高校駅伝 都大路を駆ける。

2007年12月26日 | 季節のこと
 高校駅伝では長野県、特に佐久は非常に盛り上がった。何が忙しくてもこの時間だけは確保して、テレビの前に陣取った。

 結果はご存知のとおりで,終わった後みんな暫く言葉がでなかった。
残念というには、あまりにも残念だった。(こんな文章あるかしら)
 今年は優勝できるかなと、みんな心秘かに期待していて、まったくその通りの走りだった。たった1メートル、たった1歩がこんなに残酷とは。

 それでも記録は立派だ。すばらしいタイムだ。
こんなにも楽しませてくれて有難う、と感謝してしまう。また来年楽しみにしていますよ。

 両角監督のお名前は「速さん」とおっしゃる。初めてお会いした時、「ご両親のどちらかが走られたのでしょうか?」と、どなたでも思うことをお尋ねしてしまった。お答えは「いいえ」とのこと、それでも名は体を表わすのでしょうか。

 東海大で箱根駅伝に4年連続出場、日産自動車とダイエーで計6年間走り続けて、95年の阪神大震災に遭遇される。ダイエーが活動拠点を神戸から福岡に移転。そんな時期に長聖高校から監督の要請があったとのこと。オリンピックも視野に入れていた時期だっただけに迷われたことと思うが、長野に戻られこの佐久の地に高校駅伝のメッカをつくってくれた。

 お会いしてお話する度に、指導者としての大きな器というのか、人格というものを感じる。すばらしい方である。

 本当に楽しませてもらって有難うございました。
                         依田 美恵子

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする