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「病気で苦しむ人を癒すキリスト」 (世界保健機関の旗にある蛇について)ヨハネによる福音書5章1~9節

2020-04-28 11:26:05 | キリスト教
          ↑ベトザタの池で、三十八年間も病気で体の不自由な人を癒したイエス・キリスト  
        聖書 ヨハネによる福音書5章1~9節
  1その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。2エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。3この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。4*彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
 
               本日の説教
  5章1節には「その後、ユダヤ人の祭りがあって」とあります。「この祭り」は、仮庵の祭りであったと予測されます。紀元31年(?)の秋頃と思われます(バイブルワールドp.89)イエスはエルサレムへ行ききました。
    イエスは、巡礼者が神殿の丘に入る前に沐浴(もくよく)するベトザタの池に行きました。エルサレムの羊の門の近くにあった池です。神殿へ来る巡礼者たちはそこにいる病人たちに施しをしました。
     ベトザタの池の<ベトザタ>とは、「オリーブの木の家」という意味のことばです。この池のあった地域の名称が「オリーブの木」を意味する<ベゼッタ(ベゼタ)>なので、「ベト(家)+ザタ(オリーブ)=ベトザタ(オリーブの木の家)」の名称で呼ばれたものと思われます。
  口語訳聖書で使われたいた<ベテスダ>は、「憐れみの家」を意味することばです。「べト(家)+へセダ(憐れみ)=べテスダ(憐れみの家)」の名称は、イエスの奇跡的行為の行われる場所にふさわしい名称として後からつけられた名と思われます。
   
  「羊の門」は神殿の北の門。ネヘミヤが補修再建したエルサレム第二神殿と12の城門の一つ。
   ベトザタは<羊の門>の近くにありました。羊の門は、ユダヤの総督ネヘミヤがバビロン帰還後に再建(前445~433年)した12の門のうちの一つです(ネヘミヤ記3・1)。この門の名は、神殿に捧げる羊を運び入れる門で、この羊を洗浄するための池が、ベトザタの池の最初でした。その当時は池の名も「羊の池」と呼ばれていたようです。
  この池は、その後の紀元前164年~前63年まで、ユダヤが政治的に独立したハスモン王朝時代、神殿とエルサレム市内に大量の水を供給する必要から、大規模な雨水を集める貯水槽になりました。貯水槽の周りに回廊を造ったのは、ローマ帝国の元老院によりユダヤの王に任命されたヘロデ大王です。回廊というのは、屋根付きの廊下のことです。ヘロデ大王は紀元前20年頃から前9年にかけて、エルサレム神殿の拡張工事をしました。この工事は、紀元64年ヘロデ・アグリッパ王の時に完成しました。
    池の考古学上の発掘が1878~1932に行われた結果、建設されたのは紀元前2世紀頃で、池は長方形で高低差のある二つの池に分かれており、二つの池を囲む四つの回廊と池の段差のある部分を区切を横切るように、高い方にもう一つの回廊がありました。男性用と女性用の二つの池を合せて、南北が約100m、東西は約50-60m(北の池は東西52m・南北40m、南の池は少し大きく,東西64m・南北47m・深さ15m)あることが分かりました。 
    
    (再現した50分の1モデルが、上の写真です。)
    発掘された回廊には水浴中の婦人像や小麦の穂を捧げている人物像の壁画や、さらに蛇の彫刻がなどの断片が出土しました。これらはまさしくギリシア神話の医学の神、アスクレピオスの祭儀のシンボルでした。一世紀の時代に、ここにアスクレピオスの神殿が建っていて、病人が治療に来ていたことが分かったのです(関谷定夫著「聖都エルサレム5000年の歴史」)。アスクレピオスは、優れた医術の技で死者すら蘇らせ、神の座についたとされることから、医神として現在の医学の象徴的存在となっているのです。
              
ギリシャのエピダウロスにあるアバドン(聖なる場所)  アスクレピオスの像と杖。
ここで受けたお告げにより治療が行われた。
 
杖には蛇が巻き付いています。常に蛇をともなって病気治癒に従事したという伝承によるものです。蛇は長い体や毒をもつこと、脱皮をすることが「死と再生」を連想させるため、古代では「生と死の象徴」とされていたからです。
     ベトザタの池の五つの回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていました。
    彼らは、水の動くのを待っていました。主の使いが時々の池に降りて来て、水を動かすのですが、水か動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気かかっている者でもいやされたからです。この池は、水面が波立ったときに、最初に入ったものは、奇跡的に癒されると言われていました。医神アスクレピオスの癒しを求めいたのかも知れません。
    この人たちは、ただ水が動くのをじっと待つ日を送っいたのです。回廊の周りにいる者は、われ先に池に入ろうと池を見つめていたのです。病人の世界にも、われ先に、人を押しのけてでも、という醜い姿がありました。
 この回廊に、38年も病で苦しんでいる人が横になっていました。その人を見たイエスは、こう語りかけます。「良くなりたいか」、原文では「あなたは健康になることを願うか」です。しかし、この人は「よくなりたいです」と答えず、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです (7節)」と答えています。
    自分の病気が治らないのは、ほかの人が誰も自分のために何もしてくれないからだ、と言ったのです。この言葉は、半ばあきらめて、本気でよくなりたいという意志がほとんどなかったことを表しています。この38年間病気の人は、自分のこれまでの思いをイエスにぶつけました。
     イエスの質問は、この「治りたい」という意志を取り戻すための言葉でした。本気でよくなりたいという意志を取り戻したこの病人に、イエスは「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と言われました。
    「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだし」ました。イエスは、本気でよくなりたいという意志を取り戻した病人に、イエスの言葉を信じて立つことを命じたのです。信仰は、イエスの言葉を信じて立ち上がり、歩み出すことです。
    その後、イエスは神殿の境内でこの人に出会って、「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない」と言われました。
    聖書は、人の病気の直接の原因はすべてその人の罪のためであるとは、決して教えていません(9・2~3)。しかしこの病人の場合、この病気の原因は、この人の罪によるものでした。<もう、罪を犯してはいけない>と言われた主イエスのお言葉がそのことを示しています。 
   主イエスは、彼に病気の原因である罪を示すことによって、彼の罪が赦されたことを教え、身体の癒しだけでなく、罪の支配から解放される救いをも与えられたのです。
  異教神殿化されたベトザタの池で、イエスが病人を癒したのは、ローマ帝国の支配する世界で、絶大な勢力を誇っていたアスクレピオス信仰へのイエスの挑戦であり、イエスこそ真の治癒神であることの宣言でした。
    その後、この池の上に聖堂が建てられました。現在は聖アンナ教会が建っています。それは、キリストのアスクレピオスに対する勝利の証しでもあります。
    今日もアスクレピオスの杖は、医療・医術の象徴として世界的に用いられています。世界保健機関(WHO)の旗にも,日本の救急車にも杖と蛇のマークが、薬剤関係の会社名  
    世界保健機関(WHO)        国際連合United Nations(UN)
     
 「国際連合」の旗は、北極を中心にした世界地図を、平和の象徴であるオリーブの葉で囲んだものです。「世界保健機関」の旗は、国際連合の旗の真ん中に、アスクレピオスの杖が入っています。それは、ギリシア神話の医神、アスクレピオスの神力にあやかろうとしているのでしょうか。
  世界中で救急医療のシンボルマークになっているのは、スター・オブ・ライフ(命の星)です。突出した六本の柱には、それぞれ次のような意味があり、「detection」が頂点で以下時計回りである。 1.detection (覚知)2.reporting (通報)3.response (出場)4.on scene care (現場手当)5.care in transit (搬送中手当)6.transfer to definitive care (医療機関への引き渡し)
     
                                   日本の救急車
 
  キリスト者である私たちは、この蛇を聖書的に解釈して、民数記21章4~9節の物語に出てくる蛇を連想した方が良いと思います。
    
 エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民は、モーセに導かれて脱出(出エジプト)します。しかし、約束の地カナンにたどり着くまで40年もかかりました。そのためイスラエルの民の喜びは、やがて不満の声となって神に向けられます。怒った神は人々に蛇を送り多くの人が亡くなります。そこでモーセは、神に祈り、神の言葉に従って青銅で蛇を造り、旗竿の先に掲げました。「蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。」とあります。
 ヨハネによる福音書第3章の13節 以下によると、主イエスは、「天から降って来た者、す なわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、 モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならな い。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためであ る」と言われています。このようにモーセが 掲げた青銅の蛇は、主イエス・キリストの十字架の死を予告し、指し 示すものでした。
 主イエスは、「ありとあらゆる病気や患いをいやされた」神の子です。病の癒しだけでなく、罪と死から救ってくださる、真の治癒神であることを人々に伝えなければなりません。
 
 
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