雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の才能なし川柳「ひとしずく」

2016-11-29 | 日記
   ◇北風や クシャミで零す ひとしずく

   「温かいところから、北風の吹く外へ出て、思わずクシャミをしたという句だね」
   「そうです」
   「そうしたら、涙がひとしずく零れて落ちたのか?」
   「いや違う」
   「汚いなァ、鼻水か?」
   「いやいや、もっと下」
   「げっ、この糞爺、あっちへ行け、しっ、しっ」

   ◇じゃんけんぽん 朝のトイレで 最初はグー

   「誰とじゃんけんしたのや?」
   「便器」
   「縮み過ぎじゃ」
   「年寄りじゃけんのう」

   ◇雨上がり また生き返る 鳩の糞

   「屋外に手摺を設置してくださるお役所さま、爺の手は鳩の糞だらけですじゃ」
   「自分で手摺を磨いてから使え」
   「なっとく」

 (/・ω・)/

 今日も食材の買い物に行ってきた。あの高騰していた野菜か、もとの値段にもどっていた。天候不順で生産が減ったものが、この短いスパンで戻るものなのだろうか。値上げをしても、生産者の助けになるのならいいのだが、流通のどの段階かで、値段の操作をしているのでは? とは、疑り深く騙されやすい爺のヒガミかな?

猫爺の日記「夕餉2」

2016-11-25 | 日記
 今夜は、フランクフルト・ソーセージ及びチキンもも肉のバジル・ソテーと、値下がりしていた春菊のお浸し、大根の味噌汁。これで一応「一汁三菜」とした。じゃがいもが安くて、大きな袋入りを買ったので、電子レンジで調理したものを潰してマヨネーズで和えて一品加えた。

 フライパンが冷たいうちに油を引いて、塩胡椒したチキンを皮目を下にして入れ、炎の先がフライパンの底に届く少し手前の「中火」でゆっくり焼けというテレビの教えに従った。最初からバジルを振ると、マックロケのゴミのようになるので、焼きあがってから振り込み、火を止め蓋をして蒸らした。
 安い輸入肉だったが、結構美味かった。猫爺が焼いたにしては上出来だったと思っている。

   (/・ω・)/

 今夜は録画しておいたプレバトを見た。松ちゃんの慇懃無礼さと、俳句の夏ちゃん先生の毒舌が楽しい。うっかりすると俳句の勉強をするつもりが終始大笑いをして、気が付けば終わっていたということもある。録画しておくと、何度でも見ることが出来るので、テレビにHDDを付けておくと便利この上ない。

 他にHDDの効用としては、昼間ローカルテレビの再放送ドラマなど見ていると、やれスッポンだの、黒酢だの、大蒜だのと大袈裟に効能を並べる煩いサプリのCMに悩まされる。ドラマの中身よりCMの時間の方が長いくらいだ。こんな時、録画だとCMを飛ばすことが出来る。サプリに効能は禁止の筈だが、「個人の感想です」と小さな字で注意書きを入れると合法になるのだから法律なんかジャジャ漏れの笊もいいところだ。


   (/・ω・)/

   ◇柿ひとつ 採り残してや 藁の屋根◇…①
   ◇空青く 採り残したる 柿ひとつ◇…②

 「採り残したる 柿ひとつ」の入る俳人の句をネット検索してみたが見付けることが出来なかった。気になるので自分で足してみた。農家の庭に植えられている柿の木に、実がひとつ残されている。視線を横にパンしたのが①の句で、空から下に向かってティルトしたものが②である。

 俳句で柿を詠だもので有名なのは、正岡子規の…

   ◇柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺◇

 くらいしか思い出せないが、この句は夏目漱石が、俳句の師(?)である子規に送って見て貰った…

   ◇鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺

 …が元になっているようである。漱石の句が平凡であることから、夏ちゃん先生のように子規が全面手直しして出来たのが「柿食へば」の句ではないだろうか。と、関係ないことだが、ちょっくら猫爺の想像を付け加えてみた。

 
   
  

 

猫爺の日記「夕餉」

2016-11-24 | 日記
 当方のブログに、よく訪れてくださる方のブログで、木の葉が散った枯れ枝に柿の実が一つ残っている写真を拝見した。このとき、ある有名人の俳句が頭に浮かんだのだが、上の五文字がどうしても思い出せない。

   ◇××××× 採り残したる 柿一つ◇

 こうして、実をひとつ残しておくのは、「木まもり」と言って昔からの風習なのだが、この句を作った俳人の名も思い出せない。考え込んでいると、こんな句があったのかどうかも怪しくなってきた。歳の所為かな?

