雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第二回 夢の通い路

2014-05-29 | 長編小説
 淀川三十石船の船着き場、八軒家近くの旅籠で一泊した三太は、相部屋の鳥追い女と別れた。
   「わいは、三太です、また江戸で逢いましょ」
   「私は、お寿々です、それではお元気で」

 三太は、生まれて初めて乗る船である。嬉しくてうきうきしている。京の伏見には、流れに逆らって船頭たちの水竿で川底を突くと共に、岸からの引き綱で川を上る。三太は大はしゃぎである。
   「おい、ぼうず、そんなにはしゃいでいたら、船酔いするぞ」
   「酒も飲んでないのに酔うのですか?」
   「そうや、船が揺れるだろ、その揺れで酔うのだ」
   「ういー、酔っ払った」
   「嘘つけ、まだ早い」
   「おっちゃん、どこから来たんや」
   「江戸だ、江戸からお伊勢さんにお参りにきて、大坂へ足を延ばし、これから京見物をしてから戻るところだ」
   「へー、ええ身分や、おっちゃん、強そうやなあ、花川戸の侠客、幡随長兵衛さんとちゃうか?」
   「ほう、よう分かったなあ」
   「わいは、鞍馬山の牛若丸や」
   「嘘つけ、時代が違う」
   「おっちゃんも、嘘やろ」
   「嘘だ」

 三太が黙りこくった。
   「どうした?」
   「気持ちが悪くなってきた」
   「それ見ろ、それが船酔いだ、暫く横になって空を見ていなさい」
   「うん」
 四半刻(30分)もしないうちに、三太は起き上がった。
   「おっちゃん、もう治ったわ」
   「酔うのも早いが、治るのも早い奴だなァ」
   「そら、子供やもん」
   「関係ない」

 男は船の乗客を見回した。
   「ぼうず、お父さんかお母さんはどの人だい?」
   「わい、独りや」
   「どうりで、横になっているのに、誰も心配して来ない訳だ、どこまで行くのかい?」
   「江戸です」
   「独りで行けるのか?」
   「迷子になったら、泣いとったら誰かが連れて行ってくれやろ」
   「呑気なぼうずだなあ」
 二人の話を聞いていたらしく、年増女がにじり寄ってきた。
   「ぼん、独りで江戸へ行くのどすか?」
   「へえ、そうです」
   「わたいも独りで行きますねん」
   「ああ、そう」
 三太、気の無い返事。
   「旅は道連れ、世は情け言いますやろ、わてと一緒に連れ立って行きましょうか?」
 三太は気が付いていたが、先程からこの女、三太の胴の辺りや、懐ばかり見ている。
   「おっ母ちゃんと一緒の旅みたいやなあ」
   「そうどす、わても息子と二人旅みたいで楽しおすえ」
   「それは宜しいですなあ、ほうず、そうしなさい」男が口を挟む。
   「うん」
 三太には、そんな気は更々無い。話に乗った振りをして観察しているのだ。
   「わい、腹が減ってきた、そろそろ弁当食べるわ」
 八軒家の宿で拵(こさ)えて貰った握り飯と沢庵漬の弁当を開いて食べかけた。
   「ほんなら、わたいも食べよ」
   「そうだなあ、わしも食うとしょうか」
 三太がちらっと二人の弁当を覗くと、まったく同じ弁当である。
   「新さん、こいつ等、グルやで」
   「間違いなくグルです、三太の銭を掏り盗ろうとしたら、あっしがやっつけてやります」
   「うん、わいも隙見せへんで」

 弁当の後片付けをしながら、女が三太に言った。
   「私はお秋、ぼん、名前は何て言いますのや?」
   「三太です」
   「そう、可愛い名前どすなあ、弁当食べて眠くなってきたら、わたいの膝枕で寝ても宜しおすえ」
   「わい、眠くない、船頭さんのところへ行って、竿さばき見てくるわ」
 態(わざ)と二人から離れた三太は、二人の様子をちらちら見ている。
   「新さん、新さん、あれっ、新さんおらへん」
 新さんは、二人のどちらかに憑いて、探りを入れているらしい。今まで、他人みたいに振舞っていた二人が、三太が離れると何やらひそひそ話しあっている。どうやら、三太が金を持っているらしいとの情報交換や、今後の作戦を立てているようである。新三郎が戻ってきた。
   「どうやら、もう船の上では手出しをしないようですよ」
   「船を下りてから、わいを掴まえて、銭を奪うのやな」
   「そうです、藪の中に連れ込んで、銭を奪ったあと、三太を竹に縛り付けて逃げるらしいですぜ」
   「良かった、新さんが居なかったら、わい筍のお化けになるところや」
   「何だ、そりゃ?」

 夕刻、船は京へ着いた。
   「三太ちゃん、お姉ちゃんが手を取ってあげましょ」
   「お姉ちゃん、おおきに」三太の内心は、おばちゃんだと思っている。
 抱きかかえる振りをして、動巻きと巾着を確認している。巾着は首から丈夫な紐でぶら下げているし、胴巻きはしっかり腰に巻いてある。
   「ほな、一緒に江戸へ向いましょなあ」
 しばらく歩いて、人家が途切れた辺りに、道の片面が笹薮になっているところがあった。
   「三太ちゃん、ちょっと待っとくれ」
   「おば、いや、おねえちゃん、どうしたの?」
   「へえ、おしっこがしたくなって…、ここらに厠はないし、そや、この笹薮でしてくるわ」
   「そうか、お姉ちゃん、笹の折れ株で大事なとこ突かんように気ぃつけや」
   「へえ、おおきに、そやけど何か怖いわ、三太ちゃん、途中まで付いてきてぇな」
   「わかった、わいも序(ついで)に出しとこ、連れションや」
 獣道と言うか、人か猪が分け入った形跡のある藪の中に、二人は入っていった。
   「三太ちゃん、ここで待っていておくれやす、恥ずかしいから覗きに来たらあきまへんどすえ」
   「うん」

   「三太、連れの男が来ますぜ、かくれましょう」
 三太は素早く藪の中に身を隠した。男はキョロキョロしながら三太の隠れている前を通り過ぎた。
   「あんた、こんなところまで来たんか、途中にあのガキが居ましたやろ」
   「いいや、居なかった」
   「おかしいなあ、待っとくように言っておいたのに」
   「やっぱりそうか、わし、あのガキは只者ではないと思っていた」
   「何者やと思っていたのや?」
   「座敷童子(ざしきわらし)や、きっとそうに違いない」
   「あんたアホか、座敷童子は、陸奥(みちのく)の伝承民話でっせ、それも古い大きな屋敷にとりつきますねん、それを何どす、昼間に船にのって、船酔いするわ、おにぎりは頬張るわ」
   「それは、陽気型の座敷童子だろ」
   「座敷童子に陰気型と陽気型がおますのか?」
   「そうや、その陽気型だろう」
   「アホなこと言っていないで、追いかけましょ、ちっと稼がんと、今夜野宿どすえ」、
 二人は、三条大橋まで追いかけてみたが、三太は見つからなかった。
   「足の早ええガキだぜ」
   「あんたの言うように、座敷童子やったのかも知れまへんなあ」
   「そうだろ、これに懲りて子供を狙うのは止めにしょうや」
 それもその筈、三太は東海道に入る前に、京極一家に立ち寄ろうとしていたのだ。半年ほど前に亥之吉が来た折に、京極一家に話しておいてくれたのだった。
   
   「おひけえなすって」
   「何や表で子供が喚いていますぜ」
   「おひけえなすって」
   「へえへえ、控えさせて貰いましょ」
   「てめえ、生国と…」
   「へえ、知っとります、大坂の三太さんでっしゃろ、どうぞお上りやす」
   「もー、やりにくいなあ、控えたんやったら、ちっと静かにして貰えませんか」
   「もう、仁義は宜しいがな、さっさと上がって饅頭食いなはれ」
   「せっかく、練習して来たのに…、ぶつぶつ」

 京極一家の若い衆が三太を歓迎してくれた。何年か前まで居た「豚松」こと、政吉を思い出していたのだ。政吉は今では菊菱屋の若旦那として、両親のお店を再開し、ちょっとぷっくりしているが男振りの良さと京都弁が江戸の若い女にうけて、小間物商菊菱屋は繁盛しているのだ。
 
   「三太は偉いなあ、独りで江戸までいくんか?」
   「へえ、独りです」
   「前にここに居た政吉は、十四歳やったのに独りで江戸へ行かれへんかった」
   「わいには、独りで行ける訳がおますねん」
   「何や、その訳とは?」
   「守護霊がついてくれていますねん」
   「恐っ」
   「守護霊は、お化けと違います、優しい、わいのお父っちゃんみたいな霊です」 
   「亥之吉さんの天秤棒術の弟子になるのやて?」
   「へえ、天秤棒は、子供用に小さく削ろうと思っとります」
   「亥之吉さんは、うちの親分が長ドスを一本やろうと言ったのに、断りよった」
   「そらそうや、師匠がドス持ったら、亥之吉さんや無くなるやんか」
   「もう、師匠か」
 亥之吉が立ち寄ったときに、「三太という六歳の子供が来たら、上げてやってくれと、樽酒と別に二両を置いて帰ったらしい。
   「それやったら、一宿一飯の恩義感じんでもええのか?」
   「当たり前や、殴り込みがあったら、こんなチビ役に立たへん」
   「そんなことないで、声援ぐらいはする」
   「いらんわ、亥之吉さんとおんなじことを言いよってからに」 
 亥之吉も同じ事を言ったが、逆に相手の一家に出向いて、喧嘩を治めたのだった。

 翌朝、三太は京極一家の人々に礼を言って、京街道を三条大橋に向けて元気よく歩いた。
   「まあ、可愛い旅鴉が通りますえ」
   「わあ、ほんまや、小さいから旅雀どすなあ」
 舞妓はんが見返って噂をしている。
   「誰が旅雀やねん」
 三太も振り返って三度笠を上げ、舞妓はんを睨む。
   「わあ、こっち見た、男らしー」
 それなら、三太も満足である・

 三条大橋を渡ると、いよいよ東海道である。大津の宿まで約三里。三太の足でもそこまでは歩けるだろうと、新三郎は高を括っていた。

   「新さん、おんぶ」
   「嘘っ」

  第二回 夢の通い路(終) -次回に続く-  (原稿用紙14枚)

「チビ三太、ふざけ旅」リンク
「第一回 縞の合羽に三度笠」へ
「第二回 夢の通い路」へ
「第三回 追い剥ぎオネエ」へ
「第四回 三太、母恋し」へ
「第五回 ピンカラ三太」へ
「第六回 人買い三太」へ
「第七回 髑髏占い」へ
「第八回 切腹」へ
「第九回 ろくろ首のお花」へ
「第十回 若様誘拐事件」へ
「第十一回 幽霊の名誉」へ
「第十二回 自害を決意した鳶」へ
「第十三回 強姦未遂」へ
「第十四回 舟の上の奇遇」へ
「第十五回 七里の渡し」へ
「第十六回 熱田で逢ったお庭番」へ
「第十七回 三太と新平の受牢」へ
「第十八回 一件落着?」へ
「第十九回 神と仏とスケベ 三太」へ
「第二十回 雲助と宿場人足」へ
「第二十一回 弱い者苛め」へ
「第二十二回 三太の初恋」へ
「第二十三回 二川宿の女」へ
「第二十四回 遠州灘の海盗」へ
「第二十五回 小諸の素浪人」へ
「第二十六回 袋井のコン吉」へ
「第二十七回 ここ掘れコンコン」へ
「第二十八回 怪談・夜泣き石」へ
「第二十九回 神社立て籠もり事件」へ
「第三十回 お嬢さんは狐憑き」へ
「第三十一回 吉良の仁吉」へ
「第三十二回 佐貫三太郎」へ
「第三十三回 お玉の怪猫」へ
「第三十四回 又五郎の死」へ
「第三十五回 青い顔をした男」へ
「第三十六回 新平、行方不明」へ
「第三十七回 亥之吉の棒術」へ
「第三十八回 貸し三太、四十文」へ
「第三十九回 荒れ寺の幽霊」へ
「第四十回 箱根馬子唄」へ
「第四十一回 寺小姓桔梗之助」へ
「第四十二回 卯之吉、お出迎え」へ
「最終回 花のお江戸」へ

次シリーズ三太と亥之吉「第一回 小僧と太刀持ち」へ

猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第一回 縞の合羽に三度笠 

2014-05-28 | 長編小説
 この物語は、猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」から続いている。


 チビ三太、六歳。無実であった兄定吉は、同じ奉公仲間の相模屋番頭に嵌(は)められて人殺しの罪で処刑になった。嵌めた番頭も、殺しの真犯人も、鷹之助に炙(あぶ)られて番頭は遠島、殺しの下手人は斬首刑になったが、兄定吉は戻っては来ない。
 憤懣遣る方ないチビ三太は、強い男になって世の中の悪と闘いたい。そんな大きな思いを秘めて江戸の強い男、京橋銀座の福島屋亥之吉の弟子になるべく、道中合羽に三度笠、手甲と脚絆を身に纏い上方を発った。
 亥之吉の武具は、お百姓が肥桶を担ぐための天秤棒。敵を攻めてやっつける武器ではなく、敵の攻撃から身を護る武具である。
 胴巻きの中には一朱銀三十枚、首から提げた巾着袋には二朱と五十文が入っている。合計二両と五十文だが、三太にとっては可也重かった。背中に、斜交に括りつけた蔓網の箱の中には、鷹之助が入れてくれた道中小物と薬が入っている。
 初めてのお使いならぬ、初めての下り東海道中膝栗毛である。六歳のチビ三太が、独りで江戸まで旅が出来るのは、鷹之助曰く「最強の守護霊」新三郎がついているからである。

   「ねえ新さん、わい、千日の刑場に寄って行きたい」
   「定吉さんが亡くなった場所ですね」
   「うん、兄ちゃんがどんなに悔しい思いをしたか、首を刎ねられるとき、どんなに怖わかったか、刑場に立って想像しておきたいねん」
   「そうか、今日は千日の刑場まで行って引き返して三十国船の船着場の近くで宿をとりましょう」
   「新さん、おおきにありがとう」
   「三太の旅だから、三太の思うように行きましょう、遠慮することはないのだよ」
   「うん、わかった」
   「それから、三太はまだ六歳なのだから、疲れたら疲れたと言えばよいのだよ、新さんがいろいろ工夫するから」
   「どんな工夫?」
   「三太を背負ってくれる人を探すのだよ」
   「分かった、新さんがその人と入れ替わるのやな」
   「そうだ」
   
 急ぎ旅ではない、三太は大坂千日の刑場に立ち、声を張り上げ思いっきり泣いた。一刻(二時間)も、同じ場所に佇んで、大地に涙を吸い込ませた。
   「兄ちゃん、見ていてくれ、悪い奴は皆なお兄ちゃんの仇やと、わいは思う」
 定吉が恋しくて愛おしくて、三太はその場に崩れて土を撫でた。やがて気が済んだのか、三太は泣き腫らした目を拭い、力強く駆け出し、もと来た道を戻って行った。


 千日をはなれて、町に向う途中で、三太は十歳前後の如何にも悪そうなガキの集団に取り囲まれた。
   「おいチビ、銭を寄越せや」
   「お前ら、たかりか?」
   「そうや、銭何ぼ持っているのや、巾着だしてみい」
   「わいを舐めとったら、痛い目に遭うで」
   「何を生意気な」
 最年長らしい男が、三太を羽交い絞めにしようとしたが、三太はスルっとすり抜けた。
   「ええのか? わいを甘く見たら、泣くことになるで」
 
 尚も、三太を掴まえようとして、男は石に蹴つまずき前向きに倒れた。大怪我をした訳でもないのに、男は倒れて動かなかった。
   「そやから、わいを舐めたらあかんと言うたのに」
 また独り、三太に殴りかかった男が居た。三太は腰を屈めて拳を交わすと、立ち上がりしなに男の向こう脛を蹴った。三太の小さい足で蹴ったところで、大して痛くも無い筈なのに、この男も崩れて動かなくなった。
   「面倒臭いなあ、今度は皆で一度にかかって来いや」
 三太は少々図に乗っている。残りの男達は、このチビに異様なものを感じたらしい。
   「あいつ、化けもんやで、確か墓の中から出てきたわ」
 三太は、笑いながら言った。
   「こらボケ、わいを一つ目小僧みたいに言いやがって」
 男達は、こそこそ相談していたが、いきなり逃げ出した。
   「こら待て、この二人を放っておくのか、仲間やろ」
   「その二人はもう要らん、お前にやるから喰え」
   「あほか、わいは山姥と違うぞ」
 つるんでいた癖に、薄情な奴等だと、三太はのびている二人に同情した。やがて二人は正気に戻り、仲間が居ないのに気付いた。
   「俺等、気を失っていたのか?」
   「そうや、お前等つるんでいても柔い仲間やなあ、二人を放っといて逃げて行ったで」
   「くそっ、あいつ等め」
   「ただ逃げただけちゃうで、わいを化け物やと思い、お前達を喰ってもええとぬかしよったわ」
 二人、悔し泣きをしながら帰って行った。

   「新さん、おんぶ」
   「早っ」

 次は、二十四・五の厚化粧女が声を掛けてきた。
   「ぼん、どこの劇団の子です?」
   「わい、芝居の子役と違いますねん」
   「おや、そうですか、そんな旅鴉ごっこが流行っていますのか?」
   「いや、ごっこ違いますねん、本物の旅鴉で、浪花の弥太郎と言いますねん」
   「ひやー、そうですか、それでこれからどちらへ?」
   「へえ、風の向くまま、気の向くまま、あても果てしも無い旅鴉にござんす」
   「あはは、やっぱり芝居一座の子役ですやん」
   「へい、そうです、わい、嘘ついとりました」
 
 厚化粧女と別れて間もなく、今度は三十過ぎと思われる男が近付いてきた。
   「ぼんぼん、何処から来ましたんや」
   「へえ、あっちから」   
   「さよか、独りでどちらへ行きまんのや?」 
 三太は「そら、来たぞ」と、少々うんざり気味である。
   「こっちへ行きます」
   「お腹空いたやろ、おっちゃんが大福餅奢ってあげる、こっちへおいで」
   「わい、大福嫌いやねん」
   「ほー、それは珍しい、ほな、為になる話聞かしたげましょ」
 三太は、胴巻きと懐の巾着に意識を集める。
   「ぼん、赤ちゃんは何処から生まれるか知っとるか?」
   「大きな桃の中からやろ」
 しっかりしているようでもまだ子供だと、男は思った。
   「ほんなら、お父っちゃんとおっ母ちゃんは夜中に何しているか知っとるか?」
   「夫婦喧嘩や、こんな遅くまで、何処で飲んでましたんや、また紅、白粉を付けた女を口説いてましたんやろと、おっ母ちゃん言うと…」
   「へえ、言うと?」
   「仕事仲間との付き合いやないかい、わいかて、飲みとうて飲んでいるのやないと、お父っちゃんが言い返す」
   「子供の前でか?」
   「へえ、そやから、わい言うてやりますねん」
   「仲裁か?」
   「へえ、お父っちゃんも、おっ母ちゃんも喧嘩止めて、わい暫く外へ行っているさかい、仲直りに一遍寝なはれ」
   「わあ、ませた子やなあ」
   「ある晩、お父っちゃんが飲んで帰ってきて、また喧嘩が始まるのかなと、わい寝た振りしとったらな」
   「ふんふん」
   「その日に限って、お父っちゃん大人しくコソコソっと寝間に入って来たんや」
   「それから?」
   「お父っちゃんが、何かごそごそしているなと思っていたら、おっ母ちゃんが…」
   「おっ母ちゃんが?」
   「止めなはれ、まだ三ちゃんが起きていますやないか、後にしなはれ、もー、腰巻き引っ張ったら寒いやないか」
   「ほーほー」
   「冷たい手をそんな処に入れられたら、風邪ひきますがな、後にしなはれ」
   「それから、どうなったのや?」
   「あっ、おっちゃん、わいもう帰るわ、遅うなったらおっ母ちゃんに叱られるよって」
   「そんなところで止められたら、どんならん(どうしょうもない)やないか」
   「ほんなら、さいなら」
   「これ、待ちなはれ、十文やるから、その先話して行き」
 三太は、振り向きもせず、さっさと行ってしまう。
   「殺生や、ヘビの生殺しやないか」

 三太は、新三郎の指図どおりに歩いて、旅籠に向う。
   「新さん、あのおっさん、おもろかったなあ」
   「三太は、口達者な悪戯小僧ですね、それで、あの話の先は、どうなりました?」
   「嘘ですねん、あれは落語ネタです」

 少し早いが明日の早朝に船が出るので、寝過ごさないように早い目に寝ておく積りで宿をとった。
   「子供の独り旅ですねん、一泊二食付で何ぼです」
   「子供やから宿賃安くなることはあらしません、大人と同じで二百文頂戴します」
   「そうか、そらそうやなあ、ほな、わいの胴巻きと巾着、お帳場に預けてときます」
   「はいはい、確かにお預かりしました」
 三太の後ろから、若い女が声をかけた。
   「私とその子と、相部屋と言うことにして貰えませんか?」
   「えー、お姉ちゃんと一緒に寝るのか?」
   「相部屋なら、少しは安くなるでしょ」
 帳場の男も、その方が都合良いらしい。
   「お床も、一人分で宜しかったら、一人百八十文で宜しおます」
   「旅鴉のお兄さん、そうして貰えます?」
   「わい、見た目は子供やけど、中身は十七歳の大人ですがよろしいか?」
   「そうですの? 構いませんよ、こんな男前のお兄さんに何をされても」
 話は決まった。年の頃なら二十歳前後、三味線を抱えた鳥追い女である。食事を済ませて一風呂浴びに行った女の後を、三太はのこのこ付いていった。
   「お姉さん、どないしたんや、わいのちんちん見て涙零したりして」
   「私にも、こんな可愛い弟が居たのですよ」
   「どうかしたのですか?」
   「道で遊んでいて、いきなり無頼の男に邪魔だ、退けと突き飛ばされて、石塚の角で頭を打って死んだのです」
   「酷いことを…」
   「私はその男を見つけて、弟の仇を取ろうと短刀で傷を負わせました」
 町人の仇討ちはご法度である。女は捉えられて遠島も覚悟したが、男の悪事の数々が暴かれ、奉行の同情も買って、罪一等を減じ、江戸十里四方処払いとなった。行く当てもなく、とりあえず上方へ来たのだと言う。
   「わいは、その江戸へ行くところです」
   「そうですか、では何時かまた逢えることもありましょうね」
   「はい、江戸は京橋銀座の雑貨商、福島屋さんに奉公します、罪を償ったら、逢いに来ておくれやす」
   「はい、きっと…」
 女は、床に就くと、疲れていたのか直ぐに寝息を立てた。三太も眠り、母の夢を見た。

  第一回 縞の合羽に三度笠(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 最終回 チビ三太、江戸へ

2014-05-27 | 長編小説
 ある日、鷹塾に意外な二人の客があった。一人は縞の道中合羽に三度笠、もう一人は商人らしい形(なり)をして、手には天秤棒を携えている。鷹之助は、まだ逢ったことのない男二人であったが、直ぐにそれが誰だと分かった。
   「お初にお目にかかります、わては佐貫三太郎さんの友達で、江戸の雑貨商福島屋亥之吉で、こちらは、わての友人、卯之吉さんです」
   「三太郎の弟、佐貫鷹之助です」
   「わては、上方の診療院で、緒方梅庵先生と、当時は三太さんだしたが、佐貫三太郎先生に命を助けられましたんや」
   「棒術の達人だと、兄から伺っております」
   「達人やなんて、三太郎さんに勝負を挑んで、一度も勝ったことがないのですよ」
   「そうではないでしょう、亥之吉さんとは互角で、勝負がつかないのだと兄は申しておりました」
   「ほな、そうしておきましょう、こちらの卯之吉さんは、博打の達人です」
   「親分、人に紹介するのに、博打の達人はないでしょう」
卯之吉、不満顔。
   「さよか? そやかて、如何様をする訳ではなくて、その鋭い勘で堂々と勝つのですから、これが達人やなくて何です」
   「せめて、義侠心ただ一筋の白無垢任侠人とか」
   「呼び方を飾っても、やくざはやくざでっせ、ええかげんに足を洗って、商人にでもなりなはれ」
   「あっしが前垂れをして、毎度有難う御座いますと腰を屈めても似合いませんぜ」
   「そう言えば、そうでんな、いつもむっつりしておいでやして」
 亥之吉は、余計なことばかり話しているのに気付き、鷹之助に向きを変えた。
   「この度は、お父上さまがお亡くなりになられて、鷹之助さんにはご愁傷なことで御座いました」
 亥之吉にあわせて、卯之吉も頭を下げた。
   「これは遠路態々お越しいただき、丁寧なご挨拶、恐れ入ります」
   「それが、実は態々でもないのです」
   「そうなのですか?」
   「ご存知かと思いますけど、福島屋の本店が道修町(どしょうまち)にありまして、商用も兼ねての旅でおますのや」
   「信州の三太郎さんの処から帰りしな、あっしの故郷、鵜沼にも立ち寄りました」
 卯之吉の兄に、「帰ってくるなら、足を洗って堅気になって帰って来い」と怒鳴られ、追い返されそうになったが、卯之吉は真っ直ぐな義侠心を貫いていると亥之吉から聞いて、兄は心を静めたらしい。
   
   「亥之吉さん、ひとつお願いがあるのですが…」鷹之助が切り出した。
   「どうぞ言ってみておくれやす、わてに出来ることやったら、何でもやらせて貰います」
   「まだ五歳の男の子ですが、亥之吉さんの話をしてやりますと、亥之吉さんのお店に奉公して、棒術の弟子にもなりたいと申しまして…」
   「えーっ、わてが弟子をとるのですか?」
 亥之吉は、こんな事を言われたのは初めてである。ちょっとてれ臭いが乗り気ではある。
   「わかりました、任せてください」
 今日この後、道修町の本店へ行き、女房お絹の親兄弟に会って、暖簾分けの時期にきている番頭で、江戸でお店を持ちたい人が居たら、万事世話をするので任せて欲しいと相談をするつもりだと言う。
   「何なら、明日迎えに来ましょうか?」

 その子の名は三太と言うのだが、三太の兄定吉が奉公先相模屋の番頭に嵌められて無実の罪で処刑になった。相模屋長兵衛は責任を感じて、定吉に代わって弟三太をお店奉公させて慈しんでいる。末は三太に暖簾を分け、兄に代わって立派な商人にさせたいと願っているのだが、当の三太はもっと大きな夢を抱いているらしく、強くなりたいと願っているのだ。
   「勝手なお願いですが、三太を強い男にして相模屋長兵衛さんの元へ返してやって欲しい」
 これから、相模屋長兵衛と三太の親兄弟を説き伏せるので来年になるだろうが、もし両者の承諾を得ることが出来たら、来春にも江戸へ向わせると鷹之助は頭を下げた。
   「わかりました、江戸で待ちましょう、その時は、鷹之助さんが江戸まで送って来なさるのですか?」
   「いいえ、独りで向わせます」
 亥之吉も、卯之吉も驚いた。
   「年が明けてもまだ六歳や、その子供を独りで江戸へ来させるのですか?」
   「はい、三太ちゃんは大丈夫です」
   「そんな無茶な」
   「決して無茶ではありません、現に三太ちゃんは独りで明石へ行って、帰って参りました」
   「播磨の国の明石へ独りで? それにしても江戸は遠過ぎます」
   「大丈夫です、三太ちゃんには、生前、東海道や中仙道を股にかけていた守護霊が憑いています」
   「守護霊ですか? わてはお化けは苦手ですが、守護霊は恐くないのですか? 」
   「はい、三太郎兄上も護っていた最強の守護霊ですよ」
   「へー、それでは三太さんは棒術など習わずとも強いではおまへんか」
   「守護霊は、何時までも護ってくれません」
   「分かりました、三太さんを強くして相模屋長兵衛さんにお返ししましょう」
 亥之吉は帰りかけて、思い出したように鷹之助に言った。
   「鷹之助さん、直接、鷹塾の佐貫鷹之助さんへ手紙が届くように、飛脚屋に頼んでおきますさかい、度々手紙を出させてもらいまっせ」
   「はい、私から亥之吉さんに手紙を出す場合は、どちらへ…」
   「江戸は京橋銀座の福島屋亥之吉で届きます」
   「わかりました、その節はどうぞ宜しくお願い致します」
   「三太郎さんの弟ぎみにお逢いできて嬉しゅう御座いました、どうぞお達者で…」

 亥之吉たちは、福島屋へ向うべく鷹塾を辞した。今夜、福島屋で一泊して、明日からは世話になった京極一家を皮切りに、以前の旅で関わった亀山城などに、ご機嫌伺いがてら訪ねて回るそうだ。

 次に鷹之助がすることは、相模屋長兵衛に逢って承諾をしてもらうことであった。

   「あきまへん、三太は亡き定吉からの大事な預かり者です、それを江戸なんかへ行かせる訳にはいきません」
   「江戸で武道と商いの修行をさせて、その後は相模屋さんにお返しします」
   「商いなら、わてがみっちり教え込みますさかい」
   「三太は、武道の修行もしたいと言っております」
   「商いに、剣は不要です」
   「三太ちゃんは、自分の正義感を貫くための武術を身に付けたいのです」
   「江戸に行けば、それが身に付くとでも言いはりますのか?」
   「はい、江戸に福島屋亥之吉と言う棒術に長けたお人が居ります」
   「福島屋って、あの道修町の福島屋さんと関わりがおますのか?」
   「はい、元はその福島屋の番頭さんで、今は福島屋善兵衛さんのお嬢さんの婿で、江戸の京橋銀座で雑貨商を営んでおられます」
   「何年か経ったら、三太はわてに返してくれますのやな」
   「はい、引き抜きが目的ではありません」
 相模屋長兵衛は、獅子千尋の谷落としの例え話を頭に描いていた。定吉に済まない事をしたと思うが故に、つい三太に甘なってしまうが、これではいけないと常々も思っていたのだ。
   「よく分かりました、三太をお預けしましょう」
   「今直ぐと言う訳には参りません、年が明けて三太ちゃんが六歳になった春に旅立たせましょう、それまで、私も一生懸命に読み書き算盤を教え込みます」
 
 三太の両親は、相模屋長兵衛が良いと言うなら、「私どもに異存はありません」と、言ってくれた。
 

   「ふーん」
 三太のことを鷹之助から聞いても、源太は興無しであった。
   「先生は、わいを江戸へ行かせたいのか?」
   「いいや、もし三太と一緒に行ってやってくれたら、三太は心丈夫だろうなって思っただけだ」
   「わいは、商人は好かん、金儲けのことばかり考えて、貧乏人はゴミみたいに思うている」
   「そんな商人ばかりではないと思うけどねえ」
   「わいは二年後に、先生とお絹ちゃんに付いて信州に行くんや」
   「そうでしたねぇ、三太郎兄上は歓迎してくれるでしょう」
   「未だ、言ってくれてはいないのですか?」
   「はい、時期尚早ですからね」
   「ん?」
   「まだ早いってこと」

 
 月日が経つのは矢の如し。年が明けて、やがて春が来た。三太の旅立ちのときである。三太は六歳になっていた。大事に取って置いた縞の合羽と三度笠が役に立つときがきたのだ。三度笠は田路吉が修理してくれて、合羽の解れはお鶴が縫ってくれた。路銀は鷹之助が出すと言うのを、相模屋長兵衛が「せめても」と、二両分の銀貨を用意してくれた。それ以上持たせても、新三郎がいるから盗られることはないまでも、紛失する恐れはある。
 
   「三太ちゃん、独りで寂しくないのですか?」
 お鶴が心配そうである。
   「わいには、新さんと言う守護霊が憑いているのや、寂しゅうない」
 鷹之助もお鶴を宥めた
   「今まで、私を護ってくれた最強の守護霊です、心配は要りませんよ」
 鷹之助は、新三郎に「新さん、三太を頼みます」と、拝むような気持ちで呼びかけた。新三郎は「あいよ」と、軽く返事を返すと、スーッと三太に移って行った。
 お鶴は、鷹之助と三太の言うことが信じきれずに居た。
   「三太、頑張って来いよ」
   「うん]
 鷹塾の仲間達も、「独りで江戸へ行かせるなんて」と、鷹之助の霊術にかかっているような気分であった。
   「先生、みんなたち、行って来ます」
 三太は振り返り、振り返り、小さな手を大きく振り、肩をそびやかして旅立った。 

   「新さん、今まで有難う、またいつか逢える日がくることを信じています」
 鷹之助が呟いた。朝焼けの千切れ雲が、江戸の方角に流れて行った。

  第三十回 チビ三太、江戸へ(最終回) -次シリーズに続く- (原稿用紙13枚)

「佐貫鷹之助リンク」
「第一回 思春期」へ
「第二回 鷹之助の許婚」へ
「第三回 深夜の盗賊」へ
「第四回 矢文」へ
「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
「第二十四回 チビ三太一人旅」へ
「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
「第二十六回 チビ三太、戻り旅」へ
「第二十七回 源太が居ない」へ
「第二十八回 阿片窟の若君」へ
「第二十九回 父、佐貫慶次郎の死」へ
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十九回 父、佐貫慶次郎の死

2014-05-24 | 長編小説
  鷹之助の父、佐貫慶次郎の訃報が届いた。義兄、三太郎の手紙である。「まだ若い者には負けぬ」と常々言っていた慶次郎が、朝、登城の途中に倒れて帰らぬ人となった。

 手紙には、医者の私が付いていながら病を見抜けずに、まだ若い父上を死なせてしまい、母上や鷹之助に詫びても詫びきれぬ思いである。鷹之助には都合も御座ろう、上方にあって信濃の地に向って父の冥福を祈られたい。葬儀万端兄が執り行い、母上の悲しみに寄り添って行くので安心して勉学に勤しみなさい。鷹之助の名付けの親、前(さき)の藩主、ご隠居の松平兼重候を武と医を持ってお護りし、父に代わって上田藩にお仕え申すべく人事を尽くす所存であると、力強くも優しい兄の心遣いが鷹之助の身に染みた。

 鷹之助は泣いた。何一つ親孝行らしいことも出来ず、死に目にさえも会えなかった不出来な倅と、自分を責め、そして詫びた。

 泣いている鷹之助を見て、ただ事ではないと田路吉が心配して近寄った。
   「鷹之助さん、どうなさいました」
   「私の父が死にました」
 田路吉は、返す言葉が見付からず、がっくり落とした鷹之助の肩を抱いて、無言で貰い泣きの涙を落とした。
   「ここは、三吉さんとこの田路吉に任せて、どうぞ旅支度をなさいませ」
   「いえ、いいのです、親不孝序(ついで)に、戻らない決心をしました」
 今から旅支度をして郷里へ戻っても、早くても四・五日はかかってしまう。すでに弔いは終えて、父の亡骸は土の中、父の死に顔を見ることも叶わない。それよりも、兄、三太郎の気遣いに甘えて、儒学塾を終えるまでは我慢をして、修了の暁には晴れて郷里に戻り、父の墓前に手を合わせようと考えたのだ。

 水戸の緒方梅庵にも、訃報が届いた。梅庵には多くの弟子がおり、総てを任せられるので、直ちに弟子の一人を供に旅立った。見世物小屋に売られて、全身に鱗の刺青を入れられた浩太である。浩太はまだ弟子になって日も浅かったが、読み書きから傷の手当、梅庵の助手として、手術中の器具出し(器械出し)などを教わり、梅庵の良き手足となりつつあった。
   「佐貫三太郎先生の弟子、三四郎と佐助に逢える」
 浩太は不謹慎にも上機嫌である。

 緒方梅庵には、父佐貫慶次郎に対して、一度も口に出さなかった蟠(わだかま)りがある。実の母を慶次郎に手討ちにされたことである。その原因は母と中岡慎衛門の姦通疑惑であった。これは、姦通ではなく、母は慶次郎との縁談以前に中岡慎衛門と相惚れであったのだが、親達の交わした縁談で引き裂かれてしまったのだ。母と慶次郎が祝言を挙げたときには、既に母は自分を身篭っていたのだろうと緒方梅庵は推測している。
 このことは、江戸の伊東松庵養生所の中岡慎衛門にも問い質したことはない。緒方梅庵は、わだかまりを胸に閉じ込めて、水戸を後にした。

 鷹之助は、後に聞いたことではあるが、佐貫三太郎の友人、池田の亥之吉こと、江戸の商人福島屋亥之吉と、大江戸一家の鵜沼の卯之吉が、義理堅いことに信濃に向ったそうである。それを聞いたときは、流石の鷹之助も打ちひしがれた。葬儀には出られないと分かっていて、それでも親友のために時と足労を省みずに出掛けてくれるのに、自分はどうだろう。実の父であるのに、帰ることはしなかった。
 
 鷹之助の前に、三太と源太が、ちょこんと正座して、鷹之助の顔を心配そうに覗き込んでいた。
   「先生のお父っちゃんも、新さんみたいに守護霊になるのですか?」
   「多分、ならないと思います」
   「どうして?」
   「普通の人は、新さんみたいな破天荒なことはしないものです」
   「極楽浄土の阿弥陀様と喧嘩をしたのですやろ」
   「喧嘩はしないけど、叱られて極楽浄土を追放されたのです」
 新三郎が口を挟んだ。
   「鷹之助さん、子供達にそんな格好の悪いことをバラさないでくだせえよ」

 三太と源太が並んで座っているので、鷹之助は日頃から二人に訊きたかったことを問うてみた。
   「三太ちゃんは相模屋に奉公しているので、将来は相模屋に暖簾分けして貰ってお店を持つとして、源太ちゃんは大きくなったら何になるのかな」
   「鷹之助先生みたいになります」
   「寺子屋の先生かな?」
   「いえ、儒学の先生です」
   「生徒は侍の子だから、遣り辛いかも知れないよ」
   「先生の弟子になって、それからえーっと、先生のお兄さんに剣術を習います」
   「源太ちゃんは、欲深ですね」
   「先生、わいも剣術を習って先生のお兄さんみたいに強くなりたい」
 三太も持ち前の負けん気が出た。
   「商人(あきんど)に剣は要らないと思うけど」
   「わいの命は、わいが護りたい」
   「剣に長けた商人に心当たりは無いなァ」
   「先生、前に言っていましたやないか、三太郎お兄さんの友達の…」
   「福島屋亥之吉さんのことかな?」
   「凄く強いのでしょ」
   「私はまだ逢ったことはないのだけれど、そのようですね」
   「その人の弟子になりたいな」
   「亥之吉さんは、剣術ではありませんよ」
   「柔術ですか?」
   「あれは、何になるのかな? 棒術かな? お百姓が担ぐ肥桶の天秤棒を武具にするのです」
 三太と源太が腹を抱えて笑い転げた。
   「習いたい、習いたい、それかっこええ」
 三太は、もうその気になってしまったようだ。 
   「でもねえ、相模屋長兵衛さんが三太ちゃんを手放すかどうか」
   「わい、一生懸命頼んでみます」
   「その時は、先生もお願いに上がります」

 早く来た三太と源太と鷹之助が将来の話をしていると、子供たちが揃ったので話は打ち切りとなった。いつもであれば、騒がしい手習いが、その日は事の他静かであった。小さい子供ながら、鷹之助の父の死を二人から訊いて、意識しているのであろう。
 小さい子供たちが帰ったあとには、もう年長組が来ていた。
   「すごい祈祷師が上方に来ているらしいのです」
   「へー、どんなに凄いのやろか」
   「それがなあ、死にそうなお爺さんが、祈祷で元気になったんやて」
   「わあ、それは凄いわ」
 お鶴が持ってきた話題を取り囲んで、ひそひそ話していた。
   「何が凄いのです?」鷹之助が割り込んだ。
 お鶴が得意顔で説明する。長崎から祈祷師の一行が上方へ来て、医者に匙を投げられた病人を、お祓いや祈祷で次々と元気にしているのだそうである。
   「蛎瀬道元(かきせどうげん)さまと仰せになる陰陽師だそうです」
 病気を治すばかりではなく、道元が魂をこめて祈祷した護符を神棚に祀っておくだけで、魔除け、招福、家内安全はもとより、商売繁盛は確実と振れ込み、護符は一朱、祈祷料は十両から百両と、祈祷によって受けるご利益によって変わる。
   
   「道元さまのお噂を聞きつけた尾張の豪商の旦那様が、薬石効なくあと十日の命と医者に宣告され、道元様の元へお駕籠で連れて来られました、到着したときは白目を剥いて口から泡を吹いていた旦那様が、祈祷を受けると元気になり、歩いて尾張まで帰られたそうです」
 お鶴は、興奮冷め遣らぬ表情で語った。

 それが本当なのか、騙りなのかは分からないが、お金持ちが気休めで祈祷を受ける分には、鷹之助はとやかく中傷する気はないのだが、一朱(250文=6520円)と言えば貧乏人には大金である。

   「新さん、一朱持って行ってみましょうか」
   「何故一朱持っていくのですかい?」
   「帰りに茶屋で甘酒でも飲みます」
   「あっしはまた、道元様の護符を買って来るのかと思いやしたぜ、紛らわしい」
   「紙切れ一枚、一朱でなんか買いませんよ」

 元は立派な武家屋敷だったであろう、門扉は外れて無くなっているが、中庭は広々としている。恐らく草が茫々と茂っていたのだろうが、屋敷に続く部分だけ綺麗に刈られていた。屋敷はと言えば、壁一面白い布で覆い、老朽化しているのであろう壁や柱は、目隠しされていた。
 座敷には祭壇があり、その前には長い髪に頭襟(ときん)を戴き、旅衣である鈴懸衣を纏っている自称陰陽師が、祭壇に背を向けて鎮座している。
 人々は列を成して、巫女衣装の女が手にする盆に一朱を乗せ、道元から恭しく護符を受け取っている。
 その途中に、門前にお忍び駕籠が着けられた。お駕籠の供と見られる侍が道元の許に走り寄り、何事か告げると、道元の声が響いた。
   「此方へお連れなされい」
 祭壇の前に駕籠が運び込まれ、気を失った老武士が駕籠から出されて寝かされた。
   「急病人が運び込まれ、急遽道元様のご祈祷をお受けになります、護符をお求めの方々は暫くお待ちくだされ」
 ピクリともしない病人の前で護摩が焚かれ、祈祷が始まった。

   「新さん、なんだかこれ見よがしの祈祷ですね」
   「祈祷が終わると病人が元気に立ち上がる算段です」
   「また、人から人へ噂が伝わり、信者が増えますね」
   「そう、その為の茶番劇ですから」

   「鷹之助さん、ちょっと行って参ります」
   「新さん、何をするのです?」
   「へい、ちょっと悪戯でさァ」

 祈祷も終わり近くになってきた。
   「サブダラマンダラシンピョウレツ、えいっ!」
 ここで、病人はムックと起き上がり、キョロキョロ辺りを見回す筈である。
   「おや、起き上がりませんねぇ」
 鷹之助も、護符を受けに来た信者たちも、唾をゴクリと飲んだ。
   「今日は、起き上がりませんなあ」
   「どうしたことでっしゃろ」
 見守っていた人々が、ざわつき始めた。鷹之助は直ぐに気付いた。
   「これが、新さんの悪戯か」
 道元は、慌てて病人を揺すぶっている。それでも起きない。しまいには、焦ってきたのか、道元は病人の頬を叩いている。暫くして、やっと気が付いたらしく、病人は道元に謝っている。
   「すんまへん、ご祈祷を聞いていましたら、眠くなってきて、熟睡してしまいました」
 その病人の侍らしからぬ言葉と仕草に、道元は制しようとしたが遅かった。
   「なんや、さくら(なかま)かいな」
   「偽病人やったのやな」
   「護符、買わないでよかった、わいらは騙されていたのやで」
 護符待ちをしていた人々は、興がさめて帰って行ったが、引いた波がまた押し寄せる波打ち際のように、護符を持った人々が押し寄せてきた。
   「銭返せ!」
 
  第二十九回 父、佐貫慶次郎の死(終) -最終回へ続く-  (原稿用紙14枚)


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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十八回 阿片窟の若君

2014-05-21 | 長編小説
 ある日の夕方、三吉、源太兄弟の両親が、源太を連れて鷹之助の許に訪れた。
   「源太が柳生の殿様に頂戴した十両を元手に荷車を買い、夫婦して野菜の行商をすることにしました」
   「それは良いことですね、私も得意客になりましょう」
   「宜しくご贔屓のほどお願いします」
   「はい、それから、三吉さんによく助けられていますので、お手当てを五十文増やして百五十文お払いしましょう」
   「助かります、この通りで御座います」
 両親は手を合わせ、深々と頭を下げた。
   「源太ちゃんには、知らない人には付いて行かないように言ってありますが、ご両親からもよく仰ってください」
   「はい、それはもう…」
 源太は、赤い舌をペロリと出した。

 源太親子が帰ったあと、田路吉が申し訳なさそうに鷹之助に言った。
   「俺、鷹之助さんに伝えるのを忘れていました」
   「何でしょう」
   「午前中に、来客がありました」
   「何方でしょう」
   「木崎佐間之輔さまと仰せに成るお侍でした」
   「私の知らない人ですね、それでご用件は?」
   「鷹之助殿に逢ってお話しますと…」
   「そうですか、それで、次は何時来られるのですか?」
   「夕方には手が空くと申しておきましたので、間もなくかと思います」
   「では、出かけずにお待ちしましょう」
 田路吉は、「しまった」と言う顔をした。
   「お出かけのご予定がおありでしたか」
   「今朝、三太郎兄さんから塾気付で手紙が来まして、最近父のお元気が優れないそうなので、返事をしたためて飛脚屋まで」
   「それは、ご心配どすなあ」
   「医者が付いているので、安心と言えば安心なのですが、私の身を案じての気苦労ではないかと思うと、帰ってやりたい気がするのですよ」
   「お父さまは、お幾つにおなりで…」
   「四十八です」
   「まだ、お若いですね」
   「でも、人間(じんかん)五十年と申しますからね」
   「じんかんって、何どす?」
   「人が人で居られる間のことです」
   「と、申しますと?」
   「仏の教えで、迷える魂は、天界道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六つの道を回っているのです、その人間(にんげん)道に居るあいだを人間(じんかん)というのです」
   「迷いの無い魂は?」
   「天界道と人間道を往復するだけです」
   「わっ、それいいですね  
   「殆どの魂は、これですよ」

 入り口で、大きな声がした。
   「頼もう!」
   「頼もうですって、ここは道場ではないのにね」
   「取次ぎを頼むってことですよ」
 
 午前中に来た木崎佐間之輔である。   
   「木崎さま、午前中は失礼致しました、主人鷹之助は戻っておりますので、お上がりください」
   「いやいや、こちらこそお留守中に訪ね申して失礼仕った」
   「私が佐貫鷹之助に御座います」
   「拙者は、旗本納戸方玉出南海之丞(たまでなみのじょう)の家臣、木崎佐間之輔で御座る」
   「ご用件を伺いましょう」
   「玉出家の二十歳になる次男、和秀ぎみが、部屋住みの身を憂えて座敷に篭り勝ちでしたが、十日ほど前から夜遊びを覚えて、日が暮れると屋敷を抜け出し、朝まだ暗いうちに戻るのを繰り返しておりました」
   「大人ですから、惚れた女の許にいらっしゃるのではありませんか?」
   「そう思うのですが、主人がお家の恥になるようなことをしているのではないかと心配されて、拙者に探して来いと命じられたので御座る」
   「ご子息を心配されていらっしゃるのではなくて、お家の心配ですか?」
   「は、いえ、そう言う訳ではないので御座るが」
   「それで、若君が出られた後、門や裏木戸の閂は外されたままですか?」
   「心配になって、夜中に見て回るのですが、何時も閂がかかっているので御座る」
   「若君に塀を飛び越えるような忍者の如き技はお持ちでないと」
   「左様、不思議なことに…」
   「別に不思議ではありませんよ」
   「それは何故に」
   「屋敷の中に、密かに若君を送り出している者が居るってことですよ」
   「なるほど」
   「戻られた時、若君に変わった様子はありませんでしたか?」
   「変わった様子?」
   「袖に白粉が付いていたとか、首筋に紅が付いていたとか」
   「あ、そうだ、下女が若様の長襦袢に漆喰の粉が付いて、洗ってもなかなか落ちないとぼやいて御座った」
   「漆喰の顔料でしょうね、どこかの廃屋に入り込んだのかも知れません」
   「何の為に廃屋などに…」
   「分かりませんが、艶っぽい話ではなさそうですよ」

 鷹之助は、自分が塾生の身であることを話し、夜しか手が空かないので、とにかく今夜屋敷まで一緒に行き、若君の座敷を見させて貰い、直ぐに引返したいと話してみた。
   「どうでしょう、ご主人様は、私が座敷に入ることをお許しになりましょうか?」
   「わからぬが、もし拒むようであれば、この人探しをお断りなされ、拙者がご足労料を払いましょう」
  
 座敷を見るというのは、相手の出方を見るということで、座敷を見ても何も分かる筈がない。むしろ、手引きをした者を突き止めたいのだ。ここは、新三郎の出番である。

 若君の行方を占う心霊占い師と紹介されて、和秀の部屋に通された。鷹之助は犬のように嗅覚を研ぎ澄ましたところ、微かではあるが林檎のような匂いを嗅ぎとった。
   「もしかしたら…」
 鷹之助の脳裏を、不吉な思いが通り過ぎた。芥子(けし)の種ではなく、未熟な実の部分から抽出された液を精製して固められたものを阿片と呼び、これは麻薬である。鷹之助は塾で実物を見たことがある。医薬品として痛み止めに使用されるが、乱用すると中毒になり、やがて廃人になると習った。あの匂いである。

 鷹之助は、こっそりと木崎佐間之輔にだけに若君が阿片に溺れている疑いがあることを伝え、一刻も早く救い出さねばならないかも知れぬと付け加えた。
 まず、下男下女を座敷に集めて貰い、順次、彼等の記憶を新三郎に探って貰った。
   「鷹之助さん、この中には居ませんや」
   「そうですか、ではご家来衆に順次来て戴きましょう」
 やはり、若君を手引きした者は居なかった。
   「木崎さん、ご家来衆はこれで全員ですか?」
   「一人、鷹之助どのがおいでになった直後、気分が悪いと離れに床をとって寝ている者がいます」
   「そうですか、では私が離れのご病人を見舞いましょう」

 新三郎が、病人に憑くと、やはり仮病と分かった。
   「手引きした者は、コイツですぜ」
 一ヶ月前に、若君を連れ出して阿片窟に連れて行ったのも、この家来であった。
   「ちょっと気晴らしにやってみませんかと気軽に誘い、若君も気軽に付いて行ったようです」
   「その場所は?」
   「口入れ屋千草の寮で、町から少し離れた場所にある元お武家の古屋敷らしいです」
 木崎佐間之輔に伝えると、千草屋の寮なら、幾度か前を通ったことがあるので「今から直ぐに行ってみましょう」ということになった。


 玉出のお屋敷を出て、然程遠くもない場所であった。

   「ここが阿片窟のようです、用心棒が沢山居るかも知れません、うっかり踏み込めませんね」
   「せめて、若君が居ることを確認できればよいのでござるが」
   「私が透視するにも、若様の顔を知りませんが」
   「若君は、額に黒子があります」
   「そうですか、では透視してみましょう」
 木崎が急に止めた。
   「鷹之助どの、人が来ます、一先ず隠れましょう」
 鷹之助には、それが好都合であった。その人に新三郎が憑いて中に入れるから、うっかり朦朧としている客にとり憑く虞はないからである。

   「鷹之助さん、居ましたぜ、額に黒子がある若侍が…」
 鷹之助は、恰(あたか)も透視で見えたように振舞った。
   「木崎さん、若様が居ます、今踏み込みますか、それとも明朝役人を連れて来ますか?」
   「役人に知らせると、お家の恥になります、と言って多勢に無勢、ここは引き揚げて、主君と相談して決めようと存ずる」

 木崎に、「占い料は」と訊かれたが、商売でやっている訳ではなく、そうかと言って、夜間に引っ張り出されて食事もしていない。
   「若様が無事で帰られ、中毒症状が落ち着きましたら、如何程でも構いません、お心を頂戴しましょう」

 
 その後、一ヶ月ほどして、木崎佐間之輔が鷹之助の許にやって来た。主君と話し合い、やはり犯罪から目を瞑ってはいけないと、奉行所に届け、翌日の夜に与力ほか二十人の捕り方と供に阿片窟に踏み込んだと言う。
 若君の和秀は、その症状が軽かった為、玉出家にお預けという名目で帰宅を許され、他の客は、罪には問われなかったものの、阿片中毒患者専門の牢つきの養生所へ送られた。それと知りつつ寮を阿片窟に貸した千草屋の店主は追放刑を受け、お店は欠所となった。また、若君を誘い込んだ玉出の家来は、五年の遠島となった。

   「占い料として、主君から二十両を預かって参ったが、これで我慢して戴けましょうか?」
   「そうですか、では遠慮なく十両頂戴します、あとの十両は、木崎さまのお働きの代価としてお取りください」
   「そのようなことをすれば、主君に叱られ申す」
   「では、屋敷へ行って、私がお殿様にお願いしましょうか?」
   「いえ、そんなにまでして戴いては、却ってご迷惑でござろう」
   「では、黙って収めてください」
   「申し訳御座らぬ」
 木崎は、「自分にできることがあれば、声を掛けてくだされ」と、言い残して、主君の許へ帰って行った。

   「新さん、有難う、また儲かっちゃいました」
   「いやいや、それにしても、三太郎さんと同じで、鷹之助さんもお人よしですなあ」
   「何が?」
   「二十両貰っておけばよいものを」
   「いえ、これでまた友人が増えたではありませんか」
   「それはまあ、そうですが…」

  第二十八回 阿片窟の若君(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)


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「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
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「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
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「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十七回 源太が居ない

2014-05-16 | 長編小説
 その日、鷹塾の年少組みの勉強が始まっても、源太が来なかった。年長の時間になり、源太の兄、三吉が来たので尋ねると、母親の手内職で、鳴海屋から頼まれた着物を届けに行き、昼になっても帰らなかったと言う。てっきり鷹塾に来ているものと思い、三吉は大きな握り飯を一個、竹の皮に包んで源太に持って来ていた。
   「どこかで鳴海屋の末ぼんと遊び呆けているのやと思います」
 鷹之助は心配になってきた。
   「まさか、拐かされたのではないでしょうね」
   「源太は、継ぎ接ぎだらけの粗末な着物を着ているよって、拐かされないと思います」
   「身代金目当ての拐かしとは限りませんよ」
   「売り飛ばされるのですか?」
   「もう、六歳にもなっているので、それも考え難いです、逃げて番所に飛び込むでしょうから」

 鷹塾年長組の勉強は中止して、三吉は家に知らせに走り、鷹之助と他の者は鳴海屋の近所を探すことにした。鳴海屋の末ぼん堅太郎に尋ねると、昼近くまで裏の空き地で一緒に遊んでいたが、塾があるからと、走って帰っていったということだった。
 鷹之助は、もしや堅太郎と間違われて拐かされたのかも知れないと考えたが、堅太郎は金持ちの家の子供らしくて、身形はきちんとしている。誰が見ても堅太郎と間違われる虞(おそれ)はないと思われる。
 凡そ、源太が堅太郎と別れた時刻に、この道を荷車が通り過ぎたと証言した者が居た。荷は柳行李で、筵が掛けられていたそうである。
 鷹之助は、これだと思った。源太は柳行李の中に入れられていたのであろう。源太は何処にでも居そうな子供である。何故、源太が連れ去られたのであろう。源太でなければならない理由があったに違いない。そうとすれば、「身代わり」だ。源太は何処か大名の若君に似ていたのに違いない。

 鷹之助は、与力袴田三十郎に相談をするために東町奉行所を訪れた。教え子の源太が何者かに連れ去られたことを話し、子供が殺害された事件は無かったか調べて貰ったが、そのような届出は無かった。だが、同心の一人が妙なことを言った。大和路を外れた山中で、密偵と思しき男の惨殺死体が猟師によって発見された。密偵と判断されたのは、着ている着物の襟に、毒物が仕込んであったことだ。これは、敵に拉致された時に、襟を噛むことで自害できるように仕組んだものである。
 それと、男の懐に、子供の似顔絵が入っていた。恐らく、何事かを探っている最中に正体がばれて、自害する間もなく惨殺されたのであろう。男の手には、吾亦紅(われもこう)の草葉がきつく握られていた。
   「吾亦紅の根は傷薬になりますが、葉も何かの薬になるのでしょう」
 同心は、「薬」と捉えたようであるが、鷹之助には、そこに何か暗示があるように思えた。
   「男が倒れた場所に、吾亦紅か生えていたのでしょうか?」
   「いいえ、検死をした役人は、無かったと言っているようです」

 吾亦紅が示すものと言えば何だろう。鷹之助は、思い出したことがある。塾友が藩主から賜ったと言う黒漆の印籠を見せびらかされたことがある。印籠には吾亦紅雀(われもこうすずめ)の家紋が入っていた。塾友は、大和の国は柳生藩士の子息である。

 殺された密偵と思しき男は、二番手、三番手として放たれる仲間に、仲間の密偵が殺されたことを知らせる「取決ごと」であったのかも知れない。

 鷹之助は、大和の国柳生藩まで足を延ばす決意をした。儒学塾に届けを出し、鷹塾は源太の兄に任せ、源太を探す旅に出た。

 柳生城には、知り合いが皆無である。新三郎は門番から開始して、徐々に奥向きに勤める家来にと移り、情報を集めて来た。

 藩主の正室には子がなく、二人の側室にそれぞれ一人ずつ男児が居た。一人は由緒正しい伊勢藩の家老の娘で、源太と同じく六歳の次男雪千代、もう一人の側室は町家の大富豪の娘で、十一歳の長男俊臣が居る。柳生藩は嫡男を巡って、由緒派と、長男派とに真っ二つに分かれて論争していた。論争が、血生臭いお家騒動に発展してしまったのであろう。
   「源太は居ましたか?」
   「どうやら、由緒派の家来の屋敷に監禁されているようです」
   「やはり、拐かしたのは柳生藩士だったのですね」
   「へい、源太は六歳の雪千代君の影にされるようです」
   「可哀想に、今頃不安で震えているでしょう」
   「ところが、そうでもないようですぜ」
   「源太は平気なのですか?」
   「美味しいものどっさり食べさせてもらって、上機嫌らしいです」
   「そうか、影に仕立てたときに、騒がないように手懐けているのでしょう」
   「その時が、明日のようです」
 雪千代は、明朝柳生城を出て、伊勢神宮に参り、伊勢藩の家老である祖父と祖母に逢うのが年行事であった。「今年は中止しては」との声もあったが、本人の意向もあり強いて決行することにしていた。
 朝、大名駕籠とお付きの侍たちが城を出た。この時点で新三郎は雪千代に憑いた。必ず何処かで源太と入れ替わる筈だと踏んだからである。城下町外れの細い道で、町駕籠と鉢合わせをした。駕籠を下ろして土下座をして、大名駕籠を遣り過ごそうとしている駕籠舁を、家来の一人が「邪魔だ」と、叱りつけ、駕籠舁の胸倉を掴まえて殴りかかった。その時、駕籠の中から雪千代の声がした。
   「何をしておる、町駕籠など捨て置き、早く駕籠を出さぬか」
 家来は、雪千代に謝り、何事も無かったように出発した。大名駕籠が通り過ぎると、町駕籠は、「これで良かったのかな…」と、呟きながら城下町の方向に走り去った。

 あの騒ぎの折に、町駕籠に居た源太と、大名駕籠の雪千代が入れ替わったのであった。新三郎もまた、雪千代から源太に移っていた。
   「源太、声を出してはいけないよ、私は鷹之助だ」
 源太は、こっくりと頷いた。
   「もう安心していいよ、先生が助け出すからね」
 源太は、「助け出す」の意味が分からなかった。この仕事が済んだら、お金を十両貰って家に帰れると諭されていたからだ。
   「源太、仕事が済んだら殺されるのだ」
 源太は「あっ」と、声を出しかかったが、鷹之助の言葉を思い出して言葉を飲み込んだ。
   「源太、声を出さずとも、言いたいことを思うだけで、先生に伝わるよ」
   「うん」
   「この先の洞穴の前で、駕籠を担いでいる前の男が止まって座り込み、続いて後ろの男も座り込む、その間に洞穴の中に逃げ込むのだ、洞穴の中には私が待っている」
   「うん、わかった」

 源太は、鷹之助の指図通り、素早く駕籠から抜けると、洞穴の中へ走りこみ、鷹之助の元に来た。
   「先生、わい殺されるところやっのか?」
   「このまま、駕籠の中に居ても殺されるし、例え無事に仕事が済んでも殺されるでしょう」
   「十両くれると言うのも嘘か?」
   「どうせ生かして帰す気は無いのだから嘘だよ」
   「ちぇっ、親孝行出来ると思ったのに…」
   「そうか、では掛け合って、貰ってやろうな」
   「うん」

 突然、洞穴の外が騒がしくなった。洞穴の前を通り過ぎた直後、駕籠が襲われたようだ。
   「若君、お命頂戴仕る!」
 駕籠を襲撃した賊の斑声(むらごえ)と、鎬(しのぎ)を削る音が響く。
   「若君が居ない、駕籠は蛻(もぬけ)の空だ!」
 通り過ぎた洞穴を見て、襲撃者の一人が駆けて来る。その前に、護衛の家来が立ちはだかる。
   「退け!」
   「いや、退かぬ!」
 家来に斬りかかる賊。身をかわす家来。家来の身のこなしが武士のそれではない。鷹之助は、あれは新三郎だと直感した。賊が、一人、二人と洞穴に向ってきたので、新三郎は賊が剣を握る上腕を狙って浅く斬りつけた。斬られた賊は、剣を握り続けることが出来ずに、その場に落とす者も、逆の手に持ち換える者も、痛みに耐えかねて戦意を喪失してその場にへたり込んだ。
   「おのれ、若君の命を狙う大罪人ども、とどめを刺してやる」
 別の家来が、腕を斬られて蹲(うずくま)る男達の喉を掻き切ろうと刃を当てたが、新三郎が止めた。
   「待たれい、こやつ等も同じ柳生藩士ではないか、せめて殿の裁きを受けさせてやろうではないか」
   「何を悠長な、こやつ等は、雪千代君の命を狙ったのでござるぞ」
   「其処許(そこもと)らも、俊臣さまのお命を狙う企みは練っているではないか」
   「貴様は、雪千代君の擁立派ではないのか?」
   「拙者は、何派でも御座らぬ、柳生の殿に仕える藩士で御座る」
   「貴様、我等を誑(たぶら)かしおったな」
   「誑かしてはおらぬ、柳生藩士として、若君をお護りしたまでのこと」
   「敵の間諜であったか」
   「間諜ではない、同じ藩の禄を食む同士で御座る」 
 格好よく、中立の弁を振るっているのは、新三郎である。そろそろ魂を戻してやらねばならないので、騎馬の与力を城まで走らせ、空(から)の駕籠は伊勢神宮に向わせた。恐らく、乗馬の名手が、雪千代を乗せて、既に伊勢神宮に向っている筈である。

