雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のコラム「人生とは」

2015-09-30 | コラム
 「人生とは?」宗教家は、とかく物事を難しく説いて、信者を集めようとする。それが商売なのだから当然だろう。
 物書きは、別にどうでもよい事でもネタにして本を出版する。これも、商売なのだから当然だ。
 商売でなくても、当たり前のことでも、とかく人間というものは理屈を捏ねたがるものだ。

 今朝も、宗教関係のチラシが、講演会への参加を呼び掛けていた。「人生とは何か?」を、説いてくださるそうである。

 お偉い識者には必要なのかも知れないが、ド凡人の猫爺はこう考える。

 人生とは、偶々生まれてきて始まるもので、一生懸命に生きて、一生懸命に終わる。その過程が人生であって、どう社会に貢献したか、人の為になったか、苦楽を共にした家族を守ったか、どう死んでいったか、そんなことを考えようと考えまいと、人生は快く過ぎ去っていくものなのだ。
 悔い無き人生であろうと、悔いばかり残る人生であろうと、真面目に一生懸命に駆け抜ければそれで良いではないか。

 「人生とは」と、考えないのは、決して投げやりなのではない。「人生とは」と、考えない人生を一生懸命に駆け抜けてきたのだ。

猫爺の日記「猫爺の昼餌」

2015-09-30 | 日記
 「ららランチ」 なかなか恰好いい命名で、すっかり気に入ってしまったのだが、この盗用が猫爺には似合わないことに気付く。自分に似合う言葉を考えたところ「猫爺の昼餌」だった。
 自分一人では行けないところなのだが、車で「蔵ずし」に連れて行って貰った。生魚はあまり好きではないので、「天丼とアサリの赤だし」を注文したら、ベルトでピューッと飛んできた。天丼400円、赤だし180円也。ジャパネットの会長さんではないが、「安いでしょう」

 昨日は、病院の眼科に行ってきた。「見辛くなってきた」と訴えたら、医者なら、もう少し言い様があろうに、「仕方がないなぁ、年だからな」だと。別にショックは受けないけれども、「何のために通ってきているのだろう」と、猫爺首を傾げる。

 最近は、杖を持った老人が増え過ぎて、杖など何のステータスにもならない。突かれたり、歩いている直前を遮られたり、フラついて人に当たりでもすれば、睨みつけられる。バスや電車の中では、昔のように「お年寄りに席を譲る」なんてことは最近では皆無である。こっちも、譲ってもらおうとは思わないけれども、自分の若い頃は「進んで席を譲ろう」と心がけてきたことが、まるで馬鹿のようだ。

 バス亭に、標語が掲げられていた。「自分から、勇気を持って、挨拶を」だって。挨拶は勇気がないと出来ない時代なのだなぁと心が曇った。

猫爺のコラム「ディジタルの音」

2015-09-29 | コラム
 ある人気ブログを訪問して、アナログ・レコードを大切になさっておられるブロガーの方の記事を懐かしく拝読しました。

 アナログ・レコードの音は柔らかくて好きだと仰る諸兄が多いが、ディジタルの音とどう違うのだろうか? これをテキスト的ではなく、コラム風に書いてみよう。このような回想もまた、アルツハイマーに罹るのを遅らせるのに効果があるかも知れないから…。

 アナログは、音そのものの振動を盤に刻んだものである。その振動を針と「ピックアップ」で電流に変えて増幅し、スピーカーから音として出力する。ステレオでは、針は一本であるが、「ピックアップ」は二つ付いている。
 レコード盤の溝の両側面には、二つのマイクで拾った音がそれぞれの側面に刻まれており、針には45度と45度に傾斜した二つの「ピックアップ」が付いている。左の音と、右の音をそれぞれの「ピックアップ」が拾う訳だ。

 では、ディジタル、例えばCDではどう記録されているのだろうか。マイクで拾った左右二つの音の波から標本を抜き出すのだ。音の波を滑らかな折れ線グラフとしょう。標本は間隔が開いた棒グラフだ。棒グラフは、折れ線グラフから飛び飛びに拾っている。これはもはや音声ではない。高さが変化する棒グラフなのだ。
 次に、この標本を数値化する。これをA-D変換という。数値とは、若い方にはお馴染みの二進数だ。数は0と1だけで、1はそれぞれ重さを持っている。下から順に。1.2.4.8.16.32.64.128.256.…というやつだ。この数値で、動画も、画像も、文字なども記録し表すことができる。CDなどには、高度なテクニックでこの数値が記録されている。

 再生はどうするか。今までの逆で、数値を棒グラフのような標本に戻す。今度は、標本を折れ線グラフである音の波にする。標本はスカスカなので、間を詰めなければならない。これがD-A変換だ。この間を詰めるものは、再生機(プレーヤー)に用意した音である。従って、最初マイクで拾った音とは違う偽物の音だ。
 ディジタルの音は、雑音に強い。プレーヤーは数値さえ拾えば、偽物であろうと、ほぼ忠実に再現できるからである。Dはディジタル、Aはアナログであることはお察しの通りである。

 アナログ・レコードのファンの方は、この違いがわかるのであろう。アナログの音は柔らかで温かいが、ディジタルの音はクリア過ぎて馴染めないとおっしゃるのはその所為であろう。

 で、「猫爺はどちらが好きか」ですか?  「どっちもー」音楽なら何でも好きだし。

猫爺のコラム「縁起の悪いコラム」

2015-09-28 | コラム
   「ねぇ、あなた、死ぬときは二人一緒よ」
   「うん、そうしよう」
 今時の新婚夫婦は、こんな会話を交わしたりはしないだろうが、昔の新妻はこんなセリフで夫に甘えたりした。まさかとは思うが、若い頃にこんなことを言った覚えがある方がこれを読みになってはいけないので、これは大昔のことだとしておこう。

夫婦が一緒に死ぬときを考えてみよう。
 ●強盗が入り、老夫婦を刺殺。手元に置いてあった500万円奪われる。
 ●墓参りの帰り道、運転を誤って崖から転落、運転していた夫と、助手席の妻が即死。
 ●借金苦に、夫婦首吊り自殺。
 ●女性に結婚を迫っていた男が、相手が既婚者であったことを知り嫉妬。昼間に留守宅に忍び込み、夫婦が飲む寝酒に毒物を混入した。

 碌なことはない。それより夫婦お互いに「死亡保険」に入り、どちらかが死んだら生きている方は大金を受け取って、悠々自適の再出発を…
   ん? 夫が強盗に見せかけて、留守番の妻を絞殺。こっそり会社に戻り、いつも飲んでいる鎮静剤を飲んだところ、夫は急死。司法解剖して原因究明中。

 そんなことになるかも?  怖わ!

