雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十九回 父、佐貫慶次郎の死

2014-05-24 | 長編小説
  鷹之助の父、佐貫慶次郎の訃報が届いた。義兄、三太郎の手紙である。「まだ若い者には負けぬ」と常々言っていた慶次郎が、朝、登城の途中に倒れて帰らぬ人となった。

 手紙には、医者の私が付いていながら病を見抜けずに、まだ若い父上を死なせてしまい、母上や鷹之助に詫びても詫びきれぬ思いである。鷹之助には都合も御座ろう、上方にあって信濃の地に向って父の冥福を祈られたい。葬儀万端兄が執り行い、母上の悲しみに寄り添って行くので安心して勉学に勤しみなさい。鷹之助の名付けの親、前(さき)の藩主、ご隠居の松平兼重候を武と医を持ってお護りし、父に代わって上田藩にお仕え申すべく人事を尽くす所存であると、力強くも優しい兄の心遣いが鷹之助の身に染みた。

 鷹之助は泣いた。何一つ親孝行らしいことも出来ず、死に目にさえも会えなかった不出来な倅と、自分を責め、そして詫びた。

 泣いている鷹之助を見て、ただ事ではないと田路吉が心配して近寄った。
   「鷹之助さん、どうなさいました」
   「私の父が死にました」
 田路吉は、返す言葉が見付からず、がっくり落とした鷹之助の肩を抱いて、無言で貰い泣きの涙を落とした。
   「ここは、三吉さんとこの田路吉に任せて、どうぞ旅支度をなさいませ」
   「いえ、いいのです、親不孝序(ついで)に、戻らない決心をしました」
 今から旅支度をして郷里へ戻っても、早くても四・五日はかかってしまう。すでに弔いは終えて、父の亡骸は土の中、父の死に顔を見ることも叶わない。それよりも、兄、三太郎の気遣いに甘えて、儒学塾を終えるまでは我慢をして、修了の暁には晴れて郷里に戻り、父の墓前に手を合わせようと考えたのだ。

 水戸の緒方梅庵にも、訃報が届いた。梅庵には多くの弟子がおり、総てを任せられるので、直ちに弟子の一人を供に旅立った。見世物小屋に売られて、全身に鱗の刺青を入れられた浩太である。浩太はまだ弟子になって日も浅かったが、読み書きから傷の手当、梅庵の助手として、手術中の器具出し(器械出し)などを教わり、梅庵の良き手足となりつつあった。
   「佐貫三太郎先生の弟子、三四郎と佐助に逢える」
 浩太は不謹慎にも上機嫌である。

 緒方梅庵には、父佐貫慶次郎に対して、一度も口に出さなかった蟠(わだかま)りがある。実の母を慶次郎に手討ちにされたことである。その原因は母と中岡慎衛門の姦通疑惑であった。これは、姦通ではなく、母は慶次郎との縁談以前に中岡慎衛門と相惚れであったのだが、親達の交わした縁談で引き裂かれてしまったのだ。母と慶次郎が祝言を挙げたときには、既に母は自分を身篭っていたのだろうと緒方梅庵は推測している。
 このことは、江戸の伊東松庵養生所の中岡慎衛門にも問い質したことはない。緒方梅庵は、わだかまりを胸に閉じ込めて、水戸を後にした。

 鷹之助は、後に聞いたことではあるが、佐貫三太郎の友人、池田の亥之吉こと、江戸の商人福島屋亥之吉と、大江戸一家の鵜沼の卯之吉が、義理堅いことに信濃に向ったそうである。それを聞いたときは、流石の鷹之助も打ちひしがれた。葬儀には出られないと分かっていて、それでも親友のために時と足労を省みずに出掛けてくれるのに、自分はどうだろう。実の父であるのに、帰ることはしなかった。
 
 鷹之助の前に、三太と源太が、ちょこんと正座して、鷹之助の顔を心配そうに覗き込んでいた。
   「先生のお父っちゃんも、新さんみたいに守護霊になるのですか?」
   「多分、ならないと思います」
   「どうして?」
   「普通の人は、新さんみたいな破天荒なことはしないものです」
   「極楽浄土の阿弥陀様と喧嘩をしたのですやろ」
   「喧嘩はしないけど、叱られて極楽浄土を追放されたのです」
 新三郎が口を挟んだ。
   「鷹之助さん、子供達にそんな格好の悪いことをバラさないでくだせえよ」

 三太と源太が並んで座っているので、鷹之助は日頃から二人に訊きたかったことを問うてみた。
   「三太ちゃんは相模屋に奉公しているので、将来は相模屋に暖簾分けして貰ってお店を持つとして、源太ちゃんは大きくなったら何になるのかな」
   「鷹之助先生みたいになります」
   「寺子屋の先生かな?」
   「いえ、儒学の先生です」
   「生徒は侍の子だから、遣り辛いかも知れないよ」
   「先生の弟子になって、それからえーっと、先生のお兄さんに剣術を習います」
   「源太ちゃんは、欲深ですね」
   「先生、わいも剣術を習って先生のお兄さんみたいに強くなりたい」
 三太も持ち前の負けん気が出た。
   「商人(あきんど)に剣は要らないと思うけど」
   「わいの命は、わいが護りたい」
   「剣に長けた商人に心当たりは無いなァ」
   「先生、前に言っていましたやないか、三太郎お兄さんの友達の…」
   「福島屋亥之吉さんのことかな?」
   「凄く強いのでしょ」
   「私はまだ逢ったことはないのだけれど、そのようですね」
   「その人の弟子になりたいな」
   「亥之吉さんは、剣術ではありませんよ」
   「柔術ですか?」
   「あれは、何になるのかな? 棒術かな? お百姓が担ぐ肥桶の天秤棒を武具にするのです」
 三太と源太が腹を抱えて笑い転げた。
   「習いたい、習いたい、それかっこええ」
 三太は、もうその気になってしまったようだ。 
   「でもねえ、相模屋長兵衛さんが三太ちゃんを手放すかどうか」
   「わい、一生懸命頼んでみます」
   「その時は、先生もお願いに上がります」

