1000冊の読書  2019.1

2019年01月31日 | 読書
 2019年1月を切り良い数字で始められたのはまさに偶然で、数えやすいことは間違いがありません。

 夏樹静子さんのサスペンス物に手を出してからペースが上がりました。

 201 猫と妻と暮らす  小路幸也       徳間文庫

 202 とりあえずウミガメのスープを仕込もう  宮下奈都

 203 204 蝶の帰還 上下 吉川英梨     宝島社 

 205 そしてバトンは渡された 瀬尾まいこ  文藝春秋

206 すべて忘れて生きていく 北大路公子 PHP文芸文庫

 207 愛なき世界    三浦しおん     中央公論社

 208 小さな家のローラ ローラ・インガルス・ワイダー 安野光雅 絵監訳 朝日出版社
  
 209 猫と暮らす     北村薫      文藝春秋

 210 デュアル・ライフ  夏樹静子     新潮文庫
 
 211 第3の女      夏樹静子      集英社

 212 乗り遅れた女    夏樹静子     新潮文庫

 213 風極の岬      夏樹静子     新潮文庫

 214・215 遥かな坂 上下 夏樹静子     集英社文庫

 216 東京駅で消えた   夏樹静子     中公文庫

 読書はベットに入ってから。

 帰宅しても何かと家事は際限なくなくあったり、時たまには無性に針を持ちたくなったりします。

 まずテレビ覧を見ることはないです、ニュースと天気予報以外に自分でスイツチを入れることはありません。

 ただ針を持つ時は聞いていますが。だから人様との話についていけないことはたびたびありますが・・・・やっぱり本の世界は何事にも代えがたい楽しみがありますので、しばらくはこの世界にいるつもりです。
                                     依田美恵子
       軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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「住む人の幸せを願って」

2019年01月30日 | 住まいづくり
先日高校の同窓会の役員会がありました。

 昨年夏の猛暑というより酷暑を受け、この涼しい佐久でも教室にエアコンをとなりました。

 長野県が2020年夏までに県立高校のすべての普通教室にエアコンを設置することになりました。

 整備対象は普通教室の他に特別教室の内、PC教室、図書室、音楽室は対象です。

 その他に管理諸室が、単純に計算すると1校当たり7室ですが、実際ある室の半分以下のようです。

 管理諸室は早く言えば研究室というか、各科目の先生たちのいらっしゃる場所です。

 現在までPTAや同窓会の費用で設置してある部屋もあります。

 県にも予算があるから、対象にならない部屋は同窓会の負担でやるしかないか、という流れがあったのですが、今回役員会の中で、「それはおかしい」のではという意見が出ました。

