お宅の電気料ご存知ですか。?

2007年03月31日 | 住まいづくり
 8年程前から電気料と水道料を家計簿とは別冊でチェツクしている。
お客様とお話する時、実体験として持っていないと共有できないものがあるからである。

 見返せばその時々の家族構成がよくわかる。結婚前の子供たちは生活者としての視点からみると失格である。自分の給料で生活をするようになって初めてしっかりとするものらしい。

 子供たちが独立して大人4人の生活になると電気料は暑さ寒さに反応する。
佐久はマイナス15度の世界であるので、水道凍結防止帯が必需品である。
水道の立ち上がりが一軒のお家に何本あるか考えてみてほしい。我が家でも10本以上である。だから12月から3月いっぱいは夏の3倍以上の電気代になる。

 アパートを借りる時治安を考えて2階ということになるが、この1階と2階の差
で水道凍結帯の長さが違い電気料に差がでて都会育ちの人をびっくりさせるらしい。

 その点ソーラーサーキットの家は凍結防止帯がいらないので、本当に省エネである。地球温暖化にならないためにはこれからはそんな住宅が必要なのだと思う。
ただし、灯油ボイラーを屋外に出す場合はその分は凍結防止帯は必要である。

14ケ月前IHと食洗器を入れたので、電気・水道料はここしばらくの関心事であった。結果をみると水道料は減った。電気代は増えたが、ガス代が無くなったので、トータルでガス(プロパン)の基本料金分位は安くなった。

 ソーラーサーキットに建替えるには中途半端な我が家、息子がローンを組めるようになるまでもうちょっと待ってます。・・・・楽しみだなあ。

                            美恵子
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私養子とりと思われている嫁です。

2007年03月30日 | 家族
 年度末を迎え多忙な日が続く。出来るだけ仕事の持ち越しをすまいと思うと(正直なところ物忘れ防止でもある)、気がつけばもうこんな時間となる。

 家には80歳を過ぎた両親が、冬場など5時から食卓に座っているだろう。待つ身も大変だが、外で働く身を労わって夕食を待っていてくれるのだ。

 子供たちが独立した今、本当に嫁放棄である。母が夕食の用意までしてくれる。
翌朝のおしかけまでしてくれてある。洗濯は自動洗濯機なんてものではない、その上を行く。お風呂も沸き本当に有り難い話である。

 1年前キッチンをリフォームした。IHと食器洗浄器がついたのである。
IHにするのに母がどう反応するのか心配だったのだが、友人仲間でもいいという話になっていたらしく一も二もなく賛成してくれた。

 火の心配がなくなって、母が台所に復活したのである。
料理をするということは、頭を使うことなのである。ボケ防止には最大の効果ではないだろうか。おかげで私は仕事に打込むことができる。

母83歳、私よそ様から養子とりと思われている優雅な嫁である
お母さんいつも感謝しています、ありがとう。
                         美恵子

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師は94歳です。

2007年03月29日 | 日々のこと
お花の姉妹弟子が年に一度、師の誕生祝に集う。師も満94歳になられた。
口数はめつきり減ったが話の急所急所にきちんとした言葉をはさまれる。
 昔と少しも変わらぬ色白の肌はピンク色をして、シミ一つない美しさである。

 ただ息子さん夫婦も孫のお嫁さんにも先に逝かれ、現在は施設にお住いである。

 教職に長く奉職なされた後お花の教室を開かれたのだと思う。
集ってみれば私が一番年長であるが、結婚と同時にお花の世界から遠のいた私と違い同い年の彼女は今長野県のトップとなり活躍をしている。その彼女が師の娘のように面倒を看ていてくれる。頭が下がるばかりである。

 また元警察官で今看護学校に通い来年の国家試験を目指している40代の彼女が、手馴れた手つきで食事の介助をしてくれる。その食事にしても誤飲しないようにできていて、ここ暫くの間にこのあたりの進歩はすばらしいものがあるとみんなで納得をしてしまう。

 姉妹弟子といえども20歳も離れているので、机を並べたことの無い人のほうが多いが、師の人柄であろうかそれぞれの語ることばに私は心を打たれる。
「だんなはともかくも姑が良かったから」とお二人の方が言われた。
自分が姑年齢になったせいかそんな言葉にしっかりと反応してしまう。

そんな言葉がでる人の顔は穏やかで、周りまで癒される。
また来年集えることなにより願って、幸せな時間をつくってくれた彼女に感謝するばかりである。
小須田さんありがとう。
                          美恵子
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退職後は悠々自適?

