月末 編集会議 新しい布団

2023年08月31日 | 日々のこと
早や月末、
かっての月末は忙しかったけど、今はあんまり変わりがないわね。
それは一線を退いたせいもあるのだけど。

それで朝9時から母校100周年の記念誌の校正の会議。
もう何回も目を通しているのだけど、見れば見るほど直したくなるのね。
訂正したところを赤字で直して、印刷所に回すまでにするのが、私の仕事。
う~ん、「そこは後でうまく依田流で」と、みんなで考えてもなかなか直らないところを投げられて、目を白黒(笑)

卒年や書かれている年度や日にちに間違いがないかもあらためてチェック。
皆さんから出た原稿、丸まる信じてはいけないのね(笑)
なんでもいいから早く終わりた~い。

昨日干していたミニトマト。
夕食にオリーブオイルをかけて食べたら、あまくなって美味しい。
Cちゃんが、トマトが好きでない人もこれだといいかもよ、と。
そうかもしれないと、トマト嫌いの孫を思ったのです。

どうしても、野菜退治の毎日。ほんと退治なのよね(笑)
結局、きゅうり1.5キロはキューちゃん漬けに1キロはカラシ漬け。
赤と黄色のパプリカとピーマンはベーコンと炒め。残っている野菜でラタトゥユ。もう1品作りたかったけど、制限時間いっぱい。

本当に野菜に使われているのね、私。

先月、布団の仕立て直しをお願いしたのが出来上がってきました。
セミダブルの敷き布団3枚。
5枚布団を持ち込んで出来上がりました。
自分たち用の予備です、これを使うのは5年後かな。
できあがった布団はファファとしていて、押入れに入るかしら(笑)
減らしたんだから計算では入るはずなんだけどな。

さっそくムートンの1枚皮をシーツ代わりに使って見ました。
この時期でも、特に暖かい・・・・・つまり暑いという感じにはなりません。
そうですよね、暑くだか熱くなれば、羊だって煮えちゃいますものね。
年間通して皮の部分は温度が一定しているような説明でしたが、生きていないのだから室温になるのではないの、と思う私・・・・・測ってみようか(笑)

どちらにしても、ただ仕舞っておくよりも使えればいいことにするわ。
洗わなくてもいいのは、毛の脂が汚れも水分も寄せ付けないからかな。
確かに、コップでこぼした水は、染み込まなかったわ。
説明聞いていたけれど、当初ご縁がないと思っていたからね。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムートンのお店と、横浜中華街と赤レンガ倉庫

2023年08月30日 | 住まいづくり
昨日バス旅行に行ってきました。
朝6時半に自宅を出て帰宅したのは9時。
本当によくバスに乗っていました。
昔なら、1泊の行程だものね、道路事情がよくなったのね。
その道路で事故による1時間の渋滞でした。
トイレ休憩の後でよかったわ、だって都内は止まってくれないから。
中華街に着いたのは、2時過ぎでした。
この時間だもの何をいただいても美味しい。

その後集合時間に20分遅れた方がいて、だんだん帰宅が延びた訳。
結局夕食抜き・・・・・昼が遅かったからいいけれど(笑)

中華街で使えるクーポン1人2000円は、ムートンの会社から出ていると、バスの中で聞きました。
そのムートンの会社で1時間10分。
最初に商品の説明をたっぷりとお聞きしました。
ムートンのシーツ、お洗濯いらないんですって(笑)、そのお手入れ方法もバッチリ習得しました。
20年位持ちそうで、毛並が傷んできたところは補修ができるとか。

その後実際にベットに横になってみて確かめたのね。
確かに具合がいいわ。
これ冬用かと思ったら、夏は涼しいのだとか、新発見の私。

ただねえ、お値段が40万円以上かなあ~。
もう10歳若かったら、買うかもしれないなあ~、なんて私。
1匹のムートンの背中部分だけを8~10匹使っているんですって、そりゃあねえ・・・・・分かるわ。

一番ターゲットにされるのは、ご夫婦連れ。我が家も当然。
でも私、持っていますで逃げました。
確かにあるんです。
ムートンの1匹もののが2枚。
義母がかなり前に購入した物ですが、ほぼ未使用状態。

