私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

温泉

2008-04-29 11:04:10 | ひとり独り言
熱海の道路には、水道管と同じように温泉管が通っていて温泉の仕切り弁が道路に埋設されていた。温泉地では普通の事でしょうが、初めて見る者には、新鮮なものに見える。

街中の古いアパートには、浴室が無い建物もあり、近所の銭湯に行く事に成っていたそうで、近所の銭湯もまた温泉だったりして、なんだか便利だった様だ。しかし、その温泉も出なくなり、公衆浴場は閉鎖され荒れ果てた浴場は倉庫になっていた。そして、アパートに住む人も、高齢者になっていた。公営のアパートが郊外にあるが交通の便が悪く、体の不自由な年寄りには、街中のアパートの方がイイらしい。昭和30年代に出来たアパートに、建築当初から住んでおられ、街の盛衰を見てこられたようだ。

時代の流れとは言え、廃れていく様子を見るのは淋しい気がする。

余談:「銭湯」の言い方も現在は「円湯」と言うべきか?しかし、公衆浴場でさえ無くな    りつつあり、化石の言葉になりそうだ。
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熱海城

2008-04-29 10:09:10 | 気儘に散策
熱海の朝を散策し、旅館に帰ろうと振り返ったら、天守閣が見えた。
これは、熱海城かと思いながら宿に戻り、甲斐甲斐しく働く仲居さんにあれは熱海城かと尋ねると「そうです。熱海城です。歴史的な価値は全くありません」とバッサリ。

インターネットで調べてみると
熱海城は海抜120米余、名勝地錦ヶ浦を脚下に控えた天与の要塞地にあり、築城には最適の地とされています。戦国時代の昔、関東・東海地方に威をふるった小田原北条氏歴代の名将たちも水軍の根拠地として築城を希望しながら果たしえなかったと伝えられています。
熱海城天守閣の建築様式は日本の築城建築が発展の頂点に達した桃山時代、慶長初期の様式にのっとり、外装5層、内部9階の高層建築で昭和34年に築城されました。同時期に復興・再建されたお城として小田原城、名古屋城、大阪城などがあります。
熱海城HPより


全くの観光用らしいが、更に検索してみる。

 熱海城天守閣にそびえる、「金鯱」は雄の高さ九尺八寸(約3m)、雌は九尺六寸(2.9m)と、そろって日本一を誇り、約一年間の製作日数を要した、重量二百貫(750kg)のものであります。

<熱海城の概要>
 ・構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り九階
 ・延床面積:6、431平方米(約1950坪)
 ・外観;桃山調五層共日本瓦本葺、外観白セメント
 ・高さ:敷地地盤 標高125m、天守閣高さ 43m
 ・主なる所要資材:鉄筋・鉄骨 1、100トン、コンクリート 6、800立方米
 ・延工事人:78、000人
 ・建築期間:14ヶ月
 ・築城完成:昭和35年(1960)10月
                       Kみむ より


古いRCの建物が残っている事が既に、珍しい物になってきている。
耐震強度に問題が見つかり、取り壊される前に見ておいた方が良いかも知れない。現存する昭和のRC建物として。

熱海の町で自転車に乗っている人を見ない。自転車に乗れる場所(道路)が海岸通りのほんの一部しかない事もその要因で、それよりも自転車屋が見当たらなかった。例え補助動力が付いていても、急な坂道では自転車は無理だと思うし、そこまでして乗りたいと思う物好きも居ない様だった。
実際に話を聞いてみると、「最後に自転車に乗ったのは、10年位前だと思う」と地元の飲食関係にお勤めのお姉さん(熱海嬢)が言っていた。


コメント (2)
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フナモリ

2008-04-29 00:00:00 | ひとり独り言
今回の熱海の仕事料が、現物で支給された。
支払いの時、この舟盛が経費に含まれていたことは言うまでも無い。
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