■24日夜の『朝まで生テレビ』をいつになく熱心に視聴してしまったのは、テーマが喫緊の金融危機問題で、同時刻に開いていた欧州市場で刻々と上がる円の為替相場と奈落の底に落ちて行く株価の数値が番組の節節に挟み込まれる緊迫感が原因でした。幼稚な怒鳴り合いは少なく、割と実のある議論になっておりましたが、経営コンサルタントの堀紘一さんが分かり易い比喩を使って危機の中身を説明していたのが印象的でした。番組の終盤、ノーベル賞に関係する話が飛び出したのはちょっと衝撃的でしたなあ。
■米国籍の学者も含めて4人の日本人にノーベル賞を贈ったのは、欧米諸国の恐ろしい算盤勘定の一環だというのですが、誰かさんは東京五輪も開催させ、サッカーのワールドカップも主催させて日本をどんどん持ち上げて、まるで世界の盟主かリーダーのように祭り上げようとしているのだとか……。勿論、それは何処かで用意されつつある世界を救うための莫大な経済援助の大半を押し付けてやろう!という魂胆なのだそうです。そう言われてみれば、今回の受賞者は揃って御高齢で評価された研究も随分と古いものでしたなあ。研究成果が実際に検証されたり応用されて真価が認められるまでに時間が掛かるという取って付けた様な解説もあったようですが……。
■本当に日本の骨までしゃぶり尽くす大陰謀の部品としてノーベル賞が使われているのなら、急速に外貨準備高を積み上げているチャイナなどは、そんなノーベル賞など要らん!と言うかも知れませんが、どうも日本は戦争に負けたトラウマから抜け出せず、海外から褒めらると単純に舞い上がってしまう傾向がありますなあ。
2008年10月11日、台湾の著名な詩人、余光中氏はノーベル文学賞の選考のあり方に疑問を投げかけ、華字文学賞の設立を呼びかけた。……08年のノーベル文学賞の受賞者は、フランスの小説家ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ氏(68)に決定した。10日に収録されたテレビ対談で、中国がノーベル文学賞と縁がないことについて質問された余氏は、「ノーベル文学賞は西欧の文学賞。選考過程では、非西欧圏、非英語圏の華人作家に対して明らかな偏見が存在する」との見解を率直に語り、華字文学賞の設立を主張した。
■文学作品は、欧米系の言語、特に英語に翻訳されない限りはノーべル賞の対象にはならないというのは衆知の事です。川端康成も大江健三郎も主要作品が翻訳されていなければ受賞は不可能だったと言われていますからなあ。
「ノーベル文学賞は創設100年以上の歴史があり、世界の主要メディアが注目する文学活動」と評価する余氏。しかし一方で、選考上の不利を指摘する。「受賞者の大半が西欧人で、次に米国人。アジア人は最も少なく34人。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を母国語とする作家は、自国語で文化的背景を選考委員に伝えることができる。しかし、中国語が分かるのは選考委員18人のうち1人だけだ」。
■選考委員の中に日本語が自在に読みこなせる人は居ないのではないでしょうか?そもそもノーベル賞も近代五輪大会も、「欧州=世界」という世界観が共有されていた時と場所で始まって現在に到っているのですから、「世界の外」にも受賞者が現われるのは例外的な現象なのかも知れません。言論の自由が認められないチャイナから優れた現代文学が生まれる可能性は低いでしょうし、台湾と日本との文化交流は変な政治家の思惑で断ち切られたままになっていますから、今の台湾にどんなに素晴らしい作家が活躍しているのか、日本でも知ることは難しい状況ですし、明治以来の脱亜入欧が脱亜入米になっただけの日本では、広いアジアで書かれている文学作品よりも、やはり欧米の翻訳本が圧倒的に多い現実もあります。
余氏自身も、かつて受賞候補に挙がったことがある。しかし「世界的に作家は2グループに分類される。1つは、ノーベル賞を受賞したグループ。そして、受賞したことがないグループだ。むしろ私は後者に属したい。偉大な作家が多くいるのは後者だからだ。その数は絶対的に受賞グループを上回るだろう」と述べている
10月13日 Record China
