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富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「悪と戦うキリスト」 ルカによる福音書11章14-26節

2019-03-11 11:05:32 | キリスト教
↑15世紀のフランスのベリー公が作らせた時祷書の挿絵。(悪霊につかれた男の頭から、悪魔が逃げ出す絵。マルコ1:21-28の場面。)

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む     者とされましょう。」
聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずから     せるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していな     さい。」(コロサイ3・15)

     受難節第2主日  2019年3月17日(日) 午後5時~5時50分 

         礼 拝 順 序
                 司会 田中 恵子姉
前 奏              奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 297(栄えの主イェスの)
交読詩編  140(主よ、さいなむ者からわたしを助け出し)
主の祈り   93-5、A
使徒信条   93-4、A
司会者祈祷
聖 書(新共同訳)ルカによる福音書11章14-26節(新p.128)
説 教    「悪と戦うキリスト」   辺見宗邦牧師
祈 祷                                
聖餐式    78(わが主よ、ここに集い)
讃美歌(21) 441(信仰をもて)
献 金
感謝祈祷              
頌 栄(21)  24(たたえよ、主の民)
祝 祷             
後 奏
                   次週礼拝 3月24日(日) 午後5時~5時50分 
                   聖 書  ルカによる福音書9章18-27節
                   説教題   「受難の予告」 
                   讃美歌(21) 197 481 24 交読詩編 108

    本日の聖書 ルカによる福音書11章14-26節
  11:14イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。 15しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、 16イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。 17しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。 18あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。 19わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。 20しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。 21強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。 22しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。 23わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」 24「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。 25そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。 26そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れ
て来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」

          本日の説教
 
  主イエスは、ガリラヤ湖周辺の町々村々を巡回して、神の国は近づいたと宣べ 伝え、そのしるしとして、病人をいやし、悪霊を追放し、死人を生き返らせ、奇蹟を行われました。主イエスが行った奇蹟は、イエスが自然、病、罪、悪霊、死に対して支配する権威を持つ神の子、メシヤ(救い主)であることを示すものでした。
「口の利けなくする悪霊を追い出すキリスト」
( 説明:口の利けない男の口から悪魔が逆さになった飛び出している。)

  イエスの時代は、重い病気や身体障害は、悪霊の仕業だと考えられていました。イエスのところに、悪霊に取りつかれて口の利けない人が連れられて来ました。イエスは口を利(き)けなくする悪霊を追い出すと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆しました


群衆はイエスの行った悪霊祓いに驚きましたが、しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言って、イエスの力の源を怪しみ批判する者や、イエスが神から遣わされたメシアかどうか試そうとして、証拠として天からのしるしを要求する者がいました。

イエスは彼らの心を見抜き、<ベルゼベル>の力を使っている、というイエスに対する非難を取り上げてこたえます。

<ベルゼベル>とは、本来<バアル・ゼベル>のことで、「君主バール」、「家の主人」の意です。<バール>はカナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神です。カナンの地に入植してきたヘブライ人たちは、カナンに住んでいたペリシテ人の信仰する<バアル・ゼベル>を邪教神として、「エクロンの神、バアル・ゼブブ(ハエの神の意)」とゼベルの語呂に似たゼブブという名で呼んでさげすみました(列王記下1:2)。<エクロン>はペリシテ人の町の名です。その後、<バアル・ゼベル>は、<ベル・ゼベル>となり、この当時は<悪霊の頭>すなわちサタンを指す名として<ベルゼベル>という言葉が用いられていました。
群衆の中に、イエスの力を<悪霊の頭ベルゼベル>の力と見做す者がいました。

イエスは「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか」と言われました。

イエスは彼らの考えが間違っていることを、彼らに納得のいくように、たとえを用いて、分かりやすく説明されました。国が「内輪で争えば」、その国は立ち行かない。内部抗争に明け暮れる国や家は荒廃して、自滅してしまいます。同じように、イエスがサタンの頭の力で、サタンの手下である<悪霊>を追い出していると言うのであれば、それは内輪争いをすることであり、サタンの支配は崩壊し、自滅してしまいます。サタンは、内部抗争によって自滅するほで愚かではありません。サタンは自分自身に逆らうようなことはしません、とイエスは反論されました。

