女優さんのように・・・・・歩きましょう。

2013年01月31日 | 日々のこと
私のカメラに私は写っていないからいいけど、夫は律儀に風景にも遺跡にも私を取り込んでくれていたらしい。

 パソコンに取り込んだ写真を見ながら・・・・フッーとため息を付いた私。

 みんなで並んでにっこりなら、多少なりとも緊張感があるからいいようなものの、

 我が後姿のなんと緊張感のないことよ。

 ちょっとさあー、この次から私はぶいてほしいわー、と思ったのでした。

 本日はその旅行の反省会・・・・写真の交換会でもあるわけで・・・手元のはボツにすりゃあ秘密は保持できるけど、よそ様のカメラが恐ろしいのです(笑)

 もう・・・もう、女優さんのように歩くことにしょう(笑)

 それにしてもぼんやりと歩いている時の自分の姿意識したことありますか。
は~い、びっくりですよ。

 背筋を伸ばし、足をまっすぐにして・・・女優さんのように歩きましょう・・・・自戒です。

                              依田美恵子

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「校歌と農業人生」の一文を読んで。

2013年01月30日 | 日々のこと
お客様をお送りして事務所を出たら、お隣のりんご園に人が見えます。根雪のなか剪定作業をしておられたのはお父様とご子息です。

 こんにちはと、道端からお声をおかけいたしました。

 26日の信濃毎日新聞の文化欄の生活雑記にお父様が一文を載せられていたからでした。

 「読みましたよ」と言うと「反響がいっぱいありました」とおっしゃられました。
「校歌と農業人生」という題である。母校の校歌に寄せる思い、それと校歌に寄せて母校で学んだ精神を生かしたご自身の農業にかけた人生が書かれていました。

 国文学者の高野辰之先生作詞の校歌は風光明媚を織り込んだものではなく、農業の生き方や心構えを散りばめてあるという。

 50年以上3代にわたってお隣同士のおつきあいをさせていただいている。だから身内のようにお隣のりんご園の様子が気になるのである。

 遅霜の時期も雹の降りそうな時も、台風の時期になればなお更のように、私たちは隣のりんご園をのぞきこむ。

 台風一過の朝、みんなの出勤の第一声は「そんな落ちていないようでよかったわね」とか「いっぱい落ちたみたいだけど」である。

 果樹は年1回しか収穫できないから、自然災害との闘いである。その姿を傍目ながらずっと見てきた。

 実際は傍目で見ているよりも、自然相手ともいえる農業の現実は厳しいことも承知している。

 若き後継者もいて栽培面積も増えておられるようである。果樹園の場所が少しでも違えば降雹で全滅というリスクは避けられるかもなんてこれも傍目に思ったこともある。

 その母校が高校再編で消える。母校に5年間通った皆さんの母校に寄せる思いは、入ったらたちまち3年経ってしまったという私たち世代とは確実に違う。

 同窓会は支部で残るだろうが、校歌は消えてしまう。その切なさを話された。
石碑で残すというお話もあるらしいが、歌ってくれなければ・・・・と。
 自分の農業人生の心のよりどころでもあったと思われる校歌が消えていく無念さ。

 私が母校の同窓会は残るから、そこまでの気持ちにこの一文を読むまで心至らなかったのである。

 高校再編はこれからの人だけでなく、こんな先輩たちにも影響しているのだとあらためて、学び舎の力を感じたのだった。

 我が母校だって世代によって校歌は違う。先日新年祝賀会で旧制中学の校歌を歌える人は参加者の中に3人しかいなくなった・・・・と言いつつ歌ってくれた。
 
 私は野球の応援があったから、校歌も応援歌も覚えたけれど、野球の応援も少ない後輩たちは卒業までに覚えるだろうかと思った。

                               依田美恵子

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心地よい音の発見

2013年01月29日 | 季節のこと
3つのときから「歌と鳴り物と踊り」は苦手と公言している私です。音楽が苦手なのです。

 先ず思った音が出せません。楽器演奏ときたらいつも小さくなっていました。

 聴くのもあんまり得意ではありません。だからできるだけコンサートも遠慮してきていました。

 ところがです、少し前から自分の感覚に珍しい発見をしたのでした。

 高校の同窓会の総会や新年祝賀会の折にアトラクションで母校の吹奏楽班が演奏してくれるのですが、今回の新年祝賀会でその演奏を心待ちしている自分に驚いたのでした。

 30分ばかりの短い時間です。曲名はわかりません。その中に「松田聖子コレクション」と称して彼女の曲が4曲演奏されましたが、全然興味のなかった私には、どの歌なのか検討もつきませんでした。

