↑ペトロが、ひざまずいて祈り、遺体に向かって「タビタ、起きなさい」と言うと、 彼女は目を開きペトロを見て、起き上がった。
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日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
聖霊降臨節7主日 2024年6月30日(日)午後3時~3時50分
礼 拝 順 序
前 奏 辺見トモ子姉
司 会 邉見 順子姉
讃美歌(21) 405(すべて人に)
交読詩篇 49(諸国の民よ、これを聞け)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)使徒言行録9章36~43節(新p.231)
説 教 「生命の回復」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 518(主にありてぞ)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
オン・ラインで礼拝に参加希望の方は、090-3365-3019
(牧師携帯)へ申し込み下さい。歓迎いたします
次週礼拝 7月7日(日)午後3時~3時50分
聖 書 使徒言行録24章10~21節
説教題 「復活の希望」
讃美歌(21)323 327 27 詩編96
本日の聖書 使徒言行録9章36~43節
9:36ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。37ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。38リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。39ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。40ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。41ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。42このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。43ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。
本日の説教
地中海に面したヤッファ(現在のテル・アビブのヤッファ)の町にヘブライ名はタビタ、ギリシャ名はドルカス(「牝のかもしか」の意)という婦人の信者がいました。「ドルカス」と言う名はこの婦人のスリムな姿と活発な活動を想像させます。彼女は数々のよい働きや慈善をしていた人でした。このような働きによって、ドルカスは教会にとってなくてはならない存在でした。彼女はやもめたちの世話や、自分のできる針仕事で衣服を作り与えていたのです。
「ペトロの巡回宣教」(使徒9:32)紀元35年~45年にかけて ①ルダ=リダ ②ヨッパ=「ヤッファ」
ところが、そのころ彼女は病気になって、ついに死んだのです。ヤッファの教会の人々は悲しみ、落胆しました。人々は亡くなった彼女の体を洗い清め、別れを惜しみ、屋上の部屋に安置しました。かつてエリヤが、シドンのサレプタのやもめの子が死んだとき、階上の部屋に子どもを寝かせて生き返らせたことがありました(列王記上17・17~24)。タビタも階上の部屋に置かれたのです。死は人生の最大の問題です。どうれば死別の悲しみが癒されるのでしょうか。どうしたら死を乗り越え、死に捕らわれない生き方ができるのでしょうか?
リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼みました。リダとヤッファの距離は近く、18キロでした。ここもフィリポの伝道地でした。使いのしらせを受けたペトロは、リダをたって、その二人と一緒に出かけました。人々はペトロが到着すると、屋上の部屋に案内しました。すると、かつてドルカスから施しを受けていたやもめたちは皆ペトロのそばに寄って来て、泣き悲しみながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せました。ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がりました。ペトロは彼女に手を貸して立たせました。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せました。
生き返ったタビタを見た人たちは、この信じられない出来事にどんなに驚いたことでしょう。そして喜んだことでしょう。この奇跡は終末に起きる復活の先取りのしるしでした。
ペトロがタビタにしたことは、かつて主イエスが会堂長ヤイロの娘を生き返らせた時と似ています(マルコ5:35~43)。主イエスは、三人の弟子たちと子供の父母を残し、他の人々を外に出しました。そして子供も手をとり「タリタ、クム」と言われました。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味です。少女はすぐに起き上がって、歩き出しました。もう十二歳になっていたからです。
ペトロは「タビタ、起きなさい」と言ったと使徒言行録の著者は記しています。ペテロは主イエスが会堂長の娘を生き返えらせたとき、そばにいたので、イエスと同じように、「タビタ(実名)、起きなさい(クム)」と言っています。イエスの時は、「タリタ(少女よ)、クム(起きなさい)」です。
主イエスのなさったこととペトロのしたこととの根本的な違いは、主イエスはご自分の力で娘を生き返らせたことです。一方ペトロは、ひざまずいて祈り、主に願ってから「タビタ、起きなさい」と言ったことです。
主イエスに祈ったペトロの言葉に、主イエスが働かれたのです。イエス・キリストの復活の力、聖霊の力によって、タビタは生き返ったのです。この奇跡はヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じ、信者になりました。
主イエスは、会堂長ヤイロの娘と、ナインのやもめの息子(ルカ7:14-15)と、べタニヤのラザロ(ヨハネ11・43)の三人を生き返らせています。それはイエスが神の御子であることを証する目的のためであり、愛のあらわれとして行われたものでした。ラザロの場合は、彼の死を悲しんでいる二人の姉妹、マリアとマルタを憐れんだためであり、イエスが生も死もつかさどる神であり、イエスを信じる者は死んでも生きるのであり、決して死ぬことはないことをあかしするためでした。
「兄弟たち、すでに眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知って欲しい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」(テサロニケ一、4章13-14節)とパウロは励ましています。
使徒言行録は、当時の教会が、言葉と力ある業、多くのしるしによって信者の数を増していったことを、くり返し述べています。聖霊の働くところ、そこには「イエスは主である」との信仰が生まれ、イエスの名は、天地の創造者である父なる神と同じように、命と死を与える力を持っていることを知らなければなりません。
今は、神のみこころの完結された啓示である聖書が与えられているので、当時と同じ形での奇跡を求める必要はありません。しかし、神は全能の父なる神であり、「神にできないことは何一つないのです。」(ルカ1:37)
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