富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「イエスのティべリアス湖畔での顕現」 ヨハネによる福音書21章1~14節

2020-04-27 23:25:20 | キリスト教
981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
                 日本福音教団 富 谷 教 会    週   報
復活節第三主日   2020年4月26日(日)      午後5時~5時50分
年間標語「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体 を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆこう。」(エフェソ4・16)
聖 句 「御父が、その霊により力をもって、あなたがたの心の内にキリストを住ま
わせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」
                                                                                        (エフェソ3・16-17)
                                           礼 拝 順 序
前 奏             奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21)  57(ガリラヤの風かおる丘で)
交読詩編  145(わたしの王、神よ、あなたをあがめ)
主の祈り   93-5、A
使徒信条   93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)ヨハネによる福音書21章1~14節(新p.211) 
説  教  「イエスのティべリアス湖畔での顕現」         辺見宗邦牧師
祈 祷                
讃美歌(21) 197(ああ主のひとみ)
献 金
感謝祈祷              
頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)
祝 祷             
後 奏
                                  次週礼拝 5月3日(日)   午後5時~5時50分  
                                聖 書 ヨハネによる福音書21章15~25節
                                説教題 「あなたはこの人たち以上にわたしを愛しているか」 
                                讃美歌(21) 320 481 24 交読詩篇 116