   (/・ω・)/

 今日、食材の買い物に行って来た。野菜が僅かに値下がりしていたが、なんと鮮魚類がかなり安かった。これは正月用を仕込むために古いものを処分しているのかな? なんて考えながら、赤鰈と特大のブラックタイガー海老を買って来た。赤鰈は煮付けにして今夜のおかずにしたが、大きな卵が入っていて旨かった。

   (/・ω・)/

 テレビで「安物の食パンを、一斤500円もするホテルの食パンなみに美味しする方法」というのを見た。受け皿に水を入れるタイプの「ガス魚焼きグリル」で焼くだけのことだったので、態と一番安い一斤58円の五枚切食パンを買ってきてやってみた。
 が、一枚目に焼いたパンは、片面真っ黒け。片面一分、ひっくり返して30秒というのを、猫爺がテレビのクイズ番組に夢中になっていて時間を忘れてしまったのが悪かったのだ。
 二枚目はきっちり測って焼いた。なるほど本当に美味かった。これは試してみる価値はある。面倒臭いのを我慢すれば、なにも塗らずとも美味い食パンが食える。

   (/・ω・)/

 最近、面白い遊びを見付け、そちらに感けて創作が疎かになっている。本当は小説をアップするためのブログにしたのだが、過去の記事を検索してくださる数が増えて、この日記のような「クソ記事」でも、訪れてくださるようになったのに、爺が甘えているようだ。今暫し、このブログが廃らないように頑張ろう(別に頑張っている訳ではないが‥)と反省することしきり。

   (/・ω・)/ あ、もう書くこと無かった。

 

猫爺の才能なし俳句「鈴懸の散歩道」

2016-11-21 | 日記
   ◇鈴懸の 枯れ葉カラコロ 吾を抜く◇

 鈴懸の大きな枯れ葉が、遊歩道をノロノロ歩く爺を追い抜いてゆく。追い風が吹いているのだ。それもこの季節のこと、空っ風である。首を竦めて枯れ葉を見送る爺。

   ◇黄落葉 文庫に挟む 遊歩道◇

 見事な金色の銀杏の葉。腰を屈めて一枚頂戴し、文庫本に挟んだ。

   ◇驚きて 飛び立つ鳩や 羽毛風◇

 鳩も可愛いのだが、公園で遊ぶ幼児が喘息にならないかと心配になる。とうの昔に子育てを終えたであろう子育てのベテランが、立て看板の「鳩に餌を与えないでください」を無視して、米か何かを撒き与えている。

  (/・ω・)/

 野菜が高騰している。葉物は高いが牛蒡や茸類や芋類は安い。どうしても欲しいキャベツは、いつもなら捨てる一番外の固い葉っぱも、塩茹でして食べている。健気でしょ。

猫爺の才能なし俳句「雨と烏と王子さま」

2016-11-14 | 日記
   ◇氷雨降る 屋根で羽抜く 老い烏◇

 多分、折れた羽が邪魔になって抜いているのだろう。喧嘩でもしたのか、随分羽が乱れている。公園の盛り土芝生に立ってデジ袋を下げた爺が眺めているのだが、気にするでもなく無心に羽繕いをしている。

   ◇小雨やみ 落葉踏む音 医者通い◇

 わざと落葉の積もったところを歩いて、ギュッギュッという音を楽しんでいる爺。わざと水溜りに入って面白がっている三歳児のごとく。

   ◇柳落葉 花の緞通 往く王子◇

 柳の下を歩くと、やや白い落葉が花弁のように見えた。花の緞通の上を歩く王子さまになったつもりで威張って歩いた。随分汚い、ヨボヨボの王子さまである。


 (/・ω・)/おいといて

 あさりのおみおつけを飲んだ訳でもないのに、白い砂粒のようなものを噛んだ。あ、「また歯が欠けた」予約をとって歯医者に行くと、やはり歯が少し欠けた。「あ~あ、また歯に被せをされる。被せと言っても、昔のような金属の被せではなく、横の歯と同じ色の義歯被せである。
 時代劇の悪役が大口を開けて笑うと、金や銀色の被せがズラリと見えたりすることがある。なんだかしらけるのだが、役者さんも監督さんも、一向気にしていないようだ。そんな小さなことが気になってしまう杉下右京‥‥、あ、違った「猫爺」である。