猫爺のコラム「小さな喫茶店」

2015-09-27 | コラム
こんな時代があった。
 夏の暑い日、町の民家を改装した喫茶店で、入り口横に窓があり、かき氷を作る手回しの道具が外から見えている。涼しげな暖簾をくぐると、木枠のガラス戸がある。ガラガラガラと手で横に開けると、木製のテーブルが数台と椅子が四つずつ並んでいる小さな喫茶店である。
 その一つに腰を掛けると、「おひや」と、丸く巻いてビニール袋に入ったタオル製の「おしぼり」がテーブルの上にトンと置かれて「何しましょう」と注文の催促。
   「レーコーひとつ」
   「はい、レーコーひとつですね」
 おしぼりは、左の掌で真ん中を握って、両端を右掌で「ポン、ポン」と大きな音を出して袋を破裂させて取り出す。
 若者はそんなことはしないが、年配客は「おしぼり」で顔を拭き、首筋を拭き、それを懐に突っ込んで体まで拭く。中には、靴まで磨く人がいたりして…。
 察しがつくと思うが、「レーコー」は、アイスコーヒーのこと。因みにミルクコーヒーは「ミーコー」である。
 メニューを見ると、「スーパー」というのがある。何かと思えば、永谷園のお吸い物みたいなインスタントものである。メニューに「お雑煮」というのがあり、先ほどのスーパーに焼き丸餅が一つ入っている。
 バタートーストは、トーストにバターを塗っただけのものと、その上に砂糖を振り撒いたものの二種類があった。
 ホットドッグを注文すると、ロールパンにウインナーを挟んで、蒸し器で蒸してアツアツでフニャフニャのホットドッグが出てくる。これがなんとも美味いのだ。今の若者には、「だせっ!」と、一瞥されることばかりであろう。
 このホットドッグは、学食の喫茶コーナーにも似たものがあった。ここは蒸し器ではなく、大阪ガスの「コンベック」とかいうオーブンで蒸し焼きにしていた。学生の朝食に最適なのだ。おまけに、ゆでたまごが一つ付いていたが、不器用な自分は、皮を剥くのに苦労したものである。

猫爺のコラム「ららランチ」

2015-09-27 | コラム
 ららランチ(この名詞は、ここちよい響きなので某ブログより盗用)に、サイゼリアのパエリア風ピラフ(写真)を食べた。ドリンク、スープ飲み放題で499円とは安い。
 若い人には「放題」は有難いのだろうが、年寄には無意味。スープにオリーブ油と胡椒も入れ放題とか。「そんなもの要らん」

 以前は、ムール貝が三個入っていたが、思い違いだろうか二個になっていた。好みではないので、どちらでも良いのだが。

 このムール貝は、日本各地の磯に分布するイガイの種類で、野生のものは貝毒を持つものがある。私の育った須磨の海にも、非常にたくさん生息しており、子供の頃、岩に付いたこの貝で、よく足を切ったものである。日本人は決してこれを食べなかったが、朝鮮の人は調理が巧みなのか、時化のあとなどに海岸に房ごと打ち上げられたこれを持ち帰っていたのを思い出す。
 自分達は、この貝を石で叩き潰して、磯釣りの餌にしていた。料理に使うのは養殖もので、貝毒は無く大粒なので誤解なきように。

 で、サイデリアのパエリア風ピラフの味はどうだったか。答えると店の者に叱られるので、聞かないでほしい。

猫爺のエッセイ「銀杏並木」

2015-09-26 | コラム
 最近、ブックマークしたブログを、今朝も、拝見させて戴いた。もう街路樹の銀杏の木が実を落としていたので、懐かしく思った。
 銀杏の木など、どこにでも植わっているもので、「懐かしい」とは、異なことを言うと思われるかも知れないが、あの実が懐かしいのだ。
 自分が住む住宅地にも、公園や街路に植わっていて、太い木になっている。それにも関わらず実が稔らないのだ。その原因は剪定にある。
 毎年、冬が到来する前に、太い枝ごと切り落として、坊主状態にしてしまう。翌年の初夏の頃に芽吹くのだが、遅くて葉が成長してもスカスカ状態である。「地域を緑で」とか「緑多き市街地」を守ることよりも、市は地域住民の利便重視で「掃除がたいへん」との苦情を優先しているようだ。

 自分の住む近くで、「染井吉野」の大木を過剰に剪定して、枯らしてしまったことがある。風情や環境よりも、住民の生活重視なのだ。この過剰剪定の結果、銀杏の木も生きるために実を付けなくなったらしい。
 十数年前までは、当地の銀杏も実を落として、食品の業者らしき人が軽トラで実を回収したり、お年寄り夫婦が拾ってレジ袋に入れているのが見られたものだ。踏み潰すと臭い銀杏の実も、今となっては懐かしい思い出である。

 自分たちの子供の頃は、お寺の境内などで拾って持ち帰り、庭の隅に穴を掘って埋めていたものだ。素手で触ると手がかぶれることもちゃんと弁えていた。翌春には臭い実が腐って土になり、種だけになったものを洗って干し、焼いたり茹でたりして食べ、または、茶わん蒸しに入れて貰ったりした。業者の場合は、ミカンの薄袋を薬品で溶かす要領で、短時間に「銀杏」にするのであろう。

猫爺のエッセイ「神社参拝」

2015-09-25 | エッセイ
 神社にお参りをするには、いろいろと「しきたり」や「作法」がある。最近、テレビでタレントが作法通りに出来るかを試す番組を見て自分(猫爺)は疑問を持った。
 鳥居を潜って参道に入るが、参道の真ん中は神様がお通りになるところなので、参拝者は端を通って手水舎(ちょうずや)まで行き、ここでお清めをするのだそうである。
 自分の疑問であるが、神社の祭りのときや、初詣ではどうすればよいのだろうかということである。
 参道の端どころか、境内じゅう人が溢れて思うようには歩けないではないか。参道にロープでも張って、ここは神様がお通りになるところと表示したところで、人に押されてロープに引っかかって倒れ、大惨事にもなりかねない。このあたり、宮司さん他神職の方々はどうお考えだろうか。

 こうお答えになるかも知れない。(猫爺の想像)
  「お作法は、神社が閑散としたときにお守りください」
  「参拝者でごったがえしている時に手水舎(ちょうずしゃ)でのお清めは?」
  「省略しても構いません」
  「神様に対して、ご無礼ではありませんか?」
  「お祭りや、初詣の時は、神様も忙しくてそこまで目が行き届きません」
  「わかりました」

  「二礼二拝一礼も、参拝者のお尻に向かってすることになりますが、それでも良いのでしょうか?」
  「それも、祭りの時や、初詣の時は、神様も忙しくてご覧になっていません」
  「えーっ、では、日頃の平穏に暮らせたことに対して感謝の言葉を捧げても、また祈願をしても、神様は聞かれてはいないのですか?」
  「神様に聞いていただきたいのなら、普段の空いている時にいらっしゃいな」
  「納得しました」

猫爺のエッセイ「熟し柿」

2015-09-24 | コラム
 他人様のブログを覗くのも楽しいものである。最近、我がブログに来て下さった「たけじいさん」と仰る方のブログも覗かせて戴いた。お庭に柿が実ったご様子で、きっと甘柿なのだろう白い粉がふいているように見える。

 実は、自分は果物があまり好きではない。特に酸味のあるのはダメだ。それともう一種、「瓜臭い」ものも好まない。
 よく、家族に「こんな美味しいものを…」と言われていたが、メロンも口にしない。その中で「柿」は、大好きである。しかし、他の人と違った食べ方をする。
 歯が悪い訳ではないが、熟し過ぎてブヨブヨになったものを、太いストローを刺して吸うのが好きだ。「似た者夫婦」と言うが、家内もそれが好きだった。
 「汚い食べ方」と、言われるかも知れないが、食べた(吸った)あとは、原型を留めたまま捨てるので、むしろ清潔である。 

 もう一種、時々だがバナナを食べる。スーパーで五本100円くらいのものを買ってきて、朝食にすることがあるが、三日で三本食べると飽きてしまう。その結果、残りは真っ黒になる。自分の子供の頃、バナナは贅沢な食べ物で、熱を出したときぐらいしか食べさせては貰えない貴重な食べ物だった。その所為か、捨てる時には少々抵抗を感じる。