 
 その夜、柳生藩主、柳生備前守長矩公は夢を見た。
   「私は、信濃の国上田藩、佐貫鷹之助の守護霊で御座います、今、柳生長矩さまのご家来衆が、若君俊臣様擁立派と雪千代様擁立派に分かれて、跡目相続争いのお家騒動が起きているのをご存知で御座いすか」
 現に、ご家来一人の命が絶たれ。町人の子供に、十両を与えると騙し、雪千代の身代わりに立て、殺されそうになった。それもこれも、藩主たる長矩公の無関心が引き起こした騒動ではないのか。
   「もし、長矩様に訴えても埒が明かぬ折は、私は江戸へ飛び、将軍様の夢枕に立ち、訴えて参ります」

 はっきり言って、脅迫である。柳生家は、将軍家の剣術指南役として代々引き継がれた大名家である。お家騒動は、お家取り潰しにはならないまでも、著しい恥辱である。

 藩主長矩は、夢見のことは口にせず、自らの意思を家来に示し、長男俊臣を嫡男と決め、お家騒動は収まった。

 やがて三年の国許滞在期間を終え、江戸へ戻って行く長矩であったが、剣道指南の為に俊臣も同行させることになった。自らが嫡男の剣道指南をする為である。

   「先生、お殿様は十両くれましたねえ」
   「でも、渋ちんです、命がけだったのに、約束通りの十両ぽっきりでした」
   「先生、半分こしょうか」
   「いいよ、おっ母さんに持って帰りなさい」
   「うん、わかった」
 快晴の大和路は、二人の足取りを軽くさせた。
 
  第二十七回 源太が居ない(終) -次回に続く-  (原稿用紙14枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十六回 チビ三太、戻り旅

2014-05-10 | 長編小説
   「おっさん、ちょっと待て」
 豹変したおっさんが、三太の首根っこ掴んで巾着袋を出させようとしたとき、三太がケラケラっと笑った。
   「なにが可笑しいのや、気持ち悪いガキやなあ」
   「おっさん、わいなあ、一人で大坂へ帰るところやねん」
   「大坂でも、江戸へでも、勝手に帰らんかい」
   「不思議や思えへんか、こんなチビが一人で帰るなんて」
   「迷子になったら、泣いたらええのやろ」
   「わい、迷子にも、盗人に巾着奪われもせえへんで」
   「何でや?」
   「わいには、強い守護霊が憑いているのや」
   「アホか、この世にそんなもん、おらへん」
 上方やその周辺の人間が喋ると、やたら「アホ」が付く。
   「おっさんがアホや、現に今、わいの守護霊が、おっさんをやっつけようとしている」
   「へえー、やっつけられるものやったら…」
 言葉が終る前に、おっさんは目を回してしまった。三太はおっさんの褌を目掛けて、小便をぶっ掛けて立ち去った。おっさんはすぐに気が付いたが、自分が小便を漏らしたのだと思い動揺した。

   「三太は、悪戯小僧ですね」
 新三郎もびっくりである。小さい体で歩き続けて、休憩をとることはないが、腹が減ると、とたんにだらしなくなる。
   「何か食べたい」
 塩屋村あたりで音を上げた。海が見える滝の茶屋で大福を鱈腹食べて眠くなってしまった。
   
   「床机で寝ている子がいますで」
 店の婆さんが見つけて、大騒ぎをしている。三太は揺り起こされて、不機嫌になった。
   「これ坊や、あんたのお父さん、お母さんは何処や?」
   「わい、一人ぼっちや、お婆ちゃん、お代は何ぼですか?」
   「三十二文ですが、坊やお金持ってまんのか?」
   「はい、持っています」
 三太は懐から巾着を出し、三十二文を払った。
   「親に、三遍回されて、捨てられたのと違うか?」
   「あのなー、わい猫とちがうで、三遍回されても、十遍回されたって、方角ぐらい分かるわ」
   「さよか、ほんなら早く追っかけなさらんかいな」
   「わいは、元から一人ぼっちや」
   「一人で何処へ行きなさる」
   「大坂へ帰りますのや」
   「えーっ、そら危ないわ、人攫(ひとさら)いに遭いまっせ」
   「かまへん、かまへん、大坂方面へ駕籠で攫って行ってくれたらラクチンや」
   「売られますのやで」
   「わいやったら、何ぼで売れます?」
   「知りまへんがな、呑気な子やなあ」
 婆さんが呆れたところで、三太は茶店を離れた。
   「新さん、御免、また時間潰してしもた」

 一の谷の合戦場あとを見て暫く歩くと、道が二又に分かれていた。新三郎は浜側の道を行くように指示をした。海に沿って歩くと、綱敷天満宮があった。ここは、藤原道真公が左遷されて大宰府に向う途中、漁に使う綱に座して休憩をしたところである。境内を抜けると、先程分かれた山側の道に出て、一気に歩くと事代主の神を祀る長田神社に着いた。ここも参拝してのんびりと町並みを見物し、楠正成公の墓にも参拝した。買い食いを楽しんでいると、花熊(現在の花隈)あたりで日が暮れかかった。昔、ここには花熊城があった。三太がここを通った時代は、ただ石垣が残るばかりであった。三太は立派な旅籠に入っていった。
   「坊や、独りかい?」
 ここでも、三太の一人旅は旅籠の番頭に不審がられた。
   「独りや、泊めてくれるのか?」
   「そら、お客さんやから泊まって貰いますが、ここは他所の旅籠よりも、ちと宿賃が高いけどええのかい?」
   「一泊二食でなんぼや」
   「三百文頂戴します」
   「そうか、わかった、一朱と五十文出したら泊めてくれるのやな」
   「へえ、宜しいのですか?」
   「うん、何やったら先に払おうか?」
   「そら、先に戴ければ安心です」番頭の本音が出た。
 三太は懐から巾着を出し、金を払った。
   「確かに払ったで、そこのおっちゃん、もし明日になって未だ貰ってないと言われたら、証言してや」
 身形のよい、大店の旦那風の男が、頷いてくれた。
   「よっしゃよっしゃ、確かに払うとこ見たから、坊や安心しなされ」

 夕食を摂り、風呂にも入った。床(とこ)をとって貰い、巾着を布団の下に隠して寝ようとした三太を、新三郎が注意した。
   「三太、巾着を布団の下に隠しはいけないよ、枕探しに教えるようなものだ、巾着はそこの衣桁(いこう)に掛けておきなさい」
   「こんな見え見えのところにか?」
   「そう、その方が見つかりにくいのだよ」

 深夜、三太が熟睡していると、襖がゆっくりと開ける者が居た。どうやら枕探しのようだ。年の頃は四十位の男であった。新三郎が気付き、そっと男に移り様子を見ていると、寝ている三太の布団の下に手を入れて巾着を探している。
 新三郎は、三太を起こさず、男の生霊にとって代わり、男の財布を取り出し、三太の布団の下に入れた。
 男の生霊が戻り、正気になって盗人は「あれっ」という顔をしたが、そのまま、そっと部屋から出て行った。

   「番頭さん、夜中に盗人がわいの部屋に来て…」
   「巾着を盗まれましたのか?」
   「いいや、財布を置いて行った」
   「そんなアホな盗人がどこに居ますかいな」
   「居ます、この財布を置いて行った」
   「ちょっと待ちなされ、あんさんが寝ぼけて他のお客から盗んだのと違うのかいな」
   「わいは、他人の物を盗みはしまへん」
   「その財布、こっちへ寄越しなはれ」
 番頭は、三太から財布を引っ手繰った。
   「この財布、どなたさんの物でおますやろ、何方か財布を盗まれた人はいませんか?」
 番頭は、泊り客に尋ねてまわったが、夕べの四十がらみの男も無視をした。名乗り出る者は誰も居なかったが、番頭は執拗に三太を疑った。
   「何処から盗んできたのやろ、白状しなはれ」
   「わいは、盗んでなんかいない」
   「白状せんと、役人さん呼びまっせ」
   「勝手に呼ばんかい、わいは盗んでいない」
 番頭は、手代を呼んだ。
   「役人さんを呼んできなはれ」
 その時、昨日三太が金を払ったときの証言をすると言ってくれた身形の良い大店(おおだな)の旦那風の男が番頭の前に立った。
   「番頭さん待ちなされ、この子の目を見てやっとくれ、この子は澄んだ目をしていなさる、他人の物に手を出すような目やあらへん」
 男は、鴻池朔右衛門(こうのいけさくえもん) と名乗った。
   「あ、これは御見逸れしました、あの有名な大店の鴻池さんだしたか」
 番頭は、急に腰が低くなった。
   「坊や、どこから来はったのですかいな」
   「大坂です」
 こん度は鴻池が三太に尋ねた。
   「大坂の、何処のお子さんや」
   「相模屋の丁稚三太です」
   「ああ、あの長兵衛さんのお店かいな」
   「旦那様、うちの長兵衛を知ってはりますのか?」
 
 相模屋は、両替商鴻池屋のお得意さんだと言った。
   「わてが、三太さんの保証人になります」
 鴻池も、不思議で仕方がなかった。三太の一人旅を感動して金を与えたのであれば、真夜中に忍び込む必要はない。財布の膨らみを見ても、小判で十両は固いと鴻池は睨んだ。そんな大金を子供に与えるだろうか。
   「神さんか仏さんかは知りませんが、三太さんが貰ったことは確かです」
   「わい、こんな気持ち悪い金、要りません、番所にでも届けとくなはれ」
   「さよか、ほんなら番頭さん、そうしておくれ」
   「へえ、それなら届けさせて戴きます」
   「正直に届けんでも、あんさんがネコババしても構へんのやで」
   「しませんよ、わても気持ち悪うおます」

 花熊を出て、生田神社に参拝したあと、三太は新三郎に聞いた。
   「あの財布、何やったのです?」
   「あはは、わりぃわりぃ、あれはあっしの悪戯でさあ」
   「悪戯?」
   「泥棒は盗むのが当たり前ですが、置いて行ったらどうなるかと思いまして」
   「それならそうと、わいが財布を見つけたときに言ってくださいよ」
   「三太が真剣な顔をしていたので、つい言いそびれやした」
 
 暫く、黙って歩き続けたが、三太がぽつんと言った。
   「新さん、わいら神社巡りをしているのか?」
   「そうです、こんな機会は滅多にありません、この後、西宮神社にお参りして、住吉神社もお参りしときますか」
   「あのう、神社もう飽きた」

 昼下がり、三太は鷹塾に着いた。丁度、鷹之助は田路助と食事をしていたが、終えて塾の準備にとりかかった。
   「鷹之助先生、行ってきました」
   「三太ちゃんお帰り、明石はどうなりました?」
 新三郎の機転で、日揮章太郎も、讃岐高之助の家も再興が許され、近く高之助は呼び戻されることになったことを伝えた。
   「三太ちゃん、よく頑張ってくれました、塾が済んだら相模屋さんにお礼を言いに行きます、年長組の勉強が済むまで待っていてください」

 相模屋では、三太の帰りが遅いので、主人の長兵衛が心配していた。三太の元気な姿を見て、初めて鷹之助が「心配ない」と言ったのが信じられた。
   「旦那様、花熊で鴻池さんにお逢いしました」
   「おや、そうかい」
   「わいが宿の番頭に泥棒と間違えられたとき、相模屋の丁稚ならと信用して、保証してくれはりました」
   「そら良かった、旦那さんに逢ったら、よく礼を言っておきます」

 讃岐高之助も訪ねて、明石藩主が讃岐家の再興を許可したことを伝えたが、一度明石に戻り、息子に代を譲り、隠居して僧門に入ると涙を落とした。

 仏壇には、相変わらず酒が供えてあった。

  第二十六回 チビ三太、戻り旅(終) -次回に続く-  (原稿用紙14枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十五回 チビ三太、明石城へ

2014-05-07 | 長編小説
 明日は旅に出ると思うと、三太は不安と期待が入り混じり、眠りに就けなかった。漸く微睡んだ頃に、頭の中で呼びかけられて起こされた。
   「三太、私は鷹之助の守護霊です」
 三太は怖くなって、思わず布団の中に潜り込んだ。
   「怖くない、私は三太の友達だよ」
 布団から、ソーッと顔を出してみたが、窓からの星明りでは、何も見えなかった。
   「眠たかろうに、許してくれ」
 三太は勇気を振り絞って、大きな声で「うん」と答えた。
   「三太、あっしと話をするときは、声を出さずに思うだけで私に伝わるのだよ」
 今度は、声を出さずに頷いた。
   「そうそう、それでいいのだ」
 守護霊は、三太の目が冴えてきたので、「少し話をしよう」と、話を繋いだ。
   「三太のお兄ちゃん、定吉さんの霊と逢ったよ」
   「兄ちゃんは、どこに居る?」
   「今はもう極楽浄土へ着くころだろう」
   「兄ちゃんは、無実なのに処刑されて、悔しがっているだろ」
   「いいや、兄ちゃんは仏様になったのだ、もう恨みも悲しみも無くなったのだよ」
   「家族のことを心配していないのですか?」
   「もう、心配はしていない、ただ見守っているだけだ」
 鷹之助の守護霊とは、新三郎である。明日は、このチビ三太と供に旅立つ。少し打ち解けさせておいた方がよかろうと、新三郎は鷹之助に頼んでやってきたのだ。
   「明日から宜しくな」
 チビ三太は「うん」と頷き、睡魔に襲われて深い眠りに就いた。
 
 チビ三太に憑いて明石城まで行き、明石藩主の松平越前守斉久に事の次第を知らしめて、日揮家、讃岐家の再興を許可させるのが旅の目的である。
  「鷹之助さん、あっしはこのまま三太に憑いていきます、どうぞお気をつけなすって」
  「三太ちゃんを護ってやってください、三太は不安で小さな胸が張り裂けそうなのでしょう」
  「鷹之助さん、三太を甘く見てはいけませんぜ、嬉しくて目を輝かせていますぜ」

 
 一文銭を沢山持たせると重いので百文だけにして、一分を八朱に変えて持たせた。新三郎が憑いているので、盗人に盗られる心配はないが、落とす恐れがあるので巾着を体に巻きつけてやった。
 衣装は古着屋で芝居の子役が着るような手甲脚絆、縞の道中合羽に三度笠が有ったので買って着けてやると、三太は大喜びだった。

 姉弟は文無しであったので、鷹之助は金貨二両を持たせてやった。「必ずお返しに参ります」と言う峻に、鷹之助は顔の前で手を横に振り、「困ったときはお互い様」と、アホの一つ覚えのように呟いた。

 日揮の姉弟には、三太が着いて行く理由を話して、了解をしたようであったが、どこかで疑っているようである。姉弟それぞれに新三郎が憑き、話しかけて貰った。
   「霊って、本当に存在するのですね」
 ようやく、姉弟は鷹之助の言葉の一つ一つを理解したようであった。

   「三太ちゃん、頼んだよ」
 チビ三太は振り返り振り返り手を振って、章太郎に手を繋いでもらい旅立った。

 大坂を出て、半刻(一時間)も歩いただろうか、峻が辛そうに木の陰に座り込んだ。
   「病み上がりなのだから無理はないなあ」
 暫く休んでいたが、落ち着きそうにもないので、章太郎は辻駕籠を探しに立った。
   「章太郎、止めなさい、ここらは雲助が多いので、持ち金を全部とられてしまいますよ」
 ここぞとばかり、チビ三太がしゃしゃり出た。
   「大丈夫や、わいがそんなことさせへん」

 暫く経って、章太郎が駕籠を連れて戻って来た。交渉は三太が行った。
   「なあ、駕籠舁(かごかき)のおっさん、神戸の生田神社までやけど、一朱(二百五十文)出すから行ってくれるか?」
   「アホか、一朱でそんな遠くまで行けるかいな」
   「ほな、どこまでや?」
   「武庫川ぐらいまでやな」
   「そうか、武庫川の渡しまでで一朱か」
   「そうや、それ以上は行けないで」
   「ほんなら、武庫川の渡しまで二百文にまけてくれるか」
   「なんや、このぼうず、距離と銭できよった」
   「そやかて、おっさんも、なんやかやと追加料取るのやろ」
   「取らへん、一朱で武庫川の渡しまでや」
   「しゃあないなあ、ほな、手打つわ」

 途中で、駕籠舁の一人が「ちょっと遠回りさせてや」と、脇道に逸れようとした。
   「何の為の遠回りや」
 三太が怪訝に思い、駕籠舁に問うた。
   「ちょっと、小便(しょんべん)するんや」
   「そんなもん、そこらでせんかいな」
   「ちょっと森の中に入るだけや」
   「ほな、駕籠ここへ置いて行かんかいな、わいら待っとくわ」
   「あかん、あかん、駕籠を盗まれたら元締めに弁償せんとあかん」
 どうも怪しい、付いている男二人が子供だと思って、森の中に連れ込んで金を巻き上げるか、峻に悪さをするに違いないと三太は思った。
   「新さん、そやろ」
   「そうらしいです」
   「駕籠舁の言うままになりましょうか」
   「そうしなさい」
 三太は、何も知らない振りをして、駕籠舁に従うことにした。
   「ほな、しゃあない、遠回りして、しょんべんして行こ、わいもするわ」
 駕籠舁は、森の奥に入って行くと、駕籠を下ろした。
   「おっさん達、ここでお姉ちゃんとええことしてから行くわ、お前らはちょっと眠っていてか」
 駕籠舁の一人が、いきなり三太に当て身を喰らわそうとした。
   「おっさん、わいらを子供や思うて舐めたらあかんで」
 三太が駕籠舁の一人に、小さい拳固で下腹を突いた。突かれた男は「わっ」と叫んで尻餅をついた。
   「何や、こんなチビに倒されよって、わいの相棒はこんな柔い男やったのか」
 ぼやきながら、相棒は三太の首根っこを掴まえようとしたが、今度は突き飛ばされてすっ飛び、倒れて目を回した。暫くすると目を回した男が正気に戻ったので、三太が横腹を蹴飛ばして言った。
   「こら、おっさん、こんなところで寝とらんと、早いことしょんべんをして武庫川まで行けや」
 駕籠舁は起き上がると、元来た道を引返しながら、ぶつぶつと話し合っていた。
   「このガキ、化け物やで」
   「わいら、えらいヤツに引っ掛かってしもたなあ」

 駕籠は、武庫川の手前に着いた。駕籠を地面に下ろすと、「すんまへん」と、小さく屈みながら、駕籠賃を要求した。
   「こら、おっさん、誰が武庫川の手前までやと言うた、向こう岸まで行かんかい」
   「そやかて、この橋の幅は狭くて、揺れるさかいに駕籠ごと川に落ちるかも知れん」
   「ほな、しゃあない、歩いて渡るわ、その代わり、駕籠賃百文やで」
   「このガキ怖いわ」
   「相棒、逆らったら、呪い殺されまっせ」
   「そやなあ、坊やちゃん百文でええから、祟らんといてや」
   「祟る? わいを何やと思うているのや」
   「怨霊やろ」 
   「アホ、怨霊が真っ昼間に出てきて、駕籠賃値切るのか」
   「何や知らんけど、わいら逃げるわ、着いて来んといてや」
 戻り駕籠は、何としても客を拾わないと、元締めにどやされるなあとぼやき乍ら、駕籠舁は駆け戻って行った。

   「あのおっさんたち、雲助かと思ったけど、案外ええ人やったなあ、百五十文も負けてくれた」

 峻は「なにかありましたか?」と、きょとんとしていた。章太郎が「あの駕籠、雲助でした」と説明しても、「三太さんがやっつけた」と話しても、ピンと来ない様子であった。
 武庫川の細い架け橋を歩いて渡ると西宮である。少し早いが峻の身を気遣って旅籠(はたご)をとった。
   「わい男やから、別の部屋をとってか」
 三太が旅籠の女中に話していると、峻が遮った。
   「そんな、勿体無いでしょうが、部屋は一つで床は二つとってくださいな」
   「なんや、わいは男扱いされへんのかいな」   
   「私が抱いて寝かしつけてあげます」
   「わあ、すけべ」
   「どっちがですか」

 翌日は、峻もすっかり良くなったので、早朝からいっきに歩いて夕方に明石に着いた。姉弟の屋敷は明石城から数町先の海が見える小高い丘の上にあった。姉弟の母上と使用人が迎えてくれた。
   「まあ、可愛いお客様!」
   「あのなー」
 三太は不機嫌になった。母は娘たちを掴まえて、仇討ちの首尾を尋ねていたが、事情を聞いてがっかりしたようであった。
   「お家再興は、無理かも知れませんね」と、母親はしょげたが、
   「その為に、三太さんが来てくれたのですよ」峻が言った。
   「えっ、嘘」
 母は、狐に摘まれたように、目を見開いて呆然とした」
   「わい、小さいから呆れるのは無理ないけど、わいが殿さんと掛合うのと違いまっせ」
 三太に憑いて来た守護霊が、殿を動かすのだと三太が説明したら、更に唖然として傍(かたわら)にへたり込んでしまった。

