いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

司法の敗北宣言。 declaration of defeat in the judicature

2015-12-26 19:42:29 | 日記
 (1)環境省は東電福島第一原発事故での除染作業について生活圏外の森林部分を除染しない方針を示し、同有識者検討会で了承された。「森林全体を除染するのは難しいし、作業による悪影響も考えられる」(報道)と説明するが「その通り」だろう。

 原発事故による環境破壊の影響被害の甚大さはそれほどに大きく深刻なものだとわかっていて、環境省自ら示しながら、同じ政府、安倍政権が将来のベースロード電源に原発推進を組み入れているとは、まったく矛盾した話で話にならない。

 (2)住民家屋、道路、田畑など生活圏内の除染にしても1回除染しただけで安全なのかは不透明で、まして森林、山林地帯の除染は物理的に不可能だと環境省が認め放射性物質で汚染されたまま残しておいて、将来にわたって生活圏内への影響はないといえるのか不安は残ったままだ。

 たとえば花粉は森林、山林から大量に生活圏内にやってくるが、それに乗って放射性物質が降り注ぐ心配はないのか不安は大きいはずだ。

 (3)環境省が言うとおり森林、山林除染作業は物理的に難しく、作業への悪影響、二次感染も十分に考えられるものだけにさわらないほうがいい場合もあるだろうが、そういう生活安全解消策がないものを前にして環境省が敗北宣言(declaration of defeat)までしておいて原発再稼働を推進する同じ政府の政策判断はあきらかに自己矛盾(self contradiction)であり間違っているということだ。

 (4)新規制基準に適合したとして関電高浜原発3,4号機(福井県)の運転再開に住民側が差し止め提訴した4月の福井地裁では「適合しても安全性は確保されていない」として運転差し止め仮処分を命じた。

 その後も関電は新規制基準適合判断をもとに立地地元自治体の同意手続きは進めて、12月に入って福井県知事が同運転再開に同意することを決定した。同時に関電が進めていた4月の運転差し止め仮処分を取り消す訴訟では、24日に同じ福井地裁は今度は「最新の科学的、技術的知見を踏まえた評価を求め、専門性と独立性を持つ規制委が審査する枠組みには『合理性』がある」(判決趣旨)として、一転「安全性に欠ける点はない」(同)として4月の仮処分を取り消す判断を示した。

 (5)福井地裁の4月と12月の裁判長は異なっており、しかし同じ福井地裁の同じ年の審理でまったく異なる司法判断を示した異例の展開となった。
 原子力規制委員会は自らが言うように世界で最も厳格な新基準にもとづく審査で「適合性」は判断するが、「安全性」については政府、立地地元、原発事業者が判断することだとしており、規制委が踏み込まない原発「安全性」について司法が規制委の専門性と独立性による審査の安全合理性(rationality)を認めたのは客観性、妥当性、専門性判断根拠に欠けるものである。

 (6)原発再稼働については立地地元自治体、住民のほか原発事故により環境影響被害を受けることが予測される周辺自治体、住民の生活権を考えるべきだとの理論もあり、司法はそこまで踏み込んでの「安全性」、「合理性」について合理的説得力のある判断が必要であった。

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