猫爺のエッセイ「動物の恩返し」

2015-09-23 | エッセイ
 今の子供たちには、ゲーム機や携帯など、楽しいものがいっぱいあるが、猫爺の子供の頃は、そんなものは手塚治虫氏のSFの世界に出てくる夢のグッズであった。
 遊びと言えば、テニスボールを掌で打つ三角野球、ドッジボール、家の屋根に登る大掛かりなかくれんぼ、鬼ごっこ、夏は虫捕り、今は禁止されている野鳥捕り、玩具と言えば今は禁止されている石ヤリ(パチンコ)、紙鉄砲、杉鉄砲等々、手作りの者が多かった。
 杉鉄砲は、今では杉花粉が問題になるが、当時は普通に生垣として植えられており、その雄花を玉にして遊んでいたのだ。当時の子供は、杉鉄砲で遊んでいても、くしゃみをしている子は居なかったが、今では大人に叱られる以前に、杉の雄株自体がそこいらには無い。
 ゴム鉄砲は、8mm角程度の木ヒゴで作ったものだ。遊ぶときは、メンコなどを的にして打ち合った。「汚い」と、大人たちに不評だったのは、生きたハエを的にすること。普通は、蠅はそのままひっくり返るのだが、当たり処が悪いと潰れるかからだ。

 野鳥捕りは、もっぱらメジロ。捕る方法は、小鳥屋で雌を買ってきて竹籠に入れ、山へ持っていく。木の枝に駕籠を下げて、籠の付近にトリモチを仕掛けた枝を置く。そのまま離れたところで待機していると、籠の雌が鳴きはじめる。遠くで雄がそれに応えて鳴き、飛んできてトリモチが付いた枝にとまるのだ。問題は、捕らえた雄の足や羽に付いたトリモチが、なかなか取れないことと餌付けだ。すり餌といって蛹粉を水で練って口に入れてやらないと自分では食べ始めない。
 この野鳥のために、保存食のミノムシ取りもやった。木に登って集めたミノムシの蓑を剥ぎ、餌として与えるのだ。

 このミノムシの蓑剥がしは、猫爺のブログでは、童話パロディーで使ったことがある。子供に蓑を剥がされたミノムシを太郎が買ってやり、蓑に戻して枝に吊るしてやると、ミノムシが恩返しにやってくもという馬鹿げた話。

 動物の恩返しは、夢が有って楽しい。猫爺も、巣から落ちた雀やツバメの雛、怪我をして飛べなくなった鳩や、ヒヨドリなどを飛べるようになるまで世話をしてやったが、恩返しは一度もなかった。

 《猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第十九回 神と仏とスケベ三太》の中で、仔狸の恩返しというのを書いた。チビ三太が「狸塚」を見付けて、その謂れを土地の男に尋ねる。
 餌を求めて里へ出て来た母狸を、捕らえて食ってしまった男がいた。五匹の仔狸が母親を探して里へ出てきて「クウーン」と泣きながら親を探しているのを、ある村人が飼っていた雌の柴犬が見付けて、連れて帰って育て上げる。
 柴犬は、大きくなった仔狸を連れて山へ入り、子供たちに餌の採り方を教えて帰ってきたと言うのだ。
   「ふーん」と、退屈そうに聞いていた三太は、それだけでは面白くないと、逸話の続きを土地の人に提案する。
 五匹の仔狸たちは柴犬のところへやって来て、山で集めた木の実や虫を柴犬の前に置いて山へ帰って行く。柴犬はそんなものに興味がないので無視をしていると、ある日、小判を一枚ずつ銜えてやって来た。次に来た時も、また次も、小判を銜えてくる。それを知った村人たちは、この山のどこかに、埋蔵金があるに違いないと大騒ぎになる。
 この話には「落ち」があるのだが、もし興味があるなら、上記の小説名をクリックしてみて欲しい。《PR》

 


猫爺のエッセイ「ひっつきむし と オケラ」

2015-09-18 | エッセイ
 猫爺が住むところは、山を削って住宅地にしたところである。まだ周りには山が見え、少し歩けば田畑が見られる。
 子供の頃は、野原で遊ぶと、必ずお土産を持ち帰ったものだ。ヤブジラミ、イノコヅチ、センダンクサの種子で、猫爺等は「ひっつきむし」と言った。センダングサは、まだ枯れていないものを胸にくっつけて勲章遊びに、ヤブジラミは子供同士で投げ合って遊んだ。だが、センダングサの枯れたものや、イノコヅチは、母親の敵であった。服やズボンにびっしりと付いて、一個一個剥がして取るのが面倒なのだ。
 どこにでも生えていたその雑草を、猫爺が住む住宅地の周辺の叢で探してみたが見つからなかった。

 子供の頃によく捕まえて遊んでいた「ケラ」や「ハサミムシ」も、最近は全く見たことがない。見た目は恐そうに見える虫だが、ケラは噛みもしないし刺しもしない。しかし、力が強くて、掌で包み込んでも、子供の指なら抉じ開けて出てくる。その力の強い前足で土に穴を掘るのである。
 当時、こんなCMソングがあった。

   ゆうべミミズの鳴く声聞いた、あれはケラだよ、オケラだよ
   オケラなぜ鳴く、アンヨが寒い、……が無いから鳴くのだよ

 「ジー」抑揚のない虫の声が、土の中から聞こえてくるので、ミミズが鳴いていると思い込んでいたのを、このCMソングでケラだと知った。

 ハサミムシは、尻のハサミで挟まれると多少痛い。サソリのように尻をピンと上に向けて威嚇してくるが、毒が無いのでそのハサミをつまむと、難なく採れる。もっとも、捕まえても面白くもなんともない虫ではあるが…。

猫爺のエッセイ「うーん、これは美味い」

2015-09-18 | エッセイ
 猫爺は、テレビのバラエティー番組で、タレントが試食して《おいしい》と感想を言っているのを信じないことにしている。
 食べ物を口に入れたか入れないうちに、《うーん》と美味そうに声を発しているが、大概の物は最初口に入れたときは美味しく感じるものだ。二口、三口と食べていると、不味さを感じてくることもある。
 例えば、どこかの地方では、どこの家でも「芋餅」を食べているように番組で紹介していた。レシピは簡単そうだったので、猫爺も作ってみた。最初の一口は、「美味しいかな?」と思ったのだが、「うーん、これは…」などと声を発する程ではなく、二口三口で飽き飽きした。何個か作っていたが、もう二個目は食べる気がしなかった。猫爺の作り方が下手だった所為かもしれないが、そんなに難しいものではないので、大した違いはかった筈だ。

 料理の先生が「味の広がり」と言う表現していたら、某アイドルは食べてみて、すかさず「口の中で味が広がった」と感想を言っていた。物を食べたら、口の中いっぱいに味が広がるのは当然のことで、先生の「味の広がり」とは、そう言う意味ではなかったと思う。

 また、某六十歳を過ぎた漫画家は、某ドッキリ番組で故意に作った「不味い料理」を食べさせられて、「すごく美味しい」と感想を言っていたが、ドッキリと明かされると、「美味しいと言わないといけないと思った」と打ち明けた。猫爺は、それを見た所為で、タレントの感想が信じられなくなったのだ。

 類似したことで、大物タレントとやらがクイズの答えを間違えると、「最初からやりなおそう」と言う人が居る。その所為で大物タレントが難しいクイズにずばり正解したところで、「ははーん、やり直したな」と思う。或いは、「スタッフから答えを教えて貰っていたな」と思うだけで、決して「すげぇ」なんて思わない。

猫爺の連続小説「賢吉の捕物帳」 第一回 大川端殺人事件   (原稿用紙17枚)

