(1)8月6日、78回目の広島「原爆の日」を迎えた。今年は111か国の大使らが出席して(報道)過去最多となった。国連の122か国、地域が参加しての核兵器禁止条約の採択、今年5月のG7広島サミット開催、核保有国を含むG7首脳が揃って原爆資料館を訪れ、慰霊碑に献花したことが世界の核兵器禁止、核廃絶に向けた関心を高めたと考える。
(2)しかし、そうした中でも日本で毎年開催される広島(6日)、長崎(9日)の「原爆の日」は世界にどう迎えられ、関心を集めているのかはあまり伝わってはこない。原爆、核兵器がこれまで日本で唯一戦争で使用された45年8月の広島、長崎の「原爆の日」(規模の小さいものは別にして)追悼式典が広島、長崎だけで開催されているのもそれはそれとして、あるべき姿ではない。
(3)前述したように国連では核兵器禁止条約が採択され批准されたが、そうならやはり国連が主導して核兵器禁止、核廃絶に向けて唯一原爆が使用、投下された広島、長崎「原爆の日」追悼、誓いの式典があって当然ではないのか。
(4)G7広島サミットでは核保有国を含むG7首脳が揃って原爆資料館を訪れ、慰霊碑に献花して核廃絶に向けたメッセージを残しているのだから、国連が中心となって世界的、国際的基準としての広島、長崎「原爆の日」追悼式典を開催して核兵器禁止、核廃絶の世界的な誓い、コンセンサスをつくりあげなければ意味がない。
(5)それをつくりあげるには唯一の戦争被爆国日本の役割、行動が必要なのだが、皮肉にもその日本が国連の核兵器禁止条約に米国など核保有国と同じく日本も参加していないという「現実」問題があり、主張も行動もできない矛盾、ジレンマがある。
広島、長崎の「原爆の日」を広島、長崎のものだけにしない世界的、国際的な核兵器禁止、核廃絶に向けた世界基準(global standard)としての追悼式典にする努力、行動、主張が日本には求められている。
(6)そのための問題、課題を日本は率先して取り除く必要が求められており、そうでなければ広島、長崎「原爆の日」の岸田首相のあいさつ(今年は台風接近で長崎会場は岸田首相を招待しない)も人々の胸、心には空虚なものとしてしか届かない。