今日はいか座・やら座「さく市」です。

2007年09月29日 | 家族
いか座・やら座「さく市」が今日明日開催される。昨年から駒場公園の創造館が会場になり大いに賑わっている。

 工業展と称していた頃から出展しているが、近年はまったく物産展になった。おかげで身近なものになり、その集客力はたいしたものである。そんな訳で住宅を建設する会社の出展は年々数が少なくなり、またその効果に手応えが無いと見えて寂しい限りだ。

 あの時聞いたお話が気になってと、かなり時間がたってからお見えになるお客様もいらつしゃるから、地道な努力が必要なのだと今年も出展した。

 ОBのお客様が声をかけてくださる。時間はたっぷりあるのでいろんなお話をすることができる。こちらから出向かなくても多くの方にお会いできるからこれまた楽しい。・・・・唯一つ寒くて・・・・。北側からもろに冷たい風が入り、身体が夏バージョンのままなので早々に帰ってきた。帰ってきてチラシを見たら今日は夜7時までとなっていた。・・・・すごいことだ。

 今夕は我が家の孫の1歳のお誕生会なのだ。佐久地方は1歳の誕生日に、箕の中に入れて、重箱に入れたお餅を背負わせる慣習がある。
這うのが大好きでまだまだ歩く所までいかないが、初めての大仕事にどんな反応するか楽しみだ。
                             美恵子
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記念樹は身代わりになってくれます。

2007年09月28日 | 家族
過日の台風通過の朝、玄関から一歩出て見たものは・・・・45度かしがった「こうや槇」の木だった。5メートルにも大きくなった木は息子の誕生を記念した木。

 私のびっくりした声に父も顔を出し、あらためて風の強さに感じ入った。そして記念樹は別の槇の木と知って胸を撫で下ろした。でも、もう2度と記念樹なんか植えまいとしつかり思ったものだった。

 先日庭師さんが入り、お茶飲み話に「あの時のショツクを思うと記念樹というものは植えたくないわ」というと、「いやー記念樹が身代わりになってくれたと思えば」とのこと。年の功なのか・・・えらい。座布団3枚だ。

 私たちの結婚記念樹は五葉松だ。それが1年も経たないうちに枯れた。父が黙って新しい五葉松を植えてくれたのを、気づかない振りをしていた。誰もがあえてそれを話題にしなかった。私以外の誰の心にも記念樹が枯れたことにたいしての思いはあったろうに。

 庭師さんの言葉を借りれば、記念樹が身代わりになってくれたせいであろうか、まだ私たちは仲良く夫婦をしている。

 それにしても、庭の手入れも大変なようで、父が松を1本減らしたいと提案してきた。・・・・たしかあれは誰の記念樹でもなかったから・・・大丈夫。

 朝家を出て暗くなって帰る生活をしている私たちだ。家を守っていくことがどんなに大変なのか。父の偉大さを知るこの頃だ。

                        美恵子

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唐松について考える。

2007年09月27日 | 信州の木材
 今山に大きな変化が起きている。不気味だ。長野県は山国なのに早くから輸入材の製材に明け暮れた地域だ。さすがに戦後植林された木が間伐からいよいよ本格的な伐期を迎えるようになり、国産材に移行してきた。しかし唐松を建築材に使うためには、乾燥技術の向上を待たねばならなかった。そしていよいよ乾燥技術も完成の域に達した昨今である。

 ここにきてロシアからの輸入事情が変わった。ロシアも国力が付き丸太の輸出に関税が大きく付くような方向になったのだ。来春から25%そしてその後は80%に上がるのだという。

 それに大きく反応したのが、合板工場なのだ。かってベニヤは南洋材が主であったが、南洋材の輸入ができなくなって、針葉樹に変わってきたのだ。針葉樹特に唐松に関してはその特性のヤニの処理が問題だったが、それも技術力でクリヤーした。

 ロシアからの唐松で製造していたが、それが大変となると・・・・そうなのだ、国内の木材に目が向いた。これが使う量が莫大なのである。

 今まで8割もが伐り捨てにされていたことから考えると救世主のようなものだとも考えられる。しかし現実はそう簡単なものではない。

 ここにきてじわじわとこの合板会社の動きが私たち製材工場の集材に影響をもたらしてきている。
 単価の上がるのは仕方が無いとも言える。そうしなければ山の再生・循環はないからだ。しかしそれなりの体制が整わない内の一方的な動きは、大きな反動を起こすだろう。
 
 今まで港湾にあった合板工場はもう内陸に工場を作り始めるという。

 長野県の森林整備事業では、今まではほとんど出材しなかった。我々にしても、出材しても需要がないので、それをどうすることもできなかった。しかしこれからはその入札方法の見直しも必要だろう。