 働き方改革と言いながら、研究室が対象にならずに、それを同窓会にもってくるのはおかしい。

 過去に入っているPTAや同窓会負担のエアコンの電気料は県が見てくれるようになりましたが、今後同窓会が負担したエアコンの電気料の負担はわかっていません。

 高校再編で生徒数も減っていますので、同窓会の予算も潤沢ではありません。

 どんどん生徒が減っていく傾向はあります。だからここでエアコンを入れた教室だって何年後には使われなくなることも十分あるでしょうが、そんなこと言っていられません。

 我が母校が対象になるのは2020年夏ですが、全県だけでもかなりの数ですから、エアコン自体の供給が間に合うのでしょうか。

 家庭用では無理ですから。

 県の設計がどの程度のものか・・・・気になるところです。

 現在付けられている会議室は4台で200万円程度かかったということです。

 つまり1教室に何台必要なのか。

 やっぱり建物の造りが物をいうのです・・・・きちんとした断熱が取れていれば、営業用でも台数が減らせるのです。

 わが社の体験宿泊ハウスは45坪で体積は60坪の空間を持ちますが、エアコン1台で冷暖房ができます。

 家の性能なのです。

 
 先日築浅のお客様が結露がすごいのでインプラス(内窓)を付けたいとお問い合わせいただきました。

 今時ですから、結露ができるのはシングルの窓かと思っていましたら、ペアーガラスが入っていました。

 だから市の補助金対象からはずれてしまったのですが。

 ところがインプラスを追加しても完全に結露は無くならないのだそうです。

 凍って窓があかないと言うようなことは無くなり、部屋の温まり具合もいいようです。

 どちらさまが建てられたのかしら、とみゆきさんに聞いてみました。

 建築専門の会社ではありませんでした。設計士さんはちゃんとした方でしたよ、と図面を拝見したみゆきさんが言います。

 断熱と気密の性能が悪いのでしょう。

 絵はちゃんと描かれていたからペアーガラスだったのでしょうが、建ててしまうと見えないところに問題があるのかもしれないと、密かに推量したのでした。

 昭和の終わりから平成の初め頃、材木の営業に歩いていた私は、多くの工務店さんや大工さんの現場を見る機会がありました。

 断熱材としてグラスウールが使われていた時代、あまりにもずさんに壁に押し込まれているのをみたことがありました。

 たぶん何のために入れているかという認識がなかったと思います。一連の作業のひとつなのでしょう。ずれて落ちそうになったり曲がったりしていました。

 大工さんの性格もあるのでしょうが、たぶん知識がない、勉強していないというのが本当のところでしょう。

 内断熱に防湿シートを張った現場でも、空気は通さないけれども水分は通すという心配の現場も見ました。このやり方だと、大工さんが生きているうちに家が腐ったと苦情がくるのではと思ったりしました。

 家とは出来上がってから見えなくなるところが一番肝心なのです。

 最近の建築現場はシートで囲ってしまうので外からは見えにくくて私としては残念です。

 建前が終わって断熱材を貼っていたりする場面でシートで囲われていない現場に出会うと、チェツクしてしまいます。
 
 ちょっと雑だなと見ていました。最近それが仕上がりました。外観はなんとも素敵に。

 建てる人が「住む人の幸せを願って」建てていないと起きがちなことがあります。

 どうぞこれから建てようと計画されている皆様、どうぞよい工務店さんと出会われることを願っています。

  依田美恵子
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休日とぬいぐるみ

2019年01月29日 | 料理
ブログをアップしない日が続きました。

 何かと多忙で・・・・仕事は月末でそれなりにあったりします・・・・やっぱりお休みしていたのが効いていたりします。

 休日はしっかり主婦をして朝から料理のストック作りです。越冬野菜も片付けていかねばなりません。キャベツとさつまいもが終わりました。

 今は白菜とかぼちゃとじゃがいもを集中的にです。

 本当は大根なのですが、このところ朝起きると雪が舞っていますので、畑に貯蔵してある大根を掘ってきてというのも申し訳ないので黙っています。

 というのも冷蔵庫に特大の大根が1本ありましたから、大根と白菜をメインにあるすべての野菜で汁を作り、豚汁用とお雑煮用にしました。

 残りの半分をいちょう切りにして、酢・醤油・みりんを1:1:1で漬けます。そこへ冷凍してある実山椒をたっぷりいれました。さらに残りの大根は薄めの短冊にして、揚げと煮ました。

 ザクザクと切った白菜は大き目の短冊に切った人参といただき物のハムの塊も適当にカットして、水も入れず塩だけで40~50分蒸し煮にしました。大きな白菜が1個消費できました。

