オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアムの記憶 2/3:で、調べて、行ってみた。

2019年02月03日 17時03分35秒 | 歴史
(前回のあらすじ)
2009年11月、ラスベガスに向かう途中の乗り継ぎ地であるサンフランシスコ国際空港(SFO)のコンコースの展示で「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアム」を知ったワタシは、いつかは行かなければと心に期しつつ展示物を写真に収めることに夢中になっていたら、ラスベガス行きの飛行機をうっかり乗り逃してしまいましたよてへぺろ。


(ここより本編)

帰国後に調べたところ、「サンブルーノ(Sun Bruno)」とは、SFOからは「バート(Bart)」と呼ばれる電車で僅か一駅で行ける町であることがわかりました。

さらに、「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアム」の所在地も判明したのですが、Googleマップが指し示す場所をストリートビューで見てもそれらしいものは見当たりません。なんだかんだ調べを進めたところ、Googleマップが指し示す位置からサンブルーノ駅を中心として点対称のような位置に目的地を発見することが出来ました。当時は日本にGoogleマップが公開されて1年ちょっとの時期でしたが、バグなのか精度の問題なのか、たまにこのような問題があったように思います。

2010年9月。ワタシはマイル修行のコースの一つにネバダ州のリノを選びました。日本からリノに行くにはSFOを経由するので、乗り継ぎの合間に「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアム」を訪れようと企んだのです。そのために乗り継ぎには8時間ほどの時間を取りました。

SFOで入国審査と荷物のリチェックを終え、そのまま国際線ターミナルにくっついているBartの乗り場に向かい、料金システムが複数あってわかりにくいBartのチケットを難儀しながらもなんとか買って、サンブルーノに到着した時は、まだ朝の10時半くらいだったように思います。事前にプリントアウトしておいたGoogleマップの地図(この頃はまだスマホなんて持っていなかった)に従って歩くと、5分ほどで現地に到着しました。

窓から中を覗き込むと、人がいるのかいないのかわからないような寂しげな雰囲気で、しかし古いスロットマシン類がたくさん見えます。恐る恐るドアを開けて中に入ると、正面にはトレード・スティミュレイターなど比較的小さなマシンが陳列されている低いショーケースが、奥のオフィスとを区切るカウンターのように設置してありました。また、左手には背の高いショーケースがあり、そこには比較的大型のアンティークのコインマシンが並べてありますが、それらの中にSFOで見た機械はあまり見受けられません。


(1)「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアム」が入る建物。本来は、所有者であるジョー・ウェルチという人が経営する不動産会社の建物のようだ。 (2)ミュージアムの入り口。 (3)入って正面のオフィスの中。リアルタイムでは気づかなかったが、ガムボールのベンダーも多数コレクションしているようだ。 (4)オフィスに向かって右手の窓際にもスロットマシンが。

ワタシはそこで少しの間待っていたのですが、誰も出てくる気配がないので、勇気を奮い起こして「すみません、どなたかいらっしゃいますか」と声をかけました。すると奥の方から中年の男が出てきたので、「あの、おいどんは、こちらのアンティークミュージアムを見学にニッポンのジャパンから来たの事ある」と告げると、ワタシの背後にあった、施錠されているケージの鍵を開けながら、「ここに名前を記入して」と、レストランのウェイティングリストのようなスタンドに記名を求めてきました。男は「終わったら声をかけてくれ」と言ってまた奥へ引っ込んでしまい、ワタシは一人ぽつんと取り残されました。

こんなに不用心でいいのかと思いながら狭い階段を上りきると、さほど広くはない部屋には、まったく「ぎっしり」の形容が相応しいほどの大量のコインマシンが陳列されている様子が見えました。


(1)階段を登りきると、2体の「片腕の追いはぎ」に迎えられる。2体の間には、昨年SFOで見た展示の看板が置かれていた。 (2)2階は中央のショウケースを境として左右の通路となっている。これはそのうち階段から上がって左側の通路。 (3)こちらは右側の通路。奥に別室に繋がる入り口が見える。 (4)階段の上から階下を見たところ。一旦180度折り返す形になっている。


(1)~(4)2階の様子の一部分。意外と狭く、また窓からの外光のためうまく写真を撮影できるアングルが取りにくく、2階の全容を知れる画像を残すことが難しかった。


さらにはショウケースの上(1~2)だけでなく、棚までしつらえて展示(3~4)している。個人でこれだけコレクションするとは、きっと本業の不動産屋がよほど儲かっていたのだろう。

これらの展示の中には、おそらく戦時中に作られたモノと思われる機械もありました。ワタシはこれまでいくつものスロットマシンに関する文献に目を通してきましたが、激しい憎悪の言葉が描かれているこれらのような機械は一度も見たことがありませんでした。


戦時中に作られたと思しき機械。「Remember Pearl Harbor」、「Kill The Jap」、「Smack A Jap」、「Bomb Hitler」などの言葉が見られる。

無数の展示の中から敢えてこれをピックアップしておくのは、今となっては積極的に表に出されることの無いスロットマシンの歴史上の事実を押さえておくためです。日本だって「屠れ米英我らの敵だ」とか「鬼畜米英」などと言っていたのだからお互い様ですし、そんなことよりも、かつては不倶戴天の敵だった国でこうしてのんきに趣味の交流ができる平和のありがたさを感じます。

さらに奥の別室には、まるでこれから出荷されるのを待っているかのように、おびただしい数のフロアマシン(床上に設置される前提の機械)が置いてありました。


フロアマシンがぎっしりと並ぶ別室。

そしてこの部屋の四方の壁の頭上にも、相当数の小型のスロットマシン類が陳列されていました。


フロアマシンの部屋の四方の壁。そのラインナップは、19世紀末頃のレアな機械から、相対的にあまり価値が高くない(とは言っても買えば少なくとも100ドルや200ドルくらいはすると思われる)トレード・スティミュレイターまで幅広い。

そして、やはりと言うべきか当然と言うべきか、アンティークスロットのコレクターにとっては垂涎の、フェイのリバティ・ベルもありました。


アメリカン・アンティーク・ミュージアムが展示する、フェイのリバティ・ベル(1899)。

リバティ・ベル機と言えば、ワタシはそれまでフェイの孫であるマーシャル・フェイ氏が所有する1台と、ネバダ州カーソンシティのネバダ・ステート・ミュージアムに展示されている1台しか知りませんでした。しかし、ここに新たな3台目を発見することとなりました。

一つ余談。フェイのリバティ・ベル機は100台以上作られましたが、1906年のサンフランシスコ大地震でほとんどが失われ、現存するのは4台のみとされているそうです。2017年10月にオークションに出されたのはおそらくその4台目だと思うのですが、3万7千ドルからスタートした値段は53回のビッドを重ねて、結局22万5千ドルで売れています。

「サンブルーノ・アメリカン・アンティーク・ミュージアム」を開いた「ジョー・ウェルチ(Joseph Wilbur Welch Jr.)」氏は、ワタシがここを訪れた翌年、2011年の8月17日に81歳で逝去されました。地元では結構な名士であったようで、その死はマスコミで広く報道されていました。氏が亡くなった後も博物館は存続しているようですので、何かのタイミングでまた訪れてみたいものです。

(次回、3/3につづく)