↑ 「カナの婚礼。水を祝福するイエス」Jan Cossiers(1641~1660)アントワープ、ベルギー
〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380・FAX:022-358-1403
日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
降誕節第4主日 2024年1月21日(日) 午後2時~2時50分
礼 拝 順 序
前 奏 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 494(ガリラヤの風)
交読詩篇 19(天は神の栄光を物語り)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)ヨハネによる福音書2章1-11節(新p.165)
説 教 「カナの婚礼」辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 287(ナザレの村里)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
次週礼拝 1月28日(日)午後2時~2時50分
聖 書 ヨハネによる福音書8章21~36節
説教題 「教えるキリスト」
讃美歌(21)522 441 27 交読詩篇 125:1-5
本日の聖書 ヨハネによる福音書2章1-11節
2:1三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 5しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 6そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 7イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 8イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 9世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
本日の説教
ヨハネのよる福音書の2章1節に、「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた」と記されています。4章46節で、「イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水を」ぶどう酒に変えられた所である」というまとめの言葉が示しているように、イエスの最初の宣教活動はガリラヤのカナから開始され、カナに戻った形で記録されています。
「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって」の三日目とは、イエスがガリラヤ湖北東の町ベトサイダで5人目の弟子としたナタナエルの出来事から数えて三日目のことと思われます。
ベトサイダとカナは直線距離にして南西約30キロ、カナからイエスの育った、母の住むナザレは、南方13キロほどの所にあります。
カナで婚礼があって、イエスの母はそこにいました。イエスも、その弟子たち5人も婚礼に招かれました。おめでたい祝いの席に欠かせないぶどう酒が足りなくなるという思いがけないできごとに、母マリアは困惑して、イエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と告げました。イエスに「何とかしてほしい」と訴えたのです。なんとかこの場を切り抜けることができるように、と陰で働くマリアの配慮にもとづくものでした。しかしそれに対するイエスの答えは、母マリアの予想とは違うきびしいものでした。
イエスは母に「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と言われました。マリアはイエスを母子関係の立場から、イエスに何とかしてほしいと訴えています。しかし、イエスは父なる神に御心に従う神の御子の立場にあるので、尊敬を込めて婦人よ、呼んでいます。イエスは、人間の指図に従い、人間の言うがままに奉仕する者ではない、という重大な真理を表明するためには、母マリアに対しても、決然たる断絶を表明しなければならなかったのです。「わたしの時」というのは、十字架上の死と、栄光を受ける時を同時に意味します。その時まで、イエス御自身は、自らが神のご意志を行う者、すなわち神の子であることに徹して、教えとその業の遂行に集中することを明らかにしているのです。
5節以下を見ますと、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言ったとあるように、イエスに全幅の信頼を寄せていることが示されています。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。当時、各家にあったようです。いずれも二ないし三メトレテス入りのものです。一メトレテスは、39・39リットル、すなわち約40リットルです。その2、3倍なので80リットルから120リットルです。明治のおいしい牛乳のロング・サイズは900ミリ・リットルなので、90本から120本入る量です。現在カナの婚礼があった場所が、巡礼地になっていて、その近辺の店では、この故事に因んでぶどう酒を売っています。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われました。召し使いたちは運んで行きました。世話役は、ぶどう酒に変わった水の味見をしました。世話役はこのぶどう酒がどこから来たのか知らなかったので、花婿を呼んで、言いました「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じました。「弟子たちはイエスを信じた」とは、イエスは彼らの生活を祝福し、彼らと共に歩みたもう主であり、洗礼のヨハネが証しした神の子であることを信じました。
12節に、この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在されたと記されています。カファルナウムはガリラヤ湖北岸にあった町です。
カナの婚礼における主イエスの最初の奇跡は、イエスがユダヤ教の清めの儀式に用いられていた水を、ぶどう酒に変えるという奇跡を通して、人々に、旧い秩序から新しい秩序が、この世に樹立されるのだ、ということを伝えています。
カナの婚礼の席につらなった一同は、変えられたぶどう酒のよい味を満喫し、神の祝福と恵みに満たされました。それはイエスが、この地上のすべてのものを聖別し、祝福して、神の栄光をあらわすために用いたもう方であることを示しています。
私は、開拓伝道の自活をするために、チャペル式の結婚式場へ、牧師、聖歌隊、オルガにストを派遣する会社を経営しています。会社名を「有限会社カナ(Cana)企画」としています。それは、主イエスが結婚式を祝福してくださり、思いがけない出来事があっても、主は助けてくださる方であることを信じ、願ってのことです。これまで、何十年もの間主に支えられ、助けられてきたことを感謝し、証しとさせていただきます。
カナで婚礼があって、イエスの母はそこにいました。イエスも、その弟子たち5人も婚礼に招かれました。おめでたい祝いの席に欠かせないぶどう酒が足りなくなるという思いがけないできごとに、母マリアは困惑して、イエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と告げました。イエスに「何とかしてほしい」と訴えたのです。なんとかこの場を切り抜けることができるように、と陰で働く母の配慮にもとづくものでした。しかしそれに対するイエスの答えは、母マリアの予想とは違うきびしいものでした。
イエスは母に「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と言われました。イエスは、人間の指図に従い、人間の言うがままに奉仕する者ではない、という重大な真理を表明するためには、母マリアに対してすらも、決然たる断絶を表明しなければならなかったのです。「わたしの時」というのは、十字架上の死と、栄光を受ける時を同時に意味します。その時まで、イエス御自身は、自らが神のご意志を体現する者、すなわち神の子であることに徹して、教えとその業の遂行に集中いたします、ということを明らかにしているのです。
5節以下をみますと、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言ったとあるように、イエスに全幅の信頼を寄せていることが示されています。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。当時、各家にあったようです。いずれも二ないし三メトレテス入りのものです。一メトレテスは、39・39リットル、すなわち約40リットルです。その2、3倍なので80リットルから120リットルです。明治のおいしい牛乳のロング・サイズは90ミリ・リットルなので、90本から120本入る量です。現在カナの婚礼があった場所が、巡礼地になっていて、その近辺の店では、この故事に因んでぶどう酒を売っています。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われました。召し使いたちは運んで行きました。世話役は、ぶどう酒に変わった水の味見をしました。世話役はこのぶどう酒がどこから来たのか知らなかったので、花婿を呼んで、言いました「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じました。
12節に、この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された」と記されてます。カファルナウムはガリラヤ湖北岸にあった町です。
ナザレのイエスは、ユダヤ教の清めの儀式に用いられていた水を、ぶどう酒に変えるという奇跡を通して、人々に、旧い秩序から新しい秩序が、この世に樹立されるのだ、ということを伝えています。
カナの婚礼の席につらなった一同は、水をぶどう酒に変えられた、ぶどう酒のよい味を満喫し、神の満ち足りた祝福と恵みが人々を支配しました。それはイエスが、この地上のすべての物質を聖別し、祝福して、神の栄光をあらわすために用いたもう方であることを示しています。「弟子たちはイエスを信じた」とは、イエスは彼らはの生を祝福し、彼らと共に歩みたもう主であり、洗礼のヨハネが証しした神の子であることを信じたのではないでしょうか。わたしたちも、弟子たちと同じようにイエスを信じようではありませんか。
私は、教会の牧師として自活するために、チャペル式の結婚式場へ、牧師、聖歌隊、オルガにストを派遣する会社を経営しています。会社名を「カナ(Cana)企画」としました。それは、主イエスが結婚式を祝福してくださり、思いがけない出来事があっても、主は助けてくださる方であることを願ってのことです。これまで、何十年もの間主に支えられ、助けられてきたことを感謝し、証しといたします。