 白菜の漬物、漬物用のこんぶが余っていたので、作ってあった塩人参を彩りに入れて、薄味に漬けました。

 3日前には最後の塩麹で白菜を漬けました。冷凍庫に残っていた300グラムの麹で新たに塩麹を作りはじめました。

 今度の週末から味噌仕入れをする予定なので、なんとしても古い麹を終わりにしたかったのです。

 小さなじゃがいもを大きなボールいっぱい発砲スチロールの箱から出してきて、半分は茹で、半分は皮を剥いてベーコンと共に炒めました。

 新しいいもなら皮を剥かなくていいんだけど…・小さいだけに手間をいただくようなものです。

 それでも暮に芽を取る際に、この子芋をかなり捨てたんですが、すてきれないのがまだあったのです。

 見かねたのでしょう、夫が茹でたじゃがいもの皮むきをしてくれました。

 いつもはちーちゃんがやってくれるのですが、留守なもので。ホントうれしかったです。

 茹でじゃがいもはコロッケやオムレツ・サラダに、またそのまま油で揚げれば香ばしい付け合せになります。

 食事の用意の時間のちょっとした隙間に、何らかの間に合わせ仕事をしておきます。

 前日カキフライだったのに、またまたスーパーで目に付いたのは「カキ」でした。今頃になると大きくなってきていて素通りできずに連れて帰り、

 オイル漬けにしました。

 よく洗ったカキ500グラムの水気を切り、フライパンに入れて水分を飛ばします。熱がしっかり入ったところでオイスターソースを大匙1投入し、味をからめつつさらに水分を飛ばします。水分は完全にはカラカラになりません。

 そのまま冷まします。

 フライパンに油を少し多めに入れ、ニンニクの薄切りを入れて香りを移しニンニクオイルを作ります。こちらも冷ましておきます。

 熱湯消毒したビンに冷めたカキとニンニクオイル・鷹の爪・ローリエを入れ、オリーブオイルをカキが隠れるまで入れます。2~3日たってからの方がおいしいと思います。

 カキを煮た時残った汁は捨てないで、パスタなどにお使いください。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 バリのおみやげやさんでぬいぐるみを見ていました。綿の更紗でできていました。あらーこれなら私にもできるかもしれない、と思えたのでした。

 休日、熊のぬいぐるみの型おこしを始めました。

 結構はまりました。

 布は現地で求めた500円の綿更紗のTシャツです。それを躊躇なく刻んで縫い始めました。

 まあ―最初から店頭に並んでいるほどの物はできっこありません。

 私の時間つぶしというか精神安定には最高です。手と足と胴体までは何とかできましたが、頭のところで四苦八苦しています。

 そんな訳でパソコンの前に座っている時間がありませんでした(笑)

 どうでもいいような内容で失礼しました。お読みいただきありがとうございました。

 留守にしていたらブログランキングが下がってしまいました。

ポチッとしていただけると嬉しいです。
                        依田美恵子
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とりあえず日常にもどって

2019年01月24日 | 家族
1週間近く家を留守にすると、それなりの家事も仕事ももろもろが停滞しています。

 温度の違う場所だったせいか疲労感が残りました・・・・いや単純に齢のせいかなんてこともありかしら。

 まず冷蔵庫に料理のストックを作らねばなりませんが、私は2日連続の食事会と新年会です。

 それではと冷凍庫から備蓄を発掘することにしました。

 それでも留守番していたちーちゃんとちーちゃんパパに美味しい物食べさせねば・・・・ハイ野菜料理を(笑)

 たくさん持ち帰った洗濯物は主夫の担当です。この寒さですから早々に乾きません、ストーブや乾燥機を駆使していますが、夫は午後から1泊の研修旅行にお出かけでした。

 お互い忙しいのです。

 ちーちゃんパパが言いました。ちーちゃんが日常当たり前のように思っていたこと・・・・夫や私がしていたことに気がついたことがあったようです。

 大人の多い家ですから、至れり尽くせりになってしまいます。ちーちゃんの成長に合わせて、夫も私も出来るだけ手を出さない部分を増やしてきてはいるのですが。

 ちーちゃんとパパだけで暮らすというのも大切な経験の場ではなかろうかと。

 ちーちゃんとっても知識はあるのだけど経験が少ないのです。目玉焼きが白くならな~い!!と。お水を入れて蓋をしてと、ひとつ経験ができましたそうな。

 土曜・日曜にはママの学生時代の友人ファミリーがスキーがてら、今年もちーちゃんに会いにきてくれました。

 双子のお嬢ちゃんは小学2年生。ちーちゃんがお姉ちゃんになれてとっても嬉しいかったようです。
 
 ママの友達がこうしてちーちやんのこと気遣ってくれて、本当にありがたいことです。

 少し前までは、お母さんに甘えている双子ちゃんを見て、家に帰ってからパパにベッタリとくっついていた姿が忘れられませんが、ちーちゃんも成長しました。

 そうそうちーちゃんの最近の悩み事は、お友達に「従兄弟もハトコも足が速いのに、なぜ速くないの」と聞かれることらしい(笑)

 ハトコとは社長の娘たちのこと・・・・みんな走るの速いからね。

 わかるわかる・・・ママもばーばも走ることはちーちゃんと同じレベルだったから。
                                         

 とりあえず日常に戻らねばです。


                         依田美恵子
       軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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バリの旅から

2019年01月23日 | 
この寒中の中、真夏に避寒できたのはラッキーなこと。

 バリの夕日の美しいロックバーで、大連から避寒にきている母娘さんと隣り合わせになりました。日本にも留学にきたことがあって、かなりの日本語を話しました。

 その日程が15日間ということでしたから、まさに避寒です。

 さらにまだ現在もよその国に留学中なのだと。一人っ子政策でもちろん兄弟はいないから、家族の期待を一身に背負っているのでしょう。

 中国と日本の架け橋になって欲しい、そう思いました。

 中国のお金持ちの存在を見た思いでした。

 ハイ確かに暑くて湿度も多くて、いっぱい汗をかいてきました。そのわりに室内や車内は涼しいので油断がなりません。

 3回目になると観光しても見る観点が少し違ってきています。

 変わりました・・・・その一言です。

 街が3段跳びで変わって行っているのかもしれません・・・・車窓から見た感じは。

 変わらないのはお札です・・・・あまりに○が多過ぎて錯覚します。

 あまりに汗をかいてTシャツを買いました。レストランに併設している観光客相手のお店でした。

 4500円だと思って、1000円札5枚渡しましたら、おつりが4500円返ってきました。

 買い物を初めてした日のことでした。お金の感覚がまだ伴っていません。

 観光客相手のお店は現地の値段と違いますし・・・・それでも帰ってきてお洗濯は手洗いにしましたよ・・・・なんたって色落ちしそうだったから・・・かなり色落ちしました。

 ハンカチ代わりのタオルを買ったら1100円でした。サッカーのチームの物だからそうです・・・・私には邪魔な物が付いているだけでしたけど。

 ツアーには添乗員が同行していませんので、現地で顔を合わせました。10人でした。

 添乗員もいないから、事前の電話もありません。日程表以外の何らかの観光案内の冊子もありません。情報は自分で集めなければなりません。

 空港で乗り換えの飛行機に乗るための説明をしてくれましたが、その説明は間違っていました・・・・変更になっているよ

 今、旅行も変化してきているのですね。ガイドが空港からホテルに入る間に、お金のことや細かい情報を話してくれたものですが、最近はないですね。

 もっともホテルはリゾートホテルで入口から玄関まで1キロと分かった状態で、外歩きは諦めました。周囲には何もありませんし、おまけに自由になる時間もないし。だから細かい情報はいらないのかも。


