雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十五回 沓掛の甚太郎

2014-04-03 | 長編小説
 今日は鷹之助が通っている天満塾が休みである。いつもより半刻長く寝ていると、お鶴が囁く声に目覚めた。
   「お鶴ちゃんも、布団に入りたいのかい?」
   「バカ、スケベ、違いますよ」
   「どうしたの?」
   「成田屋の番頭さんが、こっそり先生を呼んできてほしいと」
   「成田屋といえば、旦那さんがお亡くなりになって、今日はお葬式ではないですか」
   「そうそう、その成田屋さん」
   「ふーん、ご焼香に来いというのかな?」
   「そうかもしれまへん」
 おかしいなあ、鷹之助はそう思いながらも出かける支度をする。
   「お葬式に呼ばれるほども親しくはないのですが」
   「よろしいやないですか、行ってあげましょうよ」
   「はい、行くには行きますけれど…」
 葬儀に参列した人々の中には、すすり泣いている人もいる。お葬式なのだから、当然である。お人柄のよい成田屋の主人は、人々から慕われていたのだなあと、鷹之助は感心する。
 旅鴉風体の男が、しきりに嘆いている。
   「お父っつぁん、たった一目でも、元気な姿が見とうござんした」
 男泣きで、肩を震わせている。
   「あっしが、こんなやくざでなければ、お父っつぁんが元気な時に逢いに来ることが出来たものを、自分が憎うござんす」
 鷹之助も、貰い泣きしそうになった。
   「勘当でもされて、やくざに身を窶したご長男が戻って来たのですかねえ」
 鷹之助が独り言のように呟くと、弔問客がそっと耳打ちしてくれた。
   「それが、お内儀は、ご存知ないのですよ」
   「旦那さんが、外で生ませた子供でしょうか?」
   「どうやら、そのようです」
 男は、棺桶の中を覗き込み、ひとしきり悲嘆にくれている。大粒の涙が、一粒、また一粒、棺桶の中に落ちる。
   「女将さん、有難うござんした、堅気の店に、こんな極道が姿を見せて、申し訳ありませんでした」
 お内儀も、夫の子供であるなら、引き取って店の一つも持たせてやりたい気持ちがあるだろうが、信用大事のお店にこの姿では困る。せめて、足を洗って晴れて堅気になって来て欲しい。そんな気持ちでいるのだ。
   「女将さん、親父の死に顔も見せて戴きやした、線香も上げさせてくださいました、あっしは、もう思い残すことはござんせん、これで失礼して、故郷へ帰って死んだおふくろに報告いたしやす、どなたさも、お騒がせ致しやした」
 立ち去ろうとする男に、お内儀が声を掛けた。
   「あんさん、お歳は?」
   「二十一でござんす」
   「お名前は何といいます」
   「へい、甚太郎にござんす」
   「えっ、主人は甚兵衛ですが、もしや主人の甚の字を取って…」
   「へい、左様で、おふくろからよく聞かされやした」
   「お生まれは、どちらです」
   「上方でござんす、ただ、おふくろは旦那様のご迷惑になってはいけないと、赤子のあっしを抱いて、信濃の国は沓掛村の親元へ戻りやした」
   「それで、お母さんは、いつ亡くなりはつたのですか?」
   「あっしが、七歳の時でござんす」
   「その後は、誰が育ててくれたのですか?」
   「爺っつぁんと、婆っつぁんですが、十歳の時に流行り病で供に死にやした」
   「その後は?」
   「へい、独り江戸へ出て、気が付けば渡世人になっておりやした」
 弔問客の中には、嗚咽するものまで出てきて、ざわざわと互いで囁きあっていた。
   「待ちなはれ、ここに五両おます、これあんさんに上げますさかい、今度来るときは、堅気になって来ておくれやす」
   「いえ、お金なら懐にたんまり二百文がとこ持っておりやす、これだけ有れば、半年は食っていけやす」
 また、ざわついた。
   「たった二百文で、たんまりとは」
   「二百文で半年も食えるやなんて、可哀想に…」
   「帰らんと、ちょっと待っていてや」
 お内儀は、弔問客の手前、あまりせこいところを見せたくない為か、二百両持って出てきた。
   「二百文で半年なんて言わずに、これ持っていきなはれ」
   「えーっ、そんなにくれるのですか、お内儀、それはいけません、おふくろに叱られます」
   「宜しおますがな、あんさんを手ぶらで帰したりしたら、わたいが死んだ旦那さんに叱られます」
 黙って見守っていた鷹之助が、二人の前に立った。
   「お内儀、ちょっと待ってください」
   「出し抜けに何ですねん、あんさんは何処の誰です」
   「すぐそこで塾を開いている佐貫鷹之助といいます」
   「その鷹之助さんが、待てというのはどうしてですか」
   「この甚太郎という男、どうも怪しいです」
   「何を言い出すのですか、この人は主人甚衛門の息子です」
   「お内儀、この男の顔をよく見てごらんなさい、旦那さんや、若旦那さんに似ていますか?」
   「そら、似てないけど、それはお母さんに似ているのとちがいますか」
   「それから、この男の目尻の皺といい、口の周りの皺といい、二十一歳とは思えません」
   「それは、苦労を重ねているさかいに更けたのです」
   「私が見たところ、三十五・六ですがねぇ」
 男が怒りだした。
   「この野郎、難癖つけやがって、わしを怒らせたらどうなるか覚悟しとけよ」
   「おやおや、言葉が荒くなりましたね」
 内儀も、腹を立てて、くってかかる。
   「誰や、こんな占い師を呼んだのは?」
   「へえ、わたしです」