「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる」とイエスは言われます。
イエスが悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うのなら、あなたたちの仲間、ユダヤ教団内部で行われている<悪霊祓い>は何の力で悪霊を追い出しているのか。彼らも悪霊で追い出していることになるのではないか。もしそうなら、彼らは怒ってあなたたちの罪を裁くことになろう。彼らの悪霊追放を、神の側に立って働いているとみなすなら、イエスの悪霊追放も同じように神の側に立って働いているを認めるべきではないか、と反論しました。
当時のユダヤ教では、祈祷師とか霊能者が悪霊を追い出すということをしばしば行っていました。使徒言行録19章11節以下にもユダヤ人の魔術師や祈祷師がいたことが記されています。
「しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」と主イエスは言われました。 
イエスが言われた「神の指」という表現は、出エジプト記8章の記事に出て来る言葉です。モーセがエジプトで苦しむ自分の民を救い出すため、エジプトの王ファラオのもとへ行って、奴隷とされているイスラエルの民を解放するように要求しました。しかしファラオはその要求を拒みました。そこでモーセは自分たちの要求が神からのものであり、自分たちの神がまことの神として生きて働いていることを証ししようとしました。モーセはファラオの前に杖を投げて蛇にする奇蹟を行いました。
エジプトの魔術師たちも同じように、秘術を用いて蛇にする奇蹟を行いました。そのあと、モーセが行った奇跡を、エジプトの魔術師たちも同じようにできることが、三度も続き
ました。しかし、四度目の「ぶよ」の奇跡に至ったとき、魔術師たちは、これは「神の指」がそこに働いていることを認めざるを得ませんでした。「これは神の指です」と言って、自分たちには到底真似ができないことを魔術師たちはファラオに進言しました。けれどもファラオの心は依然としてかたくなで、モーセの言うことを聞き入れませんでした。この後、十一度目に、真夜中に主なる神が家々を過ぎ越す奇跡が行われ、エジプト人の家々の初子は死んでしまうという奇跡が行われ、ファラオはついにイスラエルの民の解放を認めざるを得なくなりました。
イエスが言った「神の指」(マタイでは<聖霊>)という言葉の背景は、エジプトの魔術師たちがモーセの行った奇跡を、「神の指」によって行っていると言ったことによります。
イエスは、モーセのように<神の指(神の霊)>によって悪霊を追い出しているのだから、神の国、神の支配は、あなたたちのところに来ているのだ、と重大な宣言をされました。「神の支配」は、やがて来る終末的な出来事ですが、しかし、聖霊の働きによって、すでに始まっているのだ、と言われたのです。「神の国」が<あなたたちのところに>、今イエスが直接話を向けておられる批判者たちのところに来ている。聖霊の存在を否定するようなあなたがたには、神の裁きがすでに下っている、という警告でもあります。
 「強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する」とイエスは言われました。
イエスは、ご自身とともに「神の支配」が到来していることを、さらに一つのたとえを用いて語ります。これは次のようなイザヤ書49章24~25の言葉を反映しています。                                         
 「勇士からとりこをとり返せるであろうか。暴君から捕らわれ人を救い出せるであろうか。主はこう言われる。捕らわれ人が勇士から取り返され、とりこが暴君から救い出される。わたしが、あなたと争う者と争い、わたしが、あなたの子らを救う」。                                       
 「勇士・暴君」とはサタンのことです。サタンは悪霊にとりつかれた人々を、奴隷(捕虜)としてそのままにしておこうとしても、サタンよりももっと強う者である「主」なる神
の前には、サタンは無力です。「主」から遣わされた神の子
イエスはサタンの捕虜をすべて奪い取ってしまう。サタンに対するイエスの勝利こそ、彼が、神の側なのか、サタンの側なのか、どちら側なのかを、十分に示す証拠であると説いたのです。
「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている」とイエスは言われます。
この戦いにおいて、どちらつかずいることはありえません。今、神の指で悪霊を追い出しておられるイエスの側につくか、イエスの働きを悪霊の頭によるものとして、イエスに敵対する側につくのか、どちらの側につくのかとイエスは決断を迫ります。今神から遣わされて世に来られたイエスの呼びかけに呼応して、イエスの陣営に集合しない者は、終末に、
イエスがその群れを集められる時に、この集めようとされる働きに敵対するものであり、羊である民を散らしている者とされる、と警告しています。
 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、
整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」とイエスは警告します。
単に<汚れた霊が人から出て行く>だけのユダヤ教の悪霊祓いをしても、清い霊(聖霊)による生活をしなければ、悪霊の巣となる。メシアであるイエスの言葉を聞き、その活動を見たにもかかわらず。悔い改めてイエスを主人とすることがないと、かえって前よりも悪くなる。
このたとえは、イエスを拒絶したことに対して、批判者たちに最後の一撃を加えるものです。神の指によって神の国が来たからには、悪霊の住み家と聖霊の住み家の中間状態はない。人は中立状態の空き家にしてはいけない。空き家にしておくと、人は最初の状態よりもはるかに悪くなるだろう、というのです。
私たちは、主の祈りで、「御国を来らせたまえ」と祈ります。終末のときに実現する「御国」を求めるだけではなく、今、わたしたちのところで実現している「神の国」、「神の支配」を求めて祈る事が必要です。また、「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」と祈ります。罪と死に打ち勝ち、復活され、父なる神とともに天上にあって世を支配されておられる、神の御子イエス・キリストのにより「神の霊」によって悪霊に打ち勝つ権能を与えられていること、また「神の指」による救いのお働きを日々に受けていることを自覚し、悪に打ち勝つ勝利を確信して、歩んでまいりましょう。

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