オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

スロットマシンのシンボルの話(2) フルーツシンボルの出現

2019年08月25日 20時03分06秒 | 歴史
1905年の5月、サンフランシスコのとあるサルーンから、1台のLiberty Bell(と、それを覆って隠すための、店の1枚のエプロン)が何者かに盗み出されるという事件がありました。Mills社の「Mills Liberty Bell」が売り出されたのはその後の1907年のことで、これが大ヒットとなりました。しかし、その基本的な構造はフェイの機械と同じだったので、マーシャル・フェイ(Marshall Fey)の著書「Slot Machines: A Pictorial History of the First 100 Years」でこの件について述べている章には、「盗んで当てた大当たり (Hitting The Jackpot By Larceny)」との見出しが付けられています。

一方、ネット上を検索すると、フェイが1907年にMillsと手を組んで「Mills Liberty Bell」を作ったとする言説も見られ(GameRoomAntiques.com HISTORY OF SLOT MACHINES)、ウィキペディア英語版の「Mills Novelty Company」では、これを根拠に「フェイとMillsがコラボした」と言っています。

どちらの論調が真実に近いのかはワタシにはわかりようもありませんので両論を併記しておきますが、心情的には、チャールズ・フェイの子孫であり、またスロットマシンの歴史研究家としての著書もあるマーシャルの論調を支持したいです。

いずれにせよ、「Liberty Bell」から8年経っても、独自の技術で同等の機能を持つスロットマシンを実現する者が現れなかったという事実は、フェイの技術がいかに独創的で優れていたかを証明していると言えましょう。ただ、フェイの機械ではリールの直径が6.5インチ、配置されるシンボル数が10個だったところを、「Mills Liberty Bell」ではリールの直径を8インチに拡大して20個のシンボルを配置しており、これによってペイラインの上下にもシンボルが見えるようになったり、当り役の構成がいくらか複雑になったりという進歩もありました。もしフェイの独占が続いていたら、スロットマシンの発達はもう少し遅れていたかもしれません。

フェイは、自分の機械を販売せず、サルーンやシガーストアに設置させてもらって利益を店と折半する営業方法を取っていたのですが、Mills社は「Mills Liberty Bell」を広く販売したので、フェイのメカニズムの秘密は天下の知るところとなりました。さらにフェイは「Liberty Bell」の特許を取っていなかったので、「Mills Liberty Bell」以降、模倣する業者が次々と現れたため、当時ギャンブルが全く野放しだったサンフランシスコには膨大な数のスロットマシンが蔓延することとなりました。その結果、スロットマシンは家庭を破壊するギャンブル機として社会問題となり、1909年、サンフランシスコ市はスロットマシンを禁止しました(関連記事:「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアムの記憶(1/3):プロローグ

これに対してMills社は、1910年、スロットマシンにガムの自販機を取り付けて「これはギャンブル機ではなく自販機である」と強弁する「Liberty Bell Gum Fruit」を売り出しました。その際にMills社は、従来のトランプ柄や馬具柄だったリール上のシンボルを、販売するガムの風味を示唆するフルーツ柄に置き換えました。これがその後のスロットマシンのデファクト・スタンダードとなるフルーツ柄の始まりです。


ガムの自販機を取り付けて、リールマシンに初めてフルーツ柄を採用した「Liberty Bell Gum Fruit (Mills, 1910)」(左)と、同年に続いて発売されたガムの自販機が付かないバージョンである「The Operators Bell(同)」(右)。

「Liberty Bell Gum Fruit」に描かれたシンボルは、レモン、ミント、オレンジ、プラム、鐘、それに機械が販売するガムの商標で、この段階ではまだチェリーは(それからスイカも)存在しませんでした。チェリーは、同じ年にガムの自販機が付かないバージョンとして売り出された「The Operators Bell」から、ミントシンボルと差し替えで採用されたと、前述のフェイの著書には書かれています。


「Liberty Bell Gum Fruit」のウィンドウ(上)と、「The Operators Bell」のウィンドウ(下)の比較。The Operators Bellではウィンドウ内にチェリーシンボルが見えるが、光が反射してよく見えない。また、やや手振れがある点も悔やまれる。

ついでに、過去記事「夏だスイカだ!」で触れたスイカシンボルについても言及しておくと、その後ワタシは新たに、日米開戦前(1930年代)にMillsが発売した「Bursting Cherry」と「Half Top」と呼ばれる二種類の筐体に入った機種の中にスイカシンボルが使われている画像を発見しました。「夏だスイカだ~」の記事で紹介した「Melon」の筐体は、1960年代まで使われ続けた「High Top」と呼ばれる筐体のバリエーションであることから、これらはそれよりも古いものと思われますが、古い筐体に新しい中身を入れている可能性も否定できないため、「スイカは戦前からあった」と断言することまではできません。

殆ど余談ばかりの今回、やっと話が本題に近づいてきたと思いきや、実はこの後の話の展開を、どこから手を付けてどうまとめれば良いのか見当が付かず、今更ながら風呂敷を広げすぎたかなあと後悔し始めています。今回はここまでとして、次回更新までに何か考えます。

(つづく)