですか」
 楓にとっては、いつまでもひよこを懐で飼っている三太郎である。後ろの文助の顔を見て、楓は「ほっ」としたようであった。
   「お前さん、帰りが遅いから心配していたのですよ」
   「危ういところを先生がたに助けて貰った」
   「まぁ、そうだったのですか、文太郎はお前さんのことを心配して、今、番所へ行ったところです」
 文助夫婦は、三太郎と亥之吉、卯之吉に深々と頭を下げて礼を言った。そこへ文太郎も戻ってきて、文助の無事な顔を見ると、再び駆け出して行った。番所に父親の無事を知らせる為であろう。

   「この卯之吉に、八百屋の商いを教えて貰いたくてここへ来たのです」
 三太郎は、此処へ来た本当の目的を説明した。寝泊りと食事付きであれば、給金は三太郎が出すから要らないと申し出たが、文助は首を振った。
   「いえ、働いて貰えるのなら、お給金は払いますよ」
 卯之吉の鵜沼で犯した罪も話したが、文助は喜んで卯之吉を受け入れてくれた。
   「卯之吉さん済みませんが、ほとぼりが冷めるまで名前を変えてくれませんか?」
 無理からぬことである。結局、亥之吉が名付けて「常蔵」と、呼ばれることになった。

   「三太ちゃん、奥様は順調ですか?」
   「さあ、どうでしょう、亭主のわしにも生まれたとも、生まれそうだとも、沙汰がないのですよ」 
   「それは、三太ちゃんが悪いのですよ、しげしげ足を運ぶなり、使いを遣るなり、三太ちゃんの方から待ち遠しい気持ちを伝えなきゃいけません」
   「そうなのですか」
   「そうですよ、奥様の方でも、情の無い旦那様だと思っていらっしゃいますよ」
   「では、明日にでも馬を飛ばして行ってまいります」
   「奥様に、優しくしておあげなさいね」
   「わかりました」
   「まっ、素直な三太ちゃん」
 文助が、楓に「控えて、控えて」と、手合図をした。
   「剣豪も、妻の楓にかかったら形無しですね」
 楓には、懐でひよこを飼っていた可愛い三太のままであったのだ。

  第二十三回 遠い昔(終)-次回に続く- (原稿用紙15枚)

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