いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

意地と背水。obstinacy and burn his boats

2018-12-22 20:24:09 | 日記
 (1)日産ゴーン前会長が19年間CEOとして君臨してきた間に今回東京地検特捜部が容疑として追及する犯罪を次々と起こしていたとしたら、日産の私物化、利用者を裏切る企業ガバナンスは一体どうなっていたのか歴代執行役員の責任も含めて摩訶不思議な思いだ。

 まるで打ち出の小槌(こづち)のように勾留期限の節目節目であらたな容疑で3度逮捕してゴーン前会長の勾留を続けて捜査する東京地検特捜部のやり方は、証拠主義で容疑が動かない中での捜査の海外、とりわけルノー本社のある欧州からは批判を浴びている。

 (2)ゴーン前会長の特別背任による3度目の逮捕は、勾留捜査延長が裁判所から認められずに保釈の可能性も出てきた中での3度目の逮捕で、これまでいくらそういう捜査手法を見てきてもあまり例をみないもので、東京地検特捜部のゴーン前会長の犯罪立証にかける意気込みが伝わってくるものだ。

 少々どころかかなり「犯罪者」を許さないというよりは、ここまでくると司法取引による「犯罪者」に何としてもたどり着くんだという地検の執念、責任は感じる。
 司法の正義感というよりは、司法の役割へのこだわりが強く感じるもので少し冷静さを欠いて前のめりすごぎないかと懸念する。

 (3)日産内部からの情報提供で司法取引による捜査を進める東京地検特捜部としては、もはや引くに引けない事情があり、容疑についてもゴーン前会長が全面否認(報道)する中でそれではと時間(勾留延長)をかけてでも本人から供述を引き出して地検が入手した犯罪情報の立証に確信を持ち、裁判を維持したい3度目のゴーン前会長逮捕だ。

 新聞では特別背任逮捕について「地検意地の本丸」、「背水の一手」という言葉が飛び交うが、それがより一層何が何でも司法取引でつかんだ犯罪(者)を絶対に逃さないという地検の「意地」に聞こえてきて、さすがにここまでくると何のための地検捜査なのかわからいという様相だ。

 (4)仮に今も司法取引制度がない時代であれば(19年間、言われるような犯罪性は指摘されてこなかった)、ゴーン前会長の日産回復のカリスマ性で犯罪性は指摘されなかった可能性も考えられた。

 19年間の日産の企業ガバナンス、歴代執行役員の責任は重く、大きいうえに、司法、地検としてもこれだけの容疑事実、犯罪性を見抜けなかった司法体制にも問題はある。

 (5)そのための司法取引制度の導入ということもできるが、成果ともいえるが、パラドックス(paradox)として地検自らの「いたらなさ」をカバーする「執拗」な次から次の容疑逮捕でそれも考えられた捜査手法かとも思うが、捜査、裁判維持に確信がないのかとも思わせるものでもある。

 最初のゴーン前会長逮捕の有価証券報告書への過少記載容疑は近年施行されたもので、これまで裁判例はなく立証もむづかしい(過少記載が事実にもとづくものか、認識があるのかなど)ともいわれて、さらにゴーン前会長は容疑を全面否定して争う姿勢を示しており、意地と背水(obstinacy and burn his boats)の正面対決の様相だ。

 (6)犯罪者は絶対に許さない、しかしあまりに前のめりで冷静さを欠いて犯罪者をつくりあげげてもならない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする