富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「聖霊の賜物」使徒言行録2章1-11節

2024-05-14 23:20:08 | キリスト教

↑ スペインの画家エル・グレコの作品「ペンテコステ(聖霊降臨)」  1596-1600年に制作 プラド美術館蔵(スペイン・マドリード)

(説明:中央の女性は、イエスの母マリア、その右の顔だけの女性はマグダラのマリア、母マリアの左に立っている黄色の衣服の人はペトロか?その右に顔だけ見える女性はクロパの妻マリアか?(男性はマティアが加わった12の弟子達+バルサバの13人)

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

     日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

聖霊降臨節第1主日 2024年5月19日(日)午後3時~3時50分

       礼 拝 順 序                

前 奏                辺見トモ子姉

司 会                辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 343(聖霊よ、降りて)

交読詩篇    104:24-30(主よ、御業はいかにおびただしいことか)

主の祈り     93-5、A

使徒信条     93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)使徒言行録2章1-11節(新p.214)

説 教      「聖霊の賜物」   辺見宗邦牧師

祈 祷

聖餐式

讃美歌(21)  348(神の息よ)

献 金

感謝祈祷

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

          次週礼拝 5月26日(日)午後3時~3時50分

          聖 書  テモテへの第一の手紙6章11~16節

          説教題   「真理の霊」

          讃美歌(21) 360 27 交読詩篇 37:23~30 

 本日の聖書 使徒言行録2章1-11節

 2:1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

 本日の説教

 聖霊の降臨は「五旬祭の日」に起こったと2章1節にあります。「五旬祭」と訳されているのは「ペンテコステ」という言葉です。英語の聖書も、日本語に訳すと、「ペンテコステの日が来て」となっています。旧約聖書にも「五旬祭」という言葉はありません。「七週祭」という言葉が用いられています。「ペンテコステ」は「五十日」という意味のギリシア語です。何から数えて五十日かというと、イースターからです。その日に、主イエスの約束が成就し、弟子たちに聖霊が降ったのです。その日はユダヤ教の過越祭の第二日から七週後、すなわち五十日目の七週祭に当たります(申命記16:9-10、レビ記23:15-22)。ちなみに、過越祭、仮庵祭、七週祭はユダヤ教の三大祝祭日です。

使徒言行録1章3~5節によると、四十日にわたって弟子たちに現れた復活のイエスは、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(使徒言行録1:4-5)と命じていました。オリーブ山で昇天するときも、イエスは使徒たちに、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサエムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人と

なる」(使徒言行録1:8)と言われました。

イエスの昇天後、使徒たちはすぐに、最後の晩餐が行われた家と思われる、彼らが泊まっていた家の上の部屋に集まりました(使徒言行録1:13)。十一使徒は、婦人たちや、イエスの母、兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました。

  ペトロは、ユダに代わる人を選ぶことを、百二十人ほどの人々が集まっているところで提案し、二人の候補者を立てて、くじを引き、マティアを使徒に選びました(使徒言行録1:15)。このようにして、最初の教会は五十日間、主イエスが約束された聖霊の到来を待っていました。

ペンテコステの日に、<一同>が一つになって集まっていました。彼らが泊まっていた家の上の部屋と思われます。聖霊降臨という大きな出来事は、三つの超自然的なしるしを伴っておきました。

 その第一は、<突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に>響きました。<風>は、聖霊の活動を表現し、<天からの音>は神の直接的な働きを示しています。

 その第二は、<炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に>とどまりました。<炎>は、汚れを除く神の働きを示し、神の臨在を示す表現です。炎のような<舌>は、言葉を表しています。聖霊は「言葉」の賜物を伴って臨んだのです。

 第三のしるしは、言葉の賜物が<一人一人の上にとどまり>、<一人一人>に個別的に与えられました。

 すると一同は、聖霊に満たされ、御霊の語らせるままに、<ほかの国々の言葉で>話しだしました。他の国々の人たちの<故郷の言葉>で話し出したのです。

 エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいました。国外に離散していた人々で、現在は祖国に帰った人たちです。また、エルサレム巡礼に来て、一時的に滞在していた人もいました。ユダヤ教に改宗した異邦人もいました。エルサレムに住むこのような大勢の人が、この聖霊降臨の出来事の物音に集まって来ました。だれもかれもが、自分たちが生まれた故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまいました。自分たちの外国の生まれ故郷の言葉を、ガリラヤ出身の使徒たちが話すのを聞いて驚いたのです。聖霊の賜物は異なった言葉で語るという奇跡的な賜物でした。離散のユダヤ人の出身地の地名が、ユダヤを中心にして東方からあげられています。

 15の地域のことばで、キリストの弟子たちが、神の偉大な業を語っているのを聞いて驚いたのです。

 当時、国外へ離散していたユダヤ人の数は4~5百万人です。エルサレムを含むパレスチナに住むユダヤ人の数はわずか50万人ほどでした。ユダヤを含むシリア地方とメソポタミアの共通語は、その当時はアラム語(ヘブライ語とは方言程度の差)でした。ローマ帝国の支配する地中海沿岸の地域の共通語はギリシア語(コイネー)でした。またローマはラテン語でした。聖霊降臨の時、使徒たちはこれらの共通語であるアラム語やギリシア語、またラテン語で話したのではなく、十五の地域の、それぞれの言葉で語ったと言うのです。この出来事は、全世界の人々がやがて、自分たちの国語で、イエスの福音を聞く日が来ることを、象徴する出来事でした。

 聖霊降臨で起こった霊の注ぎは、個人の内面にかかわる聖化としてではなく、教会が福音をたずさえて「民衆の場へ出て行く」力であり、教会に民衆を引き付ける力でした。臆病だった弟子たちに、語るための力が与えられ、言葉の賜物、異なった言語で語るという賜物が与えられたのです。それぞれの地域の人々に理解できるように話す言葉、通じる言葉が与えられたのです。主イエスが昇天の時、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)と告げたことが起こったのです。

 この日、ペトロの説教の後、三千人ほどの人が洗礼を受け、仲間に加わりました。ぺンテコステは、「教会誕生の日」と言われます。しかし教会誕生のための弟子たちの集まりと祈りの準備がありました。

 使徒言行録1:3以下によると、四十日にわたって、復活の主は弟子たちに現れ、「エルサレムを離れず。・・・父の約束されたものを待ちなさい」と命じました。その後、天に上げられるときには、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)と語って昇天しました。弟子たちは、主に言われたように、エルサレムにとどまり、泊まっていた家の二階に集まり、心を合わせて熱心に祈り、聖霊が降ることを待ちました。ここに教会の誕生のための備えがあったのです。

 ペンテコステは、「宣教する教会の誕生」を伝える物語です。わたしたちも、隣人にも福音を伝える者とされましょう。先に救われ、キリストの愛を知ったわたしたちは、自己愛の延長としての愛ではなく、イエス様によって示された赦しを伴う献身的な愛を証しし、「あなたも、あなたの家族も、主を信じれば救われる」(使徒16:31)と信じ、宣べ伝えましょう。聖霊はわたしたちに、聞く価値のあることを語らせてくださる力であり、聞く人に希望といのちと力を与えます。聖霊はイエスの十字架と復活を証言する力であり、教会を全世界へと押し出す原動力です。私たちも、この聖霊の力を受けてイエス様の証人となり、人々の救いに尽くしましょう。

 

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