2015-09-17 | 長編小説
 賢吉は当年とって十歳、北町奉行所与力長坂清心の手先として働く目明し長次の長男で、下に次男八歳と妹六歳がいる。賢吉は、度胸がよくて機転が利く。喧嘩には強いうえ、小さい子の面倒見がよく、近所の悪餓鬼が一目を置く存在である。
 賢吉の無二の親友と言えば、長坂清心の長男、長坂心太郎である。歳は賢吉と同じ十歳、町の道場に通い剣道を習っている。屋敷にあっては、専ら賢吉が練習台である。
   「やい、心太郎、痛ぇじゃねぇか、少しは手減しろよ」
   「済まん、済まん、お前と練習すると、つい力が入ってしまう」
 今日は、その練習風景を、賢吉の父親の長次が見ていた。
   「こら、賢吉、お坊ちゃまを呼び捨てにするとは何事だ」
   「心太郎も、俺のことを呼び捨てにしているじゃねぇか」
   「坊ちゃんはお侍のご子息だから、町人のお前を呼び捨てにしてもいいのだ、身分を弁えろ、わしらは、長坂さまから頂戴するお手当てで、おマンマを食っているのだぞ」
   「何でぇ、お手当てだけでは足りないと言っていたくせに」
   「こらっ、何てことを言うのだ、長坂さまに聞こえたらどうする」
 だが、しっかり聞かれていた。長坂清心が次の部屋で聞いたらしく、襖をすーっと開けた。
   「長次、お前ら父子で言い争う振りをして、手当てを上げろと匂わしているのか?」
   「いえ滅相な、決してそのようなことを匂わしておりません」
 ばつが悪くて赤面する長次に、心太郎が助け船を出した。
   「おじさん、子供に身分なんかどうでもいいのですよ」
   「それにしても、お父上の前では、そんな口を利くとは…」
   「ははは、父上の前でも、いつもこうですよ」
 心太郎は、平然と笑っている。心太郎の父清心も、笑って見ているのだそうだ。そこへ、心太郎の母上が縁側から声を掛けた。
   「心太郎、お茶が入りましたよ、お二人を茶の間にご案内しなさい」
 長次が茶の間へ入るのを遠慮した。
   「奥様、あっし等は、ここで頂戴します」
   「そーぉ、美味しいお萩がありますのよ、旦那様と一緒に茶の間で戴きましょうよ」

 甘いお萩が出されて、心太郎や、その妹、賢吉は大喜びでふざけていたが、長次は渋い顔であった。
   「長次、どうした、何を浮かぬ顔をしている」
   「いえね、倅ですが、身分を弁えずに、坊ちゃんたちとふざけまわって、あっしは肝が縮む思いでさぁ」
   「拙者は身分の高い旗本ではなく、一介の御家人だ。それも拙者の親父は、元は同心だった。手柄をたくさん立てたので、時のお目付けの推薦で騎馬与力の職を頂いたのだ」
   「お旗本でなくとも、乗馬も袴も許されたお侍です、われら庶民とは違います」
   「大人はそうかも知れぬが、子供たちにはただの友達同士だ、固いことを言うな」
   「へい、有難うごぜぇます」
そこへ、下っ引きの幹太が長次を呼びにきた。
   「親分、てぇへんです、殺しです」
   「そうかわかった、すぐ行こう、案内してくれ」
すっ飛んで行った父を追いかけて、賢吉も飛び出して行った。
   「あなたもお出掛けになりますか?」
 奥方が清心に訊いた。
   「あいつら、場所がどことも言わずに行ってしまいよった、まあ任せておくとしょう」

 死体が発見されたのは大川端で、建物もなにもない見晴らしの良いところだった。殺されたのは、呉服商成田屋銭衛門の店の番頭伊之助だそうである。番頭を知っている人の証言を訊いて、他の目明しが一っ走り成田屋に知らせに走った。
   「親父、これはよく切れる刀で、一刀の元に袈裟懸けで殺られているぜ」 
 長次は驚いた。長坂様のお屋敷に居る筈の賢吉が、いつのまにか追いかけてきて、一端(いっぱし)の目明し気取りで死体見分をしている。
   「何だ、お前いつの間に付いて来たのだ」
   「えへへ、親父じゃ頼りないからな」
   「この野郎、言わせておけば猪口才な、これが刀傷だという事ぐらい幹太でもわかるわい」
   「親分、幹太でもわかるとは何です、幹太でもわかるとは」幹太が怒った。
   「済まん、これは言葉の綾だ」
   「日頃から、幹太はアホだと思っているから出た言葉じゃないですか」
   「まあ、それは良いとして…」
   「良くないわ」
   「賢吉、おめぇ死体を見ても怖くはないのか」
   「怖くねぇ、何で死体が怖いのだ、何もしないではないか」
   「ふーん、幽霊にとり憑かれるぞ」
   「それが?」
 死体を見るのが怖いどころか、手で傷口に触れている。これには「ガキのくせして度胸がある」と、長次も驚いた。
   「親父、それだよ」
 成田屋の主人が殺られたのなら、もしかしたら商売仲間の恨みを買ったとも思えるのだが、殺られたのは番頭だ。
   「幽霊に刀で殺られたのか?」
   「親父、バカか、幽霊が刀で人を斬るのか」
   「親父に向かってバカとはなんだ」
   「それは良いとして…」
   「良くないわい」
   「番頭さんは、見てはいけない物を見てしまったのだ」
   「幽霊か?」
   「親父、ちと幽霊から離れられないのか」
   「済まん」

 番頭が殺されていたのは、大川端の道だ。あの河岸の近くには、川船が着く。もしやご禁制の品を抜け荷買いしている悪徳商人が、その積み下ろしの現場を見られたとか。または大奥の奥女中が、芝居の役者と逢引しているところを見られたとか。島抜けしてきた流罪人が、上陸するところを見られたなど。
   「お前なぁ、それは芝居の見過ぎだぞ、お父つぁんに内緒で芝居小屋に行っていたな」
   「そんなに小遣いをくれないではないか」

 辻斬りとも思い難い。旗本の殿様が名刀を手に入れて、どうしても人を斬りたかったのかも知れないが、旗本とて試し斬りはひとつ違えばお家断絶、その身は死罪となり、切腹さえ許されない。武士にとっては屈辱の極みである。
 それを、あのように見晴らしの良いところでやるだろうか。親父の言う通り、そんな芝居がかった動機ではないかも知れない。案外、番頭が奉公しているお店(たな)の中でのいざこざが高じた結果の犯行かも知れないと、賢吉はそう考えていた。

   「親父、俺、張り込んでみる」
   「どこを?」
   「呉服商成田屋を」
   「バカバカ、子供にそんなことをやらせたと長坂様に知れたら、十手取り上げだ」
   「十手なんか何だ、俺が作ってやるぜ」
   「お上の十手を勝手に作ったとなりゃぁ、手が後ろに回るぜ」
   「十手の話は、こちらに置いといて」
   「そんな処に置くな」

 翌日の昼下がり、賢吉は成田屋の店先で石蹴りをして独りで遊んでいると、店の戸が開いて中から丁稚と思しき子供が出て来たので、賢吉は声をかけた。
   「成田屋さんは、今日はお休みかい?」
   「うん、番頭さんが亡くなったので、殆どの人はお葬式に満福寺へ行った」
   「ご病気で亡くなったのかい?」
   「知らないのかい、殺されたのだ」
   「あ、昨日の騒ぎは、成田屋さんの番頭さんだったのか、たしか辻斬りに遭ったとか、恐いねぇ」
   「そうじゃないよ、店の誰かが浪人を雇って殺させたのさ」
   「番頭さん、誰かに恨まれていたのだねぇ」
   「それも違うよ、番頭さんは優しくいい人だった」
 この丁稚は、よく旦那様に叱られていたが、殺された番頭さんが庇ってくれていたという。
   「そんな良い人を、誰が殺したのだろう」
   「知らない」
   「そんなこと、子供に分かる訳はないよな」
   「うん、だけど旦那様と奥様の間に子供が居ないので、番頭さんは嫁を貰って夫婦養子になるところだった」
   「わぁ、番頭さん悔しかっただろうな、俺、気の毒で泣いてしまいそうだ」
   「おいら、年季が明けても、番頭さんの元で働こうと考えていたのだ」
 そのとき、店の中から呼ぶ声が聞こえて、丁稚は慌てて店の中に消えた。

