雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十一回 涙の握り飯

2014-03-26 | 長編小説
 昼下がりに商家の内儀と思しき身形の良い女が鷹塾にやって来た。年のころなら三十路まえ、平均年齢が五十歳と言われた当時にすれば、もう熟女の域に差し掛かる。
   「御免やす、鷹之助先生はご在宅でおますかいな」
 一番乗りで鷹塾に来ていたお鶴が応対した。
   「はい、ただ今奥で着替えをしております」
   「では、三和土(たたき)で待たせて貰います」
   「こんな処でお待たせしては、先生に叱られます、どうぞお上がりください」
   「そうですか、ありがとう」
 少しばかり驕傲(きょうごう)さが見え隠れはするが、上品な物腰である。
   「お初にお目にかかります、わたくし松屋町で人形と結納を商いする久俸堂貫衛門の女房で、邦と申します」
   「私は佐貫鷹之助です、どうぞご用件を仰ってください」
   「不躾なお願いで恐縮で御座いますが、主人貫衛門の素行を調べて頂きたいのですが」
   「おや、それはお門違いでは御座いませんか?」
   「先生は、勘が研ぎ澄まされ、霊感さえお持ちのお方と聞き及びます」
   「それはちょっと買い被りのようですが」
   「いいえ、ある人から、鷹之助さんなら太鼓判を押すと言われました」
   「最近では、同心の副業で、金を取って、その手の調査を請け負っているとか」
   「はい、知っております、でも、多額の手数料を取って、いい加減な報告をするそうです」
   「そうですか、私は手空きのときが少なくて、ご期待に添えないと思いますが…」
 その時、新三郎が助言した。
   「鷹之助さん、引き受けなせぃ、あっしが調べてきます」
   「新さん、一つ受けたら、噂を呼びますよ」
   「いいじゃないですか、これで稼ぎましょう、兄上の負担を軽くするためにも」
 兄上とは三太郎であろう。そう言われると弱い鷹之助である。
   「お内儀、分かりました、お調べしましょう」
   「そうですか、有難う御座います」
   「その代わり、どのようなご報告になっても私には責任がとれませんよ」
   「はい、離縁に発展しようとも、鷹之助さんの所為ではありませんので」
   「では、明日からお調べしましょう」
   「お願いいたします、それでお礼金のほうは…」
   「それは、結果を見て戴き、心付けということで…」
   「承知いたしました、ではそういうことで」

