旅限無(りょげむ)

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そんなに大事か?フジテレビ!

2005-03-24 09:03:51 | マスメディア
[東京 23日 ロイター] ニッポン放送<4660.T>のフジテレビ<4676.T>に対する新株予約権発行を差し止めた東京地裁の仮処分決定について、東京高裁はライブドア<4753.T>の申請を認めた東京地裁の決定を支持し、ニッポン放送の抗告を棄却した。これに対し財界では、これにより敵対的買収の防衛策に対する一定の基準が確立したと受け止めている。

 日本経団連の奥田会長はコメントで、「高裁においても、地裁の判断基準が支持されたものと理解している」と述べた。また、経済同友会の北城代表幹事は、「ニッポン放送の抗告棄却は、このような形で新株予約権の発行による第三者割当増資を行うことの是非について、司法判断が定着したのではないか」と述べた。

■明けても暮れても、マスコミは「ホリエモン」と「株業界の符牒(ふちょう)」の講釈で稼いでいる。何を今更という絵に描いたような後追い報道をしているマスコミは、株の世界に封じ込められていたタブーと腐臭を、今まで一切報道して来なかった自らの怠慢を棚に上げて、実質的には白状しているだけではないのか?
「法律の改正が必要だ」と急に騒ぎ出した国会での質疑も、時代錯誤を露呈している。橋本政権時代の「ビッグ・バン」や、それに続いた「国際化」の大合唱は何だったんだ?それにしても、世論を構成して誘導扇動する役割を担っているマスコミの無責任さは酷過ぎる。「政商」だの「フィクサー」だのと、東映のヤクザ映画に一切を丸投げしておいて、自分達のマスコミ企業自体が歪んだ株の持ち合い構造の「株式会社」である事実には頬かぶりして、一連の西武帝国の崩壊劇を囃子立てて商売していながら、まったく同じ仕組みの「小が大を支配する」奇怪な経営形態をまったく問題視しなかった。堤義明氏を天から地面に引きずり下ろして叩き続けて投げ付けた悪口雑言は、そのまま我が身に突き刺さる。
 大体、「近鉄バッファローズ」の存亡を懸けた大騒動の時に登場したホリエモン君を時代の風雲児扱いして、対岸の火事を眺めていたマスコミが、いざ「マスコミ株買収」となったら一夜にして豹変して「金さえ有れば何をしても良いのか?」という森前総理のちっぽけな発言を何度も繰り返して報道して、英雄転じて腹黒い「銭ゲバ」扱いして、騒ぎ立てているのはオカシイ。

■株を上場しているという事は、フリー・マーケットの敷物の上に売り物を並べているのと変わらない。ふらりとやって来て、胸ポケットから札束を出して「全部(半分)買おう」というお客が出現したと言って、上を下への大騒ぎするのは、それこそ異常である。
 値札を付けて、マーケット(市場)に並べておいて、「買うな」というのは理不尽だろう。「マスコミ会社」は、特別だとは、何を根拠に言っているのやら、遠くはロッキード事件、近くは年金不払い騒動まで、世論が沸騰してから、「そんな事は知っていた」と嘯(うそぶ)いていたのは日本のマスコミ会社ではなかったか?必要な事を、必要になる前に伝えておくのが「公器・木鐸」たるマスコミの使命であるはずが、年がら年中、「国家存亡の一大事」を商売種にしている姿は、

「本当の名選手は、素人にも分かるファインプレーはしないものだ。彼は、常に事前に予測して突発的な変化に余裕を持って対処するから、素人目には、常に平凡に見えるものだ。」
というよな格言に反している。
 裁判所が二度も提示した「当たり前の判断」に関する報道も、我が身可愛さと唯我独尊の姿勢が明らかに漂っている。それは明らかに司法に対する圧力を意図して行なわれていたとしか思えない。「時間外取引」にしても、サービス業全体が24時間営業へとシフトしている時代に、もともと電話一本で売買出来る株券の取り引きに時間制限を課するのはイカガナものか?インターネットは24時間、地球を何周もするネットワークを作ってしまった時代には適合しない議論だが、買いたい株を買い、売りたい時に売る、それが問題と言い立てるのは間違いである。
「敵対的買収」などと言うのも、善悪の判断など一切無い欲得ずくの株の世界には適さない話であろう。株主が自分の利益のためだけに株券を買い、まったく同じ理由で売るだけのことである。出資者としての株主と、利益を出す任務を命じられた経営者という関係が存在していなかった日本が、「国際化」の荒波に翻弄されている姿を高みの見物していたマスコミが、自分の足元を同じ波が洗い始めたら大騒ぎを始める、これは実に卑怯な報道姿勢だ!そんな不公正で頼りないマスコミなら、他国の資本が買ってしまっても誰も残念には思わないんじゃないか?