 インドネシアはテロが起きてから観光客は減ってきたそうです。最近の災害も影響しているのかもしれません。

 バリに入ってからのガイド氏は口が重い方で、車内では聞かなければ話さないみたい。おまけにマイクを使わないから後ろの人には聞こえないという最悪パターンでした。

 観光する場所に行けばそれなりの説明はありますが、線の部分がないのです。バスでの移動が長いから点だけでなく線の部分の話も聞きたいところ。

 だから、私自身はわかっていても質問するのだけど、夫に言わせれば聞こえていなかったのだとか・・・・・残念。

 コンビニがたくさんありました。スーパーマーケットも見ました。小さなお店が消えていましたように思えました。

 たくさんの資本が入ってきています。

 22年前どこかしこで子供をたくさん見ました。子供は国の宝です。国が成長していくために子供は是非必要なのです。

 今回アレッと思うほど見ませんでした。通学時間に会わなかったからかもしれませんが。

 この国の人口は多いので、ただ出生率がかつての程ではなくなっているのかもしれません。

インドネシアの人口は2.6億人(2016年)で中国・インド・アメリカについで4位です。

 私が気になっていたのはその平均年齢。日本は世界1位の46歳です。インドネシアは101位の29歳。

 これから発展していく国だというのがよくわかる数字です。

 とても親日的です。

 若い人たちが外国語を覚えて、そう観光で生きていくには必需ですものね・・・・ところが観光客が減ると、外にでてしまうらしい・・・とガイド氏が。

 働く場所がないとね。

 かっては日本人、今は中国からの旅行者が多いようです・・・・さすが中国です。

 田んぼは3毛作ですので、いつでも植えられます状態ですから、いろんな状態の田んぼが目にできます。

 手植えです。代かきをしている牛はみませんでしたが、夫が日本で昔使っていた耕耘機を見たと言いましたから、機械化も始まったのでしょうか。

 稲刈りは手鎌で穂先から40センチ位を刈り取って肥料の袋に詰めているのを見かけました。

 構造改善をしたのでしょうか、正形の田んぼを見ました・・・・田舎の方はそうなっていませんでしたが。

 有名なジャティルウィラテラス・・・・千枚田です。標高が高いのでここは2毛作だと言っていましたが、ちょうど田植えの終わった辺りできれいな風景でした。

 世界遺産になったとかで、入り口で拝観料というか入場料を取っています。たぶん維持管理にお金がかかるのだと思います。

 田んぼの一番上のところに水力発電装置が付いていました。日本の援助だそうです。

 大きな棚田だけに、それこそ人力ですから大変な作業だと思います。

 この国でも若い人たちは農業をしていないようで、近在の島から働きに来ているようです。

 それも田植えや稲刈りを一括丸投げをする人も出てきているのだとか。インドネシアは13,000もの島でなりたっています。

 長くなりました。

 お読みいただきありがとうございました。

                                           依田美恵子
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34年前のバリ

2019年01月21日 | 
昨年の秋口、夫の元同僚たちとの2年に1度の旅行が、バリ島になるかもしれないと夫が聞いてきた。

 バリねえ・・・・実は私の初の海外がバリだった、34年前のことである。そしてさらにその13年後の今から22年前、思いがけず1枚の絵を買ったらご招待となり、2度目のバリを楽しんだのだった。

 その時も夫は休みが取れずに断念。

 夫が行きたいといえば私に断る理由はない。

 そのバリ行が途中国内旅行になってしまった。

 しかし行くつもりになっていたから、2人だけでバリに行くことにした。

 飛行機の席の割にはお安いツァーを見てしまったからである。

 そんな訳で本日はバリの最終日を過ごしているハズである・・・・先行投稿です。

 34年前のバリはとても素朴であった。文明は水を頭に載せて運ぶカラフルなバケツだけかと思えた。

 夕方には道の横の水路で水浴びをする人の姿があり、夜田圃道には蛍の乱舞が見られた。

 農村では田んぼの代かきは牛だったし、稲刈りは小さな鎌で穂先だけ刈り取っていた。神さまに刃を見せないためにとか。

 日本の50年前の姿だった。とにかく懐かしい農村風景てあった。

 スコールにバスは雨漏りしたりした。

 このまま洗濯機の中に突っ込んで洗いたいと思えた子供たちは、遠慮勝ちにダラー(ドル)と言ってつきまとったが、のどかなものだった。

 1000円・1000円もそんなに多くはなかった。

 そして一番はバス2台の団体の中から、コレラに2人罹患したことだった。最初の闇鍋がいけなかったらしい。

 闇鍋とは、帰国後の私たちが付けた言葉であった。

 ホテルの庭でショーを見ながらバイキング形式の夕食だったのである。十分な灯りのないまま。

 飲み水には気を付けていたけれど、生野菜や氷まで気を使っていなかったかもしれない。

 翌日2人が体調を崩した。

 結局シンガポールに行って入院となった。

 異国で入院となると病院のお金は前払いになる。ツァーの皆さんが持っていた日本円を残して帰ってきた。

 帰国後家に帰ってから、コレラだと聞いたというより保健所から電話がきたのだった。

 災難だったのは、帰りに醤油味が恋しいと寄ったお寿司屋さん。そして翌日結婚式に出席した方と同席した皆さん。

 お寿司屋さんは店内消毒と営業もできなかったでしょうし、結婚式に招待された皆さんも保健所の検査があったことでしょう。

 その頃のインドネシアの皆さんは保菌者が多かったとか。

 旅行者も菌が体内に入っても、幾日かすると出てしまうこともあるとか。私たちより1日早く検査した皆さんは隔離病棟へ。1日遅れの私たちは無事。

 その頃、国内でコレラはほとんど聞かれなかったから、本当に1ケ月間テレビと新聞で報道され続けた。

 買ってきたおみやげも配ることもできず、そっと息をひそめて過ごしたものだった。

 それだけに想い出深いとも言える。

 2度目のバリはすごい勢いで変わっていた。

 1000円・1000円がすごい。オートバイでバスを追いかけてくる。

 観光地の駐車場は菓子の空き袋が山のように捨てられていた。

 たぶん習慣なのだと思う。かっては捨てれば土に帰るものだったから。

 子供たちは露骨にお金をねだった。

 なぜか戦後10年も経っていた頃なのに、何も知らないままに飛行機が上空を通ると「チョコレート」や「チーュインガム」を落せと叫んでいた記憶がよみがえるのだった。

 これが何のことだかと知ったのは大きくなってからだった。進駐軍がチョコレートやチューインガムをばらまいていたという名残なのだ。

 このみじめな思いがわずかなお金を与えることを躊躇させるのだった。

 観光客はリゾートホテルとプライベートビーチで別世界を過ごす。

 あれから22年ぶりとなる今回のバリ。

 どんなにか発展していることだろう。

 期待と共に、最初に出会ったあのはにかんだ少女にもう出会えないのではないかという寂しさも予感するのである。

 地震・火山の噴火に津波とこの頃災害が多いインドネシア。報道される度にドキッとするが、行くことが復興の役に立つと思うことにしている。

 それではまた。

                                                 依田美恵子
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沖縄に永住?