 賢吉は家に帰って来た。借家ではあるが長屋ではない。オンボロながら一軒家である。
   「親父、ただいま…、ってまだ真っ昼間だ、居る訳ないか」
 腹が減ったので、朝の残りを弟と妹と共に掻っ込んで、プイッと飛び出した。父親がいる筈の番屋へ行く積りなのだ。

   「親父、居るかい」
 父親と同年輩の目明し、仙吉が番をしていた。
   「お前の父つぁんは、長坂様に呼ばれて北の奉行所へ行ったぞ」
   「おじさん有難う、奉行所へ行ってみる」
   「こら待て、奉行所は遊び場所ではないぞ、ここで待っていろ」
   「長坂様にも用があるのだ」
 仙吉が止めるのを無視して、賢吉は番屋を飛び出した。

 北町奉行所の門前で、門番に止められた。
   「こら待て、坊主また遊びに来たな」
   「遊びじゃないやい、長坂様と親父に用事だい」
 門番が「こらこら」と、止めるのを無視して、ちょこちょこっと入っていった。
   「親父いるかい?」
   「おお、長次の倅か、長次は裏の厩で、長坂さまと話をしている」
 長坂清心は与力で、与騎とも書き、馬にも乗れるのだ。数えるときは、一人二人ではなく、一騎、二騎である。
   「親父、ここだったのか」
   「こらっ、こんなところまで押しかけるとは恐れを知らぬガキだ、お牢に入れるぞ」
   「えっ、本当かい、入る、入る」
   「お前はバカか、お牢に駄菓子は売っていないのだぞ」
   「咎人が入れられるところだろ、一回入りたかったのだ」
   「お牢に入れば、かるくとも百叩きの刑、重いと市中引き回しのうえ磔獄門になる」
   「市中引き回しって言うのは、馬に乗って江戸の町を回るのだろ、乗りたい、乗りたい。
   「磔獄門はどうする?」
   「それは、親父に譲る」
   「お前は、長坂様の前で父親を弄(なぶ)っているのか」
 長坂清心が、父子の会話を呆れて聞いていたが、堪らずに口を挟んだ。
   「長次は、御役目の最中だぞ、遊ぶなら家に帰ってからにしろ」
   「あ、忘れていました、長坂様にお伝えしたいことがあったのです」
   「何だ、言ってみなさい」
   「殺された成田屋の番頭のことですが、もうすぐ成田屋の養子になると決まっていたらしい」
   「賢吉、それを誰から訊いた」
   「成田屋の丁稚です」
   「そんなことを喋ったのか?」
   「優しくて好きな番頭さんが殺されたので、子供の俺に愚痴を言いたかったのでしょう、子供同士だから」
   「よし、その線で調べさせよう」

 子供の言うことなのに、長坂清心はあっさりと信じたのには訳があった。これまで、賢吉が調べたことや、推理をしたことは大抵当たっていたので、長坂は目明しの長次が言うことよりも息子の賢吉が言うことを信じる傾向にあった。
   「事件は拙者たちに任せておいて、賢吉は我が屋敷に行ってくれないか、心太郎が賢吉に用があるそうだ」
   「わかりました、すぐにお屋敷へ行きます」
 賢吉は駆け出していった。

   「心太郎、心太郎は居るか」
 賢吉が叫んだので、奥方が出て来た。
   「何ですか騒がしい、心太郎なら今お勉強中です、勝手口から茶の間に回って待ってやってくださいな、お菓子がありますよ」
   「はーい」
 出されたのは京菓子の松露饅頭だった。甘いお菓子が大好きな賢吉の目は点になっていた。

 心太郎が勉強を終えて茶の間に入って来た。手には二本の木製十手と、木刀が握られている。
   「これは、父上が賢吉と私のために誂えた練習用の木製十手だ、私と捕縄術と十手術の形を練習しましょう」
 樫の木で作られていて、持つとずっしりと重い。それと、かなり使い込んだ古い木刀を一本手渡された。今までは心太郎と竹刀で練習していた剣道を、今日から木刀に持ち替えようというのだ。
   「わっ、嬉しい」
 賢吉は大喜びで木刀を撫でた。心太郎は、町の道場で習ったことや、父の清心に教わったことを、そのまま賢吉に教える。「人に教えることは、自分を磨く最良の鍛錬だ」とは、父長坂清心の言葉である。心太郎は、それを実行しているのだ。早速庭に出て、心太郎と賢吉の鍛錬が始まった。

   「もうすぐ日が暮れますよ、お重に煮物と小魚の佃煮を入れておきました、皆さんで召し上がりなさいな」

 食事の支度は、賢吉の役目である。今夜は飯を炊き、大根の味噌汁とお新香を切っておくだけで済んだ。
   「親父、お帰り、事件はどうなった?」
   「お前の言うとおり、浪人を雇って番頭を殺させたのは、成田屋銭衛門の甥、弥助だった」
 弥助は、銭衛門に跡継ぎが居ないので、自分が跡目を継ぐものとばかり思っていたのに、番頭の伊之助を養子にして跡目を相続させると聞き、逆上して犯行を企てたものらしい。
   「長坂様が褒めていたぞ」
   「褒美はないのかい?」
   「木製十手と木刀が褒美らしい」


「賢吉の捕物帳」第一回 大川端殺人事件(終) -次回に続く-   

   「第二回 お家騒動」へ

猫爺の短編小説「お松の子守唄」   (原稿用紙30枚)

2015-09-13 | 短編小説
   「姉ちゃん、行くな」
 小さなお寺の墓地の隅に、丸太の一面だけを平らに削って墓標にし、「俗名、お菊」と書かれた墓があった。その前で合掌している少年と、少女の二人が居る。
   「そうはいかないの、弦太は男の子でしょ、お父っつぁんを護ってあげて」
 弦太と呼ばれた少年は、「うん」と、返事をしようとするが声にはならず、黙って頷いた。だが、それまで堪えていた悲しみが込み上げてきてしゃくり上げはじめ、やがて慟哭した。
 少女は、お松十三歳、弦太は九歳、貧しい農家の生まれで、仲の良い姉弟であった。
   「行けば、もう帰れないのか?」
 弦太がしゃくり上げながら訊いた。
   「そんなことはないの、十二年経てばきっと帰ることが出来るわ」
 お松は十両で売られて、十二年の年季奉公に出るのだ。
   「おいらを連れて、逃げてくれよ、おいら、どんな辛抱もする」
   「それは出来ないの、おっかさんが病気になって、お医者に診てもらうために借金をしたのだけど、それを返すあてがなく、姉ちゃんが奉公に出ることになったのよ」
 弦太は納得しなかった。
   「だっておっかさん、死んじゃったじゃないか」
   「それでもねぇ、何もしてやれずに死なせてしまうよりも、出来る限りのことをして送ってあげたのだから、私もお父つぁんも悔いが残らないわ」

 お松は、もう一度お墓に掌を合わせた。
「おっかさん、行って参ります、暫くのお別れですね」
 泣き止んでいた弦太が、再び大声で泣いた。

 翌朝早く、父の弥平と娘のお松は旅立った。「おいらも行く」と、泣き叫ぶ弦太を隣人の男に預けて、弥平とお松は一度も振り返ることなく、峠の道に消えて行った。それが、弦太が見た最後のお松の姿だった。

   「お松、済まない、お父つぁんが不甲斐ないばかりに、お前に苦労をかける」
   「私は大丈夫だよ、どんなに辛くても耐えてみせます」
 そう言ったものの、お松の胸は不安で圧し潰されそうであった。故郷美濃の国、御嶽村を出て、二人は近江の国に向かって黙って歩いていたが、突然、弥平が独り言のようにぽつりと呟いた。
   「十二年か、長いなぁ」
 その頃には、お松は二十五歳になっているのだ。まだ若いとは言え、当時では婚期を逸しているのだ。
   「お父つぁん、それまで元気で居てね」
   「弦太が二十一歳だ、頼もしい男になっているだろう」
   「もう、お嫁さんを貰っているかな」
 お松は、父に心配をかけまいと、無理に明るく振舞っている。