■後発ラジオ局だったニッポン放送も頑張ったし、フジテレビも手段を選ばぬ視聴率競争で大活躍しているのであろうが、仮に米国資本に買収されたとして、一体どんな問題が起こるのだろう?意地悪くフジテレビのコンテンツを斬ってみれば、特に困ることは無さそうなのだが、どうだろう?
 今回の株式買収騒動が火を噴く直前に、看板番組の『報道2001』をワシントンのスタジオから放送して、竹村健一御大が「ワシントンは重要人物に一度に会える場所」だとご満悦だったではないか?それなら、本社がワシントンに移れば万々歳ではないのか?コリン・パウエル前国務長官をスペシャル・ゲストとして生出演させて大はしゃぎしていたんじゃないか!
 ワシントンに本局を移してしまえば、日本の運命を握っている政財界の重要人物が毎日毎週、スタジオに車で乗り付けてくれるという夢のような報道番組が楽々と作れるのだから、経営者も制作者も随喜の涙を流すのではないのか?日本の「支局」と結べば、時差の関係で自動的に24時間の報道が実現するし、芸能・スポーツ番組の取材も安く済んでしまうだろう。
「では、ワシントンを呼んでみましょう」と言わずに、「今日は」や「今晩は」の一言で済むだろうし、「東京を呼んで見ましょう」という場面は、きっと激減する。それこそ本格的な「日本の常識は、世界の非常識」を実践する報道番組の実現そのものだろう。どうせ、朝から晩まで東京に本社を置いているテレビ局が送り出す「情報」は、横並びの金太郎飴状態で、チャンネルを変えてもまったく同じネタを流している。NHKと二つの地方局のテレビ放送しか視聴できない広大な地域で、特に不便を感じていないという事実は、「日本のテレビ局は多過ぎる」という寒々とした真実を証拠立てているのではないか?民放の一つが米国資本傘下に移って、放送事業の実質的中心を米国に置いてしまっても、嘆き悲しむ視聴者は皆無に違いない。

■かつては若者に支持されて一世を風靡したラジオの深夜放送は、年寄りと長距離トラックの運転手さんを客としている時代だから、一局減っても困らないし、フジテレビの人気番組の多くは、アメリカのテレビからパテントを購入して製作していたのではないのか?懐かしい『オレたちひょうきん族』にしても、往年の『サタデー・ナイト・ライブ』を、日本の売れない芸人を集めてパクッタだけだし、「ギネス・ブック」に載るとか載らないとか、兎に角、日本の昼時を長年支配しているという『笑っていいとも!』にしても、タモリさんの百倍も面白い芸達者のボードビリアンが、米国には掃いて捨てるほど居る。歌番組など、米国資本で「本物」を出演させれば、何度も「アメリカ・デビュー」に失敗している日本の歌手を使うよりも、遥かに耳の肥えた若い連中を惹き付けるだろう。
発言の最後に「じゃないですか」ばかり付ける小倉さんが仕切っている朝のワイド・ショーだって、本場米国のヴォイス・トレーニングを積んだ安いアナウンサーを使えば、番組の音声も格調もぐんと上がるのは間違いないだろう。
衛星放送やケーブルTVで、欧米のアナウンサーの質の高さを知ってしまった日本の視聴者は、外見以上に聴いて心地良い「声」と「発音」を渇望しているのだ。

■可愛いハーフ(正確には両親が別民族)の娘さんを「アナウンサー」に採用したフジテレビが、「美しい東海岸の米語」で金髪(茶髪ではない!)の専属アナウンサーを起用して報道番組を作って、「正確な日本語」のテロップを流し続けるのに、どんな不都合が有るのだろう?副音声で「正確で美しい同時通訳」を流せば尚結構。
 一日の疲れを癒す夜のスポーツ番組(スポルトと呼ぶらしい)のメインは、米国のメジャー・リーグ野球と欧州のサッカーではないのか?下手な日本人アナウンサーよりも真面目に日本語を学んだ米国のアナウンサーを起用して、現地からのリポートや生中継をすれば番組制作の効率は上がるし、番組の質も改善されるだろう。
 本物の「日本語アナウンサー」を育てなかった放送企業が、中途半端な「国際化」の文化的な負債を払う時が来た、と考えてみたらどうだろう?「米国一番、日本は二番」の報道をしているのはフジテレビだけではないが、率先して対米融和(従属?)を主張していたのがフジ・サンケイ・グループではなかったのか?いよいよ、憧れの米国が資本傘下に収めて下さるというのだから、満願成就で赤飯でも炊いて振舞ったらどうなのだ?フジ・サンケイ・グループが狙われたのは、他のテレビ局やラジオ局には「買収の価値」が認められない事の裏返しだろう。喜ぶべき話ではないのか?

■マスコミが外国資本(米国と言った方が分かり易い)に乗っ取られる!と、本気で国益を考えて、マスコミは騒いでいるのか?
既に歴史となった米国の国際戦略の中にあった『オレンジ作戦』が発動されてから、日本の占領政策と戦後の世論操作はワシントンからの意図に常に左右されていたのではないのか?いつから日本のマスコミは米国に対して「独立」したのか、それを先に明らかにしなければなるまい。
毎朝、毎晩、「明日のニューヨークの天気は…」だの、深夜番組で「最近のニューヨークの流行」を衛星放送で流しているテレビ局が、米国資本に買われると騒ぐのは、小さなプロ野球業界の田舎臭い内輪の空騒ぎよりも古臭いように見える。
 ホリエモン君が「テレビは無くなる」と予言・断言したと、青筋立てて怒っている人をテレビ画面で散見したが、マスコミのネタを少しばかり加工して成り立っているのがネットの世界なのだから、ホリエモン君は確かに間違っている。彼は、どうも東大に合格するための受験勉強に役立たない本は一切読まなかった節が有る。それこそ、文部科学省の大臣や役人が対談すべき「学力低下」の権化のような人物である可能性もあるのだけれど、「テレビが無くなる」と言われて怒るテレビ人の方も可笑しい。畏(かしこ)まってテレビの番組を有り難く視聴する日本人がいなくなって久しい。仮に、テレビ全局が消失しても、ラジオ、活字メディア、口コミで人々は暮らして行ける。そもそも、業界や政界のトップは、テレビは必要どころか、邪魔扱いしているのではないのか?

■戦後のテレビ史の中で、「テレビさえ無ければ、これは起きなかった」と思える凶悪犯罪が多数起こったのではないのか?冤罪事件を幾つも作り出したし、昨年の鳥インフルエンザ騒動だって、テレビ関係者が現地に乗り込んでうろつき回って、靴の下に付着したウィルス入りの泥を運び回ったから感染が広がったとの説も有る。
奇妙な「日本語口語」を流行させたのもテレビだし、小中学生に「イジメ方」を教授したのもテレビのドラマとワイド・ショーだった。オウムを全国区に押し出したのもテレビの「功績」だろう。「援助交際」などという「売春」を言い換えた表現を採用して全国に広めたのもテレビである。米国の放送コードは日本とは比べようもないほど保守的で厳しいのだから、米国に拠点を置いたテレビ局経営が実現するのなら、日本語のためにも良い影響が期待できる。

まあ、今回のニッポン放送株の買収騒動は国民に「株」について考える好機となったことが一番の幸運であろう。そして、第二の収穫は、東大中退の100億稼ぐホリエモン君が「正しい日本語」を急速に学んだことだろう。

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