1000冊の読書2019.3

2019年03月30日 | 読書
 ついこの間新しい年を迎えたばかりと思っていましたのに、はや4分の1が終わりです。

 この3月の間・・・・何をしたのでしょうね。ただ時間ばかりが通り過ぎて行ったような気もします。

 それでも読んだ本をこうして列記していくと、少しは足跡となるでしょうか。

 229 セーラ号の謎 折原一  角川文庫

 230 千本雨傘 澤田ふじ子 幻冬舎文庫

 231 無類の絵師 澤田ふじ子 幻冬舎文庫

 232 奈落の水 澤田ふじ子  幻冬舎文庫

 233さよなら、私 小川糸  幻冬舎文庫

 234 女たちのジハード 篠田節子 集英社

 235 信州佐久平みち 潟のみちほか 司馬遼太郎 朝日新聞社・・・・街道をゆく9

 236 人間の幸福   宮本輝  幻冬舎文庫

 237 淀どの覚書   澤田ふじ子 光文社

 238 239 闇の絵巻 上下 澤田ふじ子 光文社

 240 241 深重の橋 上下 澤田ふじ子 中央公論社

 242 東京駅物語   北原亜以子  新潮文庫

 243 その夜の雪   北原亜以子  新潮文庫

 244 245 金融腐敗列島 上下  高杉良  角川文庫

 最近何を読もうか悩んでいます。というかどの作家さんを読むかです。

 司馬遼太郎さんの本をと図書館でみたのですが、収蔵本があまりありませんでした。

 とりあえず・・・・そのあたりから。
                           依田美恵子

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小学生に英語が正式科目

2019年03月29日 | 日々のこと
信濃毎日新聞の「斜面」を写し初めて3カ月。頭の訓練にはなっていると思う・・・・。

 しかし漢字が書けなくなっている・・・・そう正確に。

 平成元年からパソコンを使い始めての結果かもしれない、なんて思ったりする。

 普段書いている字はいいが、めったに書かない字というものがある・・・・・無理もない私の日常には出てこない言葉てあったりする。

 学生なみにノートの欄外に書き出したりしている(笑)。

 おまけに画数の多い細かい字は、メガネをはずさないとわからない。

 日常は当用漢字の中で生活しているのだわね。

 その斜面の3.28付で、来春から小学5、6年生に正式教科になるというコラムが載っていた。

 その中で、2年間に600語の単語を習うのだという。

 この学年で習う漢字数は366字だという。

 思わず、私もうなったわね。

 なんたって英語は語彙数だと聞いていたけれど。まあーその位しなければ、身に付かないだろう。

 何年もやったけど、聞き取れない、話すこともできなかった私であるから、これからの時代、いろんな国の言葉を覚えて、他国の人と仲良くしていって欲しいと思ったりした。

 私たちの時代の家での勉強とくれば、漢字の書き取りは欠かせない物だったけれど、今それほどに力を入れているようには思えない。

 パソコン時代には、無理して覚えなくても、読めさえすれば通るということなのだろうか。

 本家、中国の漢字数は7万とも8万とも、それ以上ともという話を聞いて、かの国に生まれなくてよかったと思ったものだ。

 我が国では当用漢字さえ書ければ、なんとか暮らせているから、ありがたいものである。

 英語もなるへく早い時期に、できるだけよい環境で、良い指導者に出会えれば、だれでも・・・・しゃべれるかもしれない。

 そんな期待を昭和の人間は願うのである。

 子供の頃、明治は遠いというか、古いと思えたけれど、新しい年号の時代になれば、昭和は古いといわれるだろうなー(笑)

 新しい年号の出典が何になるか楽しみである・・・・日本の古典もありかしら。

 お読みいただきありがとうございました。
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なすびの花と親の意見