 着いたところは近江商人の町で、中でも可成りの大店である上総屋(かずさ)という米問屋であった。
   「私は女将のお豊です、この娘かいな、なかなか素直そうな娘じゃないか」
   「父親の弥平でございます、田舎者の娘ですが、どうぞ宜しくお願いいたします」
   「お松さんには、赤子の世話をしてもらいます、何、心配しなくても母親が付いていますので、その言い付け通りに働いて貰えば宜しいのです」
 女将は、お松の見ているところで、十両の金を弥平に渡した。
   「十両でおましたな、それではこの証文に印鑑を押してもらいます、判子は持ってきていますか」
   「へい、村長に届けた判子を持ってきました」
   「ああ、そうか、それならここへ」
 女将が差し出した証文と、黒肉(こくにく)を受け取り、印鑑を押して差し出した。この瞬間から、お松の体はお松の物ではなくなった。
   「もし、お松が働けなくなったら、代わりの者に来てもらいます、兄弟はいますのか」
   「はい、九歳の弟が一人」
   「さよか、ほんならそのへんのところ、宜しく頼みます」
 女将は、お松が年季の最中に身投げでもしたら、残りの年数を兄弟に働いて貰うと言っているのだ。弥平は、何かしら不吉なものを感じた。このまま、お松を連れて帰りたい衝動に駆られたが、仕方がなく承諾した。

   「お父つぁん、さよなら」
 お松は店の外で手を振って弥平を見送っていたが、女将に手を引っ張られて店の中に消えた。その様子を振り返って見ていた弥平は唖然とした。拳で涙を拭いながら、思い切ったように故郷へ帰って行った。

 お松の仕事は、子守りだけではなかった。飯炊き、掃除、洗濯、風呂焚き、などの手伝いと使い走りなど、中でもオムツの洗濯はお松に任されて、目の回るような忙しさであった。
   「坊ちゃん、お願いだから泣かないで」
 火のついたように泣き叫ぶ赤ん坊の口を塞ぐ訳にもいかず、おろおろするばかりのお松のところへ、赤ん坊の母親が飛んできた。
   「これはお腹がすいているのよ、お乳を飲ませるからこっちにお寄越し」
 母親は、赤ん坊にお乳を飲ませながら、赤ん坊の背中を覗いて驚いた。お松に任せるまでは無かった汗疹(あせも)が出来ているのだ。
 乳を飲ませた後、赤ん坊を裸にしてみると、股間はおむつ気触(かぶ)れで真っ赤である。母親は女将に見せに行った。
 女将は、血相を変えて飛んできて、行き成りお松の頬を平手打ちした。お松はぶっ飛んで土間に倒れたが、慌てて起き上がり、手をついて謝った。
   「すみません、他の仕事が忙しかったもので、気が付きませんでした」
 この言葉が、女将を更に怒らせてしまった。
   「奉公人の分際で、口答えをするな」
 こんどは往復ビンタを喰った。
   「他の仕事が忙しかっただと、それじゃまるで扱き使ってようじゃないか」
 再びひっくり返ったお松の横腹を、力任せに蹴っ飛ばされ、一瞬息ができなくなって、目を白黒させてもがいた。
 物音を聞いて飛んできた番頭に、女将が言い付けた。
   「今夜、お松は食事抜きや、物置蔵に放り込んできておくれ」

 真っ暗闇の蔵の中で、お松は「死んでしまいたい」と、独り言を呟いた。仕事はきついし、赤ん坊はしょっちゅう泣く。その度にお松が叱られているのだ。顔を拳で殴って傷をつけると世間体が悪いと言って、使用人のまえで裸にさせられて竹の物差しで背中を叩かれる。痛みよりも、恥ずかしいうえに男連中の目が怖いのだ。お松にはまだよくは分からないものの、ギタギタした視線がお松の裸姿を嘗め回している。何時かあの目が自分を襲ってくるような気がして、ブルッと身震いをするのだった。

 その日は、すぐにやってきた。真夜中にお松が入れられた蔵の扉がソーッと開かれて、男が入ってきたのだ。
   「しーっ、静かに」
   「誰?」
   「女将さんが寝てしまったので出してやる」
 男は番頭だった。明日、一緒に詫びてやると言うのだ。お松が気を許した時だった。番頭はお松に近付き抱き寄せた。
   「音を立てたら、人がとんでくる」
 大きな左掌で、お松の口を塞がれてしまった。
   「わしは子供好きなのじゃ、大人しくしていたらお前の味方になってやる」
 お松は、大蛇に巻き付かれたように身動きが取れなくなった。番頭の右手は、ゆっくりとお松の帯を解きはじめた。
 次の瞬間、股間に痛みが走り、そのうちお松は気を失ってしまった。翌朝、目が覚めたが、やはり蔵の中であった。番頭は、自分の欲望を満たしたあと、お松を蔵に残したまま、出て行ったようだ。

 お松は、明るくなった蔵を見回していた。年季が明けても、もう嫁にはいけないと、蔵の梁に自分の帯を掛けて、首を括ろうと思ったのだ。そのとき、故郷の弦太のあどけない顔が浮かんだ。
   「お姉ちゃん、行くな」
 昼になっても、蔵の扉は開かなかった。
   「何これしき、自分はこんなことで挫けるものか」
 弦太を、こんなところに連れてこられてたまるものか。弦太を護るためなら、何だってできる。そう考えると、もりもりと勇気が湧いてくる。その代り、お腹が空いてきた。

 午後になって、ようやく番頭が入って来た。昨夜のことなど忘れてしまったかのように平然としている。
   「女将さんが許してくれた、早う出てきて謝ってきなさい」
 お松は、黙って従った。
 
 苦しく悲しい年月が流れ、お松は十六歳になっていた。坊ちゃんは目が離せない三歳である。素早く歩けるようになってきたが、すぐにこける。怪我でもしたら、お松はどんな仕置きをされるか分からない。薄氷を踏むような毎日であった。

 深夜には、お松が寝ている布団部屋に、毎夜のように使用人の男が忍んでくる。それは、まるで順番を決めているように順序正しく、二人の男が鉢合せをすることがなかった。
 お松は、ただ黙って、男たちのなすがままになっていた。そんな時、弟弦太が自分に甘えてくるのを思い浮かべていたが、弦太を汚しているような気になるのでやめた。ただ無感情に嵐が去るのを待つばかりであった。

 そんなある日、お松は飯を炊いていて、急に吐き気を覚えて厠に走り込んだ。年増の女中がそれを見て、悪阻(つわり)に違いないと女将に言い付けた。
   「男は誰や、言うてみい、まさか倅の安吉やなかろうな」
   「わかりません」
   「お前を胎ました男がわからないのか」
 無理もないことである。大旦那と、最近来た丁稚二人の他の男は、みんなその可能性があるのだ。女将も、その意味が分かったようである。
 年増の女中を呼び、こっそりと取り上げ婆のところへお松を連れて行くように言い付けた。
   「世間体が悪いので、くれぐれも内密にな」

   「前回、月の物が有ったのはいつ頃じゃ」
   「はい、先々月のおわり頃です」
 お松が蚊の鳴くような声で答えた。恥ずかしくて消え入りそうなのである。頑固そうな老婆は、お松の体を撫でまわした。挙句は、股を開かせて指を差し込んだりもした。お松は恥ずかしさを通り越して、気が遠退くようであった。
   「はっきりしたことはまだ分からぬが、ややこが出来たようじゃな」
 お松は、何が起きたのか事態が呑み込めず、呆然としていた。
   「奥さんと相談して、また二十日後に来なさい」
 老婆は、お松の様子を女中から聞いて、知っているようであった。