 その夕、三太は章太郎に明石城を案内して貰った。城の中へは入れなかったが、今夜、新三郎が忍び込む準備は出来たようである。

 深夜、明石城主、松平斉久の耳元に、亡き日揮総章の声が聞こえた。
   「殿、拙者で御座います、日揮総章で御座います。殿に願いたき事があり申して、今生へ戻って参りました」
 斉久は、目を覚ましたが、金縛りに遭い、身動きが出来なかった。
   「拙者は死んでも、殿に忠誠を尽くす忠臣で御座います、決して危害など加えませんのでご安心を…」
 斉久は、魔物ではないことを認識して、日揮の言葉に耳を貸すことにした。
   「それで願いたいこととは?」
   「はい、讃岐高之助の儀で御座います」
   「さぞかし、恨んでおろう」
   「いいえ、恨みなど微塵も御座いません、讃岐とは互いに斬る意思もなく剣を抜きましたが、拙者が讃岐の剣を交し損ねて、自ら讃岐の剣を身で受けてしまったのでございます」
   「しかし、讃岐はとどめを刺したであろうが」
   「あれは、拙者が苦しさ故に讃岐にとどめを刺してくれと頼んだもので御座います」
   「そうであったか」
   「どうか、倅たちに与えてくださいました仇討免状を撤回して、讃岐を呼び戻してくださいますように、切に、切に、お願い申しあげます」
   「そうか、よく戻って来てくれた、訳はよく分かった、そちが申すように讃岐は呼び戻して、日揮の家も章太郎に跡目を継がせよう、日揮、安心して成仏するが良いぞ」
   「有り難き仕合せにございます」
   「うむ」

 夢であれば、時には思い出せないこともあるのだが、斉久は、深夜の出来事をはっきりと覚えていた。やはり日揮の霊が現れたのだと思った。その日、日揮章太郎と、姉、峻が「藩侯の目通り」を許されて、殿の御前に罷り越した。
   「章太郎と峻か、仇討ちの旅、苦労であった」
   「お殿様に申し上げます」
   「章太郎、言わずとも良い、昨夜、日揮総章が余の枕元に現れて、事の次第を話てくれた」
 章太郎は「これだったのだ」気付いた。鷹之助の守護霊が、日揮の霊を呼び出したのであろう。
   「私も、父上の霊に、もう一度逢いとう御座いました」
   「日揮は、事は自分の過ちで成したことと、仇討ち免状を撤回して、讃岐を呼び戻して欲しいと言って消えたのじゃ」
   「讃岐のおじさんは、私達に仇討させようと身を呈しましたが、父の霊が止めました」
   「そうか、日揮は余程親友の讃岐の身が心配で、成仏できなかったのであろう」
   「讃岐のおじさんを、お戻し願えるのでしょうか?」
   「勿論じゃ、日揮の家も、章太郎が跡目を相続するがよい」
   「有難うございます」

 三太と、姉弟の母上は、二人の帰りを待っていたが、殿の言葉を聞き安心した。

   「それでは、わいの任務はこれで終わりましたので、すぐに引き返します」
 三太が帰ろうとしたので、章太郎が引き止めた。
   「もう一日、わが屋敷でごゆっくりなさってくれませんか?」
 明日は、章太郎が浪花まで送って行くというのを断って、三太はすぐに帰路に就いた。新三郎と一緒なので不安はないし、金はあるし、おもいっきり遊びながら帰りたいのだ。

 三太は、回し合羽の練習をしている。どうも芝居で見たように格好良くいかない。腰に差した木刀がだらしなく垂直なのも気に要らない。着物の紐を締めなおして、ほんの少し斜めに差して悦に入る三太であった。
   「おひけえなすって」
 中腰になって、右手を差し出したが、なんだか蛙が物乞いをしているように思えた。
   「新さんは、元渡世人やろ、格好を教えてくださいよ」
   「そんなの覚えなくても、三太は可愛いよ」
   「可愛いじゃあかんのや、格好よくないと…」

 遊びながら歩いていると、後ろから男がつけてくるのを新三郎が気付いた。
   「三太、振り向いてはいけないよ、男が跡をつけてくる」
 人影のないところに差し掛かると、いきなり走って近付いてきた。   
   「坊や、一人かい」
   「うん、一人や」
   「何処まで行くのや?」
   「大坂(今の大阪)までや」
   「これは驚いた、お金は持っているのかい?」
   「路銀か? そら持っているわ」
   「幾らほどもっている?」
   「そんなこと、言えるかいな」
   「旅籠賃、足りるのか?」
   「足りて、余る位持っている」
   「おっちゃんが数えてあげる、出してみなさい」
   「いらん、おっさん盗人やな、子供や思って甘く見たら痛い目に遭うで」
   「この糞ガキ!」
 男は、いきなり豹変した。

  第二十五回 チビ三太、明石城へ(終) -次回に続く-  (原稿用紙19枚)

「佐貫鷹之助リンク」
「第一回 思春期」へ
「第二回 鷹之助の許婚」へ
「第三回 深夜の盗賊」へ
「第四回 矢文」へ
「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
「第二十四回 チビ三太一人旅」へ
「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
「第二十六回 チビ三太、戻り旅」へ
「第二十七回 源太が居ない」へ
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「第二十九回 父、佐貫慶次郎の死」へ
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十三回 佐貫、尋常に勝負!

2014-05-04 | 長編小説
 早朝、鷹塾の外で、声高の女と田路助の遣り取りが鷹之助の耳に飛び込んできた。
   「讃岐高之助どのに逢いに参った」
   「鷹之助さんは、まだ眠っております、ご用件は俺が聞きましょう」
   「そなたでは埒(らち)があかぬ、讃岐を呼びなさい」
 いきなり命令言葉に変わった。
   「せめて、もう半刻後にして貰えませんか」
 更に怒号に変わり、
   「えーい煩い、そなたは引っ込んでおれ」
 白装束に白襷、頭には白鉢巻きをきりりと結んで、腰には白鞘の刀剣を差し、手を添えている。傍らには、同じく白装束の七・八歳の男児が健気に口をヘの字に結び、早くも抜き身を煌かせている。白装束は、返り討ちも覚悟の上であるとの意思を示す、死に装束であるのだ。
   「やあやあ、我こそお前に殺された日揮総章(にっきそうしょう)が娘、峻(しゅん)なり」
   「その弟、日揮章太郎」
   「憎き父の仇、讃岐高之助、いざ出て尋常に勝負!」

 鷹之助は、朝の光が眩しそうに目をしょぼつかせながら出てきた。
   「何ですか、騒がしい」
 峻が刀を抜き、鷹之助に向けた。だが、思っていた仇の風体と違っていたらしく、その柔和で丸腰の鷹之助を見て一瞬怯んだようであった。
   「私が佐貫鷹之助ですが、どちらの方ですか?」
   「播磨(はりま)の国は明石(あかし)藩士、日揮総章の名に覚えがあろう」
   「いいえ、ありません、播磨の国へは行ったこともありません」
 弟が姉の袖を引いた。
   「姉上、人違いのようです」
   「そんな訳がありません、確かに讃岐高之助と名乗ったではありませぬか」
   「同姓同名なのでしょう」
 この姉弟、町の占い師に依頼したところ、仇は西の方角一里のところで子供たちを集めて手習いを教えていると言われ、占い賃、銀二分を払った。占いを信じた姉は、惜しげもなく金を払い、西に向うと鷹塾に行き着いたのだ。然(しか)も子供たちに手習いを教えており、捜し求めてようやく辿り着いた仇である。姉は「騙されてなるものか」と、頑なになっているようである。
   「仇は、父の親友でしょう、この方は随分お若いではありませんか」
 弟が、姉を宥めた。そう言えば、仇の讃岐高之助は、父と同じく四十の少し前である。峻は、はっと気付いてその場に崩れ、土下座をした。
   「真にご無礼仕りました、どうぞお許しくださいませ」
   「私は構いません、それにしても弟どのは冷静でいらっしゃる」
   「姉は、仇を討ちたい一心で焦っております、私からもお詫び申します」
 それにしても、いい加減な占い師の為に翻弄された姉弟が気の毒に思える鷹之助であった。
   「実は、私も心霊占いをやります、良かったらお話いただけませんか?」
 その時、田路助が話に割って入った。
   「お嬢様、どこかお加減が悪いのではありませんか?」
 弟に、姉の額に手を当てるように促した。
   「熱いです、熱があります」
   「やはりそうですか、直ぐに医者を呼びますから、屋敷にお入りになって横になってください」
 姉、峻は、田路助を制した。
   「お待ちください、私達の持ち金は、町の占い師に全部払って、私は無一文です」
 鷹之助が、お峻をたしなめた。
   「難儀の折はお互いさまです、どうぞお気になさらずに田路助さんに従ってください」
 鷹之助は、田路助にこの姉弟のことを任せて、医者を呼びに行って貰い、章太郎と二人で朝餉を摂り、塾へ行く準備をした。
   「私は塾生の身です、休む訳には参りませんので、申し訳ありませんが出掛けます」
   「どうぞお構いなく」
 姉は先程とは打って変わって、弱弱しくそう言った。
   「章太郎さん、田路助さんが医者をつれて戻るまで、お姉さんを看てあげてください」
 「私は昼に戻ります」と言い置いて、姉弟を残し鷹之助は出ていった。

 昼、天満塾の勉強を終えて鷹塾に戻ると、お峻は熱の為にうなされていた。枕元に医者が置いていった薬の袋があり、田路助が煎じて飲ませたのであろう漢方薬の匂いが漂っていた。
   「こんな男臭い屋敷にお峻どのを泊めるわけにはいきません、鷹塾を早い目に終えて、町の養生院へお連れしましょう」
 養生院には、鷹之助の兄緒方梅庵の弟子たちが居る。頼み込んで受け入れて貰おうと云う算段である。

 町駕籠は、鷹之助自身が呼びに走った。途中、馴染みの両替商に寄り、預けてある金の中から銀貨七分と四朱、合計二両を下ろして貰った。
   「困ったときは、お互い様」
 鷹之助は、そう呟きながら辻駕籠を見つけた。
   「二町程行ったところで女の病人を乗せて、引き返して浪花の診療院へ行ってもらう、幾らでやって貰える?」  
   「へい、ちょっと距離が遠いので、二朱は覚悟して貰えまっしゃろか」
   「よしわかった、乗せる所まで案内する」

 駕籠屋のいう通り、距離は長かった。お峻を気遣いながら、日暮れ前には診療院に着いた。
   「私は、水戸の緒方梅庵の弟、佐貫鷹之助と申します」
   「梅庵先生の弟さんですか、これはお初にお目にかかります」
 その若い医者は、緒方建永と名乗った。 
   「病人を診て戴こうと連れて参りました」
   「それはご苦労さまです、今、担架を持って参ります」
 駕籠屋は、一朱と二百文を請求したが、釣りの五十文は煙草銭にと、二朱渡してやった。

 医者は、お峻を診ながら、「かなり弱っていなさる」と、鷹之助の目を見て言った。
   「患者はお峻さん、こちらはその弟君の章太郎さんです」
   「心配なさったでしょう、ここへ来たからにはもう大丈夫ですよ」
 建永は、章太郎にいった。
   「今夜はここでお預かり致します、完全看護ですから、付き添いは要りません」
 鷹之助と章太郎に優しく言った。
   「お兄様はご健勝であらせられますか?」
   「実は、私も暫く逢っていませんが、連絡が無いところを見ると元気でやっているのでしょう」
   「あなたも蘭方医を目指していらっしゃるのですか?」
   「いえ、医者は長兄の梅庵と、次兄の三太郎だけです」
   「あっ、あの三太さんですね、剣の達人ですので長旅も安心だと梅庵先生が仰っておられました」
   「その兄です、今は父の跡目を継ぐべく、上田藩の藩士と医師を兼ねて藩侯にお仕えしております」
   「梅庵先生からお聞きしましたが、三太さんは剛毅なおかたで、波乱万丈の幼少時代を送ってこられたのですね」

 喋っている間も、医師建永の手は患者の脈を取ったり、喉を覗いて記録を取ったりと、忙しく動いていた。
   「どうぞお引取りになって、明日またお越しください」
   「わかりました、ではそうさせて戴きます」
 
 帰路、鷹之助は章太郎に詳しいことを訊いた。

 昨年のことであるが、仲の良い父総章と仇高之助が、些細なことで諍(いさか)いになり、意地を張り合って双方とも剣を抜いてしまった。
 どちらかが冷静になれば、笑って収まったであろうに、つまらぬ武士の自尊心の為に、高之助が総章を斬ってしまった。血迷った高之助は、身分も家族も捨てて、そのまま姿を晦ましたのだった。総章の亡骸を検めたところ、脇腹の深手に加えて、止め(とどめ)を刺したと思える一突きが、心の臓を貫いていた。

 弟章太郎が、まだ幼いとして、昨年は仇討ち免状が藩侯から下りなかったが、今年八歳になったので免状が下り姉と供に仇討ちの旅に出た。父さえも敵(かな)わなかった高之助に、姉弟の腕で適う訳がない。それでも討たねばならない武士の子としての宿命を、章太郎は疑問に思うであった。

   「鷹之助さんも、占い師でしたね」
   「心霊占いと名付けています」
   「仇の居場所を占って貰えませんか?」
   「私は、何の手がかりも掴めなくては、勘で答えたりはしません」
   「どのような手がかりが有ればよいのでしょう」
   「どのような性格でしたか?」
   「子供好きで、私はよく遊んで貰いました」
   「優しい人なのですね」
   「はい、父とも仲がよく、よく酒を酌み交わし楽しそうに語り合っておりました」
   「顔に特徴は?」
   「子供の頃に、竹藪で転び切り株で頬に傷を負いました、その跡が残っています」
   「占いでは分かりませんが、奉行所の同心たちに訊いて貰いましょう」
   「名前を変えているかも知れません、頬の傷だけの手がかりで見付かるでしょうか?」
   「…かも知れません、とも角その辺からやってみましょう、章太郎さんには頑張って貰いますよ」
   「はい、よろしくお願い致します」

 鷹之助は、空き時間を見つけては、東町奉行所の与力、袴田三十郎を訪ねて同心や目明しに訊いてもらった。手がかりは、播州浪人の一人暮らしで、頬に古い傷跡がある。昨年に上方へ来て、子供好きで温和な性格。名は讃岐高之助だが、偽名を使っている恐れがある。
 鷹之助は、西町奉行所にも、東町与力袴田三十郎の名を出させて貰い、訪ねて回った。
   「もしかしたら、あの浪人かも…」
 有力な情報が、西町奉行所の同心から得られた。
   「確か、さぬき…」
 同心は考え込んだが、
   「間違いない、たかのすけと呼ばれていた」
 その浪人の頬の傷は、かなり薄くなってはいたものの、顕著であった。左官や大工の手伝い、日が暮れてのお店(たな)の使い走りや、主人の寄り合いなどに用心棒としてお供をするなど、相手に限らず頼まれたら何でも引き受ける気さくな侍として重宝がられていた。章太郎の言う通り、子供好きで、仕事のないときは、童心に戻って走り回って子供たちと遊んでいた。
 同じ長屋の人達の心も掴んで、信頼される存在であった。追われている様子もなく、讃岐高之助は本名であると言っていた。然も、元は播磨の国明石藩の藩士で、親友と些細なことで喧嘩になり、斬ってしまったのだと常々後悔の念に苛まれているようであるとの情報を得ることが出来た。
 これは、間違いなく章太郎姉弟の仇である。ただ、鷹之助が理解出来ないのは、全て隠すことなく曝け出していることだ。必ず討っ手が差し向けられるに違いないのに、寧ろ自分の在り処を示しているようではないか。
   「姉上の回復の前に、仇討ちとしてではなく、高之助おじさんに逢ってみます」
 章太郎の意思を尊重して、鷹之助が付き添って逢うことにした。

   「章太郎か、待っておったぞ、たった一年で大きく成り申した」
   「おじさんに、父を斬った折のことを訊きにきました」
   「そうか、何もかも明かそう、聞いてくれるか」
   「はい、どんな事でも驚きません」
   「そうか、成長したものだ」
 高之助は、長屋で一人住まいだった。土間に下りると、章太郎に土下座をして謝った。顔を上げると鷹之助を見上げ、「どなたですか?」と、問うた。
   「私は、章太郎姉弟に、あなたと間違えられた、佐貫鷹之助と申します」
   「これは、大変なご迷惑をお掛けしました」

 些細なことから、剣を抜き喧嘩になってしまったが、双方に殺しあう気など微塵もなく、相手の日揮総章も態と外して剣で空を斬った。高之助もその剣を鍔で受け止めようとして、迎いにいった剣が力余って総章の脇腹に食い込んでしまった。
 深い傷に悶え苦しむ総章から、「頼む、とどめを刺してくれ」と頼まれ、詫びて泣きながら左胸を刺してしまった。その場で切腹しようと思ったが、家族のことが脳裏から離れずに、気が付けは出奔していたのだと話した。
 かくなる上は、総章を弔いながら、章太郎の仇討ちを待とうと心に決めて、今日まで生き延びてしまったのだ。
   「仇討ちは、いつでも受けて立つ、決して逃げはしない」
 見ると、狭い長屋に仏壇があり、薄い板に「日揮総章の霊」と、高之助の手書きであろう下手な文字で書かれて、酒が供えてあった。
   「もう、若気の至りとは言えないような歳を引っ提げていながら、取り返しのつかないことを仕出かしてしまった」 
 詫びても詫びきれない様子の高之助であった。

 診療院に寄って、姉の峻に話すと、今直ぐにでも仇討ちに出かけたいようすであった。高之助と逢って訊いたことを話したが、峻は憤りを堪えきれないように言い放った。
   「私達を女子供だと思って侮っているのでしょう」

   第二十三回 佐貫、尋常に勝負!(終) -次回に続く-  (原稿用紙17枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十二回 天神の森殺人事件

2014-05-03 | 長編小説
 鷹塾は、かつての如くお鶴の叫びで開かれた。
   「先生、大変、大変」
   「おや、お鶴さん、どうました?」
   「なんだ、田路助さんか」
   「なんだはないでしょう、俺は鷹之助さんの家来ですから、まず俺がお聞きして先生に取り次ぎます」
   「そんな面倒臭いことをせんでも、先生に聞こえていますやろ」
   「鷹之助さんはただ今ご本をお読みになっています」
 長らく天満塾を休んだので、勉強の遅れを取り戻すべく田路助が昼餉の支度をしている間に鷹之助は勉強をしているのだ。
   「広い屋敷ではないので聞こえていますよ」
 鷹之助は本から目を離してお鶴を見た。
   「天神の森で、人殺しがあったのです」
   「お役人が、犯人を捜して捕らえてくれるでしょう」
   「そうなんやけど、殺されたおじさんは、うちの小さい頃から知っている材木商丹後屋の主人義左衛門おじさんです」
   「それは大変だ、で、どんなおじさんだったのですか?」
   「優しい人で、おじさんのところへお金を借りに来た人に、貸す位いなら差し上げますと渡してあげたこともあったそうです」
   「へえ、貸し借りが嫌いなのですね」
   「お金の貸し借りは人間関係を悪くすると常々…」
   「人付き合いを大切にしていたのですね」

 事件はこのまますんなりと解決することはなく、意外な方向に発展した。お鶴の父、小倉屋千兵衛に殺しの疑いがかかったのだ。その根拠は、義左衛門を呼び出した男が何事かを囁くと義左衛門は「何、小倉屋が」と叫んで血相を変えて店を飛び出していったと丹後屋の使用人が証言している。途中、義左衛門は履いていた雪駄を脱ぎ、懐へ捻じ込むと、足袋のまま駆け出したそうである。
 小倉屋千兵衛は「わたしは義左衛門を呼び出した覚えも、勿論殺した覚えも無い」と訴えたが聞き入れられず、拷問こそされないが、お牢に繋がれたままで幾日か過ぎた。

   「おじさんが殺されたとされる日の時刻には、お父っちゃんは店に居ました」
 お鶴の家族が東町奉行所に訴えに行ったが、家族の証言は取り上げられないと門前払いを食った。

   「大丈夫だよ、私が下手人を突き止めます、だが、焦った奉行所が千兵衛さんを拷問にかけてはいけないので、今から奉行所へ行きましょう」
 鷹之助はお鶴を残し、東町奉行所へ向った。店を開くどころではないので、兄の昆吉も鷹之助の供をすることになった。

   「それがしは心霊占い師の佐貫鷹之助と申す、どなたか与力殿にお会いしたい」
   「存じております、あの有名な方ですね、ご用件は何でしょう」
   「材木商丹後屋の主人殺しの件でお願いしたいことがあり申す」
   「お取次ぎいたします、暫くお待ちを…」
 門番が一人奥に消えた。やがて茶格子の着流しに紋付の黒羽織をはおった武士が出迎えた。
   「それがしは占い師の佐貫鷹之助と申す、お願いしたきことが御座って罷り参りました」
   「町与力、袴田三十郎で御座る、佐貫殿には事件に際して何かと助言を賜ったと同心たちから聞いております」
   「いえいえ、助言などとは恐れ多い、占いの結果をお伝えしたまでで御座る」
   「丹後屋殺しを鷹之助どのに伝えたのは、同心の一人でござるか?」
   「そうではありません、いま捕らえられている小倉屋千兵衛は、やがてそれがしの父となるべくお方、拷問を心配して家族の一人として訴えに参り申した」
   「そうで御座ったか、千兵衛には決して拷問は致さんのでご安心を」
   「今から会わせては戴けませんか?」
   「一応容疑者ですので、それは叶いません」
   「では、この場所から千兵衛の魂に呼びかけますが、それは如何なものでしょうか」
   「そんなことが出来るのですか?」
 袴田は驚いたようであった。
   「出来ます、色々聞き質したきことがありますゆえ、黙認願います」
   「分かり申した、何事か有力な証言が得られた時には、我々にも話してくだされ」

 牢内の小倉屋千兵衛に、何処からとも無く言葉が伝わった。実は、新三郎の仕業である。
   「千兵衛さん、わたしは佐貫鷹之助です、黙って聞いてください」
 千兵衛は驚いた。辺りを見回しても牢番さえ居ない。だが、はっきりと鷹之助の言葉が伝わってくるのだ。
   「そうか、これが鷹之助さんの霊力なのか」
 話では聞いていたが、鷹之助の霊力はこんなに凄いものなのかと、今更ながら感心させられた。
   「あなたが無罪であることは、役人さえも感じています、いま暫く解き放されませんが、私が無罪を証明して見せ、真犯人も突き止めます、役人はあなたに拷問を科すことはありませんから、今しばらく我慢してください」
   「わかりました」
   「声を出さずとも心に念じれば、わたしに伝わります」 
   「はい、そうします」
   「それで結構です、あなたに二・三質問があります」
   「知っていることは全部お話します」
   「最近、義左衛門さんに変わったことはありませんでしたか?」
   「そう言えば、評定所の立替普請で、材木商の入札があったのですが、木曽駒屋さんに非常な安値で落ちたことを訝っておりました」
   「非常な安値ですか?」
   「はい、あの価格では、とても商いは成り立たない、何かカラクリがあるに違いないといっておりました」
   「義左衛門さんは、そのカラクリを掴んだのかも知れませんね」
   「きっとそうです、それで口封じをされたのでしょう」 
   「最近普請奉行に逢いに行ったとは言っていませんでしたか?」
   「行っておりました、門前払い同然に帰されたので、他の材木商に相談してみると言っておりました」
   「なるほど、ではもう一つだけ、義左衛門さんは誰かに呼び出されて、「小倉屋が」と一言残して、血相を変えて店から飛び出していったそうなのですが、千兵衛さんは何者かに脅されていた事実はありませんか?」
   「もしかしたら、あの事かも知れない」
   「あの事とは?」
   「半月程前ですが、妙な男が店の前をうろついていたり、店の中を覗いたりしているとお鶴が気味悪がって言うので、それを義左衛門さんに話したことがあります」
   「千兵衛さん、有難う御座いました、安心して放免をお待ちください」

 続いて、鷹之助と昆吉は材木商丹後屋に足を延ばした。丹後屋の店は閉ざされ、戸には忌中と書いた紙が張られていた。店の者に名を告げてお悔やみを述べ、犯人を突き止める為に話を聞かせて欲しいと頼むと、快く店の中に入れてくれ、ご主人が誘き寄せられた時に居合わせた番頭と話ができた。
   「ご主人を訪ねて来た男ですが、見覚えはありませんでしたか?」
   「おまへん、でも旦那様はご存知の人のようだした」
   「お侍でしたか?」
   「いいえ、町人だした」
   「ご主人は、その男を疑うこともなく、着の身着のままで飛び出したのですね」
   「はい、そうです」
   「その男を、他の人も見ましたか?」
   「いいえ、わて、だけです」
   
 鷹之助は、新三郎に語りかけた。まず、木曽駒屋の使いの者なら、義左衛門は、時が時だけに警戒するだろう。普請奉行の中間(ちゅうげん)であっても、何の疑いも無く飛び出してはいないだろう。一応は、何者であるかを聞き質した後に、飛び出す筈だ。
 義左衛門が耳元で囁かれたのは「小倉屋千兵衛が刺されて、虫の息で義左衛門に逢いたがっている」とでも言われたのであろう。と、すると、義左衛門がよく知っていて、しかも千兵衛のことも知っている男だ。小倉屋は小さなお店で、使用人は女中が二人だけだ。
 では、丹後屋の使用人であればどうだろう。それなら、主人が飛び出すところを見た番頭が知らないわけが無い。
   「鷹之助さん、義左衛門さんを誘き寄せに来た男は、一体誰でしょうか」

 新三郎は、その可能性のある男の心を次々と探ってまわったが、見付けることは出来なかった。何の関係もない行きずりの男に金を渡して頼んだのであろうか。それならば、義左衛門は「どんな男から頼まれたのか」と、訊いたであろう。
   「そもそも、そんな男が存在したのでしょうか」
 鷹之助は、そんな男が存在しなかったと仮定して考えてみると、話はいとも簡単になる。
   「えっ、では目撃した番頭は嘘を言っているのですか?」
   「私の勘ですが、どうもあの番頭が怪しいように思えます」
 義左衛門が飛び出すときの様子を証言した丹後屋の番頭は、全くの盲点であった。
   「よしきた、あっしが探りを入れてみます」
   「新さん、頼みます」

 やはり、番頭の証言は嘘であった。義左衛門の耳元で囁いたのは、番頭自身であった。その番頭が気掛かりに思っているのは、代償の銀で二百分であった。
   「番頭は、今夜にも受け取りに行くだろう」
 東町奉行所の与力袴田三十郎に、今夜は犯人が動く筈だから、待機して居てくれるように頼んでおいた。鷹之助と昆吉は、丹後屋の店を張った。

 今夜は通夜で明日は葬儀という夜に、番頭が一人店を抜け出て、鷹之助の尾行は開始された。番頭はやはり天神の森に向っている。昆吉は奉行所へと走った。鷹之助は「これは危ない」と感じ取った。主犯はまだ突き止めてはいないが、必ず番頭は口封じのために消されるだろう。これは何としても阻止しなければならない。
 やはり、番頭は天神の森に入った。丁度義左衛門が殺された辺りで、番頭は三人の男に囲まれた。
   「わてです、丹後屋の番頭です」
   「番頭か、よく抜け出て来たな、誰にも後を付けられていないか?」
   「へい、大丈夫です」
   「約束は銀二百分だったな」
 一人の男が言うや否や、懐から匕首を出して鞘から抜いた。月明かりに、抜き身がキラリと光った。
   「いい歳をした男が、こんな成り行きも予想出来ないなんて、馬鹿な番頭だ」
 鷹之助が吐き捨てるように言ったときには、新三郎は既に匕首を持った男に移っていた。男が番頭の胸を刺そうとしたとき、鷹之助は叫んだ。
   「待ちなさい、その男は私が殺させはしない!」
 番頭と三人の男は、一斉に声がする方を見た。そこには、図体こそ大きいが、若くて軟弱そうな男が佇っていた。
   「ちぇっ、驚かしやがって、まだ尻の青いガキじゃねぇか」
 鷹之助は、カチンと頭に来た。
   「何をぬかすか殺し屋ども、俺の尻を見たのか」
   「見んでもわかるわい、この蒙古斑野郎!」
   「そうか、よし、ケツを捲ってみせてやる」
 そんな下らない遣り取りをしている内に、匕首を持った男は気を失って地面に崩れた。別の男達が匕首を出して鷹之助に向ってきたが、やはり次々と気を失った。番頭は怖れて逃げていったが、途中袴田三十郎に見付かり、捕り押さえられた。

 三人の男は、奉行の取調べに応じて、すんなりと木曽駒屋に雇われた無宿者であることを白状した。木曽駒屋も捕らえられ、勘定奉行と組んで企てた入札のカラクリを吐露した。

 不正入札と言えば談合であるが、多くの仲間と組まなければならず、秘密が漏れる恐れは大である。そこで入札は合法的に、確実に落せる破格の安さで入札をする。
 その後、普請に取り掛かると、普請奉行が高額で追加注文を重ね、通常価格を上回るまで吊り上げる。純利益は、木曽駒屋と普請奉行の山分けである。

 丹後屋義左衛門は、そのカラクリを見破り、普請奉行に詰め寄ったために木曽駒屋が雇っている無宿者と、丹後屋の番頭を銀二百分(五十両)で買収して犯行をやらせた。小倉屋を巻き込んだのは、丹後屋と仲の良い小倉屋の名を出せば、必ず引っ掛かると踏んだかである。

 この事件は、大坂東町奉行所で裁かれ、人殺しを実行した男は打首、殺しを教唆した木曽駒屋は、財産没収の上、打首獄門、加担した丹後屋の番頭と木曽駒屋に雇われた余の者は永の遠島となり、小倉屋千兵衛は晴れて無罪放免となった。
 普請奉行は、評定所で審議され、奉行職を解かれ、着服したと想定される金は返済させられて無役の武士になったが切腹は免(まぬか)れた。だが、評定所で想定した額は、甘かったようだ。この数年後に、賄賂をばら撒いて、幕閣に入閣したのだ。

   「鷹之助さん有難う、お陰で命拾いをさせてもろうた」
   「いえ、千兵衛さんは、長い間お牢内で心細かったでしょう」
   「いやいや、鷹之助さんの言葉で、安心して待っていられました」
 私の言葉でなく、本当は新さんの言葉だったのですよと、鷹之助は言いたかったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
   「いやあ、鷹之助さんの術は凄かった」
 小倉屋千兵衛の感想である。

  第二十二回 天神の森殺人事件(終) -次回に続く- (原稿用紙17枚)

「佐貫鷹之助リンク」
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「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
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「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十一回 人を買う

2014-04-30 | 長編小説
 京は竹薮の多いところである。北小路篤之の屋敷へも、幾つかの竹薮に挟まれた路を通り抜けた。田路助は御所から程近い、公家屋敷に鷹之助たちを案内した。
   「このお屋敷にございます」
   「立派なお屋敷ですね、田路助さん、占い料は如何程請求しましょうか?」
   「そうですね、十両だと吹っ掛けてみては如何でしょう」

 大きく開かれた門には、二人の番人が立っていた。田路助が門番達に何事か囁くと、二人は鷹之助を見て軽く頭を下げた。
   「ご主人様がお待ちかねじゃ、お通しなされ」と、田路助に言った。

   「田路助、ただ今戻りました、ご主人様にお取次ぎを…」
 下女が足盥を持って出て来て、鷹之助と政吉の足を洗ってくれた。「裏口へまわれ」と、言われなかったのも、一応は「客人」として迎え入れられたのであろう。

   「占い師殿、よく来てくれた」
   「私は佐貫鷹之助でございます、して、こちらは供のもので、政吉と申します」
   「麻呂が北小路篤之じゃ」
   「田路助どのに聞き申し、取るものも取り敢えず参上いたしました」
   「その方が占い師とは、なにやら若すぎて頼りなげであるのう」
   「どうぞ、お気の済むように、我が霊力をお試しくださいませ」
   「そうであるか、では、そこの家来を、接近せずに倒してみせよ」
   「そのような事で、お気がすまれるのでしたら、どこからでも斬り込ませてください」
   「これ、山之辺、剣を抜いて鷹之助どのに挑んで見せぃ」
   「はっ、斬ってもよろしいのですか?」
 家来、山之辺は勇んで一歩前にでた。鷹之助は山之辺を睨み据えて、「構わぬ」と、身構えた。
   「ただし、私が手心を加えきれずに、山之辺どのの命を奪ってしまうかも知れぬ、そう心得てかかってきなさい」
 その鷹之助の一言で、山之辺はあきらから動揺したが、勇気を振り絞って剣を上段に構え、「やあーっ」と、鷹之助に斬りかかった。剣が鷹之助に届く辺りまできて、気合が悲鳴に変わった。山之辺は、大仰に叫ぶと、剣をパラリと地上に落とし、苦しみの表情をみせて自らも地上に崩れた。鷹之助は新三郎の芝居とみてとり、可笑しくて噴出しそうになったが堪えて北小路の方に向き直った。
   「こんな事で宜しいでしょうか?」
   「山之辺は死んだのか?」
   「いえ、気を失っただけでしょう」
   「失礼仕った、どうぞ失せ物の行方を占うてくりゃれ」
   「紀州へは、間もなくお発ちになられるでしょう、さっそく占い、必ず失せ物の茶釜を探し当て、お公家様の牛車に追いつきますので、安心なさって旅をお続けください」
   「さようでおじゃるか、鷹之助、確と頼むぞ」
   「はい、お任せください」
   「占い料は、如何ほど用意すれば良いのじゃ」
   「三百両でございます」
   「高いのう、もちっと負からぬか?」
   「お公家様ともあろうお方が、お値切りになるとはご家来衆の手前、如何なものですか」
   「そう申すな、麻呂とてもこの切羽詰まった折りに言いとうないが、このところ出費が嵩んで家計は火の車なのじゃ」
   「まあ、ご相談には応じましょう」

 北小路篤之は牛車(ぎっしゃ)に乗り込むと、やや不安げに旅発って行った。鷹之助は、屋敷の者に頼み、茶釜を探しに出る為に道案内役として田路助を供につけてくれるようにと頼み込み、しばし占い師らしく黙祷して見せた後、町に出た。

 茶釜は、田路助が人っ気の無い古寺にある墓石の唐櫃(からと)の中に隠していた。重い石蓋を開けると、油紙で包んだ箱が出てきた。中を確かめると、三人は北小路が乗る牛車を急ぎ足で追った。

 牛車には、伏見に差し掛かったところで会った。ここで三十石船に乗り換えて大坂まで下り、紀州藩から迎えに来た大名駕籠で和歌山城へ向う行程である。

 鷹之助たちは、先回りをして伏見の船着場で待った。牛車はゆっくり止まり、輿の戸が開かれ、北小路が下りて来た。
   「茶釜をお届けに参りました」
 鷹之助が茶釜を差し出すと、中を改めた北小路は、安心したように胸を撫で下ろした。
   「言葉通り、幾らか負けて貰えるのであろうのう」
   「負ける事は出来ませんが、田路助さんを私に百両で譲って戴けませんか?」
   「わかった、譲ろう、それでは二百両を支払えばよいのでおじゃるな」
   「はい、それで結構で御座います」
 北小路は、供の家来に二百両払えと指示した。
   「ところで、お公家様は、私の供の政吉に見覚えはありませぬか?」
   「はて? 一向に覚えは無いぞ」
   「十数年前に遡ってお考えください」
   「知らぬのう」
   「お公家様は、人攫いから子供を買いませんでしたか?」
 北小路は政吉を繁々と眺めて「えっ」と言った後、絶句した。
   「思い出されましたか、政吉はその時の子供です」
 暫く経って、北小路は政吉に声をかけた。
   「政吉と申すのか、お前には酷いことをしてしまった、京極の親分からは、大切に育てていると聞いたが、辛い思いをさせなんだか?」
   「いいえ、親分の言葉通り、可愛がってくれました」
   「左様か、それは良かった、あの時に生まれた麻呂の子は、流行り病で死んでしまったのじゃ、これは我が非道の祟りと後悔しておった」
   「私は恨んでなぞいません、恨むとしたら子供を拐かして売った人攫いです」
   「買った麻呂も悪かった、政吉、許してくりゃれ」
 北小路は、たった今、田路助を鷹之助に売ったことなど忘れ去っていたようである。一行は船に乗り込んだが、鷹之助は政吉を京極一家まで送る為に船に乗る日を遅らすことにした。
   「では、お別れで御座います、和歌山城までの御旅、どうぞご無事で…」
 一行とは、伏見京橋の浜で別れた。


   「田路助さん、これで良かったのですか?」
   「はい、有難う御座いました、これからは鷹之助さんの下僕として、一生懸命にお尽くし致します」
   「あはは、あれは嘘ですよ、私ごときに下僕などいりません、田路助さんはご自由になさってください」
   「でも、いきなり自由だと仰せられても戸惑うばかりどす、暫くは鷹之助さんの下僕として置いていただけませんか?」
   「それは構いませんが、下僕ではなく友人としてお迎えいたします」
 田路助は「もったいない」とは言いつつ、それを承諾した。
   「では、二百両のうち、百両が田路助さんの分です」
   「そんなに戴いて良いのですか?」
   「元はと言えば、田路助さんが立てた計画ではありませんか」
   「面目次第もありません」
   「残りの百両は、政吉さんがお使いなさい」
   「わいは何も…」
   「政吉さんは私と違いお金持ちでしょうから、どうでしょう京極の親分に差し上げては如何でしょうか」
   「そうですね、育てて貰って何も礼をしていませんので、親孝行の積りで置き土産にします」
   「ところで…」田路助が済まなさそうに言った。「鷹之助さんには塾を休んで戴き、船賃や旅籠代まで出していただきましたのに、一文もなしではあまりにも申し訳がありません」
   「では、双方から一朱ずつ戴きましょうか」


 京極一家まで政吉を送って行くと、「明日の夕刻までゆっくりして行け」と、政吉や子分達にもせがまれ、鷹之助と田路助は言葉に甘えることにした。
   「一宿一飯の恩義にあずかり、ここで殴り込みでもあれば、私達は何の役にもたちませんね」
 鷹之助が冗談半分に言うと、政吉が即座に返した。
   「その時は、亥之吉兄ぃの手で行きましょうや」
   「どうするのですか?」
   「隅っこに居て、声援だけするのです」
   「それでも斬りかかられたら?」
   「尻に帆かけて逃げ出すのです」
 子分の一人が笑いながら言った。
   「こら、豚松(政吉)、わいが首根っこ掴んで、相手の前に突き出してやる」

 政吉は、鷹之助に言われた通り、百両を京極の親分に差し出すと、親分は喜んで受け取ってくれた。ちょっと親孝行をした気分になった政吉であった。

 翌朝、政吉は江戸へ向けて出立した。やはり京極一家が政吉の実家のようで、親分子分と別れるのが寂しげであった。

 その日の八つ刻過ぎに、鷹之助と田路助は一家の人達に礼を言って別れ、伏見の船着場へ向かった。船上では、田路助の身の振り方について話をした。
   「俺は、鷹之助さんの下僕として末永くお仕えしたいのどす」
   「だから言ったでしょう、わたしは下僕を置くような身分ではありません」
   「私は手に職も、商人の知識もありません、読み書きすら出来ないのどす」
   「今からでも遅くはありません、勉強しましょう」
   「俺はもうすぐ二十歳なのですよ、今更勉強なんて出来ませんよ」
   「何を言うのですか、読み書き算盤は私が教えましょう」
   「俺に覚えられるでしょうか?」
   「大丈夫です、上方に戻ったら、まず一年間鷹塾で読み書き算盤を勉強しましょう」
   「はい、よろしくお願い致します」
   「その後は、私の知り合いの雑貨商福島屋さんに頼んで、商いの見習いをしては如何ですか?」
   「雇ってくれるでしょうか」
   「雇われるのではありません、勉強をさせて貰うのです、お給金は貰えなくても、食と住と商いの勉強が田路助さんへの報酬なのです」
   「わかりました、頑張ってみます」
   「それまで、この百両は両替屋に預けておきましょう」
   「お任せいたします」


 ようやく、鷹之助は普段の生活を取り戻した。だが、田路助が居るお陰で、食事の用意をする必要がなくなった。生活費を田路助に渡しておくと、女房さながらにやりくりをしてくれる。その分、鷹塾の学習時間を延ばして二部制にし、塾生の子供も二倍に増えた。田路助は子供好きとみえ、すぐに子供たちの心を掴んでしまった。
 鷹塾が終わったあと、鷹之助は子供たちを送り届けるようになった。ただ困ったことに、お鶴との二人きりの時間が取れずに、お鶴はご機嫌斜めである。そこで、鷹之助は考え、お鶴を店まで送り、小倉屋の店で茶を一服頂戴して、お鶴と語り合い、そして鷹塾に戻るのを日課にした。
 
   第二十一回 人を買う(終) -次回に続く-  (原稿用紙14枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十回 公家、桂小路萩麻呂

