雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十回 公家、桂小路萩麻呂

2014-04-27 | 長編小説
 早朝、鷹塾に来客があった。その旅鴉風の男は、江戸の商人菊菱屋政衛門の倅、政吉と名乗った。
   「申し訳ありません、わたしはあなた様を存じ上げませんが…」
   「そうですね、一度もお逢いしたことはおへんのどす」
 それもその筈、雑貨商福島屋亥之吉を兄と慕うもので、亥之吉は佐貫三太郎を命の恩人であり友と親しみあう仲らしい。鷹之助は亥之吉に逢ったことはないが、名前は兄から聞いて知っている。ここへ相談に来た美濃吉の弟、池田の須馬八に「親兄弟に逢ってきなはれ」と、路銀と旅衣装を与えた商人である。
   「その政吉さんが、わたしにどんな御用でしょうか」
   「いえ、ご用って程のことではないのどすが、お元気になさってはるかご様子を伺って来いと亥之吉兄ぃに頼まれました」
   「それはご親切に有難うございます、わたしはこの通り、元気にやっております」
   「もし、お独りで生活なさって、お困りのことがおしたら、道修町の雑貨商福島屋を訪ねるようにと言いつかって参りました」
   「福島屋さんの本店ですか?」
   「その通りどす、もし鷹之助さんが訪ねていらっしたら、あんじょうしてあげてくださるようにと伝えておきました」
   「本当に心丈夫です」
   「佐貫三太郎さんのことは、みなさんご存知ですから、親戚だと思って頼ってくださいと、福島屋のみなさんがおっしゃっておられました」
   「有難う御座います、お帰りになりましたら、福島屋亥之吉さんに宜しくお伝えください」
   「わかりました、亥之吉兄ぃも、安心することでっしゃろ」
   「ところで、政吉さんは、京のお生まれですか?」
   「いえ、生まれは江戸どすけど、赤子の頃に拐わかされて京のお公家屋敷に売り飛ばされました」
   「そんなことがお有りでしたか、大変な目にお遭いでしたのですね」
   「その二年後に、わたいを買ったお公家に実の子が誕生して、わたいが邪魔になったお公家が京極一家の親分に、処分してくれと頼んだのだそうどす」
   「処分とは酷い」
   「親分も犬猫のように処分とは何事と前後の見境もなく怒って、尻を捲ったそうです」
 政吉は、京極一家の跡取りとして大切に育てられたが、十四歳の時に亥之吉と出会い、親分の承諾を得て、亥之吉に護られて両親を探す旅に出た。両親は、それまで営んでいた装飾品の店菊菱屋を売り払い、我子政吉を探すべく、お遍路姿で京に上ったのだった。
 すれ違いなど、紆余曲折があって、菊菱屋政衛門夫婦に出会い、亥之吉の助けもあって、元菊菱屋があった神田に小さな店を構えることが出来た。
   「実は、亥之吉兄ぃの前で、育ての親である京極一家の親分に逢いたいと呟いたばっかりに、旅のお膳立てをされて、旅に出されましたのどす」

 京極一家の親分に逢ったら、ちょっと足を伸ばして、福島屋の本店と、鷹之助さんを訪ねて、様子を見てきてほしいと亥之吉に頼まれた政吉であった。
   「そやけど、どちらさんもお達者で、兄ぃによい土産ができました」
 丁度、鷹之助も天満塾に行く時刻だったので、政吉と一緒に出かけることにした。政吉は今夜、淀屋橋あたりの旅籠に泊まり、明朝三十石船で京へ上り、もう一度京極一家に立ち寄り江戸へ向うそうであった。
   「堅気の政吉さんが、どうして渡世人姿で旅をなさっているのですか?」
   「これは兄ぃの提案で、商人姿だと強請(ゆす)りや盗賊に襲われやすいから、態(わざ)とボロ着の旅鴉風体で旅をしているのどす」
   

 その日、鷹塾の勉強が済んで子供たちが帰った後に、またしても客人が訪れた。
   「鷹之助どのとは、そなたでおじゃるか?」
 鷹之助は驚いた。今どき「おじゃる」なんて言葉を使う公家(くげ)など居ないと思っていたからだ。
   「お公家様でいらっしゃいますか?」
   「桂小路荻麻呂じゃ」
   「お公家様が、牛車(ぎっしゃ)にも輿(こし)にもお乗りにならず、このようなあばら家においでになるとは…」
   「麻呂は、苦しゅうないぞ」
   「どのようなご用件でしょうか?」
   「京へ上り、失せ物を探してほしいのじゃ」
   「わたしは塾に通う塾生の身です、その上、子供たちに読み書きを教えていますので休むことが出来ません」
   「さようでおじゃろうが、こちらは公家一人の命がかかっておじゃりまする」
 
 鷹之助は、考え込むような振りをして、新三郎に相談した。
   「新さん、この公家、怪しいですね」
   「偽者ですぜ、鷹之助さんを京へ連れて行き、何やら金儲けに使うようです」
   「そんなことだろうと思いました」
   「話を聞いてやりなせぇ、いざと言うときは、あっしが何とかしやす」