 女将は、先に女中から聞いたようで、いきなり平手打ちをされた。
   「小娘のくせに、何とふしだらな女だ」
 お松はただ謝るしかなかった。「男たちが悪い」とでも言おうものなら、「口答えをするな」「言い訳をするな」と、また叩かれるだけだと言うことは分かっていたからだ。
   「奥様、どうかお腹の赤ん坊の命を助けてください」
   「年季奉公の小娘が、父親のわからない子を生むなど、許されることではない」
 二十日後に取り上げ婆のところへ行き、子を孕んでいるとわかれば、何が何でも下ろして貰えと、取り付く島もない。
   「こっそりと育てます、どうか赤ん坊の命を取らないでください」
   「馬鹿なことを言うのではない、世間に知れたらうちのお店は物笑いの種だす」
 その日から、お松は念仏のように「赤子の命をとらないで」と、ぶつぶつ呟くようになった。

 二十日後、年増の女中に連れられて取り上げ婆に診てもらうと、やはり妊娠だと言われた。帰りぎわ、女中は老婆から何やら薬のような物を受け取って金を払っていたが、お松にはそれが何か分からなかった。

 夕食のあと、女将は薬包みを一包お松の掌に乗せた。
   「これは、お松のお腹の赤ちゃんを元気にする薬だよ」
 女将から一包の薬を見せられて、お松は喜んだ。
   「それでは、赤ん坊を生んでもいいのですか」
   「いいとも、お生みよ、そのかわり仕事もきっちりやるのだよ」
 この時は、恐い女将の顔が、優しい母親のように見えた。
   「今、お水を持ってきてあげますから、残さず飲みなさいね」
   「はい、有難う御座います」

 お松は、少し変な臭いがするこの薬を、水で一気に飲み込んだ。これは、赤ん坊を元気にする薬ではなく、「中條流の早流し」という堕胎薬であった。これには、劇薬が入っており、うまく堕胎しても心身に後遺症が残ったり、酷い場合は死に至ることもある。

 薬を飲んだ後、お松は床に就き、次第に弱っていった。
   「赤ちゃん、元気に生まれるでしょうか」
 部屋に入ってくる人に、必ず尋ねるようになり、やがてそれが譫言となり、床に就てから七日目に、お松は息を引き取った。たった十五年余の、短い人生であった。

 お松の父と弟が待つ故郷へ、使いの者が出され、「お松が病死した」と伝えられた。父の弥平と、弟の弦太が訪れたのはお松の死後五日経ってからで、その時、お松の遺体は既に埋葬された後であった。父子が案内されたのは思いも寄らない「投げ込み寺」であった。投げ込み寺は、無縁仏を葬る照石寺である。
   「なんと酷いことを…」
 父子は嘆いた。弟の弦太は、拳を固めて涙を拭いながら呟いた。
   「姉ちゃん、きっといつか美濃の御嶽村につれて帰り、おいらが墓を立ててやるからな」

 父弥平は御嶽へ戻っていったが、弦太は戻ることが出来なかった。お松の年季が後九年も残っているからだ。
   「お松がもし働けなくなったら、弟に奉公してもらう」
と、女将に念を押されていたのだ。
   「お父つぁん、俺が居なくなっても、元気に居てくれよ」
 父子の別れ際、弦太は明るく手を振った。だが、九年は長い。弦太は自分のことよりも、父親が心配でならなかった。

 弦太は年下の丁稚の下で、十二歳の丁稚として働き始めた。弦太は山里生まれの貧乏農家に育った割には、気が利くし、思い遣りがある。人の嫌がる汚い仕事も自ら引き受けてテキパキと働く、そのうえ記憶力が優れていて、言い付けられたことを正確に果たす。店では重宝がられて、だんだんと店に馴染んでいった。
 弦太の他に、ふたりの丁稚が居たが、すぐに兄貴的な立場になっていた。弦太は、そのうちの一人、千太という好奇心の強い丁稚と仲良くなっていった。
 千太は、弦太と二人きりになると、実家の父母や兄弟の話をよくする。弦太は聞き上手なので、本当は興味のないことでも親身になって聞き、まじめに相槌を打ち感想を伝える。千太にとっては仕事の辛さも、叱られた悲しみも、弦太が半分引き受けてくれる兄貴であった。
 ある日、弦太は何気なく千太に訊いた。
   「おいらの姉ちゃん、なんで病気になったのだろう」
 千太は驚いた。
   「病気? 弦太は病気だと聞いているの」
   「うん、突然倒れて、何日か後に息を引き取ったのだろう」
   「違うよ、取り上げ婆から買った、お腹の子を下す薬をのまされたのだよ」
 弦太は「姉の死には、何かある」と、疑っていたのだが、こんなに早く「謎」に近づけたのは、姉お松の導きがあったのだと感じた。
   「姉が好きになった男は、どんな人だったのかなぁ、きっと優しい男だったのだろう」
   「一人じゃないよ、この店の大人の男みんなに弄ばれたのだ」
   「千太は子供なのに、よくそんな弄ばれたなんて言葉知っているのだね」
   「女中たちがそう言っていたのだ」
   「へぇー、大旦那様や、旦那様もかい?」
   「大旦那様は知らないけれど、旦那様が一番いやらしいのだって」
 女たちの陰口を、千太は聞いていたらしい。それっきり、弦太は姉のことを口にしなくなった。いつも通りの朗らかな弦太の笑顔が、店中を和やかにしていた。

 女将のお豊が、千太を呼び寄せた。
   「千太、ちょっと使いに行っておくれ」
   「へい、どちらまで?」
   「町はずれのお稲荷さんにお参りをして、新米をお供えしてくるだけだよ」
   「えー、こんな夕方になってからですか?」
   「嫌なのか?」
   「だって、帰りは薄暗くなってしまう」
   「主人の言い付けが聞けないのか」
   「だって、あそこは狐の神社でしょ」
   「神社の狐は神様のお使いだよ、そこらの性悪狐と違う」
   「怖いなぁ」
 弦太が二人の話を聞いていたので、自分が行くと名乗り出た。
   「お米は重いので、千太には無理ですよ」
   「弦太が行ってくれるのかい、それなら行ってきておくれ」
 米は、四升(6kg)、それを担いで町はずれまで行くのは、やはり子供には重過ぎると思った。だが、弦太は小さい頃から重い物を運んでいたので、苦にはならなかった。
   「弦太ありがとう」
   「何、いいのだ、嫌なことを押し付けられた時は、おいらに言いな」
 弦太は、姉のことを知らせてくれたお礼の積りなのだ。

 帰り道は日が暮れていたが、「いい機会だ」と、少し遠回りして「取り上げ婆」のところに挨拶にいった。床下に物入れがあるらしく、丁度それを閉めるところだった。
   「そう、あのお松ちゃんの弟かい、お姉ちゃんは気の毒なことをしたねぇ」
 自分が毒の入った薬を売りつけて姉を死に至らしめたくせに、他人ごとのように言うこの婆に弦太は腹を立てたが、そんな腹の内を覗かせずに、弦太は頭を下げた。
   「姉が生前にお世話になりました」
   「お腹のややこの父親は、名乗り出もしないで薄情な男だねぇ」
   「もう、済んだことですから、今更何も言うつもりはありません」
 弦太は、老婆に反省の色がないことを確かめるだけで良かった。帰る時間が少し遅くなったので、女将に文句を言われるかなと思いながら、帰途を急いだ。

