昨日の夕刊(東京新聞12/4)に、「天文台構内古墳」が上円下方墳であることが確認された、とあった。全国で四例目の確認で、七世紀の東国の古墳の再考を迫るほど、重要な意味を持つのだそうだ。一辺28.5mの方墳の上に直径18mの円墳が乗っている。高さが約2.2m。(円墳の高さか?全体の高さとしては低過ぎないか。)
千人をはるかに越えるであろう集団の上に君臨している人間でないと、こんな墓に入れるはずはない、というのが素直な感想。
府中市西府町で、2003年に発見された「武蔵府中熊野神社古墳」に酷似しているそうだ。四例のうち他のふたつは、奈良の「石のカラト古墳」、沼津の「清水柳北1号墳」。
確か、武蔵陵も上円下方墳のはず、と記憶していたので、調べたら、四陵墓とも、やはりそうだった。大正天皇陵は、一辺27mの方墳の上に直径15mの円墳が乗っている。ただし、高さは10m。
歴代天皇の陵墓の大多数は円墳で、ついで前方後円墳が多いのだそうだ。上円下方墳は、武蔵陵のほか、伏見桃山陵(明治天皇)、天智・持統両陵墓以外には見当たらないらしい。
今まで何回か書いたことがあるが、人見街道は中世以前の時代、極めて重要な幹線道路であったと思っている。「天文台構内古墳」の存在は、この考えをさらに補強するうれしい材料だ。
一言で言えば、関戸の渡し(多摩川渡河の重要位置)に関係する「武蔵府中熊野神社古墳」から約10km離れた「天文台構内古墳」を含む大沢地域が、地理的に極めて重要な位置であったはず、とするもの。
千人をはるかに越えるであろう集団の上に君臨している人間でないと、こんな墓に入れるはずはない、というのが素直な感想。
府中市西府町で、2003年に発見された「武蔵府中熊野神社古墳」に酷似しているそうだ。四例のうち他のふたつは、奈良の「石のカラト古墳」、沼津の「清水柳北1号墳」。
確か、武蔵陵も上円下方墳のはず、と記憶していたので、調べたら、四陵墓とも、やはりそうだった。大正天皇陵は、一辺27mの方墳の上に直径15mの円墳が乗っている。ただし、高さは10m。
歴代天皇の陵墓の大多数は円墳で、ついで前方後円墳が多いのだそうだ。上円下方墳は、武蔵陵のほか、伏見桃山陵(明治天皇)、天智・持統両陵墓以外には見当たらないらしい。
今まで何回か書いたことがあるが、人見街道は中世以前の時代、極めて重要な幹線道路であったと思っている。「天文台構内古墳」の存在は、この考えをさらに補強するうれしい材料だ。
一言で言えば、関戸の渡し(多摩川渡河の重要位置)に関係する「武蔵府中熊野神社古墳」から約10km離れた「天文台構内古墳」を含む大沢地域が、地理的に極めて重要な位置であったはず、とするもの。