2014-04-27 | 長編小説
 早朝、鷹塾に来客があった。その旅鴉風の男は、江戸の商人菊菱屋政衛門の倅、政吉と名乗った。
   「申し訳ありません、わたしはあなた様を存じ上げませんが…」
   「そうですね、一度もお逢いしたことはおへんのどす」
 それもその筈、雑貨商福島屋亥之吉を兄と慕うもので、亥之吉は佐貫三太郎を命の恩人であり友と親しみあう仲らしい。鷹之助は亥之吉に逢ったことはないが、名前は兄から聞いて知っている。ここへ相談に来た美濃吉の弟、池田の須馬八に「親兄弟に逢ってきなはれ」と、路銀と旅衣装を与えた商人である。
   「その政吉さんが、わたしにどんな御用でしょうか」
   「いえ、ご用って程のことではないのどすが、お元気になさってはるかご様子を伺って来いと亥之吉兄ぃに頼まれました」
   「それはご親切に有難うございます、わたしはこの通り、元気にやっております」
   「もし、お独りで生活なさって、お困りのことがおしたら、道修町の雑貨商福島屋を訪ねるようにと言いつかって参りました」
   「福島屋さんの本店ですか?」
   「その通りどす、もし鷹之助さんが訪ねていらっしたら、あんじょうしてあげてくださるようにと伝えておきました」
   「本当に心丈夫です」
   「佐貫三太郎さんのことは、みなさんご存知ですから、親戚だと思って頼ってくださいと、福島屋のみなさんがおっしゃっておられました」
   「有難う御座います、お帰りになりましたら、福島屋亥之吉さんに宜しくお伝えください」
   「わかりました、亥之吉兄ぃも、安心することでっしゃろ」
   「ところで、政吉さんは、京のお生まれですか?」
   「いえ、生まれは江戸どすけど、赤子の頃に拐わかされて京のお公家屋敷に売り飛ばされました」
   「そんなことがお有りでしたか、大変な目にお遭いでしたのですね」
   「その二年後に、わたいを買ったお公家に実の子が誕生して、わたいが邪魔になったお公家が京極一家の親分に、処分してくれと頼んだのだそうどす」
   「処分とは酷い」
   「親分も犬猫のように処分とは何事と前後の見境もなく怒って、尻を捲ったそうです」
 政吉は、京極一家の跡取りとして大切に育てられたが、十四歳の時に亥之吉と出会い、親分の承諾を得て、亥之吉に護られて両親を探す旅に出た。両親は、それまで営んでいた装飾品の店菊菱屋を売り払い、我子政吉を探すべく、お遍路姿で京に上ったのだった。
 すれ違いなど、紆余曲折があって、菊菱屋政衛門夫婦に出会い、亥之吉の助けもあって、元菊菱屋があった神田に小さな店を構えることが出来た。
   「実は、亥之吉兄ぃの前で、育ての親である京極一家の親分に逢いたいと呟いたばっかりに、旅のお膳立てをされて、旅に出されましたのどす」

 京極一家の親分に逢ったら、ちょっと足を伸ばして、福島屋の本店と、鷹之助さんを訪ねて、様子を見てきてほしいと亥之吉に頼まれた政吉であった。
   「そやけど、どちらさんもお達者で、兄ぃによい土産ができました」
 丁度、鷹之助も天満塾に行く時刻だったので、政吉と一緒に出かけることにした。政吉は今夜、淀屋橋あたりの旅籠に泊まり、明朝三十石船で京へ上り、もう一度京極一家に立ち寄り江戸へ向うそうであった。
   「堅気の政吉さんが、どうして渡世人姿で旅をなさっているのですか?」
   「これは兄ぃの提案で、商人姿だと強請(ゆす)りや盗賊に襲われやすいから、態(わざ)とボロ着の旅鴉風体で旅をしているのどす」
   

 その日、鷹塾の勉強が済んで子供たちが帰った後に、またしても客人が訪れた。
   「鷹之助どのとは、そなたでおじゃるか?」
 鷹之助は驚いた。今どき「おじゃる」なんて言葉を使う公家(くげ)など居ないと思っていたからだ。
   「お公家様でいらっしゃいますか?」
   「桂小路荻麻呂じゃ」
   「お公家様が、牛車(ぎっしゃ)にも輿(こし)にもお乗りにならず、このようなあばら家においでになるとは…」
   「麻呂は、苦しゅうないぞ」
   「どのようなご用件でしょうか?」
   「京へ上り、失せ物を探してほしいのじゃ」
   「わたしは塾に通う塾生の身です、その上、子供たちに読み書きを教えていますので休むことが出来ません」
   「さようでおじゃろうが、こちらは公家一人の命がかかっておじゃりまする」
 
 鷹之助は、考え込むような振りをして、新三郎に相談した。
   「新さん、この公家、怪しいですね」
   「偽者ですぜ、鷹之助さんを京へ連れて行き、何やら金儲けに使うようです」
   「そんなことだろうと思いました」
   「話を聞いてやりなせぇ、いざと言うときは、あっしが何とかしやす」

 鷹之助が、悩んでいると見てか、萩麻呂が先に口を開いた。
   「鷹之助どのが通っている塾には、麻呂がお願いしましょう」
   「いえ、それには及びません、お公家様のお命がかかっているとあれば、何を捨て置いても参りましょう」
   「それはかたじけのうおじゃる」
 萩麻呂の話はこうである。毎年、紀州候が催す野点(のだて)に、公家の代表として出席する北小路篤之(きたのこうじあつゆき)が持参することになっている八代将軍から贈られた茶釜を、何者かに盗まれてしまったのだ。別に武士のように切腹して面目をはらす必要はないものの、将軍家からの贈り物を紛失した無礼は、帝の面目さえも潰しかねない。困り果てている篤之に、ある男が鷹之助の話をした。
 男は、鷹之助の霊験あらたかなる術で、盗まれた茶釜を探し当てさせようと話を持ちかけたのだった。
 紀州候の野点は、七日後に迫っていた。
   「京へ参りますが、期日までに探せるかどうかは保障できません」
   「それは良いのでおじゃる、茶釜は既に麻呂が見つけておじゃる」
   「へ? それはまた何故でございますか? 桂小路様がお渡しになればよろしかろうに」
   「麻呂の手から返せば、一文にもなりませぬ」
 それっ、出たぞ、こいつの魂胆。鷹之助は内心「にたり」と笑った。
   「わたしが入れば、お金になるのですか?」
   「左様でおじゃる、そのために鷹之助どののことを、若いが日本一の占い師と言っておじゃる」
   「分かりました、この儲け話に乗りましょう」
   「おおきに有難うで、おじゃります」
   「ところで、あなたはお公家さまではありませんね」
   「何故にそのような戯言を言いおじゃるか」
   「私は日本一の心霊占い師ですぞ、それ位のことを見破れぬ訳がありません」
   「そうでした、大変失礼を致しました」
   「お話を聞きましょう」
   「へえ、俺は北小路家の下僕で、田路助(たろすけ)と言います」
   「手を組んだからには、真実を打ち明けてください」
   「はい、何もかも申し上げます」
 田路助は、十歳のときに北小路家に連れてこられ、陰間として散々弄ばれた末、下僕として扱き使われている。勿論、お手当てなどは貰えず、もし病に倒れでもしたら、使い古した雑巾のように捨てられる奴隷のような身上である。
 十余年前にも、人買いから幼い男児を買って養子にしたところ、直ぐに実子が誕生し、要らなくなった養子をヤクザの親分に処分させたこともあった。
 どうせこの家で犬死するのなら、たとえ失敗をして殺されることになっても、主を困らせてやりたい。できることなら、ここを逃げ出して、貧しくとも人並みの生活がしてみたい。そう考えて、主人が捨てた衣服を拾って繕っておき、茶釜を盗んで隠し、この企てを実行することにした。
   「あなたの言葉を聞きながら、あなたの魂を透視しましたが、嘘偽りはないようですね」
   「もう嘘は申しまへん」
   「京へ行きましょう、それには私が通う塾と、この鷹塾の子供たちの許可をとらなければなりません、明日一日待ってくれますか?」
   「はい、では明後日の早朝にお迎えに上がります」
   「今夜と明日の旅籠は取られているのですか?」
   「今から、どこか安宿を探します」
   「その形(なり)で、ですか?」
   「着替えは持っておるのどす、ちょっと井戸端をお借りして、化粧を落とさせて戴けまへんか?」
   「どうぞ、よろしければここへお泊り戴いても構いませんよ」
   「いえ、このような泥棒を泊めてはいけまへん」
   「あなたは信用できる方だと確信しております」
   「助かりますが、甘えてもよろしいのどすか?」
   「はい、丁度、塾生の親御さんが恵んでくださった真新しい布団があります、明日一日は、ここでゆっくり為さって居てください」
   「お留守の間、薪割りでも、洗濯でも、何でもお申しつけください、俺は何もしないと死んでしまいます」
   「回遊魚みたいな方ですね」

 翌朝、鷹之助は味噌汁の香りで目が覚めた。田路助が朝餉の支度をして待っていてくれたのだ。鷹之助が塾に出かけるときは、まるで女房のように見送ってくれた。

   「新さん、幼い政吉さんを人買いから買った、さるお公家とは、北小路かも知れませんね」
   「そうでしょうが、たとえ一年でも二年でも、育ててくれた養父母です、政吉さんは恨みには思っていないでしょう」
   「処分されそうになったのに?」
   「そこいらのならず者ではなく、京極一家の親分に処分を頼んだのが、せめてもの北小路の良心だと思いましょう」


 翌朝、鷹之助と田路助は淀屋橋から三十石船に乗り、夕刻に伏見に着いた。京極一家に挨拶がてらに立ち寄ると、余程ここが居心地良いのか、政吉はまだ江戸へ立たずに留まっていた。政吉と親分に鷹之助が京へ来た訳を話すと、親分は「さるお公家」と言っていたのが北小路であることを打ち明けてくれた。
   「わいはその屋敷に恨みも憎しみも持っていまへん、物心がつかないうちに売り買いされて、物心がつく頃には、親分に育てられていたのですから」
   「明日、北小路の屋敷に出向きますが、政吉さんは行きませんか?」
   「連れて行ってくれはるのでしたら、盗んできたとわかる赤子を買った男の顔を見てやります」

 わしも行くという親分に、「ことが大きくなるかも知れない」と、ご遠慮願い、三人と一霊は、北小路篤之の屋敷を目指した。
 
  第二十回 公家、桂小路萩麻呂(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)


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猫爺の連続小説 「佐貫鷹之助」 第十九回 嘯く真犯人

2014-04-14 | 長編小説
 ここは、人殺しの罪で処刑された定吉が奉公していたお店(たな)である。鷹之助はある日の夕刻に暖簾を分けて入った。
   「私は霊媒師の佐貫鷹之助と申す者、平太郎さんにお逢いしたいのですが」
 鷹之助の肩書きは、時と場合によりコロコロ変わる。このたびの訪問には、霊媒がぴったりなのだ。
   「平太郎はわてです、どのようなご用件だっしゃろか」
   「はい、元このお店に奉公していた定吉さんに頼まれて参りました」
   「定吉は、既に亡くなりましたが」
   「解っております、その亡くなった定吉さんのご依頼ですが」   
   「仰っておられる事が、よくわかりまへんが…」
 平太郎は惚けたわりには厳しい表情になった。
   「ですから、亡くなった定吉さんが、私に訴えるのです」
   「死者が?」
   「私は霊媒師です、死者と話が出来ます」
   「帰っておくなはれ、そんな戯言に付き合っている暇はおまへん」
   「お店の外で、戯言かどうか、確かめなくても宜しいのですか?」
   「どうせ、騙りで銭をせしめる積りでっしゃろが、その手には乗りまへんで」
   「そうですか、では仕方が無い、店先で言わせて貰いますが、定吉さんは人殺しなどしていないと訴えています」
   「いいかげんな嘘を言わないでください」
 その時、奥からこの屋の主人らしい人が顔をだした。
   「平太郎、この方のお話を聞かせて貰いなはれ、何や定吉は無罪らしいやないか」
 鷹之助は、出てきた男に深々と頭を下げた。
   「お金を戴くために来たのではありません、定吉さんを哀れと思い来たのです」
   「そうですか、番頭がえらい失礼なことを申しました、堪忍しておくなはれや」
   「いえいえ、分かって戴ければそれでいいのです」
 男は、この屋の主人で、相模屋長兵衛と名乗った。一見、物分りの良さそうな好々爺で、目尻の深い皺が、長年笑顔でお客に接してきた証のように鷹之助には思えた。主人は「店先で立ち話もなんですから」と、鷹之助と平太郎を店の奥の間に導いた。
   「それで、定吉は無罪だと申しておりますので」
   「はい、刺した覚えはないと言っています」
   「では、誰が刺したと言っとります?」
   「知らぬ男だそうで、その男が権爺を刺したとき、権爺は低く呻いたそうです」
   「その刺した男が、定吉の手に匕首を握らせたのですな」
   「いいえ違います、握らせてはいません、平太郎さんが、定吉さんの着物に血を付けただけです」
 平太郎の顔色が変わったのを、鷹之助も主人も見届けた。
   「寝言を言っていますのか、わたいはその頃定吉を探しておりましたんや」
 ここぞと、鷹之助は突っ込んだ。
   「それで平太郎さんは、役人を何といって誘い出したのですか?」
   「定吉は酒に酔って、あの業突張りの爺め、殺してやると言って出て行ったと」
   「それまでは、あなたの家で二人酒を酌み交わしていたのですね」
   「そうです」
   「定吉さんは、平太郎さんの肩を借りて、殺しの現場になった処まで行ったと言っています」
   「もう止めましょう、こんな下らない遊びは」
 平太郎は立ち上がってこの場を外そうとしたが主人が止め、手で座れと命じて、鷹之助の方に顔を向けて言った。
   「それを、あんたはんの推理ではなく、定吉が言っているのやという証が知りとうございます」
 鷹之助は、待っていたとばかりに承諾した。
   「よろしいです、まず権爺に手を下した男を、私の心霊術で平太郎さんの胸の内から探ってみましょう」
 新三郎は、既に先程から平太郎に憑いていたのだ。
   「分かりました、平太郎さん、あなたの脳裏に地回りごろつきの玄五郎という男を思い浮かべましたね」
   「知らない、知らない、そんなヤツは」
   「平太郎さん、そうは言いながら、玄五郎が権爺の胸を刺す場面を思い浮かべて身震いしましたね」
   「旦那さん、この人が言っていることは、みんな口から出任せでっせ」
   「そうとは思えまへん、それに平太郎、お前は定吉が借金をしていたように言いましたんやが、定吉は酒も博打も女に貢いだりもしてまへん、これはお奉行さまにも何度も訴えましたが、聞いてはくれませんでした」
   「相模屋さん、お奉行のことは、私からご老中に申し上げる積りです」
   「そんな手立てがお有りですか?」
   「はい、あります、いくら人が裁くことだからと言って、定吉さんは余りにも匆々に裁かれ、処刑されてしまいました」
   「定吉は、真面目で働き者だした、将来を楽しみにしておりましたのに…」
 相模屋長兵衛は、そっと目頭を薬指でそっと押さえた。定吉の無念を推量って、居た堪れない気持ちになったのである。

 平太郎の胸の内から玄五郎の名を引き出せたので、鷹之助は白を切り通す平太郎を捨てて、玄五郎を吐かせようと考えた。相模屋長兵衛の心も掴んだようであるし、ここは早々に辞することにした。


 真っ昼間というのに、若い五人のならずものが集っている。その中心で若い町娘が今にも泣きそうな顔をして立っている。
   「ちょっと行って、あの娘を助けて来やす」
 新三郎が正義感を出した。鷹之助が暫く見ていると、縞の合羽に三度笠、腰に長ドス落し差し。嫌が上にもそれと知れる旅鴉のおあにいさんの登場である。

   「待ちねえ、そこの娘さんが嫌がっていなさるではござんせんか」
   「お前何者や、わいらに文句あるのか?」
   「おいらかい? おいらは小山(おやま)の鹿次郎、任侠道をまっしぐら、弱い者が苛められるのを見れば放っておけねえ真っ直ぐな性質でござんす」
   「喧しい、こいつを黙らせてから、女と遊んでやろうや」
   「おいらは、てめえらに黙らせられるような甘ちゃんじゃねえ」
   「痛い目に遭わされて、泣きっ面をかいても堪忍しねえで」
 新三郎は娘を助けることの他、もう一つ目的があった。
   「やい玄五郎、おいらのこの胸が、お前に一突きできるか?」
 玄五郎は、いきなり名を呼ばれて驚いた。
   「何でわいの名を知っているのや」
   「お前だろ、金貸しの権爺を殺ったのは」
   「何を言いやがる、寝言はあの世で言いやがれ」
 玄五郎は、ドスを左右に振りながら、鹿次郎に向ってきた。向ってきたドスをチャリンと横に逸らすと、わき腹を蹴り上げた。
   「やりやがったな、あの世に送ってやるで」
 四人が束になって鹿次郎に飛び掛ってきたのを、長ドスの鞘で一人は手首を払い、一人は肩を、一人は背中を、長ドスをくるりと回すと、柄頭(つかがしら)最後の男は鳩尾を突かれて倒れた。
   「覚えておけ」
 五人が捨て台詞を残して逃げて行ったあとに、三度笠の男と町娘が残った。娘が男に礼をいっているのだが、男はキョトンと立ち尽くすばかりであった。

   「あの鹿次郎という男、新さん知っている人ですか?」
   「知りやしません、小山の鹿次郎という名も、あっしの口から出任せです」
   
 だが、鷹之助は玄五郎の顔を覚えた。新三郎の機転で知ることが出来たものだ。早速、明日にでも玄五郎に揺すぶりをかける積りである。

 日を改めて、鷹之助は町に出た。ならず者が屯(たむろ)していそうな場所で玄五郎を探した。探し回ること半刻、水茶屋の店先で五人揃って何なやら相談をしている。どうせ善からぬ企みを練っているのだろうと、鷹之助は思った。

 鷹之助にすれば、ちょっと勇気が要ったが、新三郎が護ってくれることを意識して、ゴロツキの前に進み出た。
   「私は心霊術師だが、この中に死相が浮かんでいるものが一人います」
   「死相だと、それは誰や」
   「そちらの玄五郎と申す男です」
 いきなり名を呼ばれて、玄五郎は驚いた。前にも見知らぬ男に名前を指され、またしても名指しである。
   「わいはこんなに元気や、何で死ぬのや?」
   「役人に捕らえられて奉行所で裁かれ、磔(はりつけ)獄門になります」
   「何の咎(とが)や」
   「この場で申しても良いのですか?」
   「ああ、言ってくれ、わいが何をしたというのや」
   「人殺しです、金貸しの権爺を、相模屋の番頭平太郎に頼まれて殺害した罪です」
   「誰から聞いたのや、平太郎が吐きよったのか?」
   「私は心霊術師です、濡れ衣を着せられた定吉さんと権爺の霊から聞きました」
   「嫌や、嫌や、わいは、平太郎に殺らせられたのや、磔なんかで死にとうない」
   「人ひとりの命をとっておいて、身勝手過ぎやしませんか」
   「平太郎から小遣いを貰っていた手前、断れなかったのや」
 仲間四人は、関わり合いたくないとばかりに逃げていった。
   「玄五郎さんが自訴して、何もかも洗い浚い白状すれば、島送りで済むかも知れません」
   「もし、自訴しなかったら?」
   「私が恐れながらと訴え出て、我が霊力を以って玄五郎さんと平太郎を処刑台に送ってあげます、そうれば、磔どころか火あぶりか釜茹での刑かも知れません」
   「自訴します、わいを奉行所へ連れて行ってくれ」

 東町奉行所では、既に裁かれたとして突っ放そうとしたが、老中の声が掛り、再吟味される事となった。玄五郎は包み隠さず事実を述べ、潔(いさぎよ)しとして罪一等が減じられ、離島へ島流しとなった。また、平太郎は玄五郎を教唆(きょうさ)したとし、また偽証により罪なき定吉を処刑に追いやった罪で、市中引き回しのうえ磔獄門となった。
 この後、奉行の裁きにも手落ちがあったと老中に指摘されて、奉行はひっそりと引退した。

 
 ある日、鷹塾に相模屋長兵衛がお菜香と四・五歳の少年を連れてやってきた。
   「この度は、定吉の濡れ衣を晴らして戴き、有難う御座いました」
 お菜香は、出家して生涯を定吉の供養に捧げると言うのを長兵衛が引き止め、定吉の温もりが残る相模屋の店で働くことになった。
 少年もお店に奉公させて、何れは暖簾を分けてやるのだと長兵衛が語った。
   「そこで鷹之助さんにお願いがおますのやが、この子を鷹塾に入れて戴けませんか?」
   「私も塾生の身、八つ刻(午後1時から3時)だけの勉強ですが、それで宜しければお寄越しください」
   「それで結構です、謝儀は如何ほどで…」
   「謝儀は戴きません、月並銭として十六文頂戴しております」
   「それで宜しいのですか?」
   「払えない子も居ます、戴けるなら有り難いことです」 
 長兵衛が、少年を紹介した。
   「この子は、定吉の弟で、三太といいます」
 三太という名に、鷹之助が反応した。同時に、新三郎も興味を示した。
   「鷹之助さん、どうかされました?」と、怪訝がる長兵衛に、
   「はい、私が尊敬している兄の幼称も三太でしたので、つい懐かしく…」
   「お兄さんは、どうかされましたんか?」
   「いえ、元気過ぎるくらい元気で、藩士として主君をお護りするほか、医者も勤めております」
   「そうでしたか、この三太も、お兄さんに肖(あやか)って、立派な商人になって貰いたいものです」
 長兵衛に「挨拶を…」と、言われない先に、三太はピョコンと頭を下げた。
   「定吉兄ちゃんの濡れ衣を晴らしていただき、有難うござました、両親も兄弟も、喜んでいました」
 なんと、はきはきした子供だろう、この子はきっと兄上のように強く賢くなるだろうと、鷹之助は感じずにいられなかった。
 新三郎も然りである。いずれこの三太と供に行動する日が来る予感に魂が震えた。

   「いつからでもいいから、都合が付いたらいらっしゃい」
   「はい、宜しくお願いします」
 小さいのに、背筋をピンと伸ばしてお辞儀をする三太を、長兵衛は目を細めて見ていた。

  第十九回 嘯く真犯人(終) -次回に続く- (原稿用紙16枚)
 
