雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第九回 お稲,死出の旅

2014-03-23 | 長編小説
 太郎吉が寝込んだ日から七日が経った昼下がり、太郎吉の父親、俵屋太郎衛門が鷹塾へやってきた。
   「やっぱり児童神さんや、倅に聞いてやって参りました」
   「ああ、太郎吉さんのお父さんでしたか」
   「児童神さん、あの時は御見逸れいたしました」
 鷹之助は、子供達に聞かれてはまずい事になりそうだと感じて、助手の三吉に後を頼み太郎衛門とともに外へ出た。
   「私を児童神と呼びましたね、貧乏神が教えたのですか」
   「へえ、神さんとも知らず、ご無礼を申し上げました」
   「あれ程、私の正体を明かすなと申しておいたのに、貧乏神のお喋りめ」
   「貧乏神さんが家へ来はってから、疫病神も来て、店中の者が病に罹るやら、盗賊に金蔵を破られるやら、たった一日でこれですさかい、一ヶ月もしたら、わたいの身代はお終いやと思とりました」
   「少し、傲慢になっているあなたに、気が付いて貰おうと思ったのです、直ぐに貧乏神も疫病神も、退散させました」
   「はい、お陰で病は皆治りました」
   「そうでしょう、身代もすぐに回復しますよ」
   「有難う御座います」
   「丁度良いところに貧乏神が降りてきました、もう俵屋太郎衛門さんの店には近づかないように言っておきましょう」
 太郎衛門の心に、貧乏神の声が響いた。
   「児童神さんは許してくれました、よかったのう」
   「へへーっ」太郎衛門、安堵の溜息を吐く。
 畏まる俵屋太郎衛門に、鷹之助は話しかけた。
   「俵屋さんは、こんな句をご存知ですか」
     ◇稔る程 頭を垂れる 稲穂かな◇
   「いいえ、わたいは風流に疎いもので、とんと知りません」
 これは秋の田の情景を詠んだ俳句のようだが、実は、浪花商人の偉さを称えた比喩句である。稔るとは、財を成しえた商人のこと、金持ちになっても、決して傲慢にならず、支えてくれた一庶民にさえも感謝の気持ちを忘れずに低姿勢で接することである。
   「これぞ、浪花商人の心意気ではないのですか」
   「そうだした、わたいは浪花商人でありながら、浪花商人の心を忘れておりました」
   「気がついて、改める気持ちがあるなら、私は貧乏神を送り込むことはしません、俵屋さんが益々栄えるように応援しましょう」
   「有り難いお言葉でおます、倅にも浪花商人の心を伝えていきます、どうぞお見守りくださいますように」
   「分かりました、これは私からのお願いですが、私の正体を誰にも漏らさないように願います」
   「はい、私の宝物として、心の奥にお祀り致します」
   「これっ、貧乏神、お前も口軽く私の正体を人に話すではない」
   「児童神様、けっして話しませんから、どうぞお許しを」
 貧乏神、実は新三郎であるが、その侘びの言葉は俵屋太郎衛門の心にも響いた。

