日毎に緑濃くなるカラマツの芽吹き。
春が一度にくる信州。
花も一斉なら、山菜も一斉にスタート。
裏庭のコゴミも、畑のタラの芽も、ウドに椎茸に。
うれしいわねえ。
冷凍庫の「昨年」の蕗の煮物を大急ぎで食します。
日曜日の午後は、佐久市臼田文化センターの郷土史講座に夫と参加。
「龍岡城竣工図を見ながら巡る桜の散歩」
龍岡城は五稜郭なのです。
昨年、この竣工図の座学がありました。その続きで今回は五稜郭を外堀にそって歩きました。
時は桜が満開、お堀には散った花びらが浮かび・・・・・情緒いっぱい。

地元だけど合併前は隣の街で、遠足先にもならなかったから、歩いて一周なんていうのは初めての事。
ここ何年か歴史小説を読んでいた私には、とても興味深い。
頭の中でいろんなことが、繋がってくるのね。
集合場所が蕃松院というお寺、戦国時代のこの地域の歴史そのものね。
紋を見て納得だなあ~。我が家の紋と同じ、ルーツはここにあったか。
龍岡城が建設されたのは、幕末。
だから未完成なのね。
五稜郭のお堀も水をたたえているのは半分。
掘る工事は出来たけど、盛り土しなければならないところは、隣を流れる河川で代用することにしたのかも。
お堀の石垣も見えるとこは、切込ハギ平積石垣や亀甲積石垣で内側は野面積石垣なのが面白い。
この石垣は伊那の高遠の職人60人が3年かけて築いたものだという。
伊那の高遠の石工の話は、この地域の城廻りをすると度々耳にする。
たぶんその職人の手元をした方たちや、この地に残った石工が、その後この地で石屋さんになっていったのではないかと。
多いんです、この地域石屋さんが。
目の前の三分山の石を使ったのだそうですが、その石どうやって運搬したのでしょうね。
雪を利用したのだそうです・・・・・なるほど。
市はここを公園にしたいらしい。
しかし問題は、今は閉校になっているけれど、小学校の校舎があるのです。
これを片付けるには・・・・・お金かかるだろうな。
できた当時の建物で残っているのは「台所」だけです。
これは学校を建てる時に、引っ張って移動させてるのですね。
その昔は、音楽室や裁縫室として使っていたみたいです。

内部に入ってみてびっくり。
桁は、5間(10m)の長さで太さが元で2尺角(60cm)位。末は少し細くなっていましたが。
製材機もない時代、どうやって・・・・・・まあ人力ですわね。
まず、こんな太い丸太がどこにあったの。神社やお寺さんでしょうね。
財力と権力がなければできない芸当ですね。
もう1本その上にも桁として使われているのも10mで30cm角かな。
上がり框も10mの1枚板です。
もう感動・・・・・残す価値ありって思いましたね。
公園にするときは当初の場所へ移動させるようです。
地元の歴史は面白いです。
160年前のことを想像しながら。
たった160年ですよ・・・・・今の世を思います。
お読みいただきありがとうございました。
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