 ここは松屋町、久俸堂の店内、主人の貫衛門は朝からいそいそと出かける身支度をしている。内儀の目を盗んで座敷金庫から何がしの小判を財布に入れて、素早く懐に挟む。胸をポンと叩いて、財布の座りを確かめると、雪駄を引っ掛け、店の者に声をかける。
   「ほんなら、お得意様に納める結納のことで打ち合わせに行って来ますでな、お店の方は安生頼みますで」
   「旦那(だん)さん、行ってらっしゃいませ」
   「旦那さんも、安生しとくなはれ」
   「へえ… って、何を安生するのや」旦那首を傾げる。
   「これですがな」と、丁稚が手の甲を口の端に当てる。
   「こら、何を言いなさる、わては仕事で行くのでっせ」
   「そうでした、旦那さん、お早いお帰りを…」
   「なんや、いちいち癇に障るヤッやな」
 雪駄をチャラチャラ鳴らして、旦那さん行ってしまう。旦那が出かけた後で、お内儀が暖簾を分けて店の間に顔を出す。
   「旦那さん、出掛けましたかいな」
   「へえ」
   「帰りは早いと言っておりましたか?」
   「いいえ、何にも」
   「さよか、また泊り込みやなぁ」
   「へい、多分」
   「あんた、子供の癖に、旦那さんの所業がわかるのか?」
   「へえ、微に入り細に入り」
   「いやらしい子や」
   「えっ、いやらしいことでしたのですか?」
   「なんやお前は、おませなのか、おぼこいのか、わからん子やなぁ」
 妾の一人や二人なら男の甲斐性と許しても良いが、妻に内緒の愛人を囲い、子供まで生ませていたら妻の立場がない。貫衛門は養子であり、店を背負って立っているという程の働き者でもない。謂わば、種馬的存在なのだ。
 貫衛門が出掛けると、すかさず新三郎が憑いた。それから十日間、新三郎は勘衛門に憑きっきりで調べ上げ、鷹之助の元に戻り報告した。新三郎は結構面白がってやっていたようである。当然ながらその報告は完全なもの。その結果内儀が知らない愛人が五人も居て、そのうち三人に子供を生ませて、その上、新町遊郭の芸妓(げいぎ)に入れ揚げている。愛人の年齢から子供たちの名前まで、おまけに新三郎の悪趣味が出て、勘衛門が達した射精の数まで逐一報告された。
   「金庫のお金が無くなると思うたら、子供ともを入れて八人も養い、その上、芸妓にまでとは」
 内儀は呆れてものも言えぬ態であった。
   「流石、鷹之助さんです、よくここまで調べておくれでした」
   「ご満足戴けましたか?」
   「はい、ご苦労さんだした」
 内儀は、強く決心したようである。
   「わたいには、歳のせいで皆目役に立たんようになったと言いながら、なんやこれは」
 内儀はカンカンに怒って、旦那を逆離縁すると息巻いていた。
   「お内儀、三人の子供に罪はありません、どうぞ子供の将来のことは考えてやってください」
   「はい、子供だけを引き取ると言っても、まだ乳飲み子も居るそうやおまへんか、子供が乳離れしたら我が子として育てるが、母親は使用人としてこき使ってやります」
   「げに恐ろしき怨念だのう」新三郎も舌を巻く。
 礼金だとして内儀は二十両をよこした。鷹之助は「癖になりそう」と、新三郎に打ち明けている。
   「この金は、新さんの物だけど、どう使ったら良いのでしょうね」
   「あっしには、猫に小判、幽霊に金銀財宝でやす」
   「そうだ、新さんの墓を建てよう」
   「生憎ですがあっしの墓は、江戸の経念寺という寺にありまさあね」
   「そうなの? では、お仏壇でも…」
   「それも木曽の兄貴の家にありやす」
   「では…」
   「ぐずぐず言わずに、塾の謝儀や月並銭に使いなせぇ」
   「わかりました、新さん御免ね」
   「いいってことよ」

 信州の兄上、佐貫三太郎から、天満塾気付けで鷹之助へ手紙が来た。お稲さんの身の振り方が決まったそうである。手紙によると、三太郎が開いた養生院で、子供七人を生んだ経験を活かして、産婆として働くそうである。まだ若いお稲に、産婆は可哀想だと、三太郎が「助産師」と名付けたそうだ。産婆さんのように老練ではないが、兄であり師である緒方梅庵から学んだ産医としての三太郎の知識と合わされば、産婆以上の腕が発揮できると自負していた。
 養生院は、三太郎と弟子の佐助と三四郎、それに馬の世話をする久作と、その息子五歳の新吉の男ばかりの五人所帯であるため、鷹之助の母小夜が気を利かせて、お稲は佐貫の屋敷から通うことにした。その間、お稲の三歳の子、斎(いつき)は、小夜がみているそうである。
 斎は、「ことの他おとなしくて、聞き分けの良い子」だと記されていた。

 信州は佐貫慶次郎の屋敷である。妻の小夜が預かっている斎(いつき)を呼んでいる。
  「斎ちゃん、ここへおいでなさい」
 斎、目を輝かせてちょこちょことんでくる。
   「八百屋の文助おじちゃんが斎ちゃんにあげてくださいって、これを置いていきました」
   「なにこれ?」
   「ひよこですよ、どうしましょう、斎ちゃんには、まだ飼えないわねぇ」
 斎、ひよこを受け取ったが直ぐに逃がしてしまい、座敷で追い掛け回している。
   「暫く遊んだら、三太郎のところの新吉ちゃんに飼って貰いましょう」
   「うん」
 鷹之助は考えた。もし楢橋紫月が、父親が書いた離縁状を持参したら、お稲の近況を教えてやっても良いかなと。
 鷹塾の勉強が終わって、お鶴が入れてくれた茶を啜りながら、二人だけの時を楽しんでいると、若い男が飛び込んできた。
   「お願いです、匿ってください」
   「追われているようですが、何をしてきたのですか?」
   「話は後でしますから、私を隠してください」
   「いいえ、訳も分からず匿ったりはしません」
   「そんなことを言わないで…」
 いきなり押入れを開けて飛び込もうとする男を鷹之助は止めた。その時、追ってきた男が二人、息を弾ませて飛び込んできた。
   「ここに居やがった、捕らえて番所に突き出してやる」
 若い男に飛び掛ろうとする男達の前に、鷹之助は立ちはだかった。
   「ここは私の住まいです、断りもなく押し入って無礼はありませんか」
   「ああ、これは申し訳ないことをしました」
   「訳を聞かせて貰いましょう、この男を捕らえる訳です」
   「この野郎は、食い逃げでおます」
 そう言った男の形(なり)は、前垂れに捻じり鉢巻き、うどん屋の親父らしい。
   「素うどん二杯と、握り飯を二個平らげて、わたいがちょっと目を離した隙に店を飛び出しおったのです」
   「そちらの方は?」
   「へえ、息子でおます」
 鷹之助は、改めて逃げてきた若い男を見るが、どうしても性悪な人間には見えない。
   「親父さん、どうでしょう、私が代金と、些少ですがお詫びの金子を払います、この男は、私に任せて貰えませんか?」
 代金相応の三十文に、一朱(約7000円)を添えて渡すと、親父は急に態度を和らげ、頭を下げて帰っていった。
   「私は佐貫鷹之助です、あなたは?」
   「有難う御座いました、佐々一之助と申します」
   「あなたのようなお武士の子息が、食い逃げとはどうしたことでしょう」
   「済みません、なにしろ腹が空きすぎて、分別を無くしておりました」
 聞けば、一之助の父は元水戸藩士であったが、罪を犯した親友を匿い、逃がしたとして屋敷は閉門、身は蟄居(ちっきょ)の末、藩追放となり江戸へ落ちた。江戸では仕事がなく、食い詰めて上方に望みをかけてやって来た。そこで一之助の母と知り合い、裏長屋に住い、傘張りの手内職と妻の縫い物で、ささやかな家庭を保ち、一之助が生まれた。
 その父も、一昨年に病で他界し、この度は、母も病に倒れた。一之助は十一歳になるが、学もなく、職探しに奔走するが、浪人の子は扱い辛いと敬遠された。
   「お母上は、医者にかかっておいでですか?」
   「金がありませんので、薬どころか、粥にする米も底をつきました」
 聞いて、鷹之助は立ち上がった。
   「行きましょう、あなたの家に私を案内してください」
   「はい」
   「その前に、私は許婚を家に送ります」

 一之助の言葉通り、薄暗い長屋の部屋で母親は寝ていた。
   「私は、一之助さんの友達で、佐貫鷹之助と申します」
 一之助の母は、半身を起こそうとするが、力が出ない。
   「どうぞ、そのまま休んでいてください、今、医者を呼びます」
 母親は、力のない声で、「お金がないから…」と、しきりに止めようとする。
   「ご安心ください、金なら持ち合わせております」
 鷹之助は一之助に言い付けて、近所の医者を呼びにやった。間もなく医者が駆けつけて、脈をとっていたが、いきなり一之助を叱りつけた。
   「お前が付いておって、こんなになるまでどうして医者を呼ばなかったのじゃ」
   「すみません、金が無かったもので」
   「バカたれ、金は後で考えたらええことじゃ」
 病気は何かと尋ねる鷹之助に、医者は栄養失調だと告げた。
   「ところで、あんさんはどなた…?」
   「はい、つい先ほど、一之助さんと友達になった佐貫鷹之助と申します」
   「あんたもご浪人の息子かね」
   「いいえ、父は信州上田藩士です」
   「さようか、友達ならこの親子の面倒を見てやってくれますかな?」
   「はい、ご医師への薬礼は如何ほどでしょうか?」
   「特に薬を処方した訳でもないので、五十文頂戴しましょう」
 薄いお粥を少しずつ食べさせて、少し元気になったら、徐々に濃い粥を食べさせなさいと医者は指示をして帰っていった。
   「では、一之助さん、米を買ってきなさい」
   「とりあえず、今の分はこれで」
 一之助は懐から握り飯を二個取り出した。
   「そうか、握り飯は母上の分でしたか」
 鷹之助は、薬指でそっと目頭を押さえ、信州の母上小夜を思い描いた。

  第十一回 涙の握り飯(終) -次回続く-  (原稿用紙17枚)

「佐貫鷹之助リンク」
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「第二回 鷹之助の許婚」へ
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「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
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「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
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「第二十八回 阿片窟の若君」へ
「第二十九回 父、佐貫慶次郎の死」へ
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