オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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スロットマシンのシンボルの話(1) 鐘と蹄鉄と星

2019年08月18日 20時35分22秒 | 歴史
前回の記事「夏だスイカだ! スロットマシンのスイカシンボルの話」のコメント欄で、拙ブログをいつもご高覧くださっているtomさんから、「Ballyのスイカシンボルとセガのスイカシンボルの種の数は同じか」とのご質問をいただきました。異なるメーカーによるスロットマシンのシンボルの類似性はワタシもかねがね気になっていたポイントでしたので、今回はそのことについて記録してみようと思います。

チャールズ・フェイが開発し、現代リールマシンの嚆矢とされる「Liberty Bell (リバティ・ベル)」(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))が世に出たのは、1899年(資料によっては異なる記述もありますが、単に「Liberty Bell」と言う場合は、拙ブログではこの説を採ります)のことでした。


フェイが開発した「Liberty Bell」。

「Liberty Bell」に採用されていたシンボルは、鐘、ハート、ダイヤモンド、スペード、蹄鉄、星の6種類でした。これらのうち、現在もリールマシンの別名として残るベル(鐘)は別格として、蹄鉄と星は、今でこそ見られなくなってはいますが、少なくとも1970年代まで、断続的に継承されて使われました。


フェイの「Liberty Bell」から67年後の1966年に発売されたBallyのModel802「QUICK DRAW」(部分)。デファクト・スタンダードであるフルーツ柄の他に、フェイのデザインとはかなり異なるが、蹄鉄と星のシンボルが使われている。Ballyは、70年代でもこれらを採用した機種を発表している。

上図「QUICK DRAW」の発売よりはるか以前となる1907年、Millsが売り出したフェイの機械の模倣品「Mills Liberty Bell」には、「Liberty Bell」とほとんど同じシンボルを採用したモデルと、トランプのカード柄を採用したモデルの二種類があったようです。


Mills社の「Mills Liberty Bell」(1907)二種。左がフェイのまねっこ、右がカードモデル。「グース・ネック(Goose Neck=ガチョウの首)」と呼ばれる、鉤型に曲がるコイン投入口の形状が異なる理由は不明。ワタシは、これ以外の形状のコイン投入口を持つ「Mills Liberty Bell」を見たこともある。

「Mills Liberty Bell」の、カード柄の方は置いといて、もう片方の機種のシンボルをフェイのLiberty Bellと比較すると、そっくりではあるものの、若干の違いが認められるところもあります。Millsの星は、フェイの星を30度ほど回転させて、星の頂点が真上になっています。また、Millsの鐘に被せて描かれている赤いものは、Millsのトレードマークである「ミミズク (Owl)」です。


上段左はフェイの鐘、上段右がMillsの鐘。Millsの鐘にかぶせて描かれているのはミミズク。中段はフェイの蹄鉄と星、下段がMillsの蹄鉄と星。いずれも実機の配当表より。

ところでこの「星」シンボルですが、フェイの孫、マーシャルが著した「Slot Machines: A Pictorial History of the First 100 Years」でも「star」と表記されていますが、ワタシは最近、この「星」は、実は拍車(Spur)に付いている花車(Rowel)のつもりだったんじゃないかなあと深読みするようになってきています。

何故かと言うと、星の中央に描かれている円は軸を通す穴のようにも思えるのと、「(ドイツからの移民である)フェイは、米国建国の象徴である「リバティ・ベル(自由の鐘)」を謳って愛国心を装った」という言説を、米国で出版されたスロットマシン関連の書籍で読んでいたからです(どの書籍だったかは忘れましたが、探せば出てくるはず)。そこから、フェイはその発想の一環として、馬やカウボーイを象徴する馬具をシンボルに採り入れたのではないかとワタシは考えてみました。

19世紀の半ば、カウボーイと呼ばれる人たちが、気が遠くなるような長距離を数か月から半年ほどかけて大量の牛を追って運搬する、「トレイル・ドライブ(Trail Drive)」と呼ばれる旅を行っていました。自然の気候だけでなく、道中で出会う、必ずしも平和的・友好的とは限らない先住民への対応や、クマ、オオカミ、サソリ、ガラガラヘビその他の野生の生物、あるいは強盗や牛馬泥棒など、常に困難と危険がつきまとうトレイル・ドライブを担ったカウボーイは、「アメリカン・スピリッツ」の代表例として、読み物や映画などの題材として盛んに使われました。コインマシンの世界でも、「Trail Drive (Bally, 1970)」というピンボール機が作られています。


「Trail Drive (Bally, 1970)」のバックグラス。アーティストはChristian Marcheだが、この時期の作品にしてはポインティ・ピープルの特徴はかなり薄い、例外的と言っても良い作風になっている(関連記事:ピンボールのアートワークの話(2):ポインティ・ピープルを描いた二人のアーティスト)。

もののついでに「トレイル・ドライブ」についてもう少し話をすると、フェイがサンフランシスコで「Liberty Belle」を開発するおよそ50年前の1848年ころまでは、カリフォルニアには8千人程度の人口しかなかったのに、ゴールドラッシュが発生したとたんに10万人以上に増加したそうです。これにより食料の値段は東部の数十倍にまで高騰し、特に需要が高かった食肉は、地元だけでは賄いきれない事態となりました。

一方そのころのテキサスでは、野生化した牛が大量に繁殖していたため牛一頭の値段はわずか1ドルとか2ドルでしかなく、それでも売る市場がろくにない状態だったので、牧畜業者は牛をカリフォルニアに運んで売ることを考えて、1500マイルのトレイル・ドライブを敢行しました。テキサスではタダ同然だった牛が、カリフォルニアでは1頭につき高ければ100ドル程度で売れたので、大量の牛を運べば、仮に旅の途中でその半数を失ったとしても十分な利益が得られるという目論見があったのだそうです。

トレイル・ドライブでカリフォルニアに運ばれてきた牛は西部の食糧事情の改善に役だったことでしょう。その結果、西部における金(あるいは銀)産出の維持・拡大ができたことは、米国の発展への少なからぬ貢献となったはずです。

ああ、また余談で話が膨らんでしまいました。スイカの種の数の話は次回以降に持ち越しとさせていただこうと思います。