 番頭が名乗り出た。
   「お前、私に相談もなく、勝手なことをしなさんな」
   「済んまへん、この男が胡散臭く思えたもので」
   「後で説教しますよってに、今はこの占い師に帰ってもらいなはれ」
 番頭は、すごすごと後退りする。
   「わたいの家のことに、他人が口を挟まんといてくれますか」
   「私は霊能占い師です、この男の歳と名前と生まれ育ったところを占いましょうか?」
   「どうぞ、占っとくなはれ、なあ甚太郎はん、後ろめたいことなんかおまへんなぁ」
 同意を促したが、男は返事をせずに、鷹之助に掴みかかった。
   「本性がでましたね、生まれも育ちも、江戸は日本橋の半次郎さん」
   「何をぬかしやがる、この偽占い師め」
   「そうそう、お歳は三十三歳、歳よりも老けて見えますね」
   「嘘だ、嘘だ、こいつの言うことは皆嘘だ」
 その時、弔問客の男が三人の前に小走りで寄って来た。
   「どこかで見たヤツやと思うていたら、間違いない、こいつ近江の善助さんの葬式にも顔を出して、息子の善太郎や言うて、金をせしめとりました」
 まん前で指を差した弔問客に近寄り、足蹴にして渡世人風体の男は、
   「邪魔しやがって、覚えとけよ」
 と捨て台詞を残して、立ち去った。蹴られた腰をさすりながら、男は内儀に言った。
   「女将さん、あいつは騙(かた)りですよ、あの真面目一途の甚衛門さんが、外で子供を作るやなんて、考えられません」
   「そやなあ、わたいもそう思うとりましたんや」
   「甚衛門さん、何歳でお亡くなりですか?」
   「へえ、四十二歳です」
   「この占い師さんは、何も聞かんでも、生まれから名前まで当てましたんや、歳も三十三歳と占いはったので、甚衛門さん、九歳のときの子ですな」
   「あ、ほんまや」
 お内儀、出した二百両を弔問客の見ている前で引っ込め辛くなったのか、
「ほんならこれ、占い師さんに貰ってもらいましょか」
 鷹之助は驚いた。
   「ひとつ占っただけで、そんなには戴けません」
   「それなら、幾ら払いましょうか」
   「では、占い料、二百文戴きましょうか」
   「わあ、欲のない人、わたい鷹之助さんに惚れました」
   「あのー、葬式はどうなりました?」
   「あ、そうや、忘れとった」
 お鶴と供に、鷹塾へ戻ってくると、塾の前に佇んでいる女が居た。鷹之助が近寄ると、微笑んでお辞儀をした。
   「鷹之助さん、娘がお世話になりました」
 呉服商糸重のお内儀である。
   「重右衛門の家内、糸で御座います」
   「ああ、それで旦那さんの重と、お糸さんの糸で、お店の名が糸重なのですね」
   「お恥ずかしい、主人が若いときに付けましたもので」
   「仲がおよろしかったのですね」
   「それはもう…」
   「お嬢さん達は、楽しそうに手に手をとって江戸へ立たれましたね」
   「はい、もっと早く許してやれば、江戸へ行かずとも、浪花でお店を持たせてやれたのに、うちの頑固親父が反対するばかりでしたもので」
   「お嬢さんは、嬉そうでしたよ、行商から始めるのだと言っておれました」
   「若い内は、苦労をするのも良いかもしれませんね」
   「はい、私も今苦労しております」
   「そうは見えませんよ、良家のお嬢様のようで…」
   「じつは、上方へくるまでは、苦労知らずでした」
 お内儀は、袱紗(ふくさ)を開いて紙包みを取り出し、鷹之助の手に渡した。
   「これは、お礼の気持ちです、どうぞお納めくださいまし」
   「私は商売で占いをやっている訳ではありませんので」
   「そう仰らずにお受け取りください、主人が罪にならずに済んだのも、鷹之助さんのお蔭です」
 内儀は、返そうとする鷹之助の手を押し返し、無理やりに懐に入れさせた。
   「では、遠慮せずに頂戴致します」
   「どうぞ、どうぞ、これからも何かのときは頼りにさせて戴きますので宜しくお願いいたします」
   「はい、承知しました」
 帰ろうとする内儀に、鷹之助は声をかけた。
   「お内儀は、道修町の雑貨商福島屋さんをご存知ですか?」
   「はい、知っております、向こうの主人と、うちの主人は幼馴染です」
   「そうでしたか、その福島屋さんのお譲さんが、番頭さんと夫婦になられて、江戸の町に大きなお店を構えておられます」
   「そうですか、うちの娘たちも、早くそうなれば安心ですのに」
   「その番頭さんは、亥之吉さんと言いまして、私の兄の親友なのです」
   「男の人は、親友を大切にされますね」
   「それで、お嬢さんたちに困ったことがあれば、相談に行きなさいと言っておきました」
   「有難う存じます、娘たちは、さぞ心丈夫でしょう」
 糸重の内儀は、安心した様子で帰っていった。
   「糸重の娘さんとは、あの綺麗な…」
   「そうそう、お鶴ちゃんが焼餅焼いていた人です」
   「焼餅なんて、焼いていません」
 お鶴も、鷹塾の勉強時間まで間があると、「ぷいっ」と帰っていった。
   「鷹之助さん、お内儀は幾らくれました?」すかさず新三郎。
   「ずっしり重いと思っていましたら、五十両もありますよ」
   「ふーん、成田屋で遠慮なんかしなければ、合計二百五十両ですよ、立派な屋敷が建ちます」
   「五十両と二百文でも、大金じゃありませんか」
   「まあね」

   第十五回 沓掛の甚太郎(終) -次回に続く- (原稿用紙16枚)

「佐貫鷹之助リンク」
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