オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

商業施設の屋上の記憶(2) 目黒近辺

2016年09月11日 17時26分44秒 | ロケーション
■目黒ステーションビル
運営元は不明。いわゆるJR(当時は国鉄)目黒駅の駅ビルで、現在「atre1」と名乗っているビルです。自宅からは若干遠かったものの、その気になれば徒歩でも行き来できない距離でもないので、1970年代の前半頃は、近所の友達同士でときどき行っていました。

メインのゲーム機はやはりピンボール機で、
・「BAZZAR」(Bally、1966) 二つのフリッパーの間隔が閉じる「Ziper Fliper」が特徴。
・「EXPO」(Williams、1969)
・「Doodle Bug」(Williams、1971)
・「KLONDIKE」(Williams、1971)
・「Olympic Hockey」(Williams、1972)
・「SPANISH EYE」(Williams、1972)
などが記憶にあります。


上記6機種のピンボール機のうち、SPANISH EYEとOlympic Hockeyの2機種。セガが1972年に発行したプライスリストより。

ピンボール以外で記憶にある機械で、現在画像を持っているものにはこんなのがあります。


「NIGHT RIDER」(セガ、1970):バイクのドライブゲーム。ゲーム中のBGMに、ポール・アンカの「ダイアナ」を流していた。



「Pro Bowler」(セガ、1972):テンピンボウリングをかなり忠実に再現したゲーム機(でも実は米国Williams社の同種製品のパクリ)。ゲーム料金が、当時としては高い1回50円(他のゲームは1回10円~30円だった)だったが、ボウリングブームのさなかだったこともあって良く遊んだ。


「DERBY DAY」(セガ、製造年不明):パチンコ型のプライズ機。3頭の馬がトラックを回り、自分がゲーム開始時に選んだ馬が一等でフィニッシュすると景品が出る。何もしないでいると、自分が選んだ馬は他の馬よりも遅くなるようにできている。弾いた球が通過したロールオーバーの数字の馬が早く進む。



「ATTACKⅡ」(セガ、製造年不明):レバーで戦車を操作して、三方の壁面に配置された、敵戦車が描かれたボタンのうち、点灯したものを砲身で突くと得点。一定の点数を獲得すると賞品のメダルが払い出された。

今思うと、セガの製品がやたらと多かったことに気づきます。また、この頃のセガが扱っていた輸入ピンボールはウィリアムズとバーリー、それにシカゴコイン各社の製品のみのようで、ゴットリーブ製品は扱っていませんでした。ということは、このロケーションの運営は、セガか、少なくともセガと密接な関係にあったオペレーターであったことが推察されます。

【余談1】
目黒ステーションビルの隣には「目黒ターミナルビル(現atre2)」という商業ビルが並立しており、この屋上のゲームコーナーにも何度か行っているはずなのですが、「KING TUT」(Bally,1969)というピンボールのゲーム料金が破格の10円(当時のピンボール機のゲーム料金は、新しい機種は30円、古い機種は20円が多かった)だったこと以外の記憶がほとんどありません。古代エジプトをテーマとしたこの機械のタイトルが「ツタンカーメン王」の意味であることを知ったのは、インターネットが発達した1990年代以降のことでした。
KING TUTの資料 (The Internet Pinball Databaseより)

【余談2】
目黒ステーションビルで遊んでいたある日、若い女性(多くは制服の女子高生だったように思います。当時のワタシから見たら全員がお姉さん)が大挙して屋上にやってきたことがあります。ゲームコーナーの外はイベント広場のようになっており、どうやらそこで某男性新人歌手の新曲キャンペーンが行われるということらしく、みなさん手に手にその歌手のレコードやポスターと思しきものを持っていました。ワタシと友人も、野次馬根性で、女性集団の外側から覗き込んでみましたが、イベントはなかなか始まらず、確かそのうち小雨も降り出してきたような気もします。業を煮やして「チケット(あるいはレコードだったか)買ってる人だけでも入れてよ」などと叫ぶ声も、一群の後方から飛んでいました。

しばらくしてから、イベントの主催者側と思しき人が出てきて、「××(目当ての歌手名)は、先ほどこのビルの3階までは来たのですが、危ないということで、本当に残念なんですが、戻られました」と言うような内容のイベント中止のアナウンスを、しどろもどろになりながらしておりました。元々さして興味があるわけでもなかったワタシ達はさっさと屋内に引っ込んだので、その後どうやって混乱を収拾したのかはわかりません。ともあれ、今も「野口五郎さん」という歌手の名を聞くと、この時のことが懐かしく思い出されます。あの時売り出していた曲は「青いリンゴ」だったな。

■セイフ―チェーン西小山
運営元不明。それどころか実は、この3階建て(うろ覚え。2階建てだったかも)のスーパーが「セイフ―」だったのか「セイユー」だったのかすら、今に至ってもはっきりしておりません。

ワタシが通っていた中学校の学区域の東端付近は、目蒲線(当時。現在の目黒線)西小山駅を最寄駅としていたため、この地域から通学している級友の家に遊びに行った折りに、そのセイフ―だかセイユーだかには数回行きました。1972年~74年のことです。

このゲームコーナーで記憶に残っているのは、たった三つのコインマシンだけです。一つは玉入れゲームの類で、手前のボール発射装置からテニスボールくらいの大きさのボールを発射して、奥にセットされている人の顔の形をした的の目または口に入れるというものでした。キャビネットには「これはオモシロイ!」という煽り文句と、「実用新案申請中」と言う掲示がありました。確かに、友人どもと一緒に騒ぎながらやっていれば、それなりにオモシロイものではありましたが、他で見たことはなく、それほど普及しなかったようです。

二つ目は、いわゆるクレーンゲームです。一度も獲れたためしはありません。

セガの「スキルディガ(Skill Diga)」。西小山で見たものと同型機かどうかは不明だが、昔のクレーンゲームは、現在主流の「UFOキャッチャー」とは違って、だいたいこのようなスタイルだった。なお、米国では、プライズを掴み取るクレーンゲームを「Digger(掘る人、掘る道具などの意)」と称することが多く、「ディガ(Diga)」は、それが転訛したものと思われる。

最後は、野球をテーマとするピンボールゲーム2機種です。このうち、特に記憶に残っているのは1機種で、打ち出した球がヒットのロールオーバーを通過すると、その球はそのまま盤上にあるダイヤモンド上の塁にランナーとしてセットされます。続いて打った球がまたヒットのロールオーバーを通過すると、ダイヤモンドが90度回転して、ランナーの球は進塁し、今打った球は新たなランナーとして1塁にセットされます。他に二塁打、三塁打、ホームランもあり、それぞれによって適切な角度だけダイヤモンドが回転しました。ホームインした球は自動的にダイヤモンドから外れ、得点表示となるエリアに送られました。また、ヒットのロールオーバーの左には玉が3つ入ると三振アウト、右には玉が4つ入るとフォアボールとなるポケットがありました。

このゲーム機の製造元と製造年は不明ですが、プランジャー(ボールを打ち出す竿)へのボールのセットは、プランジャーの下に付いているレバーを手で押して行う手動式でした。このような機構は1960年代初頭以前のピンボール機に見られるもので、従ってこの機械もかなり古いモノであるという見当はつきます。

そしてまた、このゲーム機は、前述の「これはオモシロイ」と謳っていた国産の玉入れゲームなどと比較すると、ゲームデザインや機械構造が格段に洗練されており、日本国内でゼロから作り上げられたものとは思いにくいです。

10年くらい前のあるとき、インターネットでゲーム関連のウェブサイトをあちこちうろついていたところ、この野球ゲームに良く似た機械が掲載されているメーカーのカタログを発見しました。


日本娯楽機が1936年頃に発行したカタログの部分。セイフ(ユ?)ーチェーンの屋上に設置されていた2種類の野球ゲームに良く似た機種が掲載されている。

日本娯楽機」の名は、これまで拙ブログに何度か出てきています。この2機種のうち、右側の「最新式野球ゲーム機」が、特に記憶に残っている方です。左の「高級野球ゲーム」も、ダイヤモンドの形に見覚えがありますが、どんな動作をしていたかは覚えていません。ただ、「最新式」の方が面白かったことは覚えています。

この日本娯楽機の創業者である遠藤嘉一氏は、1920年代はじめころから、衛生用品や菓子などの自販機、すなわちコインマシンを開発していたそうです。その後、海外の娯楽機を輸入して遊園場の運営に乗り出し、更に輸入したゲーム機をベースに自身でもゲーム機を開発していたとのことで、現代のパチンコのルーツは、遠藤氏がそうやって作ったゲーム機にあるという説も有力です。

その更に後日、あるきっかけから、動画サイト「YOU TUBE」に、米国のRockola社が1933年か34年に作っていた「WORLD SERIES」というゲーム機の動画がいくつかアップされているのを発見しました。
(以下はyoutubeに投稿されている「WORLD SERIES」の動画です。モバイル機器でのアクセスにはご注意ください。)
Rockola 1934 World Series Pinball Machine For Sale
Rockola World Series Pinball Machine

これらの動画に見られるWORLD SERIESは、ワタシの記憶とは異なる点もいくらかあります(ワタシの記憶違いの可能性もある)が、重要な部分は概ね一致しているように思います。Rockola(現Rock-Ora)社は、1927年に創業した米国のコインマシンメーカーですが、とりわけジュークボックスのブランドとしてたいへん有名です。かなり複雑で精緻な機械動作を要するジュークボックスを作るだけの技術があれば、この程度のゲーム機を作ることも容易であったろうと思われます。

ということは、ワタシが遊んでいたあの野球ゲーム機は、ひょっとすると、日本娯楽機が、Rockola社のWORLD SERIESを手本に作ったものなのかもしれません。そして更にひょっとすると、セイフ(ユ?)ーの屋上は、かねてからデパートの屋上遊園を手掛けていた日本娯楽機が運営していたのかもしれません。

現代の大型スーパーにもゲームコーナーを備える店舗は多いですが、設置されているゲーム機のバリエーションという点では、製品寿命の長かった昔の方が豊富であったように思えます。これも時代の流れで仕方のないことなのかもしれませんが、残念なことです。