旅限無(りょげむ)

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ポタラ宮と天空の至宝……

2009-11-14 17:28:13 | チベットもの
■やっと東京の上野の森美術館で開催中の聖地チベット――ポタラ宮と天空の至宝を見学に行って来ました。まあ、簡単に感想を述べますと……1400円の入場料に見合うだけの内容ではありました。公式HPの「スタッフのコラム」などを拝見しますと素朴に真面目に取り組んでいるご様子が察せられるのではありますが……。
 
■このコラムによりますと某大学で仏教を学んでいる学生さん達が授業の一環として先生に引率されて「90分間、熱心にお勉強なさって」行ったそうです。はて?すると序章から第五章までで構成されている展示物の解説なども熟読されていたのでしょうが、第三章「元・明・清との往来」コーナーの入り口にデカデカと掲示してあった説明パネルもお読みになった?引率の先生も一緒に?

■折角の機会なので順路を行きつ戻りつしながら、(たったの?)123点の展示物を3時間近くも見て歩いていた旅限無は、問題のパネルの前で考え込んでしまったのでした。そこには


……フビライ・ハンの孫ゴダン……

と書かれていまして、おや?フビライとゴダン(クテン)とは従兄弟の間柄のはずなのだが……と自分の記憶違いか?場内を監視している係りの人に間違いではないか?と声を掛けるべきか?と暫し黙考して立ち尽くしておりました。ゴダンはチンギス汗の三男オゴタイの次男で、オゴタイが二代目(大)ハーンに即してからは今の甘粛省を領地としておったそうで、青海省を蹂躙してラサ周辺にまで侵攻したこともある猛者だったとのこと。ですがペルシア仕込の呪術のせいで奇病に罹って苦しみ、もっと強力な呪力を求めてチベットのサキャ・パンディタを脅迫同然に招請したのが、チベットと大モンゴルとのそもそもの馴れ初め。

■鎌倉時代に日本を襲ったフビライはチンギス汗の四男ツルイの次男坊で、父のツルイとゴダンの父オゴタイは兄弟なのですから、どう考えても両者は従兄弟関係でありましょう。もしも、パネルの「孫」を生かすのなら「チンギス・ハンの孫ゴデン」としなければなりますまい。天気が悪かったせいもあり、思ったほどの混雑はしていなかった場内でしたが、それでも次々に見学者が問題の?パネルの前に立ち止まっては、ふむふむ、と何やら感心しながら展示物の方へと流れていく様子を見ていますと、9月19日から始まって既に2箇月近い時が過ぎ、「会期中無休」を謳って張り切っている展示会に足を運んだ人々の数を考えると、今更、事を荒立ててケチを付けるのも何だなあ……と、無邪気に立ち番を交代するスタッフの笑顔を見ながらチベットの真実を知るべきだ!という心がだんだん萎えてしまったのでした。

■同展示会は来年の1月11日まで「会期中無休」で続くそうですし、来年の4月11日~6月14日は福岡県太宰府市の九州国立博物館での開催という運びになっているそうですから、これから御覧になる機会が有りそうな方は、どうぞ問題のパネルにご注目!?早めに入場して貧乏臭く長時間の見学を続けておりましたので、図録を購入して外に出て見ると入場時には居なかった「反対派」が入り口正面に向って睨みを利かせるように展示会の不当性を訴える看板を並べておりました。

■1997年に東武美術館が開催した『天空の至宝 チベット密教美術展』はアメリカやロシアの美術館や博物館のコレクションから個人の所蔵物まで掻き集めて圧倒的な量と質を誇っておりましたが、今回の「天空の至宝」は財団法人・日本美術協会と中華文物交流協会、そして中国チベット文化保護発展協会が主な主催団体で、朝日新聞社・TBSなども主催者に名を連ねております。因みに浅い新聞社は1997年の展示会でも主催者になっていましたなあ。

■今回の出品協力は中国チベット自治区文物局と中国文物交流中心だそうですから、チベット自治区内に安置・収蔵されていた逸品を集めて企画されたのでありましょう。従いまして「反対派」としては少なくとも展示のタイトルに「略奪された」を付けるべきだ!ということになります。半世紀前の国共内戦に敗れた蒋介石が北京の紫禁城から選びに選んで運び出した「チャイナの至宝」を台湾に運び込み、原爆が落ちても大丈夫!という岩山を刳り貫いた堅牢無比の特殊博物館を作って保存したのとは違いまして、1959年のチベット動乱の時にはダライ・ラマ14世は文字通りの着の身着のままで、夜陰に紛れて馬に跨って脱出・亡命したものですから、それまでに西欧列強の手で持ち去られず残った数々の「至宝」はそのまま残してヒマラヤを越えたのでありました。

■今回の展示品には歴代ダライ・ラマが居住していたポタラ宮に秘蔵されていた物も多く含まれているのですから、偶然にも「会期中無休」の期間にダライ・ラマ14世が来日されるという巡り会わせで、上野からさして遠くない東京両国での講演に続いて、四国松山、そして沖縄へ巡っての平和と祈りの日本滞在……。ジョークの名人でもある法王が「わたしも是非とも(久し振りに)見学したいものです。入場料金は払いますよ」とか、「来日した記念にお土産として数点を持ち帰ってもよいですか?」とか、痛烈な発言はなされなかったようでありますが、それはきっと、日本側に見事なジョークを返せる相手が居ないことをご存知だったからかも知れませんぞ。

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