2007年03月28日 | 日々のこと
転勤の季節である。ここ1週間程転勤のご挨拶に見えていただくことが多い。
65歳になりましたので、これからは嘱託でとおっしゃられたTさん。

 いよいよ悠々自適ですね、と申し上げました。これから先をどう過ごされるかという話題になる。仕事一筋にこられた方が、日々どのように暮らされるか興味がつきない。まずゴルフになり、次に奥様と旅行ということか。

 昨年の初夏、高原のホテルで時間つぶしにお茶をしたことがある。あまりに素敵な場所だったので、あらためて湿原が花にいろどられる時期に来たいものだという話になった。同じテーブルについた50代60代の女性10人の内、夫と旅行に行きたいという方は私ともう一人、あとの方は旅行に夫と一緒には行きたくないといい、特に2人は絶対に嫌と言い切った。
 みな自営業の奥様方であるから、サラリーマン世帯とは若干感覚も違うかもしれないが、あっけに取られた思いだった。

 世の男性はこうまで思われているとはご存知ないだろう。たぶん自分だけは例外と思っているはずだと思う。

 NHKの「芋たこなんきん」を見つつ夫婦は語り合わねばならないと思った方も多いと思う。

 世の男性方心して妻の話に耳を傾け、話のキャツチボールに心がけてください。
家庭に入ってからが結構長いのですから。

 くだんのTさん。これからは奥様に農作業を習いながら、おふたりで悠々自適な日々が待っていることでしょうね。これだから田舎はいいです。

佐久の男性の平均寿命が日本一なのは、生涯現役だからでしょうね。

                             美恵子
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櫛とかんざし

2007年03月27日 | 日々のこと
 先日ある方の秘蔵コレクションの一部を見せていただく機会に恵まれた。
「櫛とかんざし」である。数十点の櫛とかんざしは蒔絵に螺鈿細工にべっ甲そして珊瑚に銀とぜいを凝らしたものばかりである。

 一つひとつが職人の腕・・・今でいう作品なのである。べっ甲は虫が喰うのに痛んでもいない。だから保管にも気を使ったものだと思う。

 我が生家の土蔵にも何代前かの祖母使用のべっ甲のかんざしがあった。高校生になった頃、秘かに我がコレクションに加えたものであるが、ある時気がついたら我が娘は小学生にもならない内にコレクションにしてしまった。おかげでべっ甲のかんざしの細い細工は折れてしまった。

 一つひとつを眺めながら、これらの持主がこれを手にした時髪に挿した時どんな気持ちであっただろうかと心をはせた。庶民には高嶺の花だっただろうこれらの作品。文献が少なくてよく判らないと持主はいう。でも分散させたらもう2度と集まらないからとのこと。ほんとほんとそう思う

 時たま美術館等で幾つかは見ることができるけれども、これほど1度に見ちゃうと女心に火がつきそう。・・・うーんすばらしい。
日頃、自称着物と毛皮と宝石には手をださないいい女房なんだけど。私も贈られてみたいものだ。
                             美恵子
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災害は忘れないうちにくる。

2007年03月26日 | 日々のこと
 最近の災害は忘れないうちにやってくる。倒壊した家を見ながらまだ夜中のことででなくて良かったと思った。

 能登半島を旅したことがあった。のどかな山村と漁村だったという印象が強い。
あれから20年もたっているから変わっただろうか。

 若い人が少なくて、家も更新していないのかもしれない。そんな思いで画面を見つめた。全壊も半壊も多い。おばあちゃんが家に戻りたいとコメントしていたが、
戻れるようになるだろうかと心配になる。

 災害はいつも人の事とみんなふだんは思っている。
佐久は活断層もなく地盤も強いところと言われている。また地震に対しては驚くほど関心はない。

 家造りに携わる者として、できる提案はしていかねばならないとテレビの画面を見つめつつ強く思った。
 一日も早く元の生活に戻れることを願いつつ。
                       美恵子

 
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日本の松は残れるか。

2007年03月23日 | 信州の木材
 上信越自動車道をバスで走った5年前の晩秋、道沿いの山林に光る物体が点々として見える。臨席の人も何かわからないという。石にしては不思議だなと思っていた。
 それが1昨年林道に入ってみてその実態を知った。松の木が松くい虫の被害にあって、伐採の後ビニールに包んでくん蒸処理をされた姿だったのである。

 このビニールが目についたのだった。
長野県の松くい虫は昭和57年にはじめて被害を受け、平成7年をピークに減少してきたが、最近また増加に転じてる。

 青森と北海道は被害にあっていないという。この佐久もそういう地の利から言えば被害が目立つようようになったのは最近のことのような気がする。

先日浅科のお客様の家の前の山に発見してびっくりしていたら、内山峠を走っていてまた発見。いよいよここまできたかとがつくりとした。

 かっては空中散布という効率的な方法でやつていたが、環境や健康に配慮してやっていない。松くい虫対策事業も県の財政難もあり年々少なくなっているが、地道な努力が続けられている。

 地球の温暖化・・・本当に1度か2度温度が上がるだけでも、自然のバランスは崩れていくものらしい。深夜放送のファンの私がうとうとしながら聞いた話。韓国でここ10年間とその前10年間と比較してマラリアが25倍、ツツガムシ病が11倍増えたという。外国旅行でのマラリアは3パーセントだけというから驚きである。
 世界各地からその手の話がきかれる。日本でもマラリアなんていう話がでる日も近いのだろうか。消毒業者さんに言わせるとシロアリの被害は増えているという。

 赤松はおそらくすべての木がなくなるまで撲滅はできない・・・それが厳しい現実ではないだろうか。くれぐれもお庭の松には気をつけてください。
                       美恵子
 
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ストローブ松って見たことがありますか。

2007年03月20日 | 信州の木材
 長野牧場は県の土地を国が借りている牧場である。少し前から道路脇の木に赤いテープが巻き付けられている。伐採をする予定の木なのであろうと想像している。

 長野牧場は明治39年の開設ときく古い牧場であるから、当時植えられた唐松もまだわずかに残っている。樹高50メートルもあるかしらと思われる大木は見事なものであるが、枝の落下が恐ろしい。台風や大風の時は通ることを私は避けている。だから伐られるのはしかたがないことなのである。牧場の木々はそうやって更新を続けているのだ。

 牧場の周囲を囲む唐松の林はこれからの季節芽吹きが美しい。そしてここは桜の名所としても名高い。

 この牧場にストローブ松が植えられているのをご存知であろうか。欧州松といわれればあーとうなずかれる方もおいでかもしれない。
 県の林業試験場が育てた苗を植えたものだという。信号機のそば、そして駐車場から北、マレットゴルフ場のところにある。マレットゴルフ場のところが一番多い。木肌が黒々として樅のような感じといえば、お分かりいただけるかもしれない。

 たぶん本州ではここだけと思うので興味のある方は散歩がてら散策をしてみてはいかがでしょう。

                            美恵子
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酒蔵開きのメインは「野沢菜漬け」?

2007年03月20日 | 日々のこと
 新佐久市になって丸2年、合併と同時に観光部門に移動になつた夫のお供で市内の観光名所に遺跡にイベントと名のつくものにあらかた参加した。
おかげで足元もいくらか明るくなった。

 そんな中で蔵開きなるものに出会った。佐久市は酒蔵の多いところである。合併により酒蔵は7つから11となった。水清き場所なのだ。

 毎年春分の日に蔵開きをしているのが「武重本家酒造」である。
とてもにぎやかでびっくりしたが、ご自慢のお酒を十分試飲させてくれたりまたいろいろ毎年工夫をこらした企画で毎年通ってこられる県外の方も多い。

 中でも一番すばらしいと思えるのは、「野沢菜漬け」なのである。この時期になると、あめ色に漬かっているが、それが試飲する場所にドーンと置かれていて、次から次と新しいどんぶりに替えられいくのだ。
社員が漬けたものとお聞きしたが、そのおいしさは格別である。その野沢菜を食べたいと娘は楽しみにしている。
 場所は佐久市望月、今年は明日21日が蔵開きである。
                           美恵子
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北側の窓から見た空は青かった。

2007年03月19日 | 住まいづくり
北側の窓から見た空は青かった。とセミナーの講師をお願いしたお二人がきしくも同じ感想を述べられた。2階の北側の部屋やホールを書斎やパソコンを使う場所としてお使いのようである。

 かって家造りの際、南の日のあたる部屋が最高という認識があった。しかしすべての敷地がそんな条件にある訳ではないし、資金的にみてもそんな条件を叶えた部屋数を用意することは不可能に近い。
とくに何世代かが一緒に暮らす場合、老親の寝室をどこにするかで迷われる。さらに核家族世代所帯と比べて来客は格段に多いので常設の客間が必要である。

 となると西側の北側にということになる場合が多かった。しかしソーラーサーキットの家になって、北側のお部屋のイメージは変わった。
その説明をすると顔を明るくされる若夫婦がいる。

 建てられたお客様訪問を続けている私は、皆様に直にお話を聞く機会が多い。
特に冬場は皆さんが口をそろえて、暖かい家を造ってもらって良かったと話される。玄関に一歩入っただけで、そのほんわか感に包まれる生活。家中の温度差が少ない家が、どれだけ健康にいいのかを話され、そしてどんなに外で寒い目にあっても、暖かい家が待っていると思えば我慢ができるとご主人と話されたと私にお話してくださる。

 かって北側の部屋は寒くて湿気の多いかび臭い部屋であった。それが今、太陽の陽に影響されない安定した環境で喜ばれる時代に変わった。
北側の窓から見た青空が美しいという感想がそれを表徴していると思った。
 ソーラーサーキツトの家は家の革命である。そしてそれは人を幸せにしていると実感でき、家造りを携わる幸せを感じる日々である。
                                美恵子
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