 早く来た三太と源太と鷹之助が将来の話をしていると、子供たちが揃ったので話は打ち切りとなった。いつもであれば、騒がしい手習いが、その日は事の他静かであった。小さい子供ながら、鷹之助の父の死を二人から訊いて、意識しているのであろう。
 小さい子供たちが帰ったあとには、もう年長組が来ていた。
   「すごい祈祷師が上方に来ているらしいのです」
   「へー、どんなに凄いのやろか」
   「それがなあ、死にそうなお爺さんが、祈祷で元気になったんやて」
   「わあ、それは凄いわ」
 お鶴が持ってきた話題を取り囲んで、ひそひそ話していた。
   「何が凄いのです?」鷹之助が割り込んだ。
 お鶴が得意顔で説明する。長崎から祈祷師の一行が上方へ来て、医者に匙を投げられた病人を、お祓いや祈祷で次々と元気にしているのだそうである。
   「蛎瀬道元(かきせどうげん)さまと仰せになる陰陽師だそうです」
 病気を治すばかりではなく、道元が魂をこめて祈祷した護符を神棚に祀っておくだけで、魔除け、招福、家内安全はもとより、商売繁盛は確実と振れ込み、護符は一朱、祈祷料は十両から百両と、祈祷によって受けるご利益によって変わる。
   
   「道元さまのお噂を聞きつけた尾張の豪商の旦那様が、薬石効なくあと十日の命と医者に宣告され、道元様の元へお駕籠で連れて来られました、到着したときは白目を剥いて口から泡を吹いていた旦那様が、祈祷を受けると元気になり、歩いて尾張まで帰られたそうです」
 お鶴は、興奮冷め遣らぬ表情で語った。

 それが本当なのか、騙りなのかは分からないが、お金持ちが気休めで祈祷を受ける分には、鷹之助はとやかく中傷する気はないのだが、一朱(250文=6520円)と言えば貧乏人には大金である。

   「新さん、一朱持って行ってみましょうか」
   「何故一朱持っていくのですかい?」
   「帰りに茶屋で甘酒でも飲みます」
   「あっしはまた、道元様の護符を買って来るのかと思いやしたぜ、紛らわしい」
   「紙切れ一枚、一朱でなんか買いませんよ」

 元は立派な武家屋敷だったであろう、門扉は外れて無くなっているが、中庭は広々としている。恐らく草が茫々と茂っていたのだろうが、屋敷に続く部分だけ綺麗に刈られていた。屋敷はと言えば、壁一面白い布で覆い、老朽化しているのであろう壁や柱は、目隠しされていた。
 座敷には祭壇があり、その前には長い髪に頭襟(ときん)を戴き、旅衣である鈴懸衣を纏っている自称陰陽師が、祭壇に背を向けて鎮座している。
 人々は列を成して、巫女衣装の女が手にする盆に一朱を乗せ、道元から恭しく護符を受け取っている。
 その途中に、門前にお忍び駕籠が着けられた。お駕籠の供と見られる侍が道元の許に走り寄り、何事か告げると、道元の声が響いた。
   「此方へお連れなされい」
 祭壇の前に駕籠が運び込まれ、気を失った老武士が駕籠から出されて寝かされた。
   「急病人が運び込まれ、急遽道元様のご祈祷をお受けになります、護符をお求めの方々は暫くお待ちくだされ」
 ピクリともしない病人の前で護摩が焚かれ、祈祷が始まった。

   「新さん、なんだかこれ見よがしの祈祷ですね」
   「祈祷が終わると病人が元気に立ち上がる算段です」
   「また、人から人へ噂が伝わり、信者が増えますね」
   「そう、その為の茶番劇ですから」

   「鷹之助さん、ちょっと行って参ります」
   「新さん、何をするのです?」
   「へい、ちょっと悪戯でさァ」

 祈祷も終わり近くになってきた。
   「サブダラマンダラシンピョウレツ、えいっ!」
 ここで、病人はムックと起き上がり、キョロキョロ辺りを見回す筈である。
   「おや、起き上がりませんねぇ」
 鷹之助も、護符を受けに来た信者たちも、唾をゴクリと飲んだ。
   「今日は、起き上がりませんなあ」
   「どうしたことでっしゃろ」
 見守っていた人々が、ざわつき始めた。鷹之助は直ぐに気付いた。
   「これが、新さんの悪戯か」
 道元は、慌てて病人を揺すぶっている。それでも起きない。しまいには、焦ってきたのか、道元は病人の頬を叩いている。暫くして、やっと気が付いたらしく、病人は道元に謝っている。
   「すんまへん、ご祈祷を聞いていましたら、眠くなってきて、熟睡してしまいました」
 その病人の侍らしからぬ言葉と仕草に、道元は制しようとしたが遅かった。
   「なんや、さくら(なかま)かいな」
   「偽病人やったのやな」
   「護符、買わないでよかった、わいらは騙されていたのやで」
 護符待ちをしていた人々は、興がさめて帰って行ったが、引いた波がまた押し寄せる波打ち際のように、護符を持った人々が押し寄せてきた。
   「銭返せ!」
 
  第二十九回 父、佐貫慶次郎の死(終) -最終回へ続く-  (原稿用紙14枚)


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