雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第七回 三吉先生のお給金

2014-03-14 | 長編小説
   「先生、大変、大変」
 お鶴の「大変、大変」は、暫く無かったが、また始まった。
   「何、大変って」
   「三吉ちゃんが、お父さんに連れて帰られました」
   「お父さんなら、心配ないではありませんか」
   「それが、貧乏人の倅が勉強なんかする間があったら、お母さんの内職を手伝えと…」
   「三吉ちゃんは、もう鷹塾に来たくでも来ることが出来ないのですか?」
   「はい、三吉ちゃん、泣いていました」
 三吉は、鷹塾に通う九歳の少年である。父親は手に職がなく、植木屋や左官の手伝いをし、農繁期には田植えや稲刈りの手伝いをして賃金を得ている。母親は、団扇の紙貼りの手内職をして家計を助けている。三吉の下に妹が一人、まだ幼い弟が二人居る。父親が「内職を手伝え」というのも、無理からぬことなのである。
   「今日にも、塾が終わったら、三吉ちゃんの家に行ってみようと思います」
   「三吉ちゃんが、また塾に来るようにお願いに行くのですね」
   「はい、三吉ちゃんの為になるように、話し合ってきます」
 鷹塾から今日も「し、のたまわく…」の唱和が聞こえる。
   「子曰く、父母に事(つか)うるには幾(ようや)くに諌(いさ)め、志の従わざるを見ては、また敬(けい)して違(たが)わず、労(ろう)して怨(うら)みず」
   {先生は仰いました、父母にお仕えして、その悪いところはおだやかに諌め、それをご両親にお聞きいただけないときは、尊敬の心を持って逆らわないことです、苦労はありますが、怨みには思ってはなりません」
   「はーい、わかりました」
 勉強が終わると、お鶴に三吉の家を教えて貰い、障子戸を叩いた。古くて建て付けの悪い戸を開けると、ひと間しかない部屋で、母親と三吉が内職をしていた。父親はまだ帰ってはいなかったので、母親と話をして帰りを待つことにした。
   「三吉がお世話になっております」
   「いえ、ご事情も考えず、三吉ちゃんを誘い、大変ご迷惑をおかけしました」
   「今も、三吉と話していたのですが、三吉が勝手に上がり込んだそうではありませんか」
   「子供達が勉強しているところを、三吉ちゃんが覗きに来たので、私が声をかけて中へ入れました」
   「ご親切に、有難う御座います、それなのに亭主が連れ戻しに行ったのですね」
 お金を払えないのに、他の子供達と一緒に分け隔てなく教わり、三吉もよろこんで通っていたのに、父親が可哀想なことをしましたと、三吉の方を見て母親が言った。
   「先生は、裕福なご家庭でお育ちなのですね」
   「はい、信州の片田舎ですが、父は上田藩の藩士で、私は苦労を知らずに育ちました」
   「それを、どうしてお一人で上方へ」
   「学者に成りたくて、出て参りました」
   「お偉いのですね」
   「いえ、それ程でもありません、ところで、お母さんは上方訛りがありませんね」
   「私は、江戸生まれの江戸育ちで、父親に勘当されて上方へ来たのです」
 両親が薦める染まぬ縁談を頑なに拒み、上方へ流れてきて茶屋で酌婦をしているときに、今の亭主、三吉の父に出会い、好きあって一緒になったのだと語った。
   「ご苦労もあったのでしょうね」
   「いえ、今が一番苦労していますのよ」と、少し自嘲ぎみに笑った。
 そこへ父親が帰ってきた。
   「あなた、鷹塾の先生がお見えです」
   「鷹塾の? あーっ、また息子を誘惑しに来よったのか、用は無いから帰ってくれ」
   「あなた、ただで教えてもらっているのに、その言い種はないでしょう」
   「貧乏人の息子が勉強なんかしても、碌なことにはならん」
 鷹之助は、黙って両親の遣り取りを聞いていたが、やおら腰を上げた。
   「私は、信濃の国は上田藩町与力、佐貫慶次郎が一子、佐貫鷹之助に御座います」
   「ふん、結構なご身分で、わいとこは見ての通りの貧乏町人でおます」
   「今日は、三吉ちゃんのことで参りました」
   「へえ、分かっています、三吉には妻の内職の手伝いをさせて、一文でも稼いでもらわんと、弟や妹を養えませんのや」
   「そこでお願いに来たのです」
   「お願いて、何や」
   「一日に、一刻(2時間)だけ、三吉さんに私の助手になってほしいのです」
   「幾らか、銭は貰えるのですか」
   「わたしは貧乏で、多くは差し上げられませんが、月に百文お支払いします」
   「えーっ、この坊主に百文やって貰えるのですか」
   「もっと差し上げたいのですが、今のところはそれ位でご勘弁を…」
   「いえ、助かります、失礼なことを言ってすんまへんでした」
 母親が、お茶を入れますので、どうぞお上がりくださいと、鷹之助に勧めたが「帰って一仕事しなければなりません」と、遠慮して戻っていった。