2019年03月26日 | 家族

昨日の朝、ちーちゃんがオーストラリアのホームステイに旅立っていきました。

 どちらかと言えば引っ込み思案の子だと思っていましたが、中学生になって1年変わってきました。

 ホームステイに行きたいと言い出した日のことを忘れません。

 こうして親離れして、成長していくのだと感無量です。

 一人っ子ですから、積極的に外に出て欲しいと思います。

 それが決まってからのばーばは口うるさい程に、世話を焼いたのでした。まあ―18歳までに教えればいいことまで。

 外に出て行って恥ずかしくない程度にと。

 思い出しました。

 長男が社会に出て間もなくのことでした。

 「おかあさん、ありがとう」と。

 いつもうるさいと思って聞いていたけれど、社会に出てそのありがたみがわかった、と。

 会社内にとどまらず、社外に出ていくことが多かった息子が、早々に大人の常識にであったのでしょう。

 その時に「なすびの花と親の意見にムダはない」を知ったのかもしれません。

 教えてきたのは、日常の暮しの中の些細なことがらと人としての道でした。

 いまや男子3人の父親となり、思うこともたくさんあることでしょう。

 孫男子3人は、家庭と共にレスリングの教室で多くのことを学ばせてもらっています。

 我が家にきてもあいさつ・靴をそろえる・泊まった布団をたたむとか・・・・よくやっています。

 先日いただいてきた小2の通知表に「雑巾がけを一生懸命やっている」というコメントがあったのが、ばーばは一番うれしかったのでした。

 レスリングの教室で「雑巾がけ」をしているからなのでしょう。

 
 友人がゴミの集積所の横にある事業所に出勤してきた社員さんに、ゴミ捨て時に出会った時「おはようございます」と挨拶しても返事がなかったと、それも立て続けに2人。顔を向けるけれど返事がないのだとか。

 その昔知らない人には声を掛けられても返事はしないという時代の人かしらねえ、と苦笑していました。

 30代と40代に見えたけどねえ・・・・あれで仕事になるのかしらと心配していました。

 家庭で教えることかも。
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司馬遼太郎さんの「信州佐久平みち」から

2019年03月24日 | 読書
先日、司馬遼太郎さんの「街道をゆく9」を読んでいて、この佐久の岩村田の名がでたあたりで、私の目は点になったのでした。

 知らなかったー。

 教科書の歴史では知っていましたよ「木曽義仲挙兵」って。

 その地がここ佐久だなんて・・・・。

 夫に知っていた?と聞きましたら・・・・当然知っていました。

 夫曰く、我が家の本家の槇の木は、木曽義仲が植えたと伝えられているのだそうです。

 小諸市にもあったそうですが、そちらは今はもうないのだとか。

 毎日のように見ていましたのよ・・・・知らずに(笑)

 本当は知らない訳はないはずなのだけど、聞いても全然記憶に残さなかった若き日の私だったのでした。

 道路拡張の際もわざわざその槇の木は残されましたもの。

 なぜ佐久なのかに司馬遼太郎さんは書いています。

 ここが駒の里だからと。

 その頃軽井沢周辺に3ケ所、望月に1ケ所・・・・望月は駒の里としてはあまりに有名ですが。

 その頃馬を制するものは、国をも制する時代だったのですね。

 また地理的には、上州(群馬県)から中山道が、碓氷峠を越えて軽井沢にはいっていて、上州の兵を集めるにも都合がよかったからでは。

 佐久は標高が高いので、その頃の農業技術だと、石高はしれたもので、ここでたくさんの兵力の獲得はむずかしかったとも。

 平家物語にでてくるのです、この辺りの地名・・・・いや豪族の名前ですね。根々井氏、海野氏 桜井氏 滋野氏とか。

 小諸市のことも。室町時代に小諸(小室)氏、室町末期は大井氏、戦国時代は村上氏から武田氏、織田信長の全盛期には滝川一益の武将が、信長の死後は北条氏、徳川家康の勢力、徳川時代は仙石氏から牧野氏で明治維新。

 今まで読んでいた歴史小説がつながってきました。

 その他教科書では絶対出てこない地元の歴史も知りました。

 
 一遍上人の「踊り念仏」・・・・・鉦をたたき、輪になって、念仏を唱えながら踊る・・・・佐久市跡部の西方寺で4月の第Ⅰ日曜日に今も開催されていますが、その当たりも司馬遼太郎さんは書かれていました。

 臼田の小田切にもあったようですが、現在はここだけで、国の重要無形民俗文化財になっています。

 15年ほど前、夫が仕事の上で見ておきたいに同行したことがありましたが、見ていて、あれは自己陶酔型の踊りではないかと思いました。

 鎌倉時代からですので、これを継承している皆さんに頭が下がりました。

 地元の歴史はおもしろいと思うようになりました。


                             依田美恵子

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第6回チョークアート教室

2019年03月22日 | 料理
暖かい日が続いています。

 この頃お客様訪問をしていると、庭先の草が気になります。「抜きた~い」気持ち満々の私です(笑)