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十八回 千日墓地の幽霊

2014-04-11 | 長編小説
 鷹塾に通う子供達が帰った後は、いつものように鷹之助とお鶴の憩いの時である。
   「先生、大人たちがひそひそ話をしていたのですが、千日墓地で幽霊が出るそうです」
   「そうですか」
   「先生、怖くはないのですか」
   「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花って言うじゃないですか」
   「そうかなあ、絶対に居ると思うのですが…」
   「何かを見間違えたのでしょう」
   「千日墓地には、刑場もおます、無実で処刑されて、この世を恨んで成仏できない幽霊が出てくるのではおませんか」
   「そうだったら、気の毒ですね」
   「人間ですから、お奉行さまも間違いがあるかも知れません」
   「大人の人たちがそう言っていたのですか」
   「実はそうです」
 後で、新三郎の意見を聞いてみようと、その場は話題を変えて、楽しい話しでお茶を濁し、ひと時を過ごした。
 お鶴が帰った後、夕餉の支度をしながら、鷹之助は新三郎に訊いてみた。
   「さっきの話、新さんどう思います」
   「余程、霊視能力を持った人が居れば、生前の姿を一瞬見るようですが、普通は姿など見えません」
   「強い恨みを持った人が死ねば、恨みがこの世に残ることはありませんか」
 新三郎の話はこうである。恨みというものは、人間の肉体に宿るものであり、「魂」即ち幽霊は真っ白な無垢で一切の邪念はない。従って、人々の言う地獄などは有り得ない。現世で犯した罪は、肉体に罰が与えられる。魂が地獄に落とされようと、どんな地獄で責められようと、魂に苦痛は与えられない。嘘をつくと、閻魔大王に舌を抜かれるなどとは、子供の躾のための大人がつく大嘘で、もし舌を抜かれるとすれば、大人の方であろう。
 幽霊には、舌も無ければ喉チンコもない。血も出なければ、痛みを感じることもない。幽霊(亡者)を責める地獄など有っても意味が無いのだ。
 新三郎は幽霊であるが、感情と言うものは、憑いている鷹之助の感情を写したものである。幽霊が恨みを持って、人の前に出てくることはない。まして、罪のない人々を驚かすために姿を見せることなど無いのだ。
 幽霊新三郎の生前の姿を垣間見た人がいた。強い霊視能力を持った今は亡き能見数馬である。彼は一瞬新三郎の姿を見て「行くところがないのなら、私に憑きなさい」と声を掛けたのだった。
   「一度確かめに行きたいのですが、鷹之助さん行ってくれますか」
   「ええまあ、行ってもいいですが…」
   「怖ええのですかい」
   「新さんが居るから、怖くはないです」
   「じゃあ行ってくだせえよ」
   「でも、新さんが知らないような悪霊だったらどうします」
   「悪霊か、三太さんも、あっしを悪霊だと言ったことがありやした」
   「新さんが悪霊だなんて」
   「では、今夜出掛けましょう」
   「明日の昼間にしませんか」
   「真っ昼間に、幽霊は出ねぇでしょうよ」
 なにしろ、大坂千日は刑場のある墓地である。骸(むくろ=首の無い死体)が乱雑に埋められている。深夜にうっかり墓地の中を歩いていたら、土の中から白骨化した腕が「ぬぼっ」と出てきて、足首を掴まれるかも知れない。鷹之助は、そんな想像をしていた。
   「馬鹿ですか、そんな幽霊はいませんぜ」
 鷹之助の想像を新三郎に知れてしまった。
   「では、今夜にも出掛けやしょう」
   「君子、危うきに近寄らず と、言いますけどねぇ」
   「それも孔子の言葉ですかい」
   「違いますよ、ただの諺です」
   「行くのを止めましょうか」
   「反諺(はんげん)に、虎穴に入らずんば、虎児を得ず と言うのもありますけどね」
   「何です そのオケツがどうのと言うのは」
   「オケツじゃありません、コケツです」
 新三郎、少々焦れぎみ。
   「それで、行くのですかい、行かないのですかい」
   「行きますよ、行けばいいのでしょ」
   「やけくそですか」
 その夜、十六夜の月が冴え渡って、持ってきた提灯の出番がない。墓荒らしの見張り番も寝てしまったのか、番小屋の明かりが消えている。
   「鷹之助さん、さっきから下ばかり見ていますね」
   「土が軟らかいので、悪霊が出るとしたらこの辺りかなと…」
   「それで注意をしているのですかい」
   「ええ、まあ」
   「悪霊は、土の中から出るとは限りませんぜ、頭の上から、がばーっと食い付くかも…」
   「ひえーっ」
 鷹之助は、両手で頭を抱えた。それでも、新三郎に促されて奥に向うと、新三郎が何かを見つけた。
   「しーっ、静かに」
   「何も言っていませんけど」
   「居やした、女です」
 鷹之助も目を凝らしてみると、堆く盛られた土の前に踞(かが)む女の姿が見えた。
   「居るのが分かったから、帰りましょう」
   「何しに来たと思っているのですか、あっしはあの女と話がしたい」
   「口説くのですか」
   「幽霊が女を口説いて何をするのですか」
   「嫁にするとか…」
   「もう宜しい、鷹之助さん、独りで帰ってください」
   「御免、謝るからこんな所で独り帰さないで」
   「子曰く、鷹之助さんの、弱点見たり、枯れ尾花」
   「何です、それは」
 新三郎が鷹之助から抜けると、突然女が立ち上がり振り返って鷹之助を睨み付けたが、直ぐに穏やかな顔付きになり、その場に再び踞(かが)んだ。鷹之助は背筋が「ゾクッ」として、思わず後退りした。
   「鷹之助さん、女は生きた人間です」
   「なんだ、そうですか」
   「鷹之助さん、話しかけてくだせぇ」
   「あいよ」
   「何です、その変わりようは」
 鷹之助は、娘に近付いて声を掛けた。
   「娘さん、こんな夜更けに怖くはありません」
   「私は菜香と申しますが、どなたさまですか」
   「はい、私は佐貫鷹之助と申す儒学徒です」
   「そのお方が、どうしてこのような場所へ…」
   「実は、私は霊能者で、ここに幽霊が出るという噂を聞いて参りました」
   「そうですか、それはきっと私のことでしょう」
   「あなたは、何故昼間ではなく夜更けにここへ…」
   「無実ながら処刑された人の供養で、人目を避けております」
   「菜香さんにとって、大切だった人のようですね」
   「はい、末は夫婦と誓った人です」
   「それは惨い、その人はどんなにか悔しい思いで死んだことでしょう」
   「あなたは、信じてくださるのですか」
   「信じますとも」
   「誰も無実だと信じてくれなかったのです、有難う御座います」
 菜香の話を聞くと、菜香は飾り職人の父親と二人で長屋暮らしをしていたが、昨年父親が急死し、娘は通いで料理茶屋の仲居をして暮らしを立てていた。そこへ出入りしている酒屋の御用聞き定吉と言葉を交わしているうちに相惚れとなり、「将来は夫婦に」と誓い合った。
 その横恋慕したのが定吉の先輩番頭、平太郎である。
 その事件があった夜、酒に弱い定吉がその日に限ってベロベロに酔ってお店には戻らず菜香の長屋に転がり込んだ。定吉は大量の血を流している様子なので、手当てをしてやろうと着物を脱がせたが傷はどこにも無かった。血は、着物にだけべっとりと付いていた。
   「定吉さん、何をしてきたのや」
   「平太郎さんに酒を無理やりに飲まされて、気が付けば道端で寝ていました」
 その傍らに見知らぬ男が倒れており、匕首で胸を一突きにされていた。定吉は、男を助けようと胸に刺さった匕首を、無我夢中で抜いてしまったのだ。噴出した血が定吉にかかり、吃驚仰天した定吉は迂闊にもその場を逃げて菜香の元へ来たのだった。
 役人は、直ぐに菜香の長屋に来た。案内して来たのが平太郎であった。菜香が定吉の為に縫って置いた着物を着せると、役人は定吉を縛り上げて番屋へ連れて行った。
 定吉は、泣き叫ぶ菜香を振り返り振り返り「わいが殺したんやない」と、叫び続けていた。
   「殺されたのは、金貸しの権爺でした」
   「定吉さんは、借金をしていたのですか」
   「私の知る限りでは、借金はしていません」
   「では何故定吉さんが殺したとして裁かれたのでしょう」
   「金貸しの証文が何枚か抜き取られていたのです」
   「それだけでは定吉さんが殺したとはならないでしょう」
   「その証文を燃やした燃え残りが、定吉さんの行李の中から見付かりました」
 考えてみれば、おかしなことである。定吉は事件の後、気が付いてお店には戻らず、菜香のもとへ真っ直ぐに来たのである。証文を盗んだり、燃え残りを自分の行李に隠したりしたとすれば、権爺を殺す前にやったことになる。権爺は殺されるまで、一言も証文を盗まれたことを誰にも言っていないそうである。証文の燃え残りも、役人が調べたところ、肝心の名前のところが全て燃えていた。
   「その事を奉行所に訴えようとしましたが、門前払いでした」
   「お菜香さん、奉行所は一旦裁きを下すと、どう足掻こうと、訴えようと、聞く耳を持ちません」
   「悔しいけど、そうですね」
   「そこで、一番怪しい平太郎に殺したヤツをはかせましょう」
   「私は、平太郎が殺したと思うのですが、違いますか」
   「違うと思います、殺したのは平太郎が雇ったゴロツキでしょう」
 平太郎は、定吉を「良い酒が手に入ったから飲みに来てくれ」と連れ出し、ゴロツキは、金貸しの権爺を何らかの口実で連れ出し、殺害現場で落合った。現場では権爺の鼻と口を濡れた手拭で塞ぎ、仮死状態で定吉と平太郎が来るのを待った。
 到着すると、息を吹き返した権爺の胸を刺し、ペロンペロンに酔った定吉をその傍に寝かせて立ち去った。
 平太郎は、定吉を探していたと見せかけ、現場で権爺の死体を発見して直ぐさま番屋に走った。その頃、定吉は菜香の家に辿り着いていたのだ。
 以上は、あくまでも鷹之助の推理である。これから、平太郎に全てを吐かせ、権爺を殺害したゴロツキを突き止め、平太郎もまた無実の定吉を刑場に追いやった罪で町奉行に裁いて貰わなければならない。
   「菜香さん、定吉さんの仇をとりましょう」
   「有難う御座います、仇がとれましたら私は安心して定吉さんの元へ行きます」
 菜香は、定吉が無実だと信じながらも、何も出来なかったことを詫びる為に千日墓地へ通っていた。この後、菜香は平太郎の女になり、隙を見て平太郎を殺し、その場で自分も果てる積りでいた。霊能者鷹之助の話を聞き、この善良そうな若者に託してみようと思う菜香であった。

  第十八回 千日墓地の幽霊(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十七回 ねずみ小僧さぶ吉

2014-04-06 | 長編小説
 ある夜、鷹塾の戸口でカタリと音がして、シャリンと何かを投げ込まれた音がしたのを新三郎が気付いた。
   「鷹之助さん、何者かが物を投げ込んでいきやした」
   「執念深い男ですね、江藤俊介は」
   「あの男とは違うようです」
   「何を投げ込んだのでしょう」
 油杯(あぶらつき)を翳(かざ)して見ると、小判が一枚あった。
   「ちょっと追いかけて偵察してきやす」
 新三郎は夜明け近くに戻ってきた。調べてきたのは、親父が植木職で杉松と言い、その三人の息子の長男琢磨である。十二歳の頃までは、親父の手伝いをして、真面目に働いていたが、あるお屋敷の木に登って剪定をしているとき、このお屋敷の奥方が、箪笥の抽斗を開けて小判を取り出し奥に消えたのを見て、スルスルッと木から下りて屋敷内に忍び込み、数枚の小判をくすねた。そのお屋敷の家人は、小判を盗まれたことすら気付かなかったことが盗人になった切っ掛けであった。
 琢磨は、お金持ちの屋敷に忍び込んでは九両だけ盗み、得た金は自分では一文も使わず、長屋の貧しい家々に、一両ずつ投げ入れてやった。
 義賊、ねずみ小僧次郎吉の再来だと噂が噂を呼び、人呼んで「ねずみ小僧さぶ吉」、次郎の次は三郎であると持てはやされ、本人は些か有頂天になっている。
   「新さん、このままやらせておくと、何れお縄ですね」
   「そうです、本人は九両しか盗まないから処刑されることはないと思っていやす」
   「お白州で、二件の盗みを吐かされると、十八両の盗みが発覚するのだから、間違いなく打ち首獄門ですよね」
   「気がいいヤツなのですがねえ、なにしろ世間が義賊だと煽(おだ)てるものだから、天狗になっていやす」
   「なんとか止めさせて、真っ当に生きて貰いたいものです」
   「一発、お灸を据えてやりますか」
   「どうするのです」
   「捕えて、奉行所に連れていくのです」
   「そう成らないように案じているのではないですか」
   「そうか、なるほど」
 鷹之助は、琢磨が家に居る頃合を見計らって植木屋杉松の戸を叩いた。
   「何方さんですやろ」
   「琢磨という方にお逢いしたいのですが」
   「琢磨は、俺ですが」
   「私は心霊術師の佐貫鷹之助です」
   「へー、心霊術とはどんなことをしはるのですか」
   「私の守護霊にお願いをして、人の心の病を診てもらうのです」
   「よく分かりません」
   「今日ここへ来た訳を話しますから、外へ出ませんか」
   「へえ、今日は仕事が無かったので、朝から何も食わずに寝ておりました」
   「それでは、二人で饂飩でも食べましょう」
   「恥ずかしいですけど、仕事がない日は銭がなくて、饂飩など食えません」
   「お金は私が出しましょう」
   「ほな、お言葉に甘えまして」
 琢磨は、饂飩を二杯平らげ、その上、お父さんへ土産だと言って鰻弁当を鷹之助に買わせた。
   「えらい厚かましくて、申し訳おまへん」
 鷹之助は、ここで切り出した。
   「厚かましくなんかありませんよ」
   「えっ、何でだす」
   「お金は、あなたが私の家で落としていった小判ですから」
 琢磨の顔が急に厳しくなって、「キッ」と身構えながらも惚ける。
   「俺はこの通りの文無しです、小判なんか持っておりまへん」
   「安心しなさい、私はあなたのことを誰にも漏らしません」
   「そやかて…」
   「私は心霊術師だと言ったでしょ、あなたのことは何もかも分かっております」
   「そうか、そう言うことだしたか」
   「そうです、そこで私はあなたを占いましたら、あなたは近々役人が仕掛けた罠にかかって捕らえられ、しかも二件の盗みが明らかになり、斬首の刑を受けて獄門台に曝されます」
   「それがあなたに見えるのですか」
   「はい、その後のことも」
   「後とは」
   「お父さんが世間の冷ややかな目に耐えられず、大川に身を投げます」
   「世間の人には喜んで貰っていたのに、俺が処刑されると冷たくなるのですか」
   「そうです、それが世間というものです、その後は…」
   「まだ後があるのですか」
   「あなたには、二人の弟がいますね」
   「へえ、十四歳と、十六歳の弟が、それぞれのお店に奉公しています」
   「どちらも、店を追い出され、路頭に迷った挙句、渡世人になり、組どうしの諍いで人を殺め、追われ追われての旅鴉、もう一人は兄貴分の罪を被って遠島になります」
 琢磨は黙って聞いていたが、突然嗚咽した。
   「佐貫さま、俺が自害すれば、親父と弟は助かりますか」
   「そうです、助かるでしょう」
   「よくわかりました」
   「あなたは、素直なよい人ですね、私を少しも疑うことなく、命を捨てようとするのですから」
   「へえ、佐貫様は、私のことを全てご存知でした」
   「まだ、もう一つ知っていることがあります」
   「それは何ですやろ」
   「それは、お母さんのことです」
   「母は、下の弟が三歳のときに、借金のかたに連れていかれ、苦界に売られて病で死にました」
   「お父さんがそう言ったのですね」
   「へえ、父は今でも後悔して、自分を責めています」
   「ところが、お母さんは生きていらっしゃいます」
   「ほ、本当ですか」
   「はい、お父さんもそれを知っています」
   「何故それを俺達に隠しているのですやろ」
   「とても言えなかったのでしょう、お母さんも、あなたがたの恥になると考えたのだと思います」
   「そんな…」
 琢磨は、男泣きに咽んだ。
   「琢磨さん、お母さんはあなた方に逢いたがっています、そんなお母さんを置いて、自害なんか出来ますか」
   「出来ません、俺はどうすれば良いのですやろか」
   「まずあなたは、お母さんが生きていることを知ったとお父さんに話しなさい」
   「へえ、話して、何処に居るのか聞き出します」
   「お母さんは、とある宿場町で、雇われ芸者をしておられます」
 いつの日か、盗んだ大金ではなく、真っ当に働いて例え一両でも良いからそれを持って逢いに行ってあげなさいと諭した。
   「その後、あなたが自害すべきか、するべきでないか、ご自分で判断しなさい」
 鷹之助は、自分より年上の琢磨が、まるで弟のように思えてきた。
   「琢磨さん、今日から私達は友達になりましょう」
 琢磨にとって、思いがけない言葉であった。
   「こんな俺を友達にしてもいいのですか」
   「はい、私は決して友達を裏切ることはありません、何時も味方でいます」
 琢磨にも意味が分かった。自分のことは決して他人にばらしはしない、奉行所に訴えもしないと言うことだ。だから、たった今から、盗みを働いてはならないと、暗に諫めてくれたのだと思った。
   「琢磨さん、いま私の言葉を理解してくれましたね、その通りですよ」
 やはりこの人は心霊術師だと、琢磨は確信した。
   「鷹之助さん、また蜆を持ってきましたので買ってください」
   「嫌ですよ、この前琢磨さんが持ってきた蜆は、砂だらけだったじゃないですか」
   「えへ、あれは砂出しをするのを忘れとりました」
   「植木屋さんなのに、蜆売りまでするとは思いませんでした」
   「お詫びに、この前買うてくれた人には、ただで配っとります」
   「私は勿体無いから、上澄みの汁だけ飲みましたけれどね…」
   「ほんなら、上澄み代、三文貰っときます」
   「せこっ」
 琢磨は、植木屋の仕事がないときは、川で蜆を採り、農家で野菜を分けて貰い、行商をしている。鷹之助は見守っているものの、矢鱈と売れ残りを持ってきて売付けるので、時には友達になったことを後悔する。
 琢磨には目標ができた。二両貯めて母親に逢いに行くのだ。懸命に働いた所為で、思ったより早く目的を達成できた。母親は、伊勢の国、榊原温泉で雇女芸者をやっていることも分かった
   「お藤という芸者を探して居るのですが」
   「お藤さん、さあ、聞いたことがありませんけど」
   「確かにこの温泉町に居ると訊いて来たのです」
 芸妓が温泉宿に入ってきた。
   「女将さん、おおきに」
   「ああ、志麻奴ちゃんか、ご苦労さん」
   「女将さん、ありがとさん」
   「へえ、白梅姐さん、ご苦労さんです」
 挨拶をして奥に通ろうとする芸妓を引き止めて、温泉宿の女将が訊いた。
   「あんた達、お藤という芸者さんを知っていますか」
   「お藤さんとは、あの雇女の清滝さんと違います」
   「そうですわ、確か清滝さん本名は、お藤さんでした」
 女将が、軽蔑したように言った。
   「何や、ヤトナさんかいな、ほんならうちのような大きな宿やなくて、町外れの安宿で尋ねてか」
 清滝と名乗っているのか、それにしても、あの糞忌々しい女将め、馬鹿にしおってと呟くと、目が潤んできた。
   「清滝姐さん、若い男はんが逢いにきとりますよ」
   「若い男 このお婆ちゃんにだすか」
   「そうですがな、お姐さんも罪作りですねえ、あの男、涙ぐんでいまいよ」
   「そんなに、惚れられた覚えは無いのですえ」
   「若い男は一途ですから、気ぃ付けなさいよ、邪険に断ったら「ブスッ」と、刺されるかも知れません。
   「なんや、嬉しいような、怖いような」
   「とにかく、早う行ってやりなさい」
 宿の戸口に佇んで待っている若い男が居た。
   「はい、わたしが清滝だすが、何方さんですやろか」
   「俺です、見覚えありませんか」
   「さて、何処でお逢いしましたやら」
   「この顔、よく見とくなはれ」
   「えらいすんまへん、どうも思い出せませんが、なにやら懐かしいような気がします」
   「俺ですがな、俺、俺」
   「オレオレ何とかと違いますのか」
   「この時代に、そんな詐欺はおますかいな」
   「そやなあ、名前をいうておくれな」
   「琢磨だす、あんたの息子の琢磨ですがな」
   「えーっ、あの琢磨が、こんなに大きく立派になって逢いに来てくれたんか」
   「お母はん、逢いたかった」
   「わたいもだす、弟たちも元気にしとりますかいな」
   「へえ、お父はんも元気だす」
   「そうか、良かった」
 傍目も憚らず、二人で抱合った。
   「わあ、いやらし、あんな処で抱合っていますやないの、早よ上がって貰って、布団を敷いあげされ」
   「女将さん、違います、お母はんて呼んでいますやないの」
   「親子ですか、ほんならお金頂戴出来ないのですか」
   「女将さんの方が、余程やらしいわ」
  第十七回 ねずみ小僧さぶ吉(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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