 生徒たちの生まれる前のアイドルです、おじさんおばさんのためのサービスかもしれません。それでも私たちの時代には学校で流行歌なんて考えられませんでしたから、隔世の感もありました。

 聴きながら、何が心地よいのかわかりました。鈴やトライアングルや木琴の音なのです。その音がとってもいいのです。

 昨年の総会の折にはもっとたくさんの打楽器が使われていました。思い起こせばとっても心地よいと感じたのはその打楽器の音色だと気がついたのでした。

 相変わらずの音楽オンチです。

 でも自分の中に心地よいと思う音を見つけられたのは、凄い進歩だと小さな幸せを感じました。

 白いブレザーに身を包み、新年祝賀会に花を添えてくれた後輩たちですが、髪の長い女生徒全員がが髪を結わえていました。

 私たち世代は長い髪がしきりに顔にかかるのを見るのは抵抗があるのです。

 演奏の終わった後、班長に聞いてみました。「髪を結うのは皆さんで決められたのですか」と。ハイそうだそうです。うれしかったですね。

 放課後練習している姿を見ています。体育館に続く吹きさらしの廊下に、それぞれがある程度の距離を置いて練習していました。

 その横を通ると練習の手を止めて挨拶してくれます。みんな素敵な生徒たちです。

 ご指導してくださっているのは、顧問の宮下靖弘先生です。
昨年先生の歌をお聞きしました。さすがオンチの私でさえも度肝を抜かれるほどのすばらしいお声でした。

 是非あのお声をききたいです!!
 わたしの小さな幸せが増えそうです。

                          依田美恵子

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ベトナム・カンボジア・・・その6

2013年01月28日 | 
 カンボジアはアジアで1番暑い国らしい。この時期でも帽子はかかせない。4月ともなれば、最高は47度最低が39度ということもある、ときいたことがある。

 台風も地震もないという。だから遺跡の破壊は、戦争ということになるのだろうか。
 遺跡にはえる巨木をみると時を感じる。自然の風化も最近の酸性雨も破壊を進めてきているだろう。

 ポルボト時代に1000万人の人口が400万人減ったと7年前にきいた。ガイド氏は辛くて話せないと言った。現代にこんなことがあったのが不思議と思われるほどの大虐殺がおこなわれたのである。

 その傷はまだ癒えてはいないなんてレベルではあるまい。おおきな「モノ」を抱えながらも、この国の人たちが前をむいて生きていこうとしているのを感じる。

 7年前遺跡や店先の駐車場で物乞いをする幼子の目を見たときの切なさが忘れられなかった。

 今遺跡の駐車場でおさない子供の物売りに出会う。場所が限定されているらしく、遺跡の中まで追っては来ない。

 その子たちの目を見ると、あの暗さがないことに少し安堵する。そして幼いながらにも駆け引きをする「その目」に逞しさを感じる。

 行きと帰りでは値段がぐ~んと変わる。安くてもそんなには要らないのよね。行きに「名前を教えて!!」と売り込んできた女の子から、あえて行きの値段で1枚だけ買う。
免罪みたいなことでごめんね。

 我勝ちにと売り込むパワーに生きていく力を感じる。誰もが1度には豊かにはなれないかもしれないが、平和であればこそ少しずつでも豊かになっていくだろう。

 遺跡の参道に楽団がいる。地雷で四肢に障害を得てしまった方たちである。近づくと日本の歌が演奏される。

 地雷は安価な武器だったから、たくさんの地雷がこの国に埋められた。戦争は終わったかもしれないが、その地雷は残り続ける。

 雨期になり川が氾濫すれば、埋められた地雷も流されてくるだろう。今もその被害を受け続けている。

 戦争は残酷である。(ポルポトの虐殺も戦争というならば)