 本当!!今が抜き頃なんです・・・・ここで抜いておけばと思ってしまうあたり、私の主婦度も上がりました。

 そういう私は、たとえ15分でもと日々奮闘しています。おかげで今のところ十分に草に勝っております。

 2年かけて枯らす努力をした、笹竹ですが、これもかなり成果がでています。

 11月から2月の水が上がっていない時期に、少し高めのところから切り取りました。根元まで伐ってしまうと、根に養分が蓄積して、翌年また活発になってしまうからなのです。

 実を言えば、笹竹は私の思いつきです。

 竹は水が上がっていない時期に1メートルの高さで伐ると枯れるの応用なのです。

 笹竹が庭のあちこちに群生してしまったので、総量規制をかけたのです。

 越冬野菜を制覇してきましたが、そうなると「料理する材料がない」ということになりました。

 畑から青物が出てくるまでの端境期、じゃがいもとねぎと人参を使った料理をせっせと作っています。

 本日は最後の大型のヤーコン1本で2種類作って制覇しました。

 冬中覗くことの少なかったマーケットの野菜コーナーを覗いています。お野菜の値が下がってきていてうれしいですね。

 野沢菜漬けも終わりにしました。毎年煮ていた佐久の風物詩のような野沢菜漬けの煮物を今年は作りませんでした。

 どう言う訳か、野沢漬けのキムチ炒めが好評した。作る度に半分は冷凍にしましたので、しばらくは楽しめそうです。

 この時期まで来ますと、冷凍庫の食材片付けです。新ものが出る前にです。

 こんなに作らねば良かったと今は思うのですが、秋口畑から届く野菜を何とかしなくてはいけなかったので作ったのです。

 今頃になるとよそ様に差し上げるのもはばかれて、我が家の食卓を賑やかせています…歓迎されていないけど。

 
 21日はチョークアート教室の6回目でした。

 皆さんとっても腕をあげられてきました。でも私、なんとなく自信がない作品になってしまいました(笑)

 まあー、玄関に並べるのは私のひとつだし・・・・・。

 楽しいからいいことにします・・・・自己満足で(笑)