私としては、捨てるに捨てられないものの筆頭でした。
仕舞い込むにしてもこのままというわけにもいかず、クリーニングに出しました。
でも洗わない方がいいらしいです。

説明聞いていたら、「私たちが使えばいいではないかしら」ということになったので、「持ってます」って言えちゃったのね。

皮製品のバックやコートも展示販売されているのです。
とってもいいセンスでほれぼれとします。
こちらも、もう10歳若ければねえ、とパス。
なんたって、ここ3年のコロナ禍で出かける機会が無くなったのが気持ちとしては効いているかも。
あちこちから「どこへ着ていくの」という会話が聞こえていたもの。

毎日車で動いている身は、コートを着ることが少ないのね。
だからタンスのこやし。

この年齢だもの、コートだってバックだってたくさんあるのよね(笑)

3組の方が高価なシーツをお買い上げしてくださったようで、感謝です。

そして一路、横浜中華街に向かいます。
が、交通渋滞。
中華街、お腹は一つしかありません、店を選んでいるより、早くに涼しいところに入りたいが一番。
そうそうに入り、悩みません。飲茶のコースと生ビールのグラスと紹興酒。
本当はビール飲みたいけど、渋滞が怖いからね。

暑さが佐久とは大違い。
とても土産物さんを覗いて歩くなんて気分になれなくて、そうそうにバスに戻りました。

そして次は赤レンガ倉庫へ。
入ってみたら、これはおじさんおばさんの行くとこではないわ。
とそうそうにこちらも退散。
欲しい物が無いということは、若く無くなったということだわと、まったく納得(笑)
それでも夏帽子は買っちゃつたけどね。
外に出て海辺の景色を木立の日影の中から眺めていました。
非日常に身を置くのも久しぶり、リフレッシュできたかもしれません。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バス旅行 リフレツシュ

2023年08月29日 | 日々のこと
草花に秋の気配を感じます。吹く風にも秋が・・・・・でも暑い。

少しずつ、もろもろの仕事を片づけてきました。
会社のニュースレターの原稿も出来印刷に回せました。
まあー、これが刷り上がってくると、超多忙になってしまうのですが、この暑さの中ポスティングはできるでしょうか(笑)
先に車で回るお客様訪問から始めましょう。

プルーンの収穫が始まる前にどの程度できるか。
そしてそれと同時進行でお豆の収穫。
身体がいくつも欲しいです。

本日は夫とバス旅行です。
行き先は横浜中華街、この言葉に反応しました。
でもよくよく考えれば、コロナの感染者は静かに増えているのですね。
安い、お買物ツアーです。最初に行くムートンのお店をクリアできれば、格安です。
この暑い時期に、涼しいところから暑いところに。
申込する時は、秋になっている気分だったのね。
まあー、車中の冷房対策をして出かけてきます。

家を離れないと骨休めにならないからね。
中華街でおいしい料理を食べてきますよ。

このところ気分が落ち込んでいたから、リフレッシュになるかなあ~。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釘を踏む 赤紫蘇ジュース 義母に面会

2023年08月28日 | 日々のこと
先日、草取りしていて釘を踏みました。
履を貫いて・・・・・。
少し出血も。
破傷風ですよね。
帰宅して石鹸でよく洗い、傷薬を付けて・・・・・いいかなあ~・・・・・と思いたい(笑)

みんなの反応、お医者に行ってえ~。
どこのお医者にいけばいいのよ、外科なんて知らないわ、と昔からお世話になっている内科へ。
看護師さんが、本当は外科がいいのですよ、と。

破傷風って2~3日潜伏期間があるらしいから。
私より年上の医師が、前にも使ったことのある抗生物質を出してくれました。
とりあえず安心。

赤紫蘇が大きくなるのが遅くて、梅時期には間に合わなかったのに、さすがこの時期ホキテきました。
ので、イヤイヤながらも紫蘇ジュース作りです。
3分の1ばかりを根元から伐って、廃棄率8割の超厳選の葉で1.8リットル瓶4本ばかりできました。
これは来年用です。
昨年作ったのがまだ3本もあるので・・・・・・。
夫が畑に行く時に持っていきます。

畑に行ったついでに草取りです。
ペチャ豆の収穫が近いので、その下の草掻きをしていて、上を見上げたら、もう実り始めていました。
夫は昨年は9月1日から採り始めたと言いますが、なんだかとても急いでいるようです。
以前は9月の半ば頃だったのに。
それでその収穫の一仕事が増えました。

採れた野菜は、それぞれにしなくてはならないので、休日も1日中動き回っています。
これが疲れの元なのですね。
もうそろそろ考えなければ(笑)

更正保護女性会・・・・この名前だったかな。
白布と小銭の回収がありました。
小銭はご迷惑でしょうからお札で。
白布はタオルとカットしてあった布を。
お尻拭きように、用意しておいた方がいいと、先輩が教えてくれました、かなり前です。
ウェスを作る時に、柔らかい布は、お尻拭きようにカットしておきました。
その量、プラケースいっぱい分。
義母が施設に入り、家で看ることが無くなりました。
その中から、きれいにカットした分を使ってもらうことにしました。
残った分は、ウエス用に再カットです。この作業がなかなかできなくて、作業部屋の前を通る度に気になります。

なんでもかんでも、こうして取っておくからストレスになるのかもしれません。服の状態で資源ゴミに出すようにしようと思いました。
ウェスも5年分以上ありそうですから(笑)

昨日は義母に面会できました。
義母がポーチから取り出したのは、昼食のごはんでした。
見てと。
ご飯に野菜やお魚のフレークなどが入っているみたいでした。
栄養の観点からするとこうなっていくのでしょう。
義母はそれが切ないらしいのです。
普通の食事にして欲しい、ということなのですね。

そういう食事でなければ食べられない人が多いのでしょう、それに合わせられているのかもしれません。
義母の欲しいというものが最近増えてきています。
差し入れしてもらったので、凌いでいると言います。
食の強い義母には絶対量が足りないのだと思います。
昔からごはんは一口でほかの物で満たしていた義母です。
その習慣が抜けていない・・・・・見せられたごはんの量は赤ちゃんのこぶし程度でしたから。

お菓子もあれこれと、私の作る、ゴーヤの佃煮やきゅうりのキューちゃんを欲しがります。

面会には職員が同席しました。たぶん彼もびっくりしたと思います。
施設内で食事の検討をお願いしました。
夫も私も切ない思いでした。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆月にしたこと 魚食べよう

2023年08月27日 | 家族
今月は盆月。

お盆に盆だなに並べたご位牌の「くりだし」を1枚ずつ裏返して見てみました。
盆だなの用意は我が家では当主の役目ですので、あえて見ようとしないまま今日に至っています(笑)

「くりだし」とは、仏壇が賑やかになると、位牌を止めて薄い札に書きなおしてもらい、それが10枚はいるような箱型になります・・・・・・ヘタな説明。
1枚の札に夫婦の戒名と裏に命日や享年が書いてありました。

当地は何時頃からかわかりませんが、客仏といって、位牌は本家だけではなく、子供全員が位牌をいただきます。位牌分けと言います。

位牌分けをしてもらうと、背中に位牌を背負い自分の家に持ち帰ります。
その時に川を超すようにと言われた記憶が・・・・・・。

実家の親の位牌をもらってくると、家では両親がお寺さんと庄屋新宅などの近い人をお呼びして一席を設けてくれました。

だから我が家の仏壇には、だいだいの妻の両親の位牌も収まっているのです。

嫁いだばかりの頃、これらの位牌を見て、男性は語り伝えられているけれど、女性は3代も経てば、忘れられて位牌1枚になってしまうのかと思ったものでした。
ちょっとね、ヒョックでもありました。

くりだしに収まっていたのを1枚1枚眺めました。
自分が齢した分だけ、我が家の歴史にも明るくなったのでしょう、これは誰なのかと分かるようになりました。

ただ客仏にかんしては、情報が少なかったということでしょうか、くりだしに、享年が抜けていたりします。

今朝の信濃毎日新聞の斜面を読んでいたら、我が国で庶民が墓石をたてるようになって100年ばかりだそうです。
自分の家の墓地を見て、なんとなく胸に落ちました。

5~6年前、石材店を経営する友人が忙しいと言いました。
それは結構な事と言いましたら、墓仕舞いで忙しいのだと衝撃な話をしてくれました。
そういう時代が急速にやって来たようです。
人の見送り方にしても、お墓にしても。
 
この50年ばかりの間に、一極集中というか、働く場所を求めて都会に人がでていきましたからね。
その地域に根差せば、なかなか田舎には戻りません。
親は介護保険で、田畑は荒廃地で・・・・・。
田舎のお墓ではお墓参りに行くのも大変は、その次の世代の選択かもしれませんし、後継者がいなくてということもあるのでしょうね。