 さらに今まで売れなかったものが売れる時、いや売れたにしても価格が高い訳ではない今、そのお金が植林に回るかだ。伐りっ放しした場合のその後・・・・自然に任せようという気運がでているのは事実だ。だが重機が入った山の痛みは災害を生み出す。平なところならともかく本当に山といったところでは、1度地表の土が流れると再生はむずかしいのではないか。

 人口が減り始め、住宅の需要が少なくなるまでの、この10年が日本の山の勝負どこだと思う。輸入に頼れる時代ではない。合板を使わない家・・・・考えちゃうな。一番は長く持つ家を建てることなのかもしれない。

これだけ地球を汚してきた我々が未来の子供たちのために何を残せるか考えたい。

 唐松の話になると、熱くなってしまう。
                             美恵子
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将来の人口予測、佐久市はすごい。

2007年09月26日 | 日々のこと
将来人口予測(国立・社会保障人口問題研究所の推計)によると、長野県の人口は2001年の222万人をピークに2030年には185万人に減少すると見込まれている。
地域間格差が明確になっていき、市で増加するのは佐久市だけ。
 人口維持力が高いのは、製造業が発達した雇用の場がある地域のほか、軽井沢町・原村・白馬村のように風光明媚な地域も底堅く、また都市計画の規制が緩く地価の安い地域も、人口吸引力が高いようだ。・・・・新建新聞による。

 驚くことなかれ、あの長野市は2030年に2000年を100として88.6。松本市が96.8 上田市97.1 そして佐久市は112.7 お隣の御代田町が112.2 軽井沢町も96.2

 びっくりした予測だが、佐久平という地形的にも平らな土地に、新幹線、高速道路というインフラが充実し、さらに中部横断道路の開通も視野に入ってきている。
 佐久平駅周辺はすごい勢いで拡大し、お街になったわねえー、と感心してしまうほどだ。目立つはお医者さんの数。石を投げれば当たる位だ。

 人口が増えるのはうれしい。でも近在の村や町の数字が極端に悪いのは都市部に移動?の可能性もあるだろうが、それはどこでも同じことだから、やっぱり佐久市は住み易いところなのだ。・・・・・納得・納得。

 皆さん越してきてね。・・・・佐久市民を代表して。
                            美恵子



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽井沢雨宮敬次郎氏の邸宅を訪れて。

2007年09月25日 | 
SBCラジオで軽井沢の故雨宮敬次郎氏の御殿で、クラフト展が今月末までの週末開催されているのを聞いた。長野県には軽井沢と安曇野に作家の皆さんが多く住まわれ製作活動に励まれている。家の中で仕事をしているので、交流が少ないが今回のクラフト展でお互いの交流ができて良かったと結んでいた。

 確かにお茶席で出展者らしき皆さんが情報の交換をしている姿をお見かけした。
軽井沢が芸術家たちの製作の場になっているとは、時々見かけるアトリエの看板で知ってはいたが、また感慨を新たにした。

 中でも青木智恵子さんの焼き物と田所桂華さんの書とそれに添えられた詩に心惹かれた。

 本当のことを言えば、クラフト展は二の次で実は雨宮御殿を見たかったからだ。
すぐそばに叔母の家があり、子供の頃雨宮家の池でスケートをするのが楽しみだったのだ。最近まで黒塀に囲まれた広大な敷地は外から伺うことも出来なかった。
それが最近町に寄贈になり、公開されるようになったとのこと。

 明治の企業家、日本の鉄道王とまで言われた方の邸宅、興味が湧かないわけが無い。高い天井・ケヤキの格天井に床板・・・・さすがさすが。柱はと見れば私の目には唐松のように見えるのだが・・・・豪快に割れまで入って・・・・。

 障子のデザインも外部の窓ガラスのデザインも斬新だ。ガラスはあの昔のいびつのまんまだ。階段も螺旋階段。でも全体的にシンプルで大胆な造りだ。

 床の間に彼の年譜と写真があった。甲州生まれで13歳で起業家を目指した彼は、欧州を訪れた後、石油などの貿易や蚕卵紙の思惑や銀相場で失敗。その後製粉業を起こし軍隊用のパンの製造で成功。また紙幣下落防止に奔走し「世のため」「人のため」「国のため」という精神力がうかがえる業績を残している。

 その彼が肺病を患ったのを機に軽井沢に来、広大な土地の開墾そして植林事業に入っていくのだ、落葉松や樅を700万本以上を植林し今の緑豊かな姿に変えたのだという。
・・・・そこまで読んで、唐松の柱に納得したのだった。

 その後彼は近代産業に活躍の場を移し水力電気や甲武鉄道・川越鉄道・東京市街鉄道などの鉄道事業や製鉄事業を起こし日本の鉄道王と言われ、先見性のある企業家として多くの偉業を残し、1911年66歳で亡くなっている。