 今回で1クールが終わったのですが、続けて欲しいという皆さんのご要望で、4月以降も続くことになりました。

 自分の作品ができるのは喜びです。

 お近くにお住まいの方ご一緒にいかがですか。

 月一回夜7時から2時間です。

                                        依田美恵子

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今年の19夜様・・・・覚書

2019年03月19日 | 季節のこと
昨日朝、西に真っ白に雪化粧したアルプスの稜線が見えました。年に幾度も見ることのないステキな風景です。

 今日は19夜様。

 しかし長いこと働いている人がいるので、お彼岸前の日曜日に開催していました。

 昨年と今年はお当番です。しかし今年は孫のおっかけに行きたいがために、欠席することにしました。

 昔から当番も本当番があって昨年それを済ませていたのでいいかなあーと。

 すみません、おまかせします、ということで。

 それが急遽1日早い土曜日になったということで、参加できることになりましたが、今回は19夜塔にお線香をあげて、その後お店で食事会になっていました。

 おまかせします、と言った以上何も言えませんでした。

 考えてみれば、もう続けていられるのも時間の問題かもしれません。

 どんななりにでも続けていくしかありません。

 地区の19夜様の歴史を少しでも残しておかねば、と参加した88歳の長老にお聞きしました。

 私が嫁に行った少し前に公民館が新しくなりましたが、その頃に大きく変わったような気がします。

 それまでは個人の家で回していたからです。当番は3人で前年やった人と本当番と次年度本当番になる人をほっぺた回しにしていたようです。

 昼間「おまる」を作って、学校から帰った子供たちが楽しみに寄ったようです。

 そして夜本当番の家でお念仏をあげお茶をしたようです。


 私が学校にあがる前、実家の母について19夜様に付いていったことを思い出しました。

 19夜様には余興がつきもので、母が「うちの女房には髭がある」役をやっていた姿がいまも思い出されます。

 女手がなかった母が練習にはいけないので、当日は何でもやりますからと言ってあてがわれた役だったと、その時の母の言葉も耳朶に残っています。

 外に出かける機会も少なかった昔の嫁たちにとって、19夜様は大手を振って出かけられる楽しみの場だったと思うのです。

 私の19夜様は嫁にいってからでした。当初はお当番の時だけの参加です。当番でない時母が出ていました。

 最初の当番が終わった時、この次のお当番は30年後位かなと計算していました。

 それが年を追うごとに早くなり、もう6回位お当番しているような気がします。

 休会しますという体のいい退会者が出てきましたし、最初から入らない方もいたからです。

 そして今は6年の内2年が当番となりました。

 中身もどんどん簡略化してきました。

 そして前回の当番の折は、参加者が当番の他に2~3人になってしまい。それからは当番だけでやって回すことになりました。

 前のお当番は「おまる」を作ることもやめ、買ったもので済ませました。

 それでも「おまる」作りは若い人たちには覚えておいた方がいいと、昨年は実施したのでした。

 家でお団子を作らねばならない時がいつかきます。その時のために習っておく方がいいし・・・・。

 実際作ったことのない人もいるのです。

 19夜様にお祝いをいただいた方には大きなおまるをお返しにしていましたが、今回はありませんでした。


 10日程前、19夜塔の廻りをきれいにしました。

 昔から19夜塔にお線香をあげるのは若手の役目でした。

 若いうちは何が何だかわからないのが現実で、実際どこへお線香をあげていたのか不明です。

 19夜塔の横にはお地蔵様が建っているのです。たぶんそこにあげていたのかもしれません。
 
 どなたかが植えられたつつじや紅葉が年々大きくなって十九夜塔の前にはお線香が立てられる状態ではありません。

 1昨年道祖神のお当番をした時から、そこに隣接する19夜塔とお地蔵さん廻りの草取りや植木の剪定をしてきていました。

 今年は欠席するつもりだったので、皆さんがお線香を立てやすいように枯草や植木の剪定を始めました。

 作業していたら、軽トラが横に停まりました。見上げたら夫でした。

 出たゴミを片付けに来てくれたのでした。

 この先、どんなふうに19夜様のやり方が変わって行こうとも、私にできる19夜様はこれかなと思ったのでした。

 19夜様塔の後ろに「弘化4年」とありました。西暦で1847年江戸も末期の時代です。

 それ以前から続けられていたのでしょう。

 これを私たちの代で絶やしていってしまうことは出来ないと思うのです。

 そして簡略化を始めると際限なく簡略されていくものだというのもわかりました。

 しかし・・・・現実は人的に厳しくなっていくのです。

 お読みいただきありがとうございました。

                             依田美恵子

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第24回少年少女レスリング「おおまま大会」です。

2019年03月18日 | レスリング
今年も出かけていきました。第24回少年少女レスリング「おおまま大会」です。

 会場の群馬県みどり市まで1時間半ばかりのドライブです。

 峠を越えると春です。梅にこぶしも咲いています。

 なんか昨年は早咲きの桜も見たような・・・・ハイ1週間遅い日程でした。

 佐久市レスリング教室クラブからは13人参加です。

 この大会年々参加者が多くなり、今回は80チーム815人でした。

 昨年は6つのマットでしたが、今回は8つです。

 クラブのメンバーの取組表を見て、移動の繰り返しですが、わずかの時間に試合が重なり、監督にコーチも大変です。

 我が家の小6は、今回が小学生最後の大会です。

 デビュー戦は巻っずキッツレスリング大会で年長さんの時でした。5歳から始めたレスリング、この大会夫と私は運転手兼お子守で初めてレスリングの試合を目にしたのでした。

 帰りの車の中で、あの日取れた銅メダルを家に帰ったら金色に塗りたいと言いました。大会にこれなかったパパに銅では見せられないからと・・・・子供心で考えたのでした。

 あれから7年間、たくさんの勝ちとたくさんの負けを経験して、多くの物を得てきたことでしょう。

 心身共に鍛えられたと思います。

 弟2人も続き、かれらはレスリングを中心の生活を送ってきたかもしれません。レスリングで鍛錬するうちに、その他の運動能力も上がり、運動会もマラソン大会でも活躍ができたのでしょう。

 そんなことを思い出しながら、小6の試合を見ていましたら・・・・・なんと初戦で負けました。

 延長戦になって、私としては思いがけなく・・・・なんでという試合結果になってしまいました。

 悪いことに右手首を痛めていました。23日からの合宿までに治ることを祈ります。

 小4は準優勝、小2は3回戦敗退・・・・あなたたちはまだ来年も再来年もあるから大丈夫。

 クラブの仲間もみんな頑張りました。

 中学生2人が優勝・・・・すばらしいです。

 小6は中学になってもレスリングを続け、勉強と両立していくと共に、人間として大事なことを学んでいきたいのだそうです。

 そしていつかは、お世話になっている監督のように子供たちにレスリングを教える人になりたいらしいです。

 私バラしちゃいましたね(笑)

