(1)安倍元首相は3度目の首相、政権に意欲があったとみられている。安倍第2次政権を官邸主導政治で支えた菅元官房長官が安倍後の政権を担い、しかしコロナ対策が後追い政策で国民の支持も低く、安倍元首相はその後の3度目の首相、政権の復帰を狙っていたともいわれる。
(2)選挙に強く(今となっては旧統一教会支援の影響力だったのか)、大企業、富裕層優遇のアベノミクスで経済界の期待もあり、そもそも国民支持率には関心がなかったともいわれて自民党内に有力な首相候補も見当たらない政局事情もあり、その可能性は否定できない。
当時の党最大派閥の安倍派を率いて、しかし党総裁選では安倍派からではなく自身の思想、理念に近い無所属の高市元総務相を担いで菅氏に花を持たせて、銃撃された衆院選では知名度の高さから選挙応援に奔走して着々と3度目の首相、政権復帰に意欲をみせていたことが伺えるものだ。
(3)選挙応援中に銃撃され亡くなったが、残った安倍派は安倍氏が後継者を育てなかった(育たなかった)ことから後継会長が決められずに結局は安倍派の看板を担いで集団指導体制となったが、パーティ券裏金受領で安倍派幹部「5人衆」は国会、党から追及、説明を求められて処分を待つ身だ。
(4)安倍元首相の「子飼い」で終わった「5人衆」はどれほどのものだったのか、党最大派閥の安倍派ということで岸田首相から重用されてきたが安倍氏亡きあとは安倍派をまとめきれずに威光の安倍派に取りすがり、議員個性、能力、資質、政策をみせることもなく、安倍派内だけの「実力者」にすぎずに裏金問題では同若手議員から除名、離党、辞任を求められる始末で人望、声望もみあたらない。
(5)安倍元首相は晩年の森友、加計問題に桜を見る会疑惑では国会答弁で百数十回の虚偽答弁をくり返して(国会事務局調べ)、説明責任を果さないまま3度目の首相、政権復帰を目指し、銃撃で亡くなる。
裏金問題では安倍派が深くかかわり(関係議員数)、安倍氏は裏金処理に反対したとも伝えられているが、残された幹部「5人衆」は全員関与を否定して(安倍)「会長案件」だったと弁明して安倍政治のキャビネット(cabinet)だったことをみせつけている。