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抵抗

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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川* ̄ー ̄)ニヤリ 『祝えと言わんばかりに自分の誕生日を記事にしちゃうあたりがパパだよね』


_| ̄|○ いいじゃん、祝ってもらいたいんだもの…


川* ̄ー ̄)ニヤリ 『今日は一日中携帯を手放さないね。そんなに皆さんの反応が気になる?』


_| ̄|○ ええ、気になりますとも…


川* ̄ー ̄)ニヤリ 『いいのいいの。パパの魅力はそのショボさにあるんだから』


_| ̄|○ ……



40歳初日からジクジクと妻にいじめられております。

あ、ども、こんばんは。

「昔想像していた40代の僕は、こんなにもショボかったかしら?」と自問しつつ、皆さんからいただいたメッセージに涙しながら床についた男です。

沢山のお祝い、ありがとうございました!


さて、我が家の内情はさておき、お話の続き。(←気分を切り替えたいご様子)


いまはこうして当たり前に接しているインターネット。

でも、ほんの数年前まではまだ、その使い方も「恐る恐る」だったこと、覚えてます?


( ̄Д ̄;) 「えっ!会社はともかく、キミん家、一般家庭で回線つないでんの!?」

( ̄Д ̄;) 「ネットでショッピングまで!? 実際の商品も見ずに!?」

( ̄Д ̄;) 「まじ!?支払いはクレジットカードって…。カード番号入力しちゃったの!?」

( ̄Д ̄;) 「ねぇねぇ、それって個人情報の流出とか、ハッキングとか、もろもろ大丈夫?」

( ̄Д ̄;) 「えっ!無修正!?海外だから!? いや、そりゃ確かに気になるさ。でも…それってウイルスとかの罠があるんじゃ…」


その他にも、「デジタル、デジタルって、言い加減にしろよな!そうやってアナログ文化を邪険にしやがって!」なんていう抵抗や、「それってパソコンマニアとか、一部の限られた人の話でしょ」とか、「インターネットって、そもそもは軍事目的で開発されたんだろ?一般ピーポーが気軽に使って大丈夫なん?」とか、最初のころは、僕の周りでも色んな声が聞こえていました。

かく言う僕も、かなりの警戒派でした。

仕事柄、ネットを使うことが増えてきても、それでも自宅での導入やネット通販なんかには、なかなか手が伸びませんでした。


それが、いつの間にでしょうか。

回りでネットを使い出した方々の「全然大丈夫だよ」「別に、そんなに怖いもんじゃないって」といった声を沢山聞くようになり、いよいよ回線を申し込んで。

「プロバイダー? ルータ? 何それ?」なんて事をひと通り経て。

いまではすっかり生活の中に溶け込み、ましてや職業が変わるまでになっちゃって。

アマゾンで本を買うことにだってビビってたヘタレが、いまじゃ中古車までネットで買っちゃってるんだから。

あの警戒心はいまはいずこへ?



そう。

「オンライン」と「オフライン」。

その切り替えの重要なポイントとなるのが、この「警戒心」です。

精神世界で散々目にしてきた「恐れ」という言葉がこれのことでしてね。


これまで沢山のマスターやメッセンジャーが残しているとおり、「誰もが皆、例外なくそこに繋がることができる」んです。

もっといえば、「すでに繋がっている(回線は引かれている)」んですね。

で、「ただ、オンラインにして活用していないだけなんだ。その理由は『恐れ』なんだ」と、なるわけです。


「目覚め(ハートが開かれた状態)」を妨げている、この「恐れ」。

これには、大きく分けて2つの方向があります。


一つは、

( ̄Д ̄;) 「えっ!回線なんか開いちゃったら、サイバー攻撃受けちゃうかもしんないじゃん!」

というもの。


もう一つは、

( ̄Д ̄;) 「えっ!オンラインになってるってことはつまり、こっちのデータも丸見えってことだよね? そりゃダメだよ! だって、ハードディスク(心の奥)に見られたくないファイルがいっぱいあるんだもん!」

というもの。


「外からの攻撃」に対する防御姿勢と、「心の奥にある明かしたくないアレコレ」のセキュリティー。

この2つが、「オンライン(心を開くこと)」を頑なに拒み、抵抗を示します。

「常時接続(悟りきる)」なんてもってのほか!


言い換えてみると、世界(自分以外)に対する不信と、自分に対する否定が大きいほど、「オフライン状態を望む」ということ。

そしてこの2つの要素は、リンクしています。

「世界に対する不信はないけど、自己否定が大きい」

だとか、

「世界に対する不信は山ほどあるけど、自己承認できている」

ということはありません。


「世界に対する不信」は、そのまま「自分に対する不信」につながり、

「自己否定」は、そのまま「他者否定」につながります。



だからこそ、

精神世界では、「オンライン」への前提として、

(世界を、自分を)「受け入れる」ことや、「ゆるすこと」、

また、「(不信の要因となっている誤解・思い込みを)解放すること」といった

キーワードが語られることになるのです。


ここら辺のお話は、先日ご一緒させて頂いた牧野内大史さんの説明が非常に優れています。

ご著書『人生のシナリオを書き換えるイメージの法則』の第三章「解放のステップ こころの扉を開くマスターキー」は、まさにこのことをお話されています。

是非一度ご覧になってみてください。

牧野内さんならではの優しい語り口で、かつ的確に表現されています。

きっと、「ああ、黒斎が言っていたのはこのことだったのか!」と、宙ぶらりんだったモヤモヤが晴れることと思います。



←これも、受け入れてほしいのです…。
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