2019年01月19日 | 日々のこと
 少し遅めに届いた年賀状に返事を書こうとして、ハタと手を止めてしまった。

 中学校の同級生である。

 その文面に20歳の頃から彼が気になっていた「沖縄」どう思いますか?と疑問形だったから。

 60代は何をするにも一番良い時だからと。

 さすがに単純に「沖縄」がいいわけではなく、こう聞いてくるのは沖縄に移住したいということなのだろう。

 彼は4男坊だ。

 彼の父上は古い茅葺の立派な家に手を入れて住み続けていた。そのための材料を求めにこられたりしていてお付き合いがあった。

 その父上が亡くなられて母上がひとり暮らしをなされていた。

 だから中島木材通信をOBのお客様にお届けする際に顔を出すようにしていた。道すがらカーテンが開いているかの確認もしていた。

 元気でおられるか、そっと確認だけ。

 時たまお話させていただいたりした。幾日も人と話さないことがあるのでと、ノートに短歌や日々のことを書かれていた。

 ご子息が外に出ていらっしゃるから、近所や親戚のお付き合いの記録等も書かれていたと思う。

 その頃お一人で暮らさせていただいている方を何人か、かってに抱えていた。ときたまには手料理を届けたりと。

 私が顔を出していることを母上が話したのだろう、彼から年賀状が届くようになった。

 その母上も3年程前に施設に入りましたと連絡をいただいた。

 移住となれば少しでも早い方がいい。

 家とお墓と親を背負っている我が身には夢の夢の話である。

 心底うらやましい!!

 彼が躊躇しているとしたら、施設にいる母上なのかもしれないななんて思ってみたりしたのだった。

 東京に本拠を持ちつつ、夏は軽井沢、冬は沖縄に住まっていた方もいらしたわ、なんて思い出したりしている。

 そんな夢はかなわないから日日常を旅に求める私である。
                                     依田美恵子
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信濃毎日新聞の斜面を書き写す

2019年01月18日 | 家族
今年の抱負というか課題で信濃毎日新聞の斜面を写すことにした。ノートは朝日新聞の天声人語のを使っている。

 たぶん斜面用のもあるはずである。

 何年か前にも始めようとしたことがあって、買ってきてから見たら1冊しっかり仕舞ってあった。

 パソコンを使い始めて30年、手書きすることが少なくなった。

 その結果読めるが書けない漢字が増えた・・・・・若い日母がそう言っていたことを思い出した。

 読めても漢字が正確に書けない・・・・えー、と思う。

 目で見て頭に入る字数が少なくなった。

 字はもともと下手である。

 高校生の時、ノートを取る私を見て、先生にノートを見て書くようにと注意された・・・・小学生レベルだわね。

 早いが取り柄みたいだが、書くべきことは書いてあるノートだったけど、字の上達には何の役にもたたなかった。

 ここ半月、毎日書き写している。

 そして思った。升目の中にきちんと入れるということが大切なことを。

 升目の中に納めるにはそれなりのバランスが必要なのだ・・・・だから小学生は升目なんだな。

 少し字も気を付けて書くようにしている。

 1度に頭に入れる字数も少しずつ増やすように努力してきた。

 そして内容の把握は、今まで読むだけだったより格段に理解して心に残るようになった。

 書けない漢字や忘れている漢字はノートの上に書きだしている。

 普段めったに書かない漢字ってあるものだ。

 そして新聞の1面の見出しも書き写している。

 これは頭の老化防止には役立つかもしれないと思う。

 新聞は時間が経てば新聞紙になってしまう。

 新聞を読まない人が増えているという。電子書籍で十分という人もいる。

 しかし新聞や本は文化そのものだと思う。

 その文化を捨てないで欲しい。
                                         依田美恵子
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箒目の美しさに胸の中でチクッと

2019年01月17日 | 日々のこと
 日本海側の大雪のニュースが流れる。大変だろうな。

 娘ファミリーが新潟に住んでいた時、大雪の中を高速道を走ったことがある。

 両側の高い雪の壁に吹雪く雪で視界がほとんどきかない。前を走る車のテールランプだけが頼りであった。天地もわからないほどの不安を覚えた。

 日本海側が雪の時は佐久は好天である。

 それでも朝になると2~3cmの積雪をみる。

 それを夫が竹ぼうきで掃く。

 日中になると雪は消え、その後に箒目が残っている。

 それをきれいだと思う。

 これをきれいだと思うのは、日本人の感覚だと教えてくれたのは、中学1年生の時の社会科の掛川縫人先生だった。

 戦争で南方でアメリカの捕虜になった先生。

 捕虜時代に庭の掃除をさせられたことがあったらしい。箒目をつけて・・・・先生はとても美しくしたと思ったそうだが、NОということでやり直しをさせられたという。

 箒目の美しさは日本人の美感覚である・・・・それが強く印象に残ったらしく今でも先生の名をフルネームで言える。

 覚えているのはそれだからではない。

 授業中よく脱線して戦争の話をしてくれたのである。

かといって当時でも戦後17~18年は立っていたはず・・・・どの程度捕虜になっていたか不明だけれど。

 まさかに実戦の話を聞いた記憶はない・・・・さすがにそれを話すのはまずかったのだろう。

 だから捕虜の時代の話をしてくれたのではないか。

 ただ聞く側がその体制ではなかったのである。まだ戦争がどんなものであったかに思い至らなかったのかもしれない。

 我が家の父は兵隊に行かなかったから、私自身はなおさらだったのかもしれない。

 本当は一番聞いておかねばならない授業だったのに・・・・・教科書だけが勉強だと思っていた。

 その悔恨の思いが、先生の名を忘れさせないのだ。

 美しいしい箒目を見る度に胸の中でチクッとするのである。
                            依田美恵子
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お休みあれやこれや

2019年01月16日 | 家事のこと
 3連休土曜日は風があったものの3日間青空が続きました。

 金曜日孫男子3人がお泊りに出かけてきました。

 あいにく私は会社の新年会なので、彼らの好む料理を準備して出かけていきました。

 最近クリーム系のパスタがとても好みらしいので、ウニクリームパスタに牛丼とお野菜たっぷりのポトフに3人の好物の青バツの甘辛に、栗きんとん。

 栗きんとんは冷凍庫から皮を剥いた栗を発掘したので、正月とても好評だったので冷凍庫整理を兼ねて作成。

 帰宅してどうだったと聞いたら「超おいしかった」と返ってきました。そうなのよね、我ながらパスタはおいしくできたもの。

 お野菜もいっぱい食べたから上出来。

 土曜日は残った栗とペチャ豆で2胴のおこわをふかして、あちこちお届けに上がりました。

 気合を入れすぎて、少々蒸かし過ぎの感がありましたが。

 
 午後、新築内覧会にも顔を出してじっくりと見させていただきました。。

 若いお嬢さんのセンスが光る家でした。

 なんたってあったかいのです。家中温度差がない家は健康に一番だと思います、ヒートショツクの心配ないですものね。

 ご主人に夜中のトイレの回数が減りますよ、って言っちゃいました・・・・・同年代だからわかっちゃうのです。


 日曜日、味噌仕入れのための前段階として、味噌を仕込む入れ物の用意です。梅干し・粕漬・その他もろもろの漬物樽を住み替えさせました。

 とりあえず5つ確保し豆7.5キロ分の仕込みができます。

 そのついでに手前味噌もあちこちにもらっていただきました・・・・作るばかりが能ではありません。

 
 午後は県対抗女子駅伝を見ながら、単衣の着物2枚をほどきました

 私が高校生の頃、まだ沖縄が返還されていない頃の両親の沖縄みやげのような気がします。黒地の琉球絣です。

 ほどいていたら、襟の中に懐かしい布が使われていました・・・・父の浴衣地でした。

 懐かしくて思わずおーおーとなったのでした。

 義母が何にリメイクするのと聞かれましたが、迷っているところです。最初は食堂の椅子の布団のカバーと思って始めたのだけれど・・・・。

 こうして形のあるものを壊すのはもったいないけれど、どう頑張っても今の私に着れるはずもなく、ただタンスのこやしよりはと決断したのでした。

 もう1枚は母の縮です。さらさらして夏には涼しげです。

 さてさてこれを何にするか、しばらく楽しめそうです。

 考えました・・・・リフォーム教室に行った方がいいのかなって。

 あれほど針仕事が嫌いだったはずなのに、変わればば変わるものです(笑)

 駅伝は長野県は6位で素晴らしい成績でした。

 お読みいただきありがとうございました。
                                       依田美恵子
       軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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