 7年前観光客の8割は日本人だと言っていた。今はその日本人よりもずっと数が多いのは、中国人や韓国人かもしれない。

 シェムリアップの上空を飛び立った時の眼下の明かりを見ると、この国が外国資本を入れて産業を発展させていくまでに、まだ時間がかかるかもしれない。

 隣のベトナムのホーチミン空港の上空から見た明かりは、まさに電力は国力だと確信させるほどに煌々としていた。

 本当に最近にあったカンボジアの悲劇であるが、私たちはその実態にふれることがはばかれた旅でもあったかもしれない。

 先日テレビで田原総一郎さんが、東西冷戦の代理戦争のことを話していた。どこでどうなってそうなるのよ、と言う感じでどこかの国の庶民に災難がとんでいくのである。


 眼下の明かりを見つつ、右肩上がりという「幸せ」を手のひらからこぼしたくないという欲望が、私たちを惑わせる。これだけ豊かな国であっても、私たちは目の前の「幸せ」をもっと欲しがり、次世代にツケを先送りするのだろうか、とぼんやり考えていた。



  依田美恵子

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ベトナムとカンボジア・・・その5

2013年01月25日 | 
シェムリアップ空港を降りたら、三日月がくっきりと見えます。ふぁーと熱気に包まれながら思わず1枚2枚と脱いでしまうのです。
 
 7年前空港についてびっくりしたのは、あまりにも暗いロータリーでナンバーもなく、この国に来る前の国の様々な看板の車が、目に入ってきたのでした。
 
 さすがに今はそんなことありません。
 車のナンバーとオートバイのヘルメットとミラーは5年前に義務化になったそうです。でも飲酒運転もおおありのようだし、シェムリアップ市内に信号は5つといいますから、気をつけることにこしたことはありません。

 アンコール・トムからの見学です。南大門から入ります。大門前のお堀に水がありますが、川ではありませんって、はたしてどこからくるのでしょう。

 石橋の欄干の右側には阿修羅の石像が54体、左側は神々の石像が54体それぞれが7つの頭を持つ大蛇を抱えています。綱引きしているの?

 でもなぜか108と言う数字が思い浮かびます。

 石像の顔が破壊されて修復されたりしています。

 入ってきた門を振り返ると大きな顔の像が4面に彫られていました。

 それにしてもカンボジアの遺産遺跡は100ヶ所もあるのだとか。数が多すぎて修復が間に合わないと。

 それにしても建てられて1000年近くのいつの時代に破壊されたのでしょうか。
日本には2回攻められたと言われて・・・・1回目って私の習った教科書にあったのかしらと?????

 山田長政の時ですって。

 ヒンドゥー教の寺院だと思っていたら、仏教寺院でもあるようで、仲良く喧嘩しないようにとガイド氏は言っていました。

 これらの寺院の数々は歴代の王様が建てられたのですが、総ての王様が建てられる財力と時間があったわけではないようです。

 どれも同じ・・・・とガイド氏は言いました。

 アンコール・ワットもアンコール・トムもその他の寺院もその根底にあるものは同じということなのでしょう。

 時代の経過と共に彫刻や回廊などは豪華になってはいますが、国を疲弊させたであろう程の寺院を見ると、複雑な思いもします。ここに入れたのはほんの僅かな特権階級の人だけだったことでしょう。

 しかし石の文化はえらい物ですね。建てられた当時の生活の様子や歴史そのものを残こしています。


  依田美恵子

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ベトナムとカンボジア・・・その4

2013年01月24日 | 
ハロン湾には5つの船付場があり、観光船は1200隻その半数はミニホテルだとか。
この時期3ケ月は薄曇の日が多いという、美しい海は期待できそうもないが、ここの「売り」は海の桂林とも言われている岩山のようだ。

 海から真っ直ぐに山が飛び出しているらしい。その海には牡蠣の養殖のいかだらしき物もみえる。ハロン湾1553k㎡に2000の島や奇岩があるらしい。

 1994年に世界自然遺産になる直前の1992年にベトナム人が個人で購入した島がいまや大リゾート地として開発されている。

 気のせいか埋め立てまでしているようで、気になるなあー。

 そのリゾート地の船付場から朝の8時半に出航したが、8人で貸切、ツアーごとに1台ということなんだろう。
 海も島々も霞んでいて輪郭をあらわさないが、奇岩がいっぱいであるのは間違いない。

 たくさんの観光船・・・数えたら25隻も。ハロン湾観光のメインの鍾乳洞の入口あたりにである。ひとつの島にはひとつはあるという鍾乳洞であるが、その発見は最近のことらしい。

 すばらしいとガイド氏が言っていたが、誠にお見事。私が今までに見たのは僅かだから、日本にもこんなのあるかどうか分からないけれど、度肝を抜かれたというのが本音。

 立体的に見せるためにライトアップの色が赤や紫や緑でちょっと興ざめだけれど、高さも広さもその形も、王宮とよばれても遜色がないスケールである。

 隣の鍾乳洞はこの4倍のスケールだという。思わず「これよりすばらしいですか」と聞きそうになってあわてて口をつぐんだ。

 これこそ興ざめだものね。時間のないツアーには望むべくも無いから。

 奇岩とも言える島の地層が90度隆起しているように見える。

 船上に生きたままのシャコ・ハマグリ・蟹・エビ等を売りに来る。船の中で調理をしてくれるのである。海辺に住まない者には垂涎物なのねえ。りっぱなハマグリにコロッてなったけど、大きいって固いのねえ。果物も女性や子供が売りに来るのだけど、水上生活をしているのだという。

 生ものはお持ち帰りができないのよ・・・・、別腹って言ったってねえ、残念だわあ。

 そしてまたハノイまで190Kmのバスの旅が始まったのです。

 シェムリアップまでの飛行機を待つ間、聞いたもんね「機内食出るんでしょうか」って。「まあ一応国際線ですから」とのことでしたが・・・・安全を期して「生春巻きとビーフン」をお腹に納めました。

 ハイ・・・軽食がでました。でもほどほどにして夕食のフルコースもいただきました。
依田美恵子

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ベトナムとカンボジア・・・その3

2013年01月24日 | 
 下準備なしのお任せの旅は、空港からホテルまで190km3時間半かかるという現実をバスの中で聞く。

 早い機内食を食べたきりである、指折り到着時間を数えてしまった。この後の飛行機の移動の際に食事が出るのかどうかに敏感になったのはいうまでもない。

 添乗員のつかない旅は思いがけない現実にであうから面白い。

 人口8700万人に対してバイクの数は4300万台だとか。交通事故で年間18.000人も亡くなっているのも、このバイクのせいなのかもしれない。

 この国にきて避けてとおれないのはベトナム戦争。私たちが知っている戦争である。新聞の1面に「米軍が北爆」の大きな字体が今も瞼に焼き付いている。

 その戦争が終わって何年になるだろうか。しかし今もその戦争の後遺症がこの国の人々を苦しめている。

 「枯葉剤」の被害者が増えているという。

 枯葉剤の救済センターが町ごとに作られ、治療や働く場所を提供したりしている。
 観光客用のおみやげなどを作っているという。

 日本人が梱包テープを使ったカゴの作り方を教えて、それが製品化されて売っているはずと同行者が言う。

 手の混んだ作りになっていた。何かを買わねばと思うのだが、このカゴを使うТPОが思いつかなく、さらに断捨離の世界に入っている私は後めたい気分なのである。

 翌日は刺繍をしている場所につれて行ってくれるという。

 アオザイ姿は寒い時期だからみられないが、あの独特の笠姿を見るとベトナムにいるんだと実感するのである。

 暗くなって明かりがついた家の中が車窓からちょっとだけ見れる。間口が同じだから部屋の突き当たりに階段のパターンが多い。この国に設計士はいらないのかも。

 7年前に来た時に都市部にカラオケがあったが、どこにも当たり前のようにカラオケ店が見える。まさしく日本文化だ。

 1994年に世界自然遺産になったというハロン湾に到着した頃は「お腹が空いたあー」と十分に思える頃。「先にホテルに」をしっかりお断りして「レストランに直行」したのでした。

