富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「主の来臨の希望」 エレミヤ書33章14~16節

2018-11-29 12:43:49 | キリスト教

   ↑  オランダの画家レンブラントの油彩「エルサレムの滅亡を嘆く預言者エレミア」(1630年)アムステルダム国立博物館所蔵

 絵画の解説 “エルサレムの陥落の日、地下牢に監禁されている預言者エレミヤ”

 「薄暗い洞窟のような場所にエレミヤは頭に手を当て、物憂げな表情で佇んでいる。緑の衣服の上に青と毛皮のついたガウンを着ており、その身なりは預言者らしい威厳あるものになっている。足元にも金の刺繍がされた赤の絨毯がおかれており、金銀細工がおかれている。手元の辺りには古めかしい本が置かれているが、「BiBiL」という文字から聖書ではないかと思われ、エレミヤの預言者という勤めを示している。画面奥には燃え盛る炎が描かれており、エルサレムの滅亡を示唆している。エレミヤの表情に光のハイライトが当たる一方で、炎で暗喩的にエルサレムの滅亡を示すというまさにレンブラントらしい手法をとった作品であるといえる。」

 981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

   待降節第1主日  2018年12月2日(日)    午後5時~5時50分 

           礼 拝 順 序

                 司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 227(主の真理(まこと)は)

交読詩編   25(主よ、私の魂はあなたを仰ぎ望み)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)エレミヤ書33章14~16節(旧p.1241)

説  教      「主の来臨の希望」  辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 456(わが魂(たましい)を愛するイェスよ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

           次週礼拝 12月9日(日) 午後5時~5時50分

          聖 書 イザヤ書55章1~11節

          説教題   「旧約における神の言」 

          讃美歌(21) 356 231 24 交読詩編19

 ◎クリスマス茶会 12月8日(土)クリスマス茶会を催します。参加希望の方は申し込みください。茶道を通して、福音を伝える伝道の機会です。12時からは三十分の礼拝です。ご加祷ください。

    本日の聖書 エレミヤ書33章14~16節

  33:14見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。 15その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。 16その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。

    本日の説教

イ ザヤが活動した後、73年後に再びエルサレムに偉大な預言者が現れました。それがエレミヤです。エレミヤが召命を受けたのは、ユダ王国の名君と言われたヨシヤ王治世の13年です。エレミヤが召命を受け、預言活動を開始したのは紀元前627年の時です。ユダの王ヨシヤ(在位31年)、更にヨアハズ(在位3月)、ヨヤキム=エホヤキム(在位11年後、第一回バビロン捕囚)、コンヤ=ヨヤキン=エコンヤ=エホヤキン(在位3か月)、ゼデキヤ(在位11年後、第二回バビロン捕囚)の時代まで、40年の間、預言活動を続けました。最後は、エレミヤはエジプトの地中海沿岸の町タフパンヘスへ連行され(エレミヤ書43・7,44・30)、エジプトの地で殉教の死を遂げたと言われています。

  エレミヤは、召命を受けたとき若者でした(エレミヤ書1章)。エレミヤの出身地はベニヤミン族の相続地の中にあるレビの町アナトトです。アナトトはエルサレムの北東4.5キロにある小村です。エレミヤとは、「ヤーウェは建設したもう」という意味であり、祭司ヒルキヤの子として生まれました。

 

  エレミヤ書1章4節以下は、エレミヤの召命の記事です。神の言葉は圧倒的な権威に満ちてエレミヤに臨みました。神はエレミヤを母の胎内に造る前から知り、母の胎から生まれ出る以前に聖別し、「諸国民の預言者として立た」と告げました。この神の呼びかけに対し、エレミヤは、わたしは語る言葉を知らず、若者に過ぎませんと言って抵抗しました。しかし、神は、若者にすぎないと言ってはならない。だれのところへでも行って、命じることをすべて語れと言われました。彼らを恐れず、エレミヤを使命に向かわせたのは、「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」という神の励ましの言葉でした。神はエレミヤの口に直接手を触れてみ言葉を授け、預言者として任命しました。

  エレミヤが預言者として活動したのは、ユダ王国が衰退し、王国の滅亡とバビロン捕囚という破局に向かっていた時代です。エレミヤは、数十年にわたって警告者、勧告者として同胞の民に、神の裁きがまじかに迫っていることを語り、悔い改めの呼びかけをしなければなりませんでした。

  エレミヤは最初、全力をあげてヨシヤ王の宗教改革(626年)を支えました(エレミヤ書11章1-5節)。しかし、先頭に立つヨシュヤ王が戦死したことによって改革は挫折し、ヨヤキム王の時代を迎えるころにはふたたび宗教が自由化され、偶像礼拝がはびこるようになりました。