                 本日の聖書 ヨハネによる福音書21章1~14節
 21:1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。 4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。 5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。      9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。 11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。 14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
                             本日の説教
 ヨハネによる福音書は、20章の30―31節で、この福音書が書かれた目的を記し、締めくくりの言葉としています。21章は、後になってから追加された文書です。
21章が追加された理由は、復活のイエスが、ユダヤのエルサレムだけでなく、弟子たちの出身地であるガリラヤでも現れたことを記すためでした。
21章1節は、次のような言葉で始まります。「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。」
<ティベリアス湖>とは、ガリラヤ湖の別名です。紀元18年頃にヘロデ大王の子、ヘロデ・アンティパスによってガリラヤ湖畔の西岸中央部にティベリアスという町が建てられました。このティベリアスという名は、当時のローマ皇帝ティベリアスにちなんで付けられ、ギリシア風都市として建てられました。この町はガリラヤ地方の首都になりました。ガリラヤ湖がティベリアス湖と呼ばれるようになったのは、この町の名に由来しています。
21章の2節以下に、ペトロを筆頭とする七人の弟子たちが、ガリラヤ湖で魚を獲る漁師の仕事をしていることが書かれています。主イエスに従っていた三年間は、自分の持ち物を出し合って、イエスの一行へ奉仕する多くの婦人たちもおり、金持ちの徴税人ザアカイのようなイエスによって救われた協力者もいたので、弟子たちは生活には不自由しませんでした。だが、イエスを失った後、自活しなければなりません。弟子たちが漁を始めたのは、パウロがテント作りをして生計を立てたように、自活するために必要だったのではないでしょうか。
シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいました。ゼベダイの子たちとは、ヤコブとその兄弟ヨセフです(マタイ4・21)。七人の内、五人の名は分かります。他の二人は、ペトロの兄弟アンデレと、ペトロと同じベッサイダ出身のフィリポと思われます。
ペトロ、ヤコブ、ヨセフは明らかにガリラヤ湖の漁師でした。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言いました。場所は記されていませんが、おそらくペトロやヨセフの出身地のベッサイダと思われます。
彼らは出て行って、舟に乗り込みました。しかし、その夜は、弟子たちは夜通し漁をしたのに、一匹の魚も獲れませんでした。徒労感で、心身疲れ切って岸に向かって帰ってきたのです。
既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられました。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分かりませんでした。舟が岸に近づいたときでしょう、イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるのかと言われると、彼らは、「ありません」と答えました。イエスの質問は、食べる魚を欲しくて言ったのではなく、「何も食べるものを獲れなかっただろう」という思いやりの質問でした。
イエスは、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と言われました。言われた通り網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができませんでした。
イエスとペトロたちの最初の出会いの時も、これと同じような大漁の奇跡がありました(ルカ5・1~11)。ペトロやヨハネは主イエスと最初にお会いして召し出された時の事を思い起こしたに違いありません。
「イエスの愛しておられたあの弟子」のヨハネがペトロに「主だ」と言いました。ヨハネは復活の主を感知することはペトロに先んじています。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着(漁師の服)をまとって湖に飛び込みました。上着をまとったのは、主の前に裸で出るのは畏れ多かったからでしょう。飛び込んだのは、主の身許に少しでも早く泳いで近づくためだったと思われます。ペトロの愛すべき性急さ行動力が表れています。
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来ました。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのです。<二百ペキス>とは、90メートルの距離です。
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてありました。その上に一匹の魚がのせてあり、一個のパンもありました。主イエスが弟子たちのために朝食を用意しておられたのです。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われました。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいでした。それほど多くとれたのに、網は破れていませんでした。
<百五十三匹>という数字は何を象徴しているのかにつては、古来種々の説があり確定することはできません。分かりやすい有力な説は、ヒエロニムス(340?~420年、アンティオキア教会の教父、神学者)の説で、当時の地中海に棲む魚の種類を表す数であったとし、世界のすべての人々が伝道の網に一杯に満たされるということの象徴であるとする説です。
 <網は破れなかった>は、「天国は、網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める網にたとえられる」(マタイ13・47)とイエスが教えらえているので、網は教会を指すものと想定され、多種多様な人々から成り立っていても、主にあって一つであり、分裂しない、ということを表していると解されます。
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われました。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしませんでした。主であることを知っていたからです。イエスは来て、パン(単数形)を取って弟子たちに与えられました。魚(単数形)も同じようにされました。主イエスは生きるために必要な食卓を弟子たちのために用意用意してくださったのです。
主から与えられた朝食は日毎の糧としての食事でした。主と食事を共にするのは最後の晩餐の時以来のことであり、この日毎の糧としてのパンをいただいた弟子たちは、「わたしが命のパンである」(6・50)と言われた主のことばも思い起したでしょう。また、最後の晩餐の時の聖餐のテーブルを思い起したでしょう。
ペトロがこの時の食事について、コルネリウスの家で話したことが、使徒言行録に記されています。「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。」と話しています。
イエスは、弟子たちの故郷の地、ティベリアス湖畔で弟子たちに御自身を現されたのは、三度目です。イエスは、一度目は、エルサレムで弟子たちに現れ、二度目は一週間後、不信のトマスが弟子たちと共にいた時に現れました。その時トマスは、復活の主を「わが主、わが神」と呼んで、信じました。復活のイエスの顕現は、幻影や幻想ではなく、霊や幽霊でもなく、死の支配に勝利されて復活された神であるキリストとの交わりを体験したのです。
エルサレムから故郷に戻った弟子たちは宣教していく時、自活するために仕事をしなければならないこともあります。その場合にも生活を支えてくださるのは主であることが、この出来事の中に示されています。弟子たちが夜通し漁をしても不漁であったことを知っておられた主は、空腹の弟子たちが岸に帰るのを待って、朝食を準備し、既に夜が明けたころから、イエスは岸に立って弟子たちを待っておられたのです。
また、イエスのお言葉に従って網を打ったとき、沢山の魚がとれたのは、宣教の業においても使徒たちの人間的努力だけではうまくかず、主イエスの命令と助けによってはじめて可能であることが示された出来事でした。
岸での復活の主イエスと共に過ごした朝食のひと時は、弟子たちにとって天上の至福にも等しい貴重な経験であり、主の復活の証言者として宣教活動を続けていくうえで、大切な意味をもっていました。
十字架で死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスは、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださる方なのです(ローマ8:34-35)。御霊の神として、いつもわたしたちと共にあり、私達の日常の
生活も配慮してくださり、必要なものを備えてくださる方であり、宣教の業も支え導いて下さる神であられる方です。
 主イエスによる救いの恵みを人々に証し、伝えてまいりましょう。

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