墓石に生前戒名を彫ってもらいに来た遠方に住む親戚が、その時お願いしたお寺さんが危機感をもっているようでとと話してくれました。

遠方に住んでいればわからなかったかもしれませんが、今一番危機感を感じているのはお寺さんだと思います。

処理水。
政府がいうように本当に心配が無いならば、総理は国民に語ればいいと思います。
政府が安心をズッと保証するから、皆さん魚を食べてください、って。
風評被害だの保証だのなんて、その次のことで、一番はそれでしょう。
説明、丁寧な説明って何と思いますもの。
それで中国が韓国が・・・・・そんなこと以前に国内ではないかしら。
安心をズッと保証できる自信があればですよ・・・・・・ここが問題か。

最初はあれだけど、そのうちになんだかわからなくなっちゃうのかもね、慣れってあるからお互いにね。

お魚食べよう。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マツムシソウと月見草が咲いています オニヤンマ

2023年08月26日 | 日々のこと


昨日、昼休みを終え会社に戻ろうと車庫の車のドアに手を掛けたら、耳元で凄い羽音。
ひょっとして蜂?と息を止め、固まった私。
それが左肩に止まったの。
窓に映ったのを見たら「オニヤンマ」、そっと眼玉だけ動かして実物見ましたよ。
もう何年か振りかです。
絶えていなくてありがとう。

なんと貴重な体験なの。
飛び立った後を追いかけたけど、もう見えなかったわ、残念。
ぐじゅぐじゅしていた私を、慰めに来てくれたのかもね。
きっとあれは亡き娘かも・・・・・。

今年はトンボも数えるほどしか見ていないのに。

庭のマツムシソウがいっぱい咲き始めました。
といってももともとそんなに多いわけではないのですが。
玄関前を山野草コーナーにして、3年前からホタルブクロ・河原ナデシコなどを植えました。
そしてせっせと草取り。
2年経って分かりました。
野にあるものは野にあるようにしなければ絶えてしまうと。
草は草の中がいいのですね。
それだけだと、土が乾燥して弱ってしまうのです。

今年、植えた記憶がないのに、月見草が何本も生えてきました。
これを日除けにすることにしました。
野より庭の方が栄養がいいのでしょう、とっても大きくなって、肝心のマツムシソウが見えません。
それでも、今年の暑さですからかなりお日様を遮ってくれているようです。
マツムシソウや山野草を増やすために、春先の草取りは最大の注意を払っています。雑草との区別が付きにくいのでね。
でもたぶん、来年は月見草だらけになるでしょう。

今朝は朝から拭き掃除です。
朝食前に床、朝食後には和室の畳と敷居を拭きました。
気持ちい~い。
そしてミニトマトを天日に干しました。

今日帰るという姪に朝どりの野菜を届け出勤です。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1晩ぐじゅぐじゅしてダメなら2晩もぐじゅぐじゅすればいいか

2023年08月25日 | 日々のこと
それでも早朝は涼しくなった・・・・・・と思いたい(笑)
いつもなら涼風吹いているのにね。

なんでこんなに疲れたのだろうと思ったら、野菜の始末なのだと気が付きました。
畑から届く野菜をすべて使い切るには、際限なく動き続けなくてはなりません。
冷凍庫も満杯に近くなりました。
だから春冷凍したのをせっせと消費をはかりつつ、今がなんたって今の時期のがいっぱいで。
保存ビンにもいっぱい。
もう作らないと決心。

昨夜使ったトマトソースはなんと1年前の物だもの。
バジルを山ほど入れたトマトソースをミートソースにして、さらに揚げナスを入れてコクを。
今年はバジル作ってもらったけれど、冷凍庫に昨年のがいっぱいで……夫も畑から持ち帰らなかったわ(笑)
今年は作らないでね、と言ってあったのに忘れて植えてくれたのね。

夫、あらゆるものを作ってくれていて。
我が家の食卓はどれほど賑やかなのだか(笑)
私よく分かったわ、自分の体力がなくなったということを。
作り続けるというのがどれほど大変なのかって。
それ以上に食べ尽くすのが大変だって(笑)

昨日、気分が落ち込むことがあって・・・・・・夢の中でもぐじゅぐじゅしていたみたい。
誰かに愚痴りたいけど、夫にも言えなかった。
言えば、何か決定的になってしまうようで。
大概のことは、1晩だけ悩むことにしてそれ以上は悩まないって決めているのね。
相手のあまりの誤解に傷付いてしまったのね。
ご自身は全然気にしていないで口にしたのだと思うけれど。
1対1だったら、訂正も出来ただろうけど、その時間もなくて。
ダメだわ、もう1晩ぐじゅぐじゅしょう(笑)

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1日も早い収束を願いたい

2023年08月24日 | 日々のこと
このところ毎日のように夕立です。
それなのに隣県の新潟には雨の降る気配がありません。
降って欲しいですね。

今日は、月一回のエッセーの会。
今日からお一人仲間が増えました、うれしいですね。
最後に世間話をしていたら、高校の一つ上の先輩でしたあ~。
その前に、私のブログを読んでいただいている方とお知り合いということが、みんなの会話から発覚。

世間って狭いわ。
70過ぎて、趣味が同じ友人が増えるなんて幸せなことです。

今月もみなさん素晴らしいエッセーでした。
読んでいると、それぞれの生き様や生きてきた歴史が分かるのです。
そして文章には個性があって。
月1回楽しみです、そう自分のが書けていればですが。
終わると、もう次の心配(笑)
もう8~9年書いていると、過去が無いのね、もう先を書くしかないのに、ここコロナでひきこもり生活ですからね。

昨日アップした友人の「遥かなり白樺の国」を、世に出しませんかと提案したんだけど・・・・・・。
30年前に書かれたものだけど、その分若さというかエネルギーにあふれていて。
というより、ウクライナ侵攻がなぜ起きたか、が私はこれを読んで少し分かったような気がしたから。
 
ソ連時代は、世界の2大大国で、国民もそれなりに豊かに暮らせていたのだと思う。友人が何回も通ったこの国の描写から感じたのね。
それがソ連解体後、その生活は一変してしまったよう。

2大大国というプライドも引きずり落とされ、G7にも入れなかったから、そりゃあトップにしてみたら面白くなかったんだわ。

国民の生活の変化がこれほどまでだったのかと、実に驚いたのね。

昔が忘れられないということなのね、国民だって昔に戻れるならばと、言論統制されて実態がわからないままに思っている人もいるのではないかしら。

ブリコジンも暗殺されたということかしら・・・・・・戦争って恐ろしい、反対する者は消してしまうのね。
戦争って狂気だわ。

1日も早い収束を願いたい。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遥かなり白樺の国

2023年08月23日 | 読書
エッセー仲間の友人が、本棚から出てきたのよ、と1冊の冊子を貸してくれました。
裏表紙の内側に、限定2部とあり、1995年12月31日初稿と記されていました。
友人に寄れば、書いた原稿を職場の先輩にファツクスしたら、その方が冊子にしてくださった、と貸していただいた時にうかがったような気がします。

友人とはHさんです。
私、Hさんご夫妻の共同著書を5冊いただいていますが、この冊子はそれ以前のものです。
彼女はエッセー、ご主人は短歌と俳句です。

実はお借りしたまま3週間も積読状態でした。やつと読む順番が来て読み始めてびっくりです。
彼女のエッセーはいつもすばらしいのです。生き様を書いていらっしゃるから、この方の生き方が素晴らしいということでもあります。
夜中に読み始めて最後まで読み切りました。

「遥かなり白樺の国」と題されたこの本の中身は、彼女がロシア人の友人を訪ねて、ロシアへ旅立つところから始まっています。
その実、友人が初めてソ連に行ったのは、この日から25年前の1970年7月。
この頃のソ連は個人が自由に歩きまわったり、写真撮影ができなかった時代です。
この最初の旅で知り合ったロシア人との友情の物語でもあります。
ソ連がロシアになった時、友人の運命は大きく変わります。
その時エストニアに住んでいたのですが、エストニアのロシア人は追い出されてしまったのです。エストニアで豊かな生活を送っていたのに、シベリアに住まなければならなくて。
ソ連が1991年に解体したあとのことがよくわかりました。
そうだ今のウクライナのことも、友人のこの物語を読むと成程そういう歴史があったのかと。

友人ご夫妻はロシア語を話されます。
だからただの観光旅行に終わっていないのです。
旅行記が面白い・・・・・・と言っていいのか。
ソ連からロシアになった1995年当時のこの国の姿がよくわかります。

