雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十回 断絶、母と六人の子供達

2014-03-24 | 長編小説
 子連れ女お稲が、木曽の架け橋に差しかかった。架け橋の下に木曽川の水面が見える。ややもすると、このまま三歳の斎(いつき)を抱いたまま飛び込みたい衝動に駆られるが、それでは余りにもこの子が不憫である。何とか実家に辿りつき、その軒下に斎を残して立ち去りたいと思うお稲であった。
 親達の顔を見ると、この世に未練を残しそうになるだろう。それに、詫びて楢橋の屋敷に戻れと言われにるに違いない。戻れば、夫に斬られ、直ぐに死ねば良いが、三日三晩のた打ち回って、やっとこと切れたという恐ろしい例もある。
 木曽路は、行けども、行けども山の中である。遅い女の足、しかも子連れで、宿場に着くのが夕暮れになりがちである。わが身はともかく、斎が連れ去られでもしたら、死んでも死にきれないのである。狭い橋幅をそれでも懸命に急ぎ足で歩いた。
 漸く架け橋を通り抜けたところで、山賊らしい男達に囲まれた。
   「ちょっと董(とう)が立っているが、まだ使えるぜ」
   「よーし、連れて行け」
   「ガキはどうします」
   「男でも売れるかも知れん、連れていけ」
   「へい」
 母子は、どんどん杉林の奥へ連れ込まれた。
   「私はどうなっても構いません、どうぞ子供の命だけは助けてください」
 斎が大声で泣き出したので、お稲に抱かせて、さらに奥に入っていった。歩き続けると陽も傾いた頃、杣夫(そまぶ)の雨宿り小屋が見えてきた。
 お稲は、小屋に連れ込まれ、敷かれた藁の上に座らされた。
   「帯を解け」
   「はい、抗(あらが)いません、解けと言うのなら解きましょう、ですが子供に乱暴をしないでください」
   「煩せえ、ガキは近江辺りの子供のいねぇ金持ちが買ってくれらぁ、乱暴はしねぇよ」
   「お願いします、どうか子供を大切にしてくださる優しいお方に売ってください」
   「そんなこと、請合わねぇよ」
   「それなら、帯は解きません、その前に舌を噛みます」
   「好きにしな、口に藁を詰め込んで、楽しんでやるぜ」
   「斎、斎、母はここで死にます、どうか強く生きておくれ」
 お稲は、帯を解き、自ら着物も脱いだ。
   「どうぞ、この着物で子供を包んでください」
   「馬鹿を言え、着物も腰巻も売れるのだぜ」
   「あなたがたを恨んで死にます、南無阿弥陀仏…」
   「おっと、そうはさせねえ、死ぬならわしらが楽しんでからにしな」
 お稲は口枷をされ、全裸で藁の上に倒された。親分らしい男が、褌を外してお稲に跨った。お稲は観念したようにおとなしくなり、横を向いて斎を見つめ、涙をぽろぽろ零した。
   「待ちやがれ、このどスケベども!」
 親分の横腹を力任せに蹴り上げた男がいた。
   「権助じゃねぇか、てめえ親分に何てことをするのだ」
   「あっしは、権助じゃねえ」
   「お前気でも狂ったのか」
   「あっしは、木曽生まれの渡世人、他人(ひと)呼んで中乗り新三とは、あっしのことよ」
   「権助、お前なあ、ふざけているのか」
   「ふざけているのじゃねえ、長ドスを抜いてかかってきやがれ」
   「本当に怒るぞ」
   「そうか、まだ権助だと思っていやがるのか、ではこっちから行くぜ」
 新三郎は、権助の長ドスを抜いた。
   「何でぇ、この鈍(なまく)らは、これじゃあ刃(やいば)も峰もねえじゃないか」
 さっき蹴り上げた親分の横腹を切っ先で突いてみた。
   「へん、刺さりもしねぇぜ」
 人殺しの出来ない新三郎にとって、この長ドスは好都合である。久しぶりに思い存分暴れることが出来る。
   「楢橋の奥さん、あっしが来たからには安心して…、それはいいけど、早く着物を着てくだせぇ」
 何がなんだかさっぱり分からないお稲であったが、慌てて着物を身に着けた。気になるのは、この権助という山賊仲間の男が、自分の名を知っていることであった。
 新三郎は、鼻歌気分で大暴れをした。例え斬られても、倒れるのは権助である。こんな楽な喧嘩はない。ただ、早くこの小汚い権助から抜け出したいだけだ。

 山賊たちは、新三郎のドスで叩かれ、たん瘤(こぶ)を撫で撫で林の奥に逃げていった。
   「奥さん、あっしは奥さんと斎ちゃんを助けるように仰せ付かった者です」
   「どなたの指図ですか」
   「名前を言っても、ご存知ですかな」
   「教えてください」
   「お屋敷の近くに鷹塾という子供達に読み書きを教える塾があります」
   「存じております、先生はまだお若い、鷹之助さんですね」
   「その鷹之助先生が、楢橋典善どのに奥様を捜してほしいと頼まれました」
   「そうですか、見つかれば、私は主人に殺されます」
   「知っております、ですから、あっしは連れ戻しにきたのではありません。お助けにきたのです」
 お稲は、ほっとしたようである。
   「それで、山賊に化けていらっしゃった訳ですか」
   「いいえ、あっしは鷹之助先生の守護霊、すなわち幽霊なのです」
   「幽霊って、本当に存在するものですか」
   「はい、現にここに居ます、恐ろしくはないですか」
   「こんなにお優しい幽霊ですもの、恐ろしいわけがありませんわ」
   「そうですか、それで安心しました、今、権助から抜け出して、お稲さんに憑きます」
   「まっ、恥ずかしい」
   「大丈夫、幽霊ですから何も出来ません、そちらに行きましたら、喋らなくても、念じるだけで会話ができます」
   「幽霊さんは、便利なのですね」
   「へい」
 例え幽霊であっても、こんな林の中の小屋に、自分が連れ込まれたことがよく分かったものだとお稲は思った。
   「あっしは、上田藩の知り合いに、あなたを探して貰うように頼みに行くところだったのですよ」
 それが木曽の林道に差し掛かったときに、人の気配を感じて、取り敢えず気配がする方へ行き、そこに居た人にとり憑いた。それが山賊仲間の権助だったのだ。
   「山を下りるまで、権助で居ますが、中身は新三郎ですから汚くても我慢してくだせぇ」
   「はい、新三郎さま、斎を背負ってやってください」
   「斎ちゃん、臭くなりますが、ご辛抱を」
 途中で気を失った権助を下草の中に捨てて、新三郎はお稲に憑いた。
   「これから、私は実家に斎を預けて、川へ身を投げる積りです」
   「そうはさせません、あなたは斎ちゃんを護って生きるのです」
   「行く当てがありません」
   「あっしに任せてくだせぇ、悪いようにはしません」
 お稲は、佐貫慶次郎の屋敷を訪ねた。
   「私は、上方の目付け楢橋典善の妻、稲と申します、佐貫三太郎様にお逢いしたくて参りました」
 出てきたのは、三太郎の義母、小夜であった。
   「三太郎は息子ですが、ただ今はこちらに住まいしておりません」
   「ここから、遠いのでしょうか」
   「近くです、でも日が落ちました、三太郎のところは男ばかりの所帯ですので、こちらにお泊りになって、明朝逢ってやってくださいませんか」
   「宜しいのですか」
   「どのような御用かは存じませんが、お急ぎでなかったら是非お泊まりください」
   「ご親切に、有難う御座います」
   「どうぞ、どうぞ」
 新三郎は、今夜のうちにも鷹之助の元へ帰りたいので、お稲に三太郎の住まいを訊いて貰い、すぐに三太郎に逢いに行った。
   「三太さん、こんばんは」
   「ああ、びっくりした、なんだ、新さんかい」
   「なんだはないでしよう」
   「どうしたの、前触れもなく」
   「あっしに前触れなんかありませんぜ」
   「なんだか絡むねえ、何があったの」
 新三郎は、鷹之助が楢橋典善から妻お稲探しを頼まれたところから、お稲の身の上まで話して、佐貫の屋敷まで案内してきたことを三太郎に話した。
   「そうか、後は俺が引き受けよう」
   「三太さんも器用だねえ、自分のことを俺と言ったり拙者と言ったり、私であったり、それがしと言ったり、あっしなんざぁ、あっしだけですよ」
   「そんな事はなかろう、阿弥陀如来や神の振りをするときは、それなりに使い分けているではありませんか」
   「なるぼど」
 新三郎は、鷹之助が気になると早々に上方へ戻るといった。三太郎は引き止めたかったが、鷹之助の名を出されると弱い。
   「取敢えず母子は佐貫の屋敷に匿い、いずれ身が立つようにしてやります」
   「頼みます」
   「鷹之助には、いちいち新さんにご足労をかけずに、用があったら手紙出しなさいと言ってやってください」
   「生憎、あっしには足がござんせんので」
   「そうだった、では新さん、お体を大切に…」
   「何か、わざとらしい…」
   「へへへ」