 その日、鷹塾の勉強を終えて子供達が帰って行った後に、男が鷹塾を訪ねた。
   「鷹之助先生はご在宅でいらっしゃいますか」
   「はい、鷹之助はわたしですが」
   「実は、お願いがあって参上仕りました」
 見れば、黄八丈の着流し(袴を着けていない)に紋付の羽織、腰には大小の脇差と普段は持ち歩かない筈の赤い房の付いた十手を差している。
   「お役人さまが私に願いとは何でしょうか」
   「以前に、拐わかされた子供の救出に、推理でご尽力されている鷹之助先生のお手並みを拝見させて戴いた者で、町同心の清原譲四郎と申します」
   「私は佐貫鷹之助、天満塾の塾生です、拐かし事件が起きたのですか」
   「それが、まだ分かりません」
   「拐かされたのか、家出なのか分からないってことですね」
   「はい、然るお武家の奥様が、一番年下のご子息をお連れになって、突然行方が分からなくなってしまったのです」
   「ご主人は、何と仰っておられるのですか」
   「妾の一人も囲う訳でなく、妻子に手を上げることもなく、子煩悩で穏やかなお方で、心当たりが全く無いと仰っておられます」
   「お子様は他にも…」
   「はい、男が三人、女が三人、合わせて七人の子持ちですが、皆さん素直な子供たちで御座います」
   「私がお屋敷に出向いて、ご主人様や、お子様のお話をお聞かせ戴くことはできますか」
   「はい、是非そう願いとう御座います」
   「ところで、お役人さま、この若輩の私を、先生とお呼びになるのは止めて戴けませんか」
   「そうですか、では鷹之助さまとお呼びします」
   「いえ、鷹之助か、鷹之助さんで結構です」
 立派な武家屋敷で、使用人が六・七人は居ようかと思われる。
   「私は、信濃の国は上田藩士、佐貫慶次郎の倅、佐貫鷹之助と申します」
 屋敷の主が、上田藩に反応したが、権高げに応えた。
   「わしは、目付楢橋典善である、お前が霊能占い師であるか」
   「いえ、私は儒学の天満塾に通う塾生です」
   「占い師ではないのか」
   「はい、ただの学徒に御座います」
   「清原、話が違うではないか」
   「いえ、以前の事件では、霊感を働かせて見事に解決なさいました」
   「そうか、何でも良いわ、妻に逃げられたとあっては、わしの面目がまる潰れじゃ」
 自分の面目の為に探せという楢橋の態度に、鷹之助は頭にきた。
   「どうも、お目付様のご期待に添えそうにありません、私はこれにて失礼させて戴きます」
 楢橋は明らかに失望の目をしていたが、同心の清原は違っていた。
   「鷹之助さん、どうか奥様の行き先の推理だけでもお聞かせください」
 鷹之助は、楢橋に向かって正座をした。楢橋は面倒臭そうに、鷹之助を一瞥した。
   「新さん、この男清原さんに聞かされたのと、だい分違うようですね」
   「探ってきます」
 たしかに、妻に手を上げたことはないが、常時言葉の暴力があったようだ。妻は楢橋家の元端女で、典善が文庫蔵に連れ込み強姦した。端女は間もなく子を孕んだので、両親が息子典善に責任をとらせるべく、端女を知り合いの武家へ養子に出したことにして、養子先から楢橋家の嫁に迎えた。
 その折に生まれた長男が、自分を生んだ母を母と思わず、使用人として扱うようになった。その他の子供達も、成長するに従って、農民の出の母を蔑視するようになってきた。
 妻は、自分がこの屋敷に居ては、子供達の心が捩れてしまうと思い、典善に離縁して欲しいと願ったが、典善は世間体を気にして離縁しなかった。
 典善が妻を探し出す目的は、連れ帰って大きな過ちを仕出かしたとして手討ちにする積りである。
   「鷹之助さん、この一家の人たちは、とんでもなく心の歪んだやつらですぜ」
   「そうですね、ここはどう対処すべきか悩みます」
   「それに、最近こいつは波路という武士の娘と惚れあって、今の妻を離縁してくれと急かされています」
   「それなら、さっさと離縁すれば良いものを」
   「世間体を気にして、出来ないのでしょう、放っといて帰りましょうよ」
   「清原さんのメンツが立たないでしょう」
 とにかく、新三郎が得てきた事柄で、楢橋と話をしてみようと思う鷹之助であった。
 鷹之助は姿勢を正し、典善に向かって言った。
   「奥様がお戻になったら、あなたは奥様をどうするお積りですか」
   「どうするも、こうするも、妻として元の鞘に戻らせます」
   「それは、嘘ですね、あなたは偽りの理由をつけて奥様を殺す積りでしょう」
   「何を申すか、家出くらいで殺しはしない」
   「家を出たからではありません、最近はあなたと子供たちは、農民の出の奥様を軽蔑しています」
   「だから殺すというのか」
   「最近、あなたは若い女に惚れましたね」
   「何を根も葉もないことをぬかすのだ、もう頼まんから帰ってくれ」
   「根も葉もないと言われるなら、その女の名を当てましょうか」
   「もう、頼まんと言っておろうが、清原、こいつを追い出してくれ」
   「追い出されなくても出て行きます、だが、あなたが誰にも言っていないことを、どうして私が知りえたかを考えてみてください」
   「どうせ、憶見であろうが」
   「では、女の名を当てましょう、それはあなたの上司の娘、波路さんでしょう」
 一瞬、楢崎の顔色が変わった。
   「そんなことまでどうして知った」
   「では明かしましょう、私は占い師ではないが、霊感はあります」
   「さっきお前はただの学徒と申したではないか」
   「はい、霊感があるただの学徒です」
   「何でもよいから、帰ってくれ」
   「はい、そうします、ただ、波路さんの父上には進言させて貰います」
   「お前などに会ってはくれぬわ」
   「そう思っていなさい、では失礼して退却いたします」

 波路と逢引の約束をした日、波路は楢橋の前に現れなかった。翌日、楢橋の上司に呼び出されて「娘波路と逢うな」と、釘を刺されたのだ。波路もまた、楢崎とその子供たちに愛想をつかして、自ら「逢わない」と、父に約束をしたのだった
   「さて、新さん、気の毒な奥さんをどうしましょう」
   「知ったからには放っておけないでしょう」
   「三両しか持って居ないで、実家にも戻れない、幼子を連れてどうするのでしょうね」
   「多分、金を使い果たしたところで、子供を道ずれに身投げでもする気でしょう」
   「実家は何処だか分からないでしょうか」
   「たしか、信州だとか言っていたように思いますぜ」
   「ねぇ、もう一度楢橋に憑いて、調べてくださいよ」
   「へい、合点承知でござんす」

 実家には戻らないまでも、両親に逢わないまでも、彼女は故郷の地を踏むはずである。幼子に自分が育った地を見せて、その何処かを死に場所に選ぶに違いない。鷹之助はそう推理した。
   「行って参りやした、奥さんの名はお稲で、連れて行った幼子は三歳の楢橋斎(いつき)です」
   「奥さんの生まれは」
   「信州は、上田藩のご領地内だそうです」
   「嘘っ」
   「嘘とは何ですか、人の生き死に関わることで嘘をつく馬鹿が居ますか」
   「新さん御免、余りに驚いたもので、つい弾みで出てしまったのです」
   「鷹之助さんの生まれ故郷ですからね」

 鷹之助の脳裏に、信州の兄上が浮かんだ。

  第九回 お稲,死出の旅(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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「第十一回 涙の握り飯」へ
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