私がロシアに旅行したのは5年前。
まさしくの観光旅行で、ホテルは郊外で、ほとんど庶民の生活をかいまみることは出来ませんでした。
博物館でお宝の凄さに、かってのこの国の支配者の力を見、私はこの博物感で1日中見ていたいと思いました。

高校生の時、社会の授業で一人一国を新聞記事から調べるという課題があり、私はソ連でした。
一人ひとり発表する段になっても、私は発表する物がほぼありませんでした。先生は「それが分かればいい」とおっしゃられました。
ソ連は情報を出していなかったというか、じっさい国交もどうだったのでしょうね。
その時代から5年後位で友人は行っているのです。

兄が業界の視察で、ウラジオストック経由でモスクワに行ったのは、1975年頃でした。
この頃、ソ連から木材の輸入が盛んでした。木材は当時のソ連の最大の輸出品だったかもしれません。

兄のおみやげの琥珀が素晴らしかった記憶があります。。
それから45年たった私の旅のおみやげ屋で見た琥珀は誠にご粗末な物でした。
ガイドにそれを言うと、高級品の店に案内してくれると言います。絶対買わないからお断りしたけれど、兄の時代は観光客が多くなくて商売慣れしていなかったということでしょうね。

この旅行記、並大抵の内容ではありません。
世に出したいと思いました。
ただ、友人のロシア人に影響がなければですが。

友人夫妻は、この後も何度もロシアを訪ねているのです。
そしてその友人に物資を届けてもいるのです。
そんなロシアの事情が見えます。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

処理水の放水大丈夫?って孫に聞かれて

2023年08月22日 | 日々のこと
朝、庭に出ましたら爽やかでした。
やっぱり気配ですね、とは言いつつ長野は36度の予報が出ていましたよ。
佐久は31度とか32度ぐらいかしら。

降らない場所には降らないのですね・・・・・・干ばつ大変のご様子。
片降り片照りつていいますけど、まことにそんなですね。

Cちゃんが、処理水の放水のニュースを見て「本当に大丈夫なのかなー」とポッリ。
未来に生きる子供たちに「大丈夫よ」と言ってあげられないのが切ない。

大丈夫でないのは間違いがない、けれどあの膨大の処理水をこのまま溜め続けられる訳がない、と大人の知恵はそう働く。

政府・東電の責任だと言い張っても現実は何も変わらない。

私たち一人ひとりに責任ってあるんだよなと思う。

半世紀前のオイルショクの頃もろに結婚した私。
その時の気持ち・・・・・・未来が明るいって全然思えなかった。
「油断」とはよく言ったものだと思うが、堺屋太一さんの、その題名の小説を読んだのはかなり後のこと。
オイルショックの意味が分かったのね。
どちらにしても、物の価格は上がったわ。
買占めによる物不足、そして品質の悪い物が出回って、どんな時にもそういうことになるのね。

そして電気が消えたのね、銀座も暗くなったわ。
自分の結婚式だって思うようにはできなかったのね。
夫は役所勤めでその時最初の結婚式が私たちだったから・・・・・夫の上司が私の父のところにまで、ご理解いただきたいときたもの。
生活改善方式ってこの時からかな~。
とは言っても、夫の役所の仲間が対象で、ご祝儀も最少で引き物もなし。
義父は、これが今後ずっとそうならば、と飲んだのね。
半世紀経つけれど、まだ形は残っていると思うけど。
今その当時と同じ結婚式していないものね。

まあー、電気が消えたっていうのが私の中では象徴的。
それがよ、いつの間にやらどんどん使っても大丈夫になったのね。
それが原発のおかげだって、少しも気が付かなかった。
アトム・・・・・なんだよね、私たち。
あの3.11の後、我が国に、こんなにたくさんの原発があったと初めて知ったの。
家中ホタルが舞っているような生活を安穏として生きてきた自分。
なんと愚かであったかと。

せめてできることと思って太陽光を設置したけど。
出口のないものを使うのは所詮無理なんだと思う。

だから・・・・・私たちはもう少し謙虚に生きなければと思う。
この地球に対しても、未来の人たちに対しても。
いや現に生きて環境破壊に苦しんでいる人たちに対しても。

孫世代に誇れる生き方してきただろうか、私たち。

こんな生活が永遠に持続するとは思えない。
今、私たちは何かを我慢しなければと思うのだが。

今年も、周囲の昆虫が減ったように思う、庭のイヤな虫さえ見ることも無かったもの。

お読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こちら
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする