雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第五回 鷹之助男難の相

2014-03-11 | 長編小説
 天満塾から急いで帰る鷹之助を呼び止めた者がいた。男は八卦見だと名乗り「そなたには男難(なんなん)の相が出ておる」と、いきなり話しかけてきた。
   「男難って、何なん?」
   「洒落を言っている場合ではない、見料は取らぬ、この先気をつけて行きなされ」
 八卦見に礼を言って分かれると、間もなく男に声をかけられた。男は屈強そうな侍で、その割には優しい声であった。
   「鷹之助先生、お久し振りです」
   「私は、あなたを存じ上げませんが、何方(どなた)様で御座いますか」
   「これは失敬した、拙者は奉行所同心、矢野鞍之祐と申す」
   「何処かでお会いしたので御座いますか」
   「拙者は、よくこの道を通りますので、幾度か挨拶を交わしたでは御座らぬか」
   「私の名を何処でお知りになりましたか」
   「子供達が呼んでいましたので、覚えてしまいました」
   「そうでしたか、お見回りご苦労様です、急ぎますので失礼致します」
 早足で去ろうとした鷹之助を、矢野は再び呼び止めた。
   「一度、拙宅へ遊びに寄られませんか」
   「遊びに?」
   「酒卓など用意させますので、一献傾けて世情の話なとしませんか」
   「折角のお誘いですが、酒は嗜みませんので、また何れの機会にと言うことで…」
   「そうは申さずとも、酒がだめなら、茶菓でも用意させます」
   「これから、塾生たちが参りますので、失礼します」
 鷹之助は、わざと走ってその場を離れた。その後を追っかけるように矢野が叫んだ。
   「今夕でも、お誘いに参りますぞ」
 歴(れっき)とした役人ではあるが、どうにもしつこくて気持ちが悪い。新三郎の居ない今では、とても誘いに乗れそうになかった。その矢野が、今夕誘いに来るという。どうすれば良いだろうかと塾生に習字をさせながら、考え込んでしまう鷹之助であった。
   「先生、筆さかさにもっとるで」
   「先生、今日の先生、どっか変や」
   「とないしたんや 女に現をぬかしているのと違うか」
   「あほ、うちが先生の嫁さんになるのや」と、お鶴。
   「先生の奥さんは、もっと美人やないとあかん」
   「うちのどこが美人で無いのや」
   「ぶすやないか、鏡を見てみ」
 子供達がざわつき始めた。鷹之助、悩んでいる暇はない。
   「これ、先生のことに託けて、騒ぐのは止めなさい」
   「はーい」と、子供達は唱和する。
 鷹之助先生、真顔で言う。
   「お鶴ちゃん、今夜お鶴ちゃんのところに先生を泊めて貰えないだろうか」
   「わーい、ほんまもんや、お鶴ちゃん、先生を口説いたのやろ」
   「違うわ、何か訳があるのや」
   「嘘や、嘘や、お鶴ちゃん、やらしー」
 また、子供達が騒ぎだした。
   「お鶴ちゃんの言うように、訳があります、先生誰かに付け狙われているのです」
   「えっ、ほんまか それはえらいこっちゃ」
 ようやく、子供達も静かになったのは良いが、鷹之助の深刻な顔が移ってしまった。
   「お鶴ちゃんの家で断られたら、先生、俺の家へ来ぃや」
   「わいとこにも来てええで」
 部屋を片付け、一応戸締りをすると、お鶴の店に頼みに行った。せめて、新三郎が戻るまでは、一人で居たくなかったのだ。
   「どうぞ、どうぞ、一晩と言わず、何日でも泊まりに来ておくれやす」
 女将さんは、人懐っこい笑顔で言った。
   「何なら、ずっと居てくれてもええのやで」
 食事を勧めながら、お鶴の兄、昆吉が訊いた。
   「付け狙われているって、どんなヤツや」
   「はい、同心で矢野鞍之祐と名乗りました」
   「えっ、わいその男知っていますわ」
   「知り合いですか」
   「知り合いちゅうのと、ちょっと違いますけど、わいも先生くらいの年頃に、言い寄られました」
   「言い寄るのですか」
   「へえ、酒飲ますから、屋敷に来いとか言われました」
   「私にも同じことを言いました」
   「わいの時は、友達が止めてくれたのですが、行ったらあきまへんで」
   「何かされるのですか 試し討ちとか」
   「まさか殺したりはしまへんが、ケツ掘られたり、狆鋒を扱(しご)かれるそうです」
   「掘る? 花咲爺のポチみたいにですか」
   「そうです、大判小判がサックザク……って、違いますがな」

 よく分からないが、矢野鞍之祐はこの時代に武士の間で広まった衆道(しゅうどう)というヤツで、成年男子が若衆、特に十代前半の少年に懸想(けそう)する同性愛者である。宥(なだ)め賺(すか)し、時には脅し、悪戯目的で若衆を、矢野の場合は独身暮らしの屋敷に連れ込むのだ。
 次の日は、お鶴の家から天満塾へ通い、真っ直ぐ鷹塾に戻り、論語の勉強を終えた。もう一晩お鶴の家に世話になろうと出かける用意をしていたら、新三郎が既に戻っていて、話かけた。
   「夕べは、鷹之助さんが居ないので、心配しましたぜ」
   「恐いことがありましたので、お鶴ちゃんの家で泊めて貰いました」
   「何があったのですか」
   「衆道の男に、誘われました」
   「へー、鷹之助さん、男前ですから無理からぬことです」
   「何か、平然としているのですね、今日もここへ来るかも知れないのですよ」
   「へい、命が危ない訳ではありませんが、変な病気を移されてもいけません、あっしが何とかしましょう」
   「よかった、矢野の屋敷へ行けと言われるのかと思った」
   「行ってもいいですぜ、どんなことをするのか見てみたい気もあります」
   「嫌です、掘ったり、扱いたりされるのですよ、私は芋でも、藁でもありません
 案に違(たが)わず、矢野鞍之祐がやって来た。鷹之助が一人暮らしだと知ってのことである。
   「鷹之助さん、昨日は留守でしたね」
   「はい、ちょっと出かけておりまして」
   「今夜は我が屋敷に来てくれますか」
   「それが、用事が出来て、今日も出かけるところだったのです」
   「そんなこと言って、拙者から逃げる積りでしょう」
   「いえ、何故逃げなければならないのですか」
   「拙者が恐いのであろうが」
   「恐くありません」
   「それなら我が屋敷に来い」
 矢野、焦れてきたのか、言動がだんだん粗暴になって来た。
   「行きませぬ」
   「それなら、引括って連れて行く」
   「大声を上げます」
   「猿轡'(さるぐつわ)を嵌める」
   「まだ日が高いのです、人が見ますよ」
   「同心が、咎人を引き立てて行くのだと思うであろう」
   「猿轡を嵌めてですか」
   「それなら、子供達も皆帰ったことだし、今夜は拙者がここに泊めて貰おう」
 矢野は、鷹塾に上がり込んで、どっかと胡坐(あぐら)をかいた。
   「酒は無いのか」
   「言ったでしょ、私は酒を嗜めませんと」
   「では買って来い…、いや待てよ、そのまま逃げるだろう」
   「逃げません、逃げても、逃げても、執拗に追っかけて来るのでしょうが」
   「まあ、そう毛嫌いをするではない、拙者はその方に惚れておる」
   「いやですよ、気持ちが悪い」
   「そう申すな、拙者が気持ち良くしてやろう」
 鷹之助は黙り込んでしまった。矢野は、それを見て、自分を受け入れたと思った。
   「新さん、早く何とかしてくださいよ」
   「あはは、鷹之助さん、もうちょっと我慢してくだせぇ」
   「もう限界です」
 矢野が、鷹之助の腕を掴んで引き寄せた。鷹之助の着物を肌蹴て、小さい乳首に触ろうとしたとき、矢野鞍之祐はやおら立ち上がって表に飛び出して行った。
 矢野が正気に戻ると、まだ人が行き交う大通りに、褌一丁で大の字になって寝ていた。
   「新さん、ありがとう、あいつもう来ませんか」
   「また来るでしょう、その都度、裸で大通りに寝かせてやれば、その内懲りるでしょう」
   「あ、そうそう、母上は無事でしたか」
   「いいえ、三人の男たちに拉致されて、殺されそうになりました」
   「それで、その咎人を新さんがやっつけてくれたのですか」
   「いいえ、あっしが手を出さずとも、三太郎さんがやっつけました」
   「兄者は、強いなぁ」
   「はい、あっと言う間に片付けて、母上を背負って…、いや途中からお姫様抱っこで帰りました」
   「何 それ」
   「三太郎さんが、背負って歩くと、楢山参りの親子みたいですって」
   「楢山って、あの姥捨て山のことですよね」
   「そう、母上はそんな歳ではないと怒っていましたがね」

 翌日も、矢野鞍之祐は鷹塾に来た。昨日、何が起きたのか覚えていず、それを確かめるべく来たのだ。
   「鷹之助さん、昨日拙者は酒を飲みましたか」
   「いいえ、飲んでいません」
   「不思議だ、どうしたのだろう」
   「私に不埒なことをしようとしたので、私の守護霊が怒ったのですよ」
   「守護霊 そんな馬鹿な」
   「嘘だと思うなら、もう一度やってみなさい」
   「その積りで参った」
 どっかと胡坐をかいて、昨日と同じように鷹之助を引き寄せ、接吻をしようとした瞬間。やはり矢野鞍之祐はすっくと立ち上がり、外へ飛び出して行った。
 気が付くと、今度は何と、奉行所の門前で褌まで取っ払って大の字に寝ていた。その周りで、与力や先輩同心たちが取り囲み、ざわざわと話し合っていた」
   「狐に化かされたのでしょうか」
   「酒の飲み過ぎでしょう」
   「何かの祟りではないでしょうか、神社の境内で小便をしたとか」
   「こやつ、奇癖がありましたからな」
 矢野は、早く前を隠してこの場を立ち去りたいのだが、こうも上司や先輩の視線に曝されては、身動きもできない。折角、眺めて戴いている物も、縮みあがってしまった。
 翌日も矢野鞍之祐は鷹塾にやって来た。
   「鷹之助さん、守護霊の恐さが身に染みました」
   「ちょっと残酷なことをしたようですね」
   「恥ずかしくて、奉行所の隅で蹲るばかりです」
   「もう、私に構わないでくださいよ」
   「はい」
 消え入るような声で矢野鞍之祐は答えた。
   「あなたの性嗜好が悪いとは申しません、あなたの性対象選びが問題で、相手を選ぶなら、同じ性嗜好の男を選ぶべきです」
 鷹之助に、こんな偉そうなことが言えるのは、新三郎が居たからである。新三郎に感謝するとともに、新三郎に甘えきっている自分に渇を入れなければならないと思う鷹之助であった。

第五回 鷹之助男難の相(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)

「佐貫鷹之助リンク」
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「第二回 鷹之助の許婚」へ
「第三回 深夜の盗賊」へ
「第四回 矢文」へ
「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
「第二十四回 チビ三太一人旅」へ
「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
「第二十六回 チビ三太、戻り旅」へ
「第二十七回 源太が居ない」へ
「第二十八回 阿片窟の若君」へ
「第二十九回 父、佐貫慶次郎の死」へ
「最終回 チビ三太、江戸へ」へ

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