   「三太郎兄さん、戴いたお金を使わせて戴きます」
 帰りに足を伸ばして、両替商に預けてあるお金を月に百文ずつ下ろして貰うように頼み込んで戻ってきた。一両は四千文、重さにして四貫(15㎏)、一度に四貫文を持ち帰っても、隠し場所が無いからである。
   「今日から、先生が二人になりました」
 勉強を始める前に、鷹之助が言った。
   「どこや、新しい先生」
   「ここに居る、三吉さんです」
   「なーんや、三吉かいな」
   「そうです、三吉さんに時々小さい子の読み書きを見て貰います」
 一番驚いたのは、当の三吉であった。
   「わいが先生か 頼りない先生やなぁ」
   「自分で頼りないなんて、言ってはいけません」
   「時々でええのか」
   「はい、三吉さんは普段は自分の勉強をして、手が空いたときに先生になってください」
 小さい子が、鷹之助の話を理解したらしく、「三吉先生」と、叫んだ。
   「うひひ、三吉先生やって、こそば(くすぐったい)」
   「せーんせ」
 外から声がした。覗き込んだのは、鉄弥であった。
   「先生に話があって来たんや、終わるまで待たして貰いまっさ」
   「先生、わても来ております」
 お房である。
   「あ、お揃いで話ってなんでしょう、楽しみにしていて宜しいですか」
   「へえ、楽しみにしておくなはれ」
 中身が入れ替わって、女らしいお房と、男らしい鉄弥である。
   「子曰く、性、相近し、習い、相遠し」
   「人の天性は似たり寄ったりですが、その後の習慣や教養が身についたかどうかで、大きな差がついてしまうと言うことです」
   「先生、天性って何ですか」
   「天から授かった性質、即ち生れつきの性質です、あっ、性格ではありませんよ」
   「勉強すれば、性質が変わるのですか」
   「はい、変わります、庶民は勉強なんかしない方が良いという人がいますが、庶民であれ、武士であれ、勉強次第で立派な人に成れます」
   「おれも、先生になりたい」
   「わいは、商人や」
   「商人でも、読み書き算盤が出来ないといけません」
   「うちは、お嫁さんです」小さい声で「先生の…」お鶴である。
   「お鶴ちゃん、色気つきすぎや」
 小さい子が手を挙げる。
   「先生、色気って何ですか」
   「先生も、大人に成り切っていないので、よく分かりません、帰っておっ母ちゃんに訊いてください」
 鉄弥とお房が、後ろで見ていて「クスクス」笑っている。答えられない鷹之助が可笑しいのだ。
 一刻ほど経って、子供達が帰っていった。鉄弥とお房が、鷹之助のもとへ来た。
   「お話をお聞きしましょう」
   「私達のことですが…」
 お房が口火を切った。
   「相談しあって、一緒にならないことにしました」
   「家と貴方たちの間で、不都合はありませんか」
   「へえ、ありません、お互いに養子に入ったと思えばよいのですから」
 鉄弥も、同感である。
   「もう既に、慣れて来ましたよ」
 どちらの両親も、大そう喜んで、お見合いの相手探しをしているそうだ。
   「あれ程疎ましく思っていた体やから、夫婦になってもしっくりいかないと思うのです」
   「そうですか、これからお二人は、もうお会いになれませんね」
   「お互いが身を固めたら、逢えば不義密通かと思われますからね」
   「寂しくはありませんか」
   「ありませんと言えば嘘になりますが、我慢は出来ると思います」
   「お房さんも、大丈夫ですか」
   「へえ、大丈夫です」
   「では、私とは友達ですから、鉄弥さんは遊びに来てください」
   「へえ、相談にも来ます」
   「お房さんは遠いので、そうはいきませんね」
   「先生とも、これでお別れやと思います」
   「お元気で、幸せになってくださいね」
   「ありがとさんでおます」
   「今夜は、どこにお泊りですか」
   「お鶴ちゃんの家に泊めて貰うことになっています」
   「明日、女一人の道中、大丈夫ですか」
   「あはは、わてかて元は男です、男の急所を蹴られた痛さは知っとります」
 この先が案じられる鷹之助であった。
   「先生、大変、大変」
   「お鶴ちゃん、どうしたの」
   「ずっと前に会ったお房というおっさんみたいなお姉さんが、昨日うちへ来たら、ものすごう女らしくなっていました」
   「それは、女の人ですから、そういう一面もあるでしょう」
   「そうかなあ、先生、お房さんに何かしたんと違う」
   「何かって」
   「女が女らしくなるようなことを…」
   「何のことやろうです 先生、わからへんなのでおます」
   「下手な上方弁」

  第七回 三吉先生のお給金(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚)

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