 関係ないけど、くら寿司の「あさりの赤だし味噌汁」、美味いぞ。ときどき石を噛んで泣くけれど。

 

  

猫爺の才能なし俳句「木枯らし」

2016-11-05 | 日記
   ◇木枯らしや 野外舞台で 舞う落葉

 木枯らし吹いて、屋外ステージで踊るかのように転がる落葉を見て一句ひねった。よく考えてみると、この句、「才能なし」以下で、俳句になっていない。みっともないことに季語が2つあるのだ。そこで次のように修正してみた。

   ◇落葉舞う ビルの谷間の 晴れ舞台

 これでようやく「才能なし」級に昇格したかな?

   ◇クリスマス 遠きに並木 はや聖樹◇ 

 クリスマスが近付くと、木の葉が散った木々はLEDを鈴生りにつけられる。熱くはないだろうが、樹々たちが「俺は生きているのだぞ」と、抗議しているように思えて仕方がない。

   ◇木枯らしや ビルの谷間を 暴れ竜

 歳を取ると、そう感じるものである。

   ◇木枯らしや 霜焼け指と また格闘

 気を付けていても、また今季も霜焼けに悩まされる。どうやら、小生の霜焼けは遺伝のようである。

猫爺の日記「停電」

2016-11-02 | 日記
 数日前の夜、停電があった。地震があった訳でもなく、雷も、台風どころか雨さえも降っていなかった。台所で食事の後片付けをしていての突然のことである。

 その瞬間、もしやブレーカーが働いたのではないかと思ったが、ブレーカーなら照明とコンセントは別系統のブレーカーになっているので、部屋中全部消えることはない。電灯が消えても、電子レンジ等のパイロットランプは点灯しているのである。

 日頃、停電に備えて幾つかハンドライトを用意しているのだが、その場所は知っていても、真っ暗闇でなかなか辿りつけなかった。電池式の予備灯もおいてあるのだが、普段やたらと点くのでSWを切ってしまっていた。

 用意万端のつもりでも、こんな調子で夜に大きな地震でもくれば、ガスの元栓を切って玄関に辿り着くまで時間がかかるだろう。「まさか自分の家は大丈夫だろう」と思わずに、もう一度災害時の対策は大丈夫だろうかと、点検する必要があるようだ。

 約10分程して、電気がついたのだが、PCがシャットダウンして書きかけでほっておいたデータが消えているは、消していた部屋のLED電灯が点いているは、風呂の設定がリセットされているは、AC電源の周波数で動作している(AC100ボルトの西日本地区の60ヘルツを逓減して1秒を得ている方式)LED表示時計がリセットされて12:00で点滅しているはで、全部直して終わったと思った瞬間、またしても停電。昔を思い出してしまった。

 猫爺の若い頃は、停電なんて日常茶飯事だった。そればかりか、電力会社の発電機が不安定だったのか、電圧低下も頻繁であった。「電圧が少々低下したところで‥」と思われるであろうが、蛍光灯が点いたり消えたり、はては全く点かなくなるのだ。当時、かなり気が悪かったと記憶している。

 映画館で映画を見ていても、しょっちゅう消える。こちらは、普通の停電ばかりではなく、映画館で使われている映写機の光源がアークランプであった為で、こいつは輝度は大きいが寿命が短く、映画が佳境に入ったときに限って画面がセピア色に変わり、やがて消える。観客も慣れたもので、ランプを交換する間、騒ぎもせずに温和しく待っていたものだ。

 アークランプは、かなり熱くなるようで、フィルムが引っ掛かって動かなくなると、やがてフィルムが燃え、スクリーンにメラメラとその様子が映し出される。そんなおりにも観客は騒がない。
   「あ、燃えた」
 悠然と炒った南瓜の種(売店で売っていた)を食べながら待つ。動じないというか、呑気というか、そんな観客の中に、自分も悠然と存在していたのだ。

 ところで、現在も映画館ではフィルムで放映しているのかな? すでにデジタル化しているのかな? 世情に疎い年寄りだが、ネットで調べると分かることだろう。
   「こらっ、調べてから書かんかい」
   「へい、すまんこってす」