 途中で、路端に蹲っている女を見つけた。
   「ははぁん、以前、番頭さんが遭ったという騙りだな、ばーか、その手に乗るものか」
 通り過ぎたが、女は顔を上げない。
   「どうせ、おいらは一文なしだ、話を訊いてやるか」
 弦太は後戻りした。
   「おばさん、どうかしましたか?」
 弦太は女の首筋を見て、「これは騙りではないぞ」と思った。冷や汗が出ていたのだ。駕籠を呼んできてやろうと思ったが、この辺りは滅多に駕籠が通ることはない。何だか危急感を覚えて、医者のところまで背負って行ってやろうと思った。
 案の定、女はぐったりとして、まるで死人を担いでいるように重かった。漸く「医者」の看板を見つけて、弦太は飛び込んだが、女の息は弱弱しかった。
   「お母さんは、助かるかどうか分からないが、できるだけの手当てをしてやろう」
   「いえ、おっかさんじゃないのです、道に蹲っているのを見つけてお連れしたのです」
   「そうだったか、身なりは商人の奥方のようじゃが、お伴も連れずに、どこのお方だろう」
 弦太は、自分が上総屋の丁稚であることを告げ、使いの帰り道で「遅くなると叱られる」と、帰らせてもらうことにした。

   「どこかへ寄り道していたのやろ」
 弦太は、女将こっ酷く叱られた。どうせ途中の出来事を話しても「言い訳」と、とられて更に叱られるだろうと、口を噤んだ。

 それから十日ほど経ったある日、上総屋に男女が訪ねてきた。女は、商人の奥方、男はその店の番頭であろうか、女を「女将さん」と呼んで労わっていた。女将を乗せて来た駕籠屋を待たせて、上総屋の店に入ってきた。
   「お忙しい刻に、お邪魔を致します」
   「はい、何方様で御座いましょうか」
 偶々、店先に居た上総屋の女将、お豊が応対した。
   「先日、こちらの丁稚さんに、危うく命を落しかねないところを救って頂きました」
   「おや、そうだすか、丁稚は三人おりますが、さて誰ですやろか」
   「十四、五の、体ががっしりとしたお人でした」
   「わかりました、それは弦太ですわ」
 お豊は、近くに居た店の衆を呼び「弦太を呼んできなさい」と、言い付けた。
   「日高屋の女将、雪乃と申します、こちらは番頭の仁助で御座います」
   「そんなことが有りましたか、弦太が何も言わないもので、存じませんでした」
   「実家の母が倒れたとの知らせに、一人で出かけて行った帰り道に、胸の辺りが急に痛みだして路端に蹲っているところを助けて戴いたのです」
   「まあ、ご実家のお母様はどうされましたか?」
   「母ったら、わたくしに会いたいばかりに、仮病を使っていたのですよ」
   「仮病でしたか、それは宜しかったではありませんか」
 女将同士が、そんな話をしているところに、弦太が現れた。
   「あ、おばさん、もう大丈夫なのですか?」
 お豊が「これ、おばさんとは失礼でしょう」と、窘めた。
   「はい、あなたのご親切のお蔭で、これこの通り」
   「それは、宜しゅうございました、案じていたのですよ」
   「有難う御座います、さすがは上総屋さまの丁稚さんです、よく躾が行き届いて、なんとお優しいこと」
 お豊は、鼻高々であった。
   「これは、ほんのお礼のしるし、皆さんで召し上がってくださいませ」
 日高屋の女将は、帰って行った。お礼の包みを開けてみると、丸い形の金鍔だった。
   「まあ、命を助けて貰ったお礼が金鍔かい、日高屋さんのドケチなこと」
 お豊は鼻で嘲笑したが、弦太は腹の中で「お前よりマシだ」と思っていた。


 それから十年の年月が流れた。弦太は、真面目によく働き、店にはなくてはならない存在になっていたが、二十一歳になっても手代の身分であった。
 これからは給金も払うので、店で働いてくれと言う旦那様に、親父が心配なので故郷の美濃国御嶽村へ帰ると断った。やっと自由の身になれた弦太は、投げ込み寺へ行き住職に頼み込み、姉お松の遺骨を掘り起こし、背負い行李に納めて国へ向かった。

 父は、亡くなっていたが、父の遺骨は村人たちが墓地に手厚く葬ってくれていた。その傍に、お松の遺骨を埋葬し、弦太は、はじめて肩の荷を下ろした気がしていた。


 それからの弦太の消息はぷっつりと途絶えた。五年経っても村へ帰って来たことは一度も無く、村人の噂もすっかり消えたころ、近江の国では大店を狙った強盗団が出没していた。
 弦太が奉公していた上総屋も、押し込み強盗に入られ、女将と使用人の男が何人か殺害された。
 不思議なことに、大店でもない「取り上げ婆」の家にも押し込み強盗が入っていた。婆は命こそ取られなかったが、婆がコツコツ貯めていた銭を、床下に隠していた壺ごと盗まれた。
 婆は、落胆のために床に就き、やがて息を引き取った。

 その後、江戸に於いて盗賊団が出没した。やがて盗賊団の全てがお縄になり、市中引き回しのうえ、磔獄門となったが、その後、信濃の善光寺にお参りしている弦太を見かけたという噂が御嶽村に流れた。

 ある日、村の墓地のお菊、弥平、お松の墓に、誰の仕業か、菊の花が供えてあるのを村人が見つけた。
   「弦太が帰って来たのだ」
そんな噂が流れたが、姿を見たものは居なかった。  (終)

猫爺のエッセイ「地獄はどこにある」

2015-09-07 | エッセイ
 浄土や地獄はどこにあるか。webを旅するとそんな論争していた。阿弥陀如来の浄土は「西方十万億土」の彼方にあるという。これは、距離も時間も関係ない。昔の(今も)信者を納得させるために考えられた「ただ遠い」という観念である。浄土の種類は、宗教の数だけある。「天国」も、その一つだ。
 西方と言っても、宇宙に方位は無い。方位とは相対的な位置で、この西方は動かない大地を起点にして西方と言っているのだ。
 考えるに「西方十万億土」とは、随分遠いところのようだが、年に一度お盆に、成仏した霊が浄土から帰ってきて、盆が終われば帰っていくのだそうであるから、結構近くなのかも知れない。そのうち天体望遠鏡で発見されて、浄土の風景や風情がテレビに映し出される時代が来るだろう。なにしろ、地球が存在する銀河系宇宙の他のアンドロメダ銀河のような宇宙が、何十も確認されているそうであるから。

 では、地獄はどこにあるのだろう。Webで拾った情報では、地中の奥深くだそうである。いわゆるマントルの真っただ中。こんなところに大炎熱地獄や、その反対の寒地獄があるというのか?

 浄土の雄大さと違って、地獄の存在するところが、あまりにもチッポケすぎる。地球は銀河系宇宙の端っこにある小さな太陽系の中に存在するこれまた微小な惑星である。

 神が創り給うた「天地」という概念がある。天は宇宙、地は地球。あまりにもチグハグな対比だと思うが、それは何故か。人間を中心としているからである。それも、「地球は丸い」と提唱すれば弾圧を受けた時代の概念である。
 地は平らかで、何処までも続くものだと考えたら、「天地創造」も、「天国と地獄」も納得できる。
 では何故神話などが人間中心とされているのか。それは当然のことで、人間が創ったからである。神も、仏も、天国や浄土、地獄も、人間がその空想から生み出したものである。

 地獄は存在するか否か。それを論争するのは、あまりにも低次元である。有るか無いか結論が出たところで無意味である。それは人間の心の中にあるものだからだ。

 「地獄は、現世の何処にでもある」 こんな意見を出した人が居たが、この考えは人間の苦しみを地獄に比喩したもので、論外である。受験地獄や、恋愛地獄、そして蟻地獄などがそれである。

   (猫爺の寝言集より抜粋)