 学生時代の友人がこの雨宮家に縁があり、聞いてはいたが本当のところは理解していなかった。
昨日の軽井沢は霧に包まれて14度。寒い・・・・日でした。
                       美恵子
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出欠の判断は5分で出しましょうね。

2007年09月21日 | 日々のこと
 出欠の判断は5分で。若かり日どなたかのお話の中にあったこのことを実践している。出欠の返事に悩まされている方も多いだろう。

 女性と名が付く会のお当番をしていて嫌と思うのはこの返事の無い方への、電話での確認とお誘いである。講師を依頼してある場合はそれなりの人数も揃えなければならないから電話を掛けまくる結果となる。

 いろんな会に参加することは勉強になるからと、積極的に参加してきたがある程度の年齢になると、この電話当番レベルとなる。そしてあり地獄のように・・・・脱会できない。

 返事はすぐに、突発的なことが起きたならその時に判断すればいいこと。みなさん実行してくださいね。これで救われる方も多いんだから。

 20人ばかりにご案内を出した出欠、20日の締め切りに届いたのは半数。プルーンも終わったので今夜は電話でお誘いだ。まあそれも楽しいけれど。

 佐久のパートナーシップの今年の会長さんは畑井さん。役員を選出する会の日を間違えて役員になった私。おまけに初回の役員会も仕事で欠席。結果国際教育学習会の長になっていた。(・・・その内イベントの案内しますね。)

 この会に出席してこの会長の人柄と会の運営振りに驚いた・・・・できる人という一言につきる。先日お話する機会があったので、何者なの?とストレートにうかがった。

 40歳でパートで勤めはじめた会社で、十数人の部下を持つ課長さんになった方だ。いい返事と即仕事が気にいられてとは本人の弁だが、もともと十分能力があってのことだと思うが、「いい返事」と「即」には納得してしまう。

 そんな訳です。みなさん「即」返事は出しましょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋になりました。

2007年09月20日 | 季節のこと
朝食後居間で新聞を広げる時に毎年秋の訪れを知る。とにかく肌寒いのだ。
その朝通勤途上で見まわせば、ススキの穂やコスモスの花が目につく。暑い日々には不思議と見えなかったものが見える。

 それにしても、今年はカエルが多い。今頃あんなに小さなカエルがいるのと新発見をしている。そしてそれは雨模様になると本当に一斉に鳴くのだ。

 この頃思う、私は詩人か科学者かと。毎日新しい感動と発見の連続だ。
言いようによっては・・・・いいまでどこに目がついていたかだが。
まあとにかく物事は良いように考えることにしよう。

 佐久で一番早く紅葉する所、図書館の駐車場です。例年8月の下旬になると始まるのですが、さすがに今年は今頃からです。先日の台風で葉が落ちてしまったからなのか、ちょつと冴えませんが。お近くにお越しの節はご覧になって一足早い秋に出会ってください。

 長野牧場のななかまどの実も色づいてきています。ついでにどうぞ。
内山のコスモス街道も今見頃です。24日までコスモス祭りをしています。お出かけください。・・・・これは夫の代弁です。

人間は暑い暑いと夏を引きずっているが、自然は確実に秋に移行している。
今朝鏡を覗いた時、ふと母を見た。・・・・これも自然の摂理か。
そして食卓に向かい合った娘が、私にそっくりになった。・・・・これもまた・・・・。
 
                          美恵子

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プルーン畑から日本の食糧を考える。

2007年09月18日 | 日々のこと
この3連休に全精力をつぎ込んで、プルーンの収穫に励んだ。採ることよりも、その選別に時間と労力がかかるのだ。今年は台風の後だったので選果場のチェツクがより厳しい。いいもの消費者にということなのだろう。とっても正しい言葉ではあが。

 でも、それは本当なのだろうか。消費者は粒の揃った、傷一つ無いものだけを求めているのであろうか。
 今年のように、霜害・雹害てプルーンの実に「さび」や「小さな星型」がついているものが極端に多い。市場に出る量が少なければ価格が上がるというのが、市場原理のはずだが、生産者レベルにはそんな様子はないようだ。物には値ごろ感があるから果物などの嗜好品は高くなれば売れないからだ。

 結果として、生産者はお天道様しだいということになる。我が家も80歳を越えた父が生きがいで作っている。私にしても収穫時の手伝いは出来ても、間の管理や手入れはできない。となるともう時間の問題だ。周囲を見回してもみんなそんなレベルだ。田んぼはかろうじて荒地は少ないが(山間部になるとほとんど荒れている)、耕作されていない畑が多い。それは3割・4割にも及ぶ。

