いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
「ありがとう」を言わない国
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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日本テレビの「世界番付」っていうバラエティー番組、ご存じです?
先日うちの奥様が録画していたこの番組を見て、とても感慨深いモノを感じたので、今日はその話をさせてください。
「カルチャーショック」なんて言葉があるように、文化の違いというのは、本当に「え?まじで!?」という驚きがありますよね。
世界番付では、そういった世界各国の文化の違いや常識の違いを、色々な角度から紹介してくれていました。
中には誇張して演出しているものもあるのだろうとは思いつつも、その分を差し引いても、やっぱり違うモノは違う。
日本では当たり前でも、別な国では全然当たり前じゃなかったり、僕たちの感覚で「良いこと」が、他の国では迷惑がられたり。
その中でも、僕が特に「へ~」と思ったのは、「謝らない国」というコーナーでした。
世界を比較して、どの国の国民が一番謝らないかをランキング形式で紹介する流れだったんですけどね、実は、その「謝らない」ランキングよりも、もっと興味深かったのが、その流れから派生した「ありがとうを言わない国」という話でした。
自分が悪い事をしたと思ったのなら「ごめんなさい」と素直に謝る。
お礼や感謝を伝えるときは「ありがとう」。
我が家でも当たり前に交わされているこの言葉が、「やめてくれよ」という拒否反応で返される文化もあると、そういう話題でした。
インドのある文化圏では、親密な間柄であればあるほど、「ありがとう」は避けるべき言葉、なのだそうで。
ビックリしました。
で、どこまでホントなんだろうかと思って、その後自分でも調べてみたのですが、やっぱりホントらしくてですね。
インドやミャンマーなどに出かけた日本人の旅行記などで、確かに現地で「ありがとうはやめてくれ」と懇願されたというサイトをいくつか発見しました。
その文化圏の方々にとっては、「ありがとう」を言われることが、どうにも気分が良くないのだそうです。
その裏には、ありがとうと言われると、「せっかくの施しをつき返されている気分になる」だとか「せっかくした良いことが帳消しになってしまう」とか、「他人行儀だ」という感覚があるのだそうです。
だからこそ、親密な人にほど「ありがとう」と言ってはならぬ、ということだそうで。
日本人の感覚とはまるで別物なのですが、その意味の背景を知ると、それはそれでわかるような気がします。
「ごめんなさい」も「ありがとう」も、言葉は同じでも、全く違う意味になってしまう。
「だってそういう文化なんだもの」と言われてしまえば、浜村淳も、ヒューレン博士もタジタジです。
「ありがとう」という言葉に、どんな意味や価値を持たせるのか(見出すのか)。
それはやはり、僕たち自身の自由意志で行われていることです。
で、その時にあることを思い出しました。
誰の言葉だったのかは忘れてしまったんですけど、ある覚者の言葉にね、こんなものがあったんです。
「君がもし目覚めたいのなら、これからの人生で『ありがとう』と言ってはならない。そしてまた、言われてもいけない」
これは、「あらゆる事物に意味や価値を持たせているのは僕たち自身なのだから、その世界(マトリックス)を超えるのなら、物事に特定の意味づけをしてはならない」というバックボーンがあるものなんですけどね、同じようなことは、一休さんのエピソードにも残っていたりします。
ある寒い冬の夜、お寺の薪がなくなってしまいました。
それでもなんとか暖を取ろうと、お坊さんたちは周りに燃やせるものを探して炉にくべていたのですが、そのうち、とうとう燃やせるモノが見つからなくなってしまってさあ大変。
「ああ、どうしよう。もうすぐ火が消えそうだ」
すると一休さんはスタスタと本堂へと向かい、安置してあった仏像を抱えて帰ってきました。
そして、こともあろうか、その仏像をナタで真っ二つに!
慌てふためく僧侶らを尻目に、そそくさと火の中にくべてしまいました。
「一休! 仏様に、なんて罰当たりなことを!」
すると一休さん、今度は棒を持ってきて、燃えさかる仏像をつんつんと突きだしました。
「今度はなんだ!? 一休、何をしようとしている!?」
「え? いやね、仏様の骨を見つけようかな~と思って」
「な、何を狂ったことを!木から骨が出てくるわけがなかろう! ………あっ!!!」
「今夜はとても寒い。仏像は他にもたくさんあるんだろう?もう少し持ってきてくれないか?」
とにもかくにも。
仏像にありがたみを与えているのが、それをありがたいものだとする人間にあるのと同様、「ありがとう」という言葉にありがたみを与えているのが、それをありがたいものだとする人間にあるんですよね。
だって、実際に文化の違いで、「ありがたいもの」になったり、「気分を害すもの」になったりするんですからね。
先の番組を見ながら、そんなことを思っていました。
……と、こんな記事を書いてると、また嫌われちゃうんだろうな(苦笑)。
【ライブ・インフォメーション】
「降参(サレンダー)のススメ」出版記念と銘打ちまして、金沢で「阿雲の呼吸」を開催します。
◎3月20日(火・祝) 阿雲の呼吸 in 金沢
詳しくは阿部さんのブログにて。
←今日も○○○○○。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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日本テレビの「世界番付」っていうバラエティー番組、ご存じです?
先日うちの奥様が録画していたこの番組を見て、とても感慨深いモノを感じたので、今日はその話をさせてください。
「カルチャーショック」なんて言葉があるように、文化の違いというのは、本当に「え?まじで!?」という驚きがありますよね。
世界番付では、そういった世界各国の文化の違いや常識の違いを、色々な角度から紹介してくれていました。
中には誇張して演出しているものもあるのだろうとは思いつつも、その分を差し引いても、やっぱり違うモノは違う。
日本では当たり前でも、別な国では全然当たり前じゃなかったり、僕たちの感覚で「良いこと」が、他の国では迷惑がられたり。
その中でも、僕が特に「へ~」と思ったのは、「謝らない国」というコーナーでした。
世界を比較して、どの国の国民が一番謝らないかをランキング形式で紹介する流れだったんですけどね、実は、その「謝らない」ランキングよりも、もっと興味深かったのが、その流れから派生した「ありがとうを言わない国」という話でした。
自分が悪い事をしたと思ったのなら「ごめんなさい」と素直に謝る。
お礼や感謝を伝えるときは「ありがとう」。
我が家でも当たり前に交わされているこの言葉が、「やめてくれよ」という拒否反応で返される文化もあると、そういう話題でした。
インドのある文化圏では、親密な間柄であればあるほど、「ありがとう」は避けるべき言葉、なのだそうで。
ビックリしました。
で、どこまでホントなんだろうかと思って、その後自分でも調べてみたのですが、やっぱりホントらしくてですね。
インドやミャンマーなどに出かけた日本人の旅行記などで、確かに現地で「ありがとうはやめてくれ」と懇願されたというサイトをいくつか発見しました。
その文化圏の方々にとっては、「ありがとう」を言われることが、どうにも気分が良くないのだそうです。
その裏には、ありがとうと言われると、「せっかくの施しをつき返されている気分になる」だとか「せっかくした良いことが帳消しになってしまう」とか、「他人行儀だ」という感覚があるのだそうです。
だからこそ、親密な人にほど「ありがとう」と言ってはならぬ、ということだそうで。
日本人の感覚とはまるで別物なのですが、その意味の背景を知ると、それはそれでわかるような気がします。
「ごめんなさい」も「ありがとう」も、言葉は同じでも、全く違う意味になってしまう。
「だってそういう文化なんだもの」と言われてしまえば、浜村淳も、ヒューレン博士もタジタジです。
「ありがとう」という言葉に、どんな意味や価値を持たせるのか(見出すのか)。
それはやはり、僕たち自身の自由意志で行われていることです。
で、その時にあることを思い出しました。
誰の言葉だったのかは忘れてしまったんですけど、ある覚者の言葉にね、こんなものがあったんです。
「君がもし目覚めたいのなら、これからの人生で『ありがとう』と言ってはならない。そしてまた、言われてもいけない」
これは、「あらゆる事物に意味や価値を持たせているのは僕たち自身なのだから、その世界(マトリックス)を超えるのなら、物事に特定の意味づけをしてはならない」というバックボーンがあるものなんですけどね、同じようなことは、一休さんのエピソードにも残っていたりします。
ある寒い冬の夜、お寺の薪がなくなってしまいました。
それでもなんとか暖を取ろうと、お坊さんたちは周りに燃やせるものを探して炉にくべていたのですが、そのうち、とうとう燃やせるモノが見つからなくなってしまってさあ大変。
「ああ、どうしよう。もうすぐ火が消えそうだ」
すると一休さんはスタスタと本堂へと向かい、安置してあった仏像を抱えて帰ってきました。
そして、こともあろうか、その仏像をナタで真っ二つに!
慌てふためく僧侶らを尻目に、そそくさと火の中にくべてしまいました。
「一休! 仏様に、なんて罰当たりなことを!」
すると一休さん、今度は棒を持ってきて、燃えさかる仏像をつんつんと突きだしました。
「今度はなんだ!? 一休、何をしようとしている!?」
「え? いやね、仏様の骨を見つけようかな~と思って」
「な、何を狂ったことを!木から骨が出てくるわけがなかろう! ………あっ!!!」
「今夜はとても寒い。仏像は他にもたくさんあるんだろう?もう少し持ってきてくれないか?」
とにもかくにも。
仏像にありがたみを与えているのが、それをありがたいものだとする人間にあるのと同様、「ありがとう」という言葉にありがたみを与えているのが、それをありがたいものだとする人間にあるんですよね。
だって、実際に文化の違いで、「ありがたいもの」になったり、「気分を害すもの」になったりするんですからね。
先の番組を見ながら、そんなことを思っていました。
……と、こんな記事を書いてると、また嫌われちゃうんだろうな(苦笑)。
【ライブ・インフォメーション】
「降参(サレンダー)のススメ」出版記念と銘打ちまして、金沢で「阿雲の呼吸」を開催します。
◎3月20日(火・祝) 阿雲の呼吸 in 金沢
詳しくは阿部さんのブログにて。
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