 ベトナムは元気です。右肩上がりの国のエネルギーをひたひたと感じます。

 7年前、視察に同行した方にこの国に工場を持つかどうかと尋ねたことがありました。労働力とこの国の勤勉性には魅力があるが、市場として考えると・・・・、と返ってきました。

 それは単純に人口の10億と1億の違いであるとも言えましたが、インフラ体制の整い方もあったのでしょう。

 私たちがベトナム入りした日に、安倍総理が最初に訪問したのもベトナム、私たちはもっと仲良くなれることでしょう。
                             依田美恵子

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ベトナム・カンボジア・・・その2

2013年01月22日 | 
北部にあるハノイは四季があり沖縄と同じ位の気候、中部は熱帯気候で南部は熱帯モンスーン気候だとか。

 ハウスを使って農業しなくても、1年中食べる物に困らないわねえ。乾期で耕作が始まっていないバナナの木が無ければ農地は日本の春先の風景そのもの。

 稲作も直播もあるらしいが、北部では成長が悪いから苗代があり、時たま代掻きをしている姿も見られた。構造改善が終わったらしい大きな区割りの田んぼも見えたが、ほとんどは小さな変形の田んぼで、機械化は進んでいないとガイド氏は言う。

 しかし畑で働く人の姿を見ながら、身に合わない機械化は良し悪しだから、それはそれなりに暮していけるならばと思わずにはいられないのでした。

 平均月収は54.000円とか、夫が7年前には18.000円と聞いたとか・・・・そうだったっけ、と。

 所得倍増に沸いた古い昔を思いながら、今この国の人たちは右肩上がりの夢と希望の世界にいるだろうと思ったのでした。

 農地が国有地となれば、工場団地化も簡単なのかもしれません。あちこちに見える工場の看板の文字を目でおえば、あの国この国です。

 今この国は労働力の供給地としてあるのだとしみじみと分かるのです。

 火力発電所が見えました。

 この国が日本のメーカーの原子力発電所を選んだのは、3.11の前でした。

 3.11の後どうするのだろうか、と気にしていたのですが、結局前に進んだのでした。
 
 その新聞記事を見た時にも感じたのですが、こうして現実に国民がみんな豊かになりたいと望んでいる時に、他の国の原発に苦しんでいる姿を持続して覚えてはいられないのだと思いました。

 インフラとして電力は世界の工場として最低限クリアしなければならないこと。
目の前の豊かさを実現させるには、外資の導入を図らねばなりません。
 電力=国力なのだと思ったのでした。

 日本のメーカーの物だけではなく、オーストラリアとフランスの物も検討中だとか。
なんとも悩ましいことです。

 工場の駐車場には平均月収の2倍だというバイクと自転車があふれています。高額の関税がかかっている自動車は、庶民にとっては高値の花。

 国が発展していくには段階があるのだと、自分の人生を振り返りつつ思うのですが、でも昨今は3段跳びで行ってしまう部分もあるから。
                             依田美恵子

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ベトナム・カンボジア・・・その1

2013年01月21日 | 
スカイライナーの窓から雪が見えてびっくり、本当に寒かったんだ。もちろん佐久はあの後さらに降ったらしく雪景色でした。

 真冬日が続いていたらしく、真夏の国は夢のようです。まあこの真冬日を避寒できたことはまさに幸せ。

 今回の旅はまるきり人任せでしたから、こうしてあらためて日程表のコース名を見て、旅の目的が分かったのでした。

「世界遺産ハロン湾&アンコール遺跡群を巡る2都市周遊5日間」・・・・なるほど!!

 ベトナム航空で10時出発。「大丈夫です、そんな最新式の飛行機が導入されているはずはないから」と心配する父に明言したのです。

 ボーイング787が年明けから騒がしていましたからね。最近の機械ってクローン化しているから大変なのですね。これが米国製って言い切れるならば気が楽なのに・・・・。

 ハノイまで6時間30分、時差は2時間。朝食に続いて早々に機内食もいただいて、最後にデザートまで完食するか迷ったのでした。

 食べれる時に食べておかないと、と。しっかり残している夫を横目にです。
ベトナム航空の機内食悪くありません。飲み物も十分サービスしてくれます。おまけに新聞もあるしです。

 到着しました。もっと暖かいかなと思っていたのですが、この時期太陽が出ないようでうす曇の日が3ケ月続くのだとか。着て行ったコートを脱げません。

 空港の建物が狭くなって今増築しています、と第一声でしたが、確かにほじくっているわが第一印象です。

 空港の出口で足場丸太を3本円すい形に立てて、コンクリートを解体しているのを見た時、なんだか懐かしく思えました。

 空港から出てすぐに、日本の大成建設が現地企業とジョイントを組んで大きな現場がありました。ここはもちろんクレーンが入っていましたよ。

 ベトナムに来たことはとガイド氏に問われて、ハイと手を挙げて7年前にと告げたら、「そんな前ですか・・・」とお話にならないようでした。

 ベトナムは今3ケ月・半年単位で変わってきているのだそうです。そうでしょう、大成建設のプロジェクトの外周に掲げられた「パネル」を見れば納得できますもの。

 どんな印象でしたか?って聞かれて、ハタと考えましたが思いつきません。
たしかホーチミンから入ったけれど、バスに揺られていたのは夜だったから、日中の街並の記憶がないのです。

 おまけに南北に3300km、気候も経済状況も北と南は今以上に違っていたことでしょう。
 国土33万k㎡ 人口8700万人、ベトナム人が90%、残りは少数民族とのこと。
農地は国有、宅地は私有。おもしろいと思ったのは道沿の家の巾が同じということ。

 道沿の家の1階は商店になるので、平等の意味かららしい。社会主義の国の平等の精神をこんなところで感じたのです。

 少数民族はそれぞれの言語を持つようですが、今は全国統一でベトナム語を話すようになったとのことですが、1945年以前は漢字を使っていましたし、フランスの植民地時代もありましたから、お年よりはフランス語も中国語も話せるとか。

 

ハノイは沖縄と同じ気候とか。今は乾期で水田もはじまっていませんが、とうもろこしやトマト畑がみえます。その水田に牛や馬が放牧されていて、一番に驚いたのは、田畑に働く人の姿がたくさんにいたことでした。

 最近車窓から働く人を見ることは稀ではありませんか。機械化が進めば進むほどそんな印象をうけます。

                             依田美恵子

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旅の始まり。

2013年01月17日 | 
夫が職場の同期と旅にでるのに同伴させてもらう。ベトナムとカンボジアである。

 2005年にどちらも行ったが、その時は4泊5日でさらに香港まで加わった。もちろん視察旅行。

 おまけのように付いた小半日のアンコールワット観光。アンコールワット2週間の旅と垂れ幕を付けたバスを眺めて、全員「今度来る時はアレ」と思った。

 まあ今回アンコールワットは2日間、何を見ても同じに見えてしまう身だから、よしにしょう。

 あれから7年カンボジアはどんな風に変わっただろうか。

 シェムリアップ空港を降りた日星空がきれいだった。空港は星が見えるほど暗かったし、停まっている車はナンバーが付いていたり、なかったり(車検の制度がないから)。

 駐車場でであった子供の目があまりにも暗くて・・・・胸がつかれたのだった。

 マラソンの有森裕子さんを見かけたのも、アンコールワット観光の日だった。
日本の薬品会社がスポンサーになってカンボジアにマラソン大会を開催していたのだった。

 有森さんとのツーショツトはうれしい記念となった。

 スポーツを楽しむ時代がようやくこの国にきたのだと感無量な思いだったことを今も思い出す。

 旅行メモは取ってきたはずだが、まとめることなくそのままにしてしまったのが残念。

 記憶は間違いなく薄れるが記録は残るから。

 そう思いつつも下準備なしで今回も出発。自分の目で見たり・自分の心で感じる旅になれば幸いである。

 これがアップする頃は、アンコールワット遺跡を眺めているはず。雪と格闘している皆さんごめんなさいね。 
                   依田美恵子

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