 鷹之助が、悩んでいると見てか、萩麻呂が先に口を開いた。
   「鷹之助どのが通っている塾には、麻呂がお願いしましょう」
   「いえ、それには及びません、お公家様のお命がかかっているとあれば、何を捨て置いても参りましょう」
   「それはかたじけのうおじゃる」
 萩麻呂の話はこうである。毎年、紀州候が催す野点(のだて)に、公家の代表として出席する北小路篤之(きたのこうじあつゆき)が持参することになっている八代将軍から贈られた茶釜を、何者かに盗まれてしまったのだ。別に武士のように切腹して面目をはらす必要はないものの、将軍家からの贈り物を紛失した無礼は、帝の面目さえも潰しかねない。困り果てている篤之に、ある男が鷹之助の話をした。
 男は、鷹之助の霊験あらたかなる術で、盗まれた茶釜を探し当てさせようと話を持ちかけたのだった。
 紀州候の野点は、七日後に迫っていた。
   「京へ参りますが、期日までに探せるかどうかは保障できません」
   「それは良いのでおじゃる、茶釜は既に麻呂が見つけておじゃる」
   「へ? それはまた何故でございますか? 桂小路様がお渡しになればよろしかろうに」
   「麻呂の手から返せば、一文にもなりませぬ」
 それっ、出たぞ、こいつの魂胆。鷹之助は内心「にたり」と笑った。
   「わたしが入れば、お金になるのですか?」
   「左様でおじゃる、そのために鷹之助どののことを、若いが日本一の占い師と言っておじゃる」
   「分かりました、この儲け話に乗りましょう」
   「おおきに有難うで、おじゃります」
   「ところで、あなたはお公家さまではありませんね」
   「何故にそのような戯言を言いおじゃるか」
   「私は日本一の心霊占い師ですぞ、それ位のことを見破れぬ訳がありません」
   「そうでした、大変失礼を致しました」
   「お話を聞きましょう」
   「へえ、俺は北小路家の下僕で、田路助(たろすけ)と言います」
   「手を組んだからには、真実を打ち明けてください」
   「はい、何もかも申し上げます」
 田路助は、十歳のときに北小路家に連れてこられ、陰間として散々弄ばれた末、下僕として扱き使われている。勿論、お手当てなどは貰えず、もし病に倒れでもしたら、使い古した雑巾のように捨てられる奴隷のような身上である。
 十余年前にも、人買いから幼い男児を買って養子にしたところ、直ぐに実子が誕生し、要らなくなった養子をヤクザの親分に処分させたこともあった。
 どうせこの家で犬死するのなら、たとえ失敗をして殺されることになっても、主を困らせてやりたい。できることなら、ここを逃げ出して、貧しくとも人並みの生活がしてみたい。そう考えて、主人が捨てた衣服を拾って繕っておき、茶釜を盗んで隠し、この企てを実行することにした。
   「あなたの言葉を聞きながら、あなたの魂を透視しましたが、嘘偽りはないようですね」
   「もう嘘は申しまへん」
   「京へ行きましょう、それには私が通う塾と、この鷹塾の子供たちの許可をとらなければなりません、明日一日待ってくれますか?」
   「はい、では明後日の早朝にお迎えに上がります」
   「今夜と明日の旅籠は取られているのですか?」
   「今から、どこか安宿を探します」
   「その形(なり)で、ですか?」
   「着替えは持っておるのどす、ちょっと井戸端をお借りして、化粧を落とさせて戴けまへんか?」
   「どうぞ、よろしければここへお泊り戴いても構いませんよ」
   「いえ、このような泥棒を泊めてはいけまへん」
   「あなたは信用できる方だと確信しております」
   「助かりますが、甘えてもよろしいのどすか?」
   「はい、丁度、塾生の親御さんが恵んでくださった真新しい布団があります、明日一日は、ここでゆっくり為さって居てください」
   「お留守の間、薪割りでも、洗濯でも、何でもお申しつけください、俺は何もしないと死んでしまいます」
   「回遊魚みたいな方ですね」

 翌朝、鷹之助は味噌汁の香りで目が覚めた。田路助が朝餉の支度をして待っていてくれたのだ。鷹之助が塾に出かけるときは、まるで女房のように見送ってくれた。

   「新さん、幼い政吉さんを人買いから買った、さるお公家とは、北小路かも知れませんね」
   「そうでしょうが、たとえ一年でも二年でも、育ててくれた養父母です、政吉さんは恨みには思っていないでしょう」
   「処分されそうになったのに?」
   「そこいらのならず者ではなく、京極一家の親分に処分を頼んだのが、せめてもの北小路の良心だと思いましょう」


 翌朝、鷹之助と田路助は淀屋橋から三十石船に乗り、夕刻に伏見に着いた。京極一家に挨拶がてらに立ち寄ると、余程ここが居心地良いのか、政吉はまだ江戸へ立たずに留まっていた。政吉と親分に鷹之助が京へ来た訳を話すと、親分は「さるお公家」と言っていたのが北小路であることを打ち明けてくれた。
   「わいはその屋敷に恨みも憎しみも持っていまへん、物心がつかないうちに売り買いされて、物心がつく頃には、親分に育てられていたのですから」
   「明日、北小路の屋敷に出向きますが、政吉さんは行きませんか?」
   「連れて行ってくれはるのでしたら、盗んできたとわかる赤子を買った男の顔を見てやります」

 わしも行くという親分に、「ことが大きくなるかも知れない」と、ご遠慮願い、三人と一霊は、北小路篤之の屋敷を目指した。
 
  第二十回 公家、桂小路萩麻呂(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)


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