  ユダ王国はエジプトの支配を受け、王と民は政治的な不安の中にありましたが、エルサレム神殿があるかぎり大丈夫だという思いがありました。エレミヤはエルサレム神殿にて、「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(エレミヤ記7・4)ときびしく非難し、形ばかりの礼拝を続けているユダ王国は滅亡する。真の悔い改めによる信仰を目指すため、神殿破壊こそ神のみ心であるとの預言を行いました。また、バビロニアのネブカドネザル王を神がユダ王国を懲らしめるために遣わした存在と主張し、エジプトと手を結ぶことを非難し、バビロニアへの降服を神の審判として謙虚に受け取り、出直すことを預言したのです。

 エレミヤは、人々が彼に期待したことを告げませんでした。ユダとエルサレムに対する審きのときが、いまこそ訪れ、今度は神はその都市(まち)を守らない、と告げたのです。また、バビロニアに降服するよう、エルサレムの住民に求めたのです。彼は人々から治安を乱す者、敗北主義者とみられ、迫害されました。ゼデキヤ王に、ユダ王国がバビロンによって滅亡することを預言したため、ゼデキヤ王によって逮捕され、バビロンによってエルサレムが陥落する日まで、監視の庭に拘留されました(37-38章)。

  エレミヤは孤独と悲哀の生涯を送った「涙の預言者」と言われています。それは彼が味わった苦悩と悲嘆の深さを表す表現です。エレミヤは自分の誕生を呪うまでに苦しみ、二度とふたたび主の言葉を語るまいと決意するのですが、彼の心の中に、神の言葉が「燃える火」となって、彼は語らざるを得ませんでした(20章)。エレミヤの苦しみは預言者として語らなければならない苦しみだけではなく、エルサレムの滅亡と背信の民の滅びを悲しむ苦しみでもありました。

  エレミヤはイスラエルの国が北からの脅威にさらされている状況の中で、「広場で尋ねみよ。ひとりでもいるか。正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう」(5章1節)という神の命令を受けます。イスラエルは、神との正しい関係、また人と人との間の正しい関係があるのか、真実を求める者がいるのかを捜せと言われたのです。もし、一人の義人、一人の真実な者があれば、神はイスラエルを救うというのです。しかし、無知な身分の低い人々にも、身分の高い人々を訪れても、主の道、神の掟を知っている人はいませんでした。それゆえ神は「遠くから一つの国をお前達の上に襲いかからせる」と言われるのです。

  エレミヤは、エルサレムからバビロンへ連れて行かれた長老、祭司長、預言者たち、及び民のすべて(3023人)に、手紙を送り、励ましました。バビロンで七十年過ごしたら、神は恵みの約束を果たし、エルサレムに連れ戻すという預言でした。実際は五十九年でこの神の約束約束が実現しました。

  エレミヤはイスラエルの滅亡と捕囚とを、彼らの罪に対する神の審きと受けとめ、その罪が赦され、イスラエルとユダの回復する日が来ることを預言しました(30章)。31章では、エレミヤは希望と慰めとを語っています。それは神がイスラエルの家とユダの家との間に新しい契約を結ばれる日であるというのです。イスラエルが神の愛と真実のゆえに解放され新しい出発をする時、神は新しい契約を立てると言うのです。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記すわたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ書31・31~33)というのです。神が民と結ぶ契約ではなく、神が個人と結ぶ契約です。個人が自分自身の責任において神と出会い、「心に記された律法」に従って生きるという預言です。このエレミヤの「新しい契約」の預言は、イエス・ キリストによって実現するのです。

  33章の主の言葉は、エレミヤが獄舎に拘留されていたときに、臨んだものとされています。バビロン軍のエルサレム包囲中に、エレミヤがゼデキヤ王に対して、エルサレムの陥落と、バビロニヤ軍への投降を勧め、王の不幸な運命を告げたことで、王はエレミヤの過激な発言が民衆に及ぼす悪影響を恐れて拘留せざるを得なかったのです。エレミヤは、エルサレムが廃墟となることを預言します。しかし、「ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者の・・・歌う声が聞こえるようになる」(33:10-11)とエルサレムの復興を預言しました。

 イスラエル王ゼデキヤは、現実から目をそむけ、エジプトを頼ったため、殺され、ダビデ王家は断絶しました。しかし、ダビデの末から再び王が立てられる日が来るとの回復の約束をエレミヤは聞きます。それが今日のテキストです。

「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。」(14-16節)

 正義の若枝、メシア降誕の約束です。イザヤも同じ預言をしました(イザヤ書11・1)。このダビデ王家復興の約束が「メシアはダビデの家から生れる」という信仰になりました。主イエスは「メシア、ダビデの子」として生まれた、神の子です。今日は待降節の最初の主日です。主の御降誕の日を迎えることに感謝し、主の再臨を待ち望む日です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「イスラエルを統一したダビ... | トップ | 「キリストの教えと和敬清寂」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事