 夢は明日変わる分でもあった方が絶対いいから、今の夢を大切にしていってほしいとばーばは願うのです。

 監督・コーチ・クラブメンバーのお父さんお母さん・メンバーの皆さん、いつもいつも本当にありがとうございます。

 大会を運営してくださった皆様ありがとうございました。

 たくさんの試合を見させていただきました。

 夫と私、1年間おっかけをしてみようと思い立ってから、早2年近くになりますが、ますますはまっています。

 もう少しおっかけを楽しみたいと願っています。

 お読みいただきありがとうございます。

                             依田美恵子

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男の料理

2019年03月13日 | 家族
今朝の朝家事プラスワン。床を拭こうかなとおもっていたのですが、庭の草取りにしました。

 昨日帰宅した時に見てしまったのでした。週末見逃したところをです。

 朝食の片付けをした後、新聞を読み「斜面」の書き取りをし、「まんぷく」を見た後の15分間庭に出ていきました。

 でも・・・そこは土が凍っていて、手袋をはめていても指先が冷たいのでした。それではと木の下に移りましょう。

 そしたらそこは緑がたくさん・・・・陽だまりになっていたのですね。

 とても全部はできませ~ん。

 昨日お客様訪問をしていたら、満開の紅梅を発見しました。

 その斜め後ろのお宅にも、小ぶりな紅梅がありましたから、きっとその木は兄弟なのでしょう。

 なんぼ暖冬だつたとはいえ、佐久でこの時期に梅が咲くのはとってもめずらしいことです。

 濃い桃色の花色に幸せな気分になりました。

 この日は母のケアマネージャーが訪問してくださる日でした。

 何の話からでしょうか、夫の家事参加の話になりました。

 我が家の主夫はかなり積極的に家事を担っていますが、ただひとつやらないこと・・・それは料理なのです。

 私が料理していて、ふと夫を見ると、夫の目はテレビの画面に向いています。

 料理をしようとしても、ある日突然にできません。積み重ねが必要なのです。やる気があれば見ているものだと思うのです。

 退職した時「男の料理教室」に行って欲しいと思いましたよ。

 ケアマネとそんな話をしましたら、さすが母は息子をムキになってかばいます。

 とっても良くやっていると。わかりますよ、それは。しかし私ができなくなった時どうするのですか、と言いますと。

 「そんなに生きるわけではないからいい」のだそうです。まあー、お母さんはね。

 私だって生身、私ができなくなったら、私は何を食べさせていただけるのでしょうね、と内心思ったのでした。

 20数年前、両親と4人で暮らしていた時期でした。本当に珍しく両親が旅行に出かけ、夫と2人になったことがありました。

 それ以前は祖父もいましたから、こんなチャンスはありません。たまには2人で外食でもしょうと期待していたのに、その日に私は発熱してしまったのでした。

 ベットに臥せっていたところに帰宅した夫に、夫にできそうな料理頼みました。とっても簡単なニラ雑炊だった記憶があります。作り方の説明をすると夫が「おれはいいよ」と言います。

 「でもー、私も食べなければならないから・・・・」「そういうことか・・・・」

 さらに遡るのですが「暮しの手帳」の投稿コーナーで読んだことがありました。

 そこはおかあさんと息子さんでした。臥せっていたお母さんに帰宅した息子さんが、「おれはいいよ」ととってもいい息子ぶり。おかあさんに食べさせるという発想がなかったとその方は書いていました。