 お天道様次第と言う農家の収入では、暮らしていけないという厳しい現実がある。今年、国は新しい政策を発表した。これで少しでも田畑の荒廃地に歯止めがかかればと願う。

 旅に出ると出来るだけ市場を覗くことにしている。私の見た範囲では、わが国のような野菜や果物の選別をしているとこはなかった。

 きゅうりの話は良く聞くところであるが、マーケットに並ぶきゅうりを見て消費者はきゅうりはみんなあんな状態で採れるものだと思っているのではないかと思う。私は自家用のきゅうりしか知らないが、あの揃ったきゅうりの方が普通ではないと思っている。いかに規格外品をだしているかだ、規格外品は加工用にまわされるが、その価格はうそのような価格だと思う。

 食糧自給率の低下は深刻だ。今手を打たないと大変なことになると思う。70代80代が今の農業を支えている。この後は・・・・・・。

 娘の子は、どういう訳か野菜が大好きだ。それも父が作ってくれた野菜なら食べるという食通だ。それを見てると私もこの子らのためになんて・・・・・。

                          美恵子
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物の処分にもお金がかかります。

2007年09月14日 | お片付け
 枕元の本がもう20冊も溜まったいた。次から次と来る雑誌に追われてこの夏読書が出来なかった結果だ。

 退職後を田舎に帰って暮らされるお客様の田舎の家の解体の請求書がでてきた。
りっぱなお宅だったのでその解体費用はそりなりであるが、その中味の処分料が馬鹿にならない。

 ご両親が他界なされた後も度々帰られていたのだろうけれど、ゴミの収集は平日なのでその機会がないままに今日を迎えてしまったから、業者に依頼するしか方法がなかったのだが。

 自分の物なら処分はできるが、親世代の物を処分するというのも嫁の立場からすると難しい。実家の母の物を整理してあげようと手を出すと、生きている内から・・・とご本人は思うらしい。

 物を処分するのは体力・気力のある内でなければ出来ないと思うから年に1度は、お片づけデーを決めている。この夏浴衣を着ようと思い和タンスを開けてみて気がついた。タンスの肥やしとはよく言ったものでこはお片づけの対象外だったことに。

 新たに和服をもう作らないと決めたのは、下の子の小学校の卒業式だった。
さすがに嫁入りの時の訪問着が派手かな?という以前に流行が違ってきたのだ。
呉服屋さんに着物は3代持ちますと良く言われたが、持つのは分るがそれは人前で着れるということではないことに気がついたのだ。

 母にこれは40になったら50になつたらと持たせては貰ったが、女性のお集まりには着る勇気はない。これまた他の会の新年会にでもと思えばこれまた呉服屋さんがメンバーで、と言うわけで潔く諦めた。幸いなことに嫁入り前に着物に目覚めた娘が、ごっそりと貰ってくれた。・・・・ひょつとしてやはり3代目までのタンスのなんとかになるやもしれない。

 しかしまだ残っている分の処分をどうするかだ。何にどう利用していくかが問題なのだ。

 別のお客様にやはり故郷の家にある、お父様の蔵書とお母様の着物の処分で相談を受けた。みんな悩まれるのだ。

 物に執着しないと決めた日から、できるだけ物を増やさない生活を心がけているが、増えるのは本。・・・・でもこれは簡単だ次の人にまわせばいいのだから。
その他の物は減らすことよりも、増やさないことが肝要かなと日々いましめているんだけどな・・・・。

 娘を嫁にやってやれやれスキッリとしたと思っていたら、転勤族の彼らの荷物が我が家にどんどんと増えてきて・・・・もういい加減にして。まあ荷物だけの内はいいけれど・・・・・!!。

 みなさん思いませんか、朝家を出るときよりも帰宅する時の方が物が増えていると・・・・・。

 今日はプルーンの収穫がお休みです。  それにしても何でこんな文章になっちゃつたの。                    美恵子
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風被害

2007年09月13日 | 日々のこと
台風で倒れた赤松の伐採に立ち会ってきました。

軽井沢のお客様の別荘の屋根に、お隣の赤松が倒れ掛かってしまいました。

一本だけだから簡単に切れるかと思っていましたら大間違い。
クレーンで木が動かないように吊り上げ、人が上って枝をチェーンソーで払い、切断していました。
切り落とす枝をロープで引っ張る人、落ちた枝を片付ける人、クレーンを動かす人、木を切る人、補助をする人、一本の木を切るのに8人もの人がかかわっていました。

木の上で枝を落す人は命がけなんだと、ハラハラしながらみていました。
写真の枝の中に人がいるのがわかりますか?

軽井沢・御代田の一部は特に被害がひどくてまだまだ伐採工事は続くようです。
                              中島みゆき



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする