朝、電話が入りました。
友人かなと思ったのは、言葉の中になつかしいお国訛りがあったからでした。
特別キヤンペーンでと、何リットル入れが20本でとか・・・・焼酎?
???
すみません何の商品ですか。
アルカリ天然水だそうです。
話している本人は、わかっていらっしゃるけれど、こちらは突然電話で社名を言われてもわかりません。
どんなに安いです、20%オフですと言われても、水を買う生活していないから、おまけに1000キロも離れた地から運んでくる意味がわかりません。
この地は浅間山系と八ヶ岳山系の水道水です。川の水を再利用している訳ではないので、夏でも冷たいお水が出てくる幸せなところなのです。
すみません、とおことわりしました。
水も買う時代になりました。
地球のこれから一番問題になるのは水ですね。
佐久は国内でも一番早く、外国人が水源地となりうる土地の取得を禁止したはずです。
水道水が飲める我が国は世界一幸せな国です。
19日の新聞広告に「未来の食卓のために私たちができること」と、JA長野県グループが掲載していました。
以下そこから抜粋です。
どうする?どうなる?食糧自給率
日本の食糧自給率は昭和40年をピークに年々下がり続けています。
工業製品やその素材などと同様、海外との輸出入が正常時は特に問題ありませんが、供給を頼っている国に何かあったとき、
私たちが今と同じ様に暮らせる保証はありません。
昭和43年、GNPが西ドイツを抜いて世界2位になった年、日本は高度成長の真っただ中、生産額食糧自給率は86%、カロリーベースの食糧自給率は73%でした。
そしてオイルショックの昭和48年は石油価格の高騰で消費者物価指数が翌49年までに23%上昇し狂乱物価と言われた時がカロリーベースで50%位です。
そして平成の米騒動と言われた平成5年は、お米の収量が減少し、コメ不足になり輸入しました。この年のカロリーベースが37%でした。
その翌年は回復したもののその後は減り横ばいから下方に向かい、平成30年には37%です。
「平成の米騒動」レベルに低下です。
・・・・・・・・
戦後食料が足りませんでした。
だから開墾をしました。
我が家も畑を田んぼにしたのは、私が小学生に入った頃だから、昭和30年代前半の頃。
村中がお米の増産にがんばったのです。
そのうちにコメ余りになり、減反。
標高が高い土地の米はおいしくないです。
そして農村から人が消えていき、ろくな機械も無い時代に人の力で開墾した田んぼでしたが、
減反による休耕を経て、今軒並み太陽光発電のパネルが並んでいます。
もう戻れません。
平成の米騒動の年は8月の稲の開花の時期が今年の様に低温長雨続きでした。
秋になっても、青立ちの稲をたくさん見ました。
都会の取引先に電話の折に、今年は米不足になりますよ、と警告していました。
みなさん「そんなー」と言う感じでした。
その年、当時の社長は自分の田んぼのお米の供出を止め、取引先に送りました。
我が家に至っては青立ちでお米がほとんど採れませんでした。
・・・・・・広告では
ではどうすればいいでしょう?
と消費者に訴えています。
例えば、産地を意識して、購入して、なるべく地元の食材を購入する。
新鮮な旬の農産物を食べるなど、できることから始めてみませんか。
・・・・・
なんか出だしの割には結末がご粗末のような気がしました。
私は、みんなが1日ごはんを1膳多く食べること、を勧めたいですね。
お読みいただきありがとうございました。
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