 私作る人、僕食べる人なんですね。

 やっぱり料理は出来たほうがいい・・・・・まだ私たちの人生、短いようでも長いかもしれないから。

 そう思うのだけどなあー(笑)
                             依田美恵子

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春の訪れが早く感じます

2019年03月12日 | 日々のこと
お庭に福寿草が一輪咲きました。なぜ1輪なの?・・・・昨年の秋草取りをした時にきれいにし過ぎたのでしょうか。

 水仙の芽も日ごとに大きくなってきて、なんて春の訪れを喜んでいました。

 しすし大きくなるのは水仙ばかりではありませんでした。

 土曜、日曜と今年1回目の草取りを開始しました。バケツ1杯をノルマにしていたのですが、合計で7杯にもなりました。

 昨年12月上旬今やっておけば春楽かもしれないと草取りしていたのです。
 
 草の方が私より元気なのですね。

 この時期の草取りのいいことは、凍みあがった土が、草共に盛り上がっていますので、楽々に根っこまで抜けることです。

 根っこが残ると、頑張って根を張ってたくましくなってしまうからです。

 「たな落ち」の時期なのです。地中の水分が凍って凍み上り持ち上がっているのが、春になってだんだん落ち着いてくることが「たな落ち」と言っています。

 雨降って地固まるはここからきているのかな。

 この時期のもう一つの仕事は、越冬野菜を使い切ることです。一つひとつ終わりにしてきて、勝手口が広くなってきました。

 野沢菜漬けの樽も底近くになりました。

 使い切るのはとても達成感を感じます。夫の作ってくれた野菜を粗末にすることなくあれやこれや変身させて食卓に載せ続けました。

 ちーちゃんに「私飽きたわ」と言われるものもあったりです(笑)

 いえいえこれだけ野菜を豊富にいただけることは最高の幸せなのよ、と。

 暖かくなる日を待ちわびていましたが、そうなると野良が始まるのですね。

 昔父が言っていました。暖かくなると忙しくなると。

 炬燵にあたっていられる時期は身体を休ませられる時間でもあったのですね。

 88歳の生涯を現役で過ごした父の言葉を、この時期になると思い出しています。

 
 年度末を前にして、仕事もフル回転です。

 お客様も何かと急がれるのは、春の訪れが早いからでしょうか。

 今日も1日頑張ります。

 お読みいただきありがとうございました。


 依田美恵子

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全身麻酔による手術を世界で初めて成功させた医師は、日本の医師です

2019年03月11日 | 長野労基のひと口コラム
 長野労基の2019年3月のひと口コラムからの引用です。

 「全身麻酔による手術を世界で初めて成功させた医師は、日本の医師です」

 もう20数年前、私が手術をした時のこと。看護師さんが、「私安心したわ」と言います。お酒を飲む人は麻酔がよく効かないという話があった頃なのでしょうか。

 たぶん麻酔医師にお酒飲みますと話していたのを聞いていたのでしょうか。その看護師さんもお酒飲まれるんですって(笑)

 私とっても麻酔の効きがいいようで5つ数を数えた位でしょうか。

 研修医の麻酔医さん毎朝7時前に手術後もずっと部屋にきてくれましたから、私とってもいいサンプルだったかも。

 以下引用です。

 欧米では、16世紀ごろから麻酔なしでがんの摘出手術が行われており、痛みに耐えかねて泣き叫ぶ患者だけでなく、医師自身も大変ストレスになっており、麻酔の開発は患者と医師、双方にとって待ち望まれていました。

 華岡青洲は1760年、現在の和歌山県に生まれ、医師の父のもと、幼いころから患者を見て育ち、医師を目指して京都で勉強しました。

 そして、24歳の時帰郷して父の後を継ぎました。華岡青洲は、手術での患者の苦しみを何とか和らげることは出来ないかと麻酔薬の開発を始め、6種類の薬草による麻酔効果を発見し、動物実験を重ねて麻酔薬を作り上げることができました。

 その過程において、実母と妻が実験台になっており、人体実験を繰り返した結果として、母の死、妻の失明という偽性の上に、20年かけて全身麻酔薬を完成させました。

 そして1804年、60歳の女性患者に対し、全身麻酔による乳がん摘出手術を成功させました。

 有吉佐和子さんの小説「華岡青洲の妻」が昭和41年に出版され、ベストセラーになり、広く華岡青洲の名が知られるようになりました。

 この小説は妻と母の確執を描いたものですが、平成17年、NHKの連続ドラマで放送されています。

 引用終わり

 有吉さんの本が出版されたのが昭和41年だったのですね。もう50年にもなりますね。その当時の人は華岡青洲は麻酔を発見したと強く記憶に残ったのですが、若い方は知らない方もいらっしゃるでしょうね。

 70年以上前に、兄が1歳のお誕生日過ぎに、脱腸の手術をすることになった時、若かかった父が「麻酔でバカにならないか」とひどく心配したと母が話したことを突然に思い出しました。

 麻酔の発見、今なら絶対ノーベル賞でしょう。
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