旅限無(りょげむ)

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不毛な喧嘩 其の壱

2006-06-23 12:25:23 | マスメディア
■1990年代前半、麻原彰晃という人がマスコミの寵児(ちょうじ)になっておりました。ほとんどの民放テレビに出演して朝から晩まで顔を見ない日が無かったのでした。雑誌にも頻繁に取り上げられて、インタヴュー記事が沢山掲載されました。「超能力」「予言」「救済」などのツギハギだらけのトンデモ話を書き散らした自著も大量に出回って、ちょっと大きな書店なら入り口近くの平積みコーナーに並んでいたものです。怪しげな事件が起こり始めても、マスコミは麻原さんに「弁明の場」を潤沢に用意して商売に利用していましたなあ。

■弁護士一家惨殺事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件と大事件が一直線に結ばれたら、マスコミは一斉にオウム叩きを始めました。それまで言いたい放題のインタヴューの聞き手だった人や対談相手になっていた人はさっと身を隠し、テレビ局は司会者を、雑誌は書き手を変えて見事に掌を返したのでしたなあ。単なる宗教を騙った詐欺事件であったなら、これほど大規模な変身に苦労する必要は無かったでしょうが、大量殺人兵器を用意して戦争を計画していたとなれば、それまで通りにバラエティ番組やら、似非報道番組に引っ張り出してオモチャにしている訳にも行かなくなったのでしょう。今でもテレビ欄には性懲りも無く、「超能力」「占い」「予言」を冠した番組が散見されますぞ。

■細木数子さんとみのもんたさんは、今の民放テレビでは神様・仏様の扱いを受けているのだそうです。これも一種のバブル状態ですから、崩壊後の始末をそろそろ考えた方良いのはないでしょうか?お二人とも、テレビの視聴者を愚弄するのがお上手で、この情報化時代にテレビをぼんやり観ている輩の程度はたかが知れている、と見切っている節があります。民主主義というよりも衆愚政治の原則に従っているだけなのですが、同じ人材を各局が奪い合っているのですから、日本のテレビ文化というのは余ほど底が浅くて厚みが無いもののようですなあ。不祥事続きの新聞界やマンネリの極地に達しているテレビを尻目に、この頃週刊誌が元気です。とは言っても「字を読むのが嫌い」な世代を大量に生み出した戦後教育の成果で、絵本(マンガ)に部数で完敗しているのは残念ですが……。

■『週刊現代』と『週刊文春』が、細木数子さんを取り上げて真正面から喧嘩しています。『週刊新潮』は「所詮は墓石売りの口利き屋」と高みの見物で、双方の徒労を笑っているのですが、発端となった『週刊現代』の連載特集記事を書いているのが溝口敦さんなので、問題は笑っていられない展開になっているようですぞ。暴力団でも食肉業界でもパチンコ業界でも、新聞やテレビが二の足を踏んでしまう世の中の闇に切り込んで、事細かに調べ上げて再構成してくれる溝口さんの仕事には感心しておりましたので、いよいよ細木数子さんを俎上(そじょう)に載せたか、と連載当初から興味津津でありました。


ノンフィクションライター溝口敦さん(63)の長男(33)が、指定暴力団山口組傘下の関係者に襲撃された事件で、溝口さんの言論活動に対し昨年秋ごろから再三、暴力団関係者が圧力をかけていたことが関係者の話で分かった。……警視庁は、トップの交代に伴い山口組内部に緊張状態が生まれていることが、背景にあるとみている。長男は今年1月、東京都三鷹市の路上で襲われ、足を刃物で刺された。警視庁が5月30日、山口組の有力2次団体山健組の下部組織の関係者の男2人を傷害容疑で逮捕した。……2006年6月18日 朝日新聞

■記事によりますと、1990年5月に『五代目山口組』という本を溝口さんが上梓した3ヵ月後に脇腹を刺されたのが最初なのだそうです。手元の三一書房刊『五代目山口組』の後付を見ますと、1990年6月30日第1版第1刷となっています。まあ、出版の日付は1ヵ月先送りして印刷するのが習慣化しているので、発売は5月だったのでしょう。この本は1985年1月26日に起こった山口組4代目竹中正久襲撃事件から、1989年7月20日の渡辺芳則山口組五代目襲名継承式までの出来事を時系列に沿って詳細にルポした内容です。それに絡ませるように1941年1月に栃木県下都賀郡壬生町の農家に生まれた渡辺芳則さんのヤクザ人生を描き出しているのですが、4代目までの山口組とはまったくタイプの違う組織として山口組が生まれ変わった事を強調する内容になっているので、取りように依っては、渡辺組長の「悪口」のようにも読めない事もない書き方になっています。

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