オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

「三共」についての備忘録(7) 三共に関するエピソードあれこれ(後半)

2023年04月02日 17時57分50秒 | メーカー・関連企業

前回は三共と直接・間接に関係があった他社の名前がいくつも出てきて複雑になってしまいました。今回はこれら他社について、前回では言及しきれなかった補足を含んで情報を整理しておこうと思います。

・日本遊園設備:
'69遊戯機械名鑑」巻末の「各社の沿革と営業品目」によれば、創業は昭和30年(1955)4月。その後「アメリカ精機」を経て昭和39年(1964)3月に「日本遊園設備」となり、昭和40年(1965)11月に東京都昭島市に本社と工場を建設したとのことです。

事情通から伺ったお話でも日本遊園設備は昭島市にあったとしており、その点は符合します。しかし、ワタシの手元にあるフライヤー資料に記載されている所在地は「武蔵野市」とするものが7点、「中央区銀座東」とするものが2点あるのみで、「昭島市」とするものは1点もありません。おそらく本社の移転があったものと思われますが、そうだとしても腑に落ちない点が多く、謎です。

伺ったお話では、「日本遊園設備が解散した時」に、一派が児童遊園設備を設立し、別の一派がホープ自動車のAM事業立ち上げに加わったとしているのですが、それぞれからAM機器がリリースされた後も日本遊園設備の活動は続いており、食い違いがあるように思われます。

児童遊園設備及びホープ自動車の機器を掲載する'69遊戯機械名鑑に掲載された日本遊園設備の広告。「アポロ77」は渋谷の東急百貨店東横店の屋上で遊んでおり、秒読みの後轟音と共に打ち出されたボールがらせん状のレールを猛烈な勢いで遡っていく様子には痺れた。

・児童遊園設備:
児童遊園設備の名は、「'69遊戯機械名鑑」巻末の「各社の沿革と営業品目」に記載がありますが、沿革が延べられておらず、具体的な設立年は不明です。

児童遊園設備は、三共遊園設備(注・元情報では「三共精機」としているが、時期的には「三共遊園設備」のはず)とは協力関係にあったそうで、児童遊園設備が製造した「チューハンター」で使用したねずみの模型は三共遊園設備(前注に同じ)から購入したとのことです。

児童遊園設備は1968年に「王将」を売り出し、1970年10月に開催された第9回AMショウではプライズ機「タイガークレーン」を出展していますが、その後の動向を知る資料がなく、消滅した時期も不明です。

ワタシの手元にある児童遊園設備の資料としては最も新しい「タイガークレーン」(1970)のフライヤー。

・三鷹遊機:
事情通からのお話では、三鷹市新川にあった三鷹遊機は、児童遊園設備の下請け業者で、「王将」を組み立てていたそうです。王将のフライヤーに写る筐体は、売れなかった「爆撃」の筐体を流用したものだそうです。製品版の筐体のアートワークはパートのおばさんがマスキングテープを貼ってストライプを塗装していたので、その時々によってストライプ幅が違ったそうです。

児童遊園設備の「爆撃」のフライヤー。王将のフライヤーに使われた筐体はこれを流用していたとのことで、比べてみれば確かに同じものに見える。

現在、「三鷹遊機」のキーワードで検索をかけると、「三鷹遊機製作所」という事業所がヒットするのですが、その所在地は移転したのか、区画変更があったのか、それとも全く別の会社なのか、三鷹市新川ではなく三鷹市中原となっています。Googleのストリートビューでこの所在地を見ると、レンタルスペースと斎場が示され、AM機を作っていそうな施設は見当たりません。

・関東電気工業:

事情通のお話の中では全く言及されていませんが、三共遊園設備(または三共精機)および児童遊園設備とはなんらかの繋がりがあったと思われるメーカーです。

「'74-'75遊戯機械年鑑」巻末の「関連業者名簿」によれば、関東電気工業の設立は昭和33年(1958年)10月と古いのに、1972年に製造販売したフリッパー・ピンボール機「ターキーボール」(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール機:ターキーボール(関東電気工業、1972))以前は全くどこにも名前が見つかりません。「ターキーボール」の広告の中で、関東電気工業のその他の製造品目として以下を挙げられています。

・闘牛A型(牛の鳴き声付)
・闘牛B型
・チューハンター
・レッドフォックス
・アイスホッケー
・王将(新型)
・その他ゲーム機使用変圧器各種

この中に「チューハンター」が含まれ、また「王将」に「新型」と付け加えている意味を考えると、児童遊園設備は1972年までには消滅しており、関東電気工業は児童遊園設備の知的財産を引き継いだと推理できそうです。

また、「レッドフォックス」は三共精機の製品として「'72コインマシン名鑑」に記載されており、この関係から、三共精機が1976年にリリースした二つのフリッパー機にも関わっている可能性を感じるのですが、現在のところその証拠となる資料は見つかっていません。

関東電気工業が自社名で売り出している製品は、「ターキーボール」以外では1974年(1973年かも?)にリリースした「早撃マック」しか確認できていないのですが、他にもあったのでしょうか。

早撃マックのフライヤー。ここにはメーカー名が記載されていないが、「'74-'75遊戯機械名鑑」には関東電気工業の製品として広告と共に記載されている。

・ホープ自動車:
自動車メーカーからAM機器事業に転向した企業です。自動車メーカー時代にヒットした軽自動車「ホープスター」は、後にスズキの「ジムニー」の原型となりました。1974年には社名を「ホープ」に変え、ナムコが販売していた「ワニワニパニック」の製造などAM業界の第一線で活躍しましたが、残念ながら2017年に破産、消滅しました。

事情通のお話では、ホープ自動車がAM部門を立ち上げる際に日本遊園設備の一派が加わった(具体的な時期は言及無し)とのことですが、ホープ自動車がAM事業に転向したのはまだ日本遊園設備が健在だった60年代前半から中ごろ(諸説あり)で、食い違いがあります。

今回伺ったお話の中には、ホープ自動車と児童遊園設備の関係がうかがわれるものもありました。

●バズーカは児童遊園の製造スタッフがホープ自動車に行って組み立てた。
(元情報では「児童遊園」は「ジドウユーエン」とカタカナで表記)

「バズーカ」がどんなものかはわかりませんが、ひょっとして軟式野球のボールを圧縮空気で発射して的に当てるアトラクションのことでしょうか。そのような娯楽設備は60年代から遊園地などにありましたが、ホープ自動車の製品としてそういうものがあったかどうかはわかりません。

もしくは、「レッツゴー・バズーカ」のことであれば、「'69遊戯機械名鑑」に掲載されているホープ自動車の広告に、「新発売」と謳って記載されています。この名鑑の具体的な刊行時期は不明なため、レッツゴー・バズーカの正確なリリース年はわかりませんが、1968年か、もしくは1969年のいずれかではありましょう。

「'69遊戯機械名鑑」に掲載されているホープ自動車の広告より、「新発売」と謳うレッツゴー・バズーカの部分の切り取り。「レッゴー」は単なる脱字だと思われる。

どちらであったにしても、児童遊園設備とホープ自動車には日本遊園設備と言う共通項があるので、昔のよしみで協力関係を結ぶことはあってもおかしくないと思います。

************************

三共とその周辺のメーカーに関して事情通の方から伺ったお話は以上です。
日本のAM機メーカーが世界のAM業界から注目を集めるようになるのは、78年のインベーダーブーム以降のことです。今回のシリーズでは、そこに至るまでに発生し、そしていつの間にか消えて行った数多くのメーカーのうちの一部に触れることになりましたが、まるで進化論の適者生存の流れを見ているようで大変興味深いものでした。

最後に、事情通の方とはまた別の方からSNSを通じていただいた、三共(遊園設備か精機かは不明)のプライズ機「メリークレーン」の画像をご紹介して、本シリーズを終わろうと思います。

三共のプライズ機「メリークレーン」。マーキーの左下には三共遊園設備の頃より一貫して使用しているシンボルマークがはっきりと描かれている。

この筐体のマーキーに描かれている女児は、過去記事「「三共」についての備忘録(4) 三共精機のAM機」でご紹介した「アクロバット」に描かれている女児と同じモチーフであるように見えます。

三共は他にも、パンチングボールの「ボクシング」とエレメカ機の「ミニボクシング」で同じボクサー像を使い回したという例があります。

左が「ボクシング」、右が「ミニボクシング」。どちらが先に作られたかは不明。なぜかワタシは、このボクサー像のモデルは、日本人初の世界王者となった白井義男さんだと根拠なく信じ込んでいる。

こちらは同じボクシングテーマですので流用も理解できます。しかし、メリークレーンとアクロバットにはそのような共通項は見られず、作られた順番としては「メリークレーン」の方が先だと思われるのですが、なぜ大幅に加筆までして使い回したのかは、きっと永遠に明らかにはならない謎であろうことが残念です。

(このシリーズ・終わり)