■聞きようによっては負け犬の遠吠え、「酸っぱい葡萄」のような印象を受ける話ですが、ノーベル文学賞の選考過程で文字通り世界中の「偉大な作家」が漏れなく吟味されることなど不可能でしょうし、異文化を基盤とした作品に普遍性が認められるかどうかも定かではありますまい。この件に関しては、昨年の受賞者発表前にAFPが貴重なインタヴューをしております。つづく
■米国籍の学者も含めて4人の日本人にノーベル賞を贈ったのは、欧米諸国の恐ろしい算盤勘定の一環だというのですが、誰かさんは東京五輪も開催させ、サッカーのワールドカップも主催させて日本をどんどん持ち上げて、まるで世界の盟主かリーダーのように祭り上げようとしているのだとか……。勿論、それは何処かで用意されつつある世界を救うための莫大な経済援助の大半を押し付けてやろう!という魂胆なのだそうです。そう言われてみれば、今回の受賞者は揃って御高齢で評価された研究も随分と古いものでしたなあ。研究成果が実際に検証されたり応用されて真価が認められるまでに時間が掛かるという取って付けた様な解説もあったようですが……。
■本当に日本の骨までしゃぶり尽くす大陰謀の部品としてノーベル賞が使われているのなら、急速に外貨準備高を積み上げているチャイナなどは、そんなノーベル賞など要らん!と言うかも知れませんが、どうも日本は戦争に負けたトラウマから抜け出せず、海外から褒めらると単純に舞い上がってしまう傾向がありますなあ。
2008年10月11日、台湾の著名な詩人、余光中氏はノーベル文学賞の選考のあり方に疑問を投げかけ、華字文学賞の設立を呼びかけた。……08年のノーベル文学賞の受賞者は、フランスの小説家ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ氏(68)に決定した。10日に収録されたテレビ対談で、中国がノーベル文学賞と縁がないことについて質問された余氏は、「ノーベル文学賞は西欧の文学賞。選考過程では、非西欧圏、非英語圏の華人作家に対して明らかな偏見が存在する」との見解を率直に語り、華字文学賞の設立を主張した。
■文学作品は、欧米系の言語、特に英語に翻訳されない限りはノーべル賞の対象にはならないというのは衆知の事です。川端康成も大江健三郎も主要作品が翻訳されていなければ受賞は不可能だったと言われていますからなあ。
「ノーベル文学賞は創設100年以上の歴史があり、世界の主要メディアが注目する文学活動」と評価する余氏。しかし一方で、選考上の不利を指摘する。「受賞者の大半が西欧人で、次に米国人。アジア人は最も少なく34人。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を母国語とする作家は、自国語で文化的背景を選考委員に伝えることができる。しかし、中国語が分かるのは選考委員18人のうち1人だけだ」。
■選考委員の中に日本語が自在に読みこなせる人は居ないのではないでしょうか?そもそもノーベル賞も近代五輪大会も、「欧州=世界」という世界観が共有されていた時と場所で始まって現在に到っているのですから、「世界の外」にも受賞者が現われるのは例外的な現象なのかも知れません。言論の自由が認められないチャイナから優れた現代文学が生まれる可能性は低いでしょうし、台湾と日本との文化交流は変な政治家の思惑で断ち切られたままになっていますから、今の台湾にどんなに素晴らしい作家が活躍しているのか、日本でも知ることは難しい状況ですし、明治以来の脱亜入欧が脱亜入米になっただけの日本では、広いアジアで書かれている文学作品よりも、やはり欧米の翻訳本が圧倒的に多い現実もあります。
余氏自身も、かつて受賞候補に挙がったことがある。しかし「世界的に作家は2グループに分類される。1つは、ノーベル賞を受賞したグループ。そして、受賞したことがないグループだ。むしろ私は後者に属したい。偉大な作家が多くいるのは後者だからだ。その数は絶対的に受賞グループを上回るだろう」と述べている
10月13日 Record China
■聞きようによっては負け犬の遠吠え、「酸っぱい葡萄」のような印象を受ける話ですが、ノーベル文学賞の選考過程で文字通り世界中の「偉大な作家」が漏れなく吟味されることなど不可能でしょうし、異文化を基盤とした作品に普遍性が認められるかどうかも定かではありますまい。この件に関しては、昨年の受賞者発表前にAFPが貴重なインタヴューをしております。つづく