(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家(新車、しんぐるま)、の概要について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.)
昨日の続き。
「独歩は野川あたりを歩いたこともあるらしい」と、聞いたような、読んだような、あやふやな記憶がある。
昨日紹介した、文庫「武蔵野」には、18編の小品が収められているが、残念ながら、野川らしい情景の記述を発見することはできなかった。「わかれ」の中に、水車小屋が出てくるが、これのモデルを新車(しんぐるま)とするには無理がありそうだ。相思相愛だが、周りから反対されている若い男女の「わかれ」を、あくまでもロマンティックに、表現する小道具的環境として、水車小屋とその守人である老人が使われた、と思う。
有名な「武蔵野」の中では、玉川上水の千川用水分岐点付近、と思わせる場所の情景が記述されている。地元の老婆から、桜の時期ではない、こんな夏に、この辺に来る人の気がしれない、と不思議がられることを楽しむような情景記述だ。確かに、うまい筆使いだと思う。
しかし、玉川上水(とは明言していないのだが)の流れを、「水と水とがもつれて、からまって、揉み合って、自ら音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう」(p24)と表現しているが、これには同意できない。
玉川上水の流れの音は「ゴンゴン」とか「ドンドン」といった感じで、圧倒的な水量と流速に、近寄る人はだれも怖気づいた。地元の子供たちにとっては、夏の暑い時期の肝試しのひとつに、「ドンドン橋渡り」があったほどで、親から「人食い」上水には近寄るな、とよく言われたものだ。
あれがどうして「なつかしい音」なのだろうか。
昨日の続き。
「独歩は野川あたりを歩いたこともあるらしい」と、聞いたような、読んだような、あやふやな記憶がある。
昨日紹介した、文庫「武蔵野」には、18編の小品が収められているが、残念ながら、野川らしい情景の記述を発見することはできなかった。「わかれ」の中に、水車小屋が出てくるが、これのモデルを新車(しんぐるま)とするには無理がありそうだ。相思相愛だが、周りから反対されている若い男女の「わかれ」を、あくまでもロマンティックに、表現する小道具的環境として、水車小屋とその守人である老人が使われた、と思う。
有名な「武蔵野」の中では、玉川上水の千川用水分岐点付近、と思わせる場所の情景が記述されている。地元の老婆から、桜の時期ではない、こんな夏に、この辺に来る人の気がしれない、と不思議がられることを楽しむような情景記述だ。確かに、うまい筆使いだと思う。
しかし、玉川上水(とは明言していないのだが)の流れを、「水と水とがもつれて、からまって、揉み合って、自ら音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう」(p24)と表現しているが、これには同意できない。
玉川上水の流れの音は「ゴンゴン」とか「ドンドン」といった感じで、圧倒的な水量と流速に、近寄る人はだれも怖気づいた。地元の子供たちにとっては、夏の暑い時期の肝試しのひとつに、「ドンドン橋渡り」があったほどで、親から「人食い」上水には近寄るな、とよく言われたものだ。
あれがどうして「なつかしい音」なのだろうか。