 そんなことがあった半月後、鷹塾を訪ねた十歳くらいの少年が居た。
   「鷹之助先生、こんにちは」
   「あぁ、お目付楢橋さまの坊ちゃんじゃありませんか」
   「はい、楢橋紫月(しずき)と申します」
   「ご次男の方でしたね」
   「先生にお尋ねしたいことがあって、伺いました」
   「お母さまの行き先ですか」
   「はい、出来ましたらお教え願いとう御座います」
   「それは、お教えしません」
   「何故で御座いますか」
   「奥様のお稲さんの命を狙っている、あなたのお父様の言い付けで、探りを入れに来たかも知れないあなたに、どうして居場所を教えられましょう」
   「致し方ありません、せめて生きているのかだけでも知りとう御座います」
   「いいでしょう、お母さんは死のうとされましたが、然るお方に救われてお元気でいらっしゃいます」
   「そうでしたか、安心しました、それだけで結構で御座います」
   「お待ちなさい、あなたは母上のことを心配していたのですか」
   「はい」
   「父上や、他のご兄弟と一緒になって母上を蔑んでいたではありませんか」
   「はい、私は気弱なもので、父や兄に逆らえずに合わせておりました」
   「そのような軟弱なことでどうします、ただ一人だけでも母上を庇うべきではなかったのですか」
   「そうでした、今になって悔やんでいる馬鹿な倅です」
   「あなたに、一つお願いがあります」
   「どのような事でしょう」
   「父上に、離縁状を書かせてください」
   「三行半(みくだりはん)というあれですか」
   「このままでは、お稲さんは宙ぶらりんで再婚も出来ません」
   「母は、再婚するのですか」
   「いえ、これは仮定です」
 帰り際に、「母をよろしくお願いします」と頭を下げ、紫月は帰っていった。
 翌日は、楢橋の長女が弟と妹を連れてやってきた。
   「父や、兄たちには内緒できました」と、やはり紫月と同じ事を訊きにやってきて、無事だと聞いて安心して帰っていった。まだ小さな三男や三女は、母に会いたいと泣いていた。こんな優しい子供達なのに、父や長男の顔色を見て、心にもなく母を蔑むような言動をしていたのだ。
   「素直な気持ちで、母上に逢える日をお待ちなさい」
 その言葉が、鷹之助の子供達への土産であった。

  第十回 断絶、母と六人の子供達(終) -次回に続く- (原稿用紙16枚)

「佐貫鷹之助リンク」
「第一回 思春期」へ
「第二回 鷹之助の許婚」へ
「第三回 深夜の盗賊」へ
「第四回 矢文」へ
「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
「第二十四回 チビ三太一人旅」へ
「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
「第二十六回 チビ三太、戻り旅」へ
「第二十七回 源太が居ない」へ
「第二十八回 阿片窟の若君」へ
「第二十九回 父、佐貫慶次郎の死」へ
「最終回 チビ三太、江戸へ」へ

次シリーズ「チビ